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RUIN【破滅】  作者: シギ
二章 魔界の統治者トルデエルト
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84話 帝都にて動く影 (3)

 甲高い金属音が薄暗闇の中で火花を散らして幾度とも響き渡る。“オードソード”と鋼の刀が激しくぶつかり合っているのだ。


「…へぇ。やるねぇ」


 イクセスは前傾姿勢で地面を這うように駆け抜け、下から掬うように斬り付けた。


「足下ばかりを狙うなどとは、まるで小兵の戦法だ!」


「そうか? 意外と効果的なんだぜ」


 斬り返され、それをイクセスはサッと避ける。

 逃げるように走り続けたかと思いきや、急にUターンして先と同じように斬りかかる!

 イクセスの戦い方は、あまり大振りの攻撃をせず、小さな単調な攻撃を繰り返し、相手のミスを誘うものだ。機動力に長けているからこそできるヒット・アンド・アウェイである。


「将軍とあろうものが、なんともせせこましい戦い方よな!」


 アサシンは大上段に構えた刀を一気に振り下ろす! あわや当たるという瞬間に、滑るようににしつつ回避する。


「…そういうアンタは、暗殺者らしくねぇな」


 さっきから飛び道具すら放ってこない。持っている刀だけで堂々と戦っているのだ。あの手この手の攻撃手段を持つアサシンにしては妙である。


「ほら! そっちだけが遊んでるんじゃないよ! お喋りなんてしている余裕なんてあげないよ!」


 女性と思われる小柄なアサシンが、左右の一差し指でクルクルと輪っかの様なものを勢いよく回す!


「ん? “戦輪チャクラム”か…」


 女アサシンが、勢いよくチャクラムを飛ばす! ビュンッと鋭い刃をつけたリングが二つ飛んでくる!


「飛び道具ではあるが、なんか目立つデザインだな。颯風団が好むとは思えねぇ…っと、危ねぇな」


 初撃は上手く避けるが、放物線を描いて戻り、再び急襲してくる円盤状の刃物に、イクセスの前髪が刈られてハラリと落ちる。

 チャクラムは大仰な模様を施されていて、これもまたアサシンが使うような武器には見えなかった。


「……確かに並の強さじゃねぇ。噂通りの手練れだな」


「観念したか? 俺一人でも貴様より遙かに強い。それが二人だ。どういう意味か解らぬ貴様ではあるまい」


「…そうだな。だが、それだけの腕前があって、誰に雇われてるんだ?」


「答える必要があるかしら? 颯風団が依頼内容を軽々しく話すと思って?」


「まあ、そう言われりゃそうだな」


 一対二での戦いを器用にこなしながら、イクセスは敵を観察し続ける。

 見かけや言動は、確かに颯風団だ。だが、戦い方は全く異なっていた。長年、アサシンと戦い続けていたイクセスにはそんなことはすぐに解った。

 だが、颯風団でなければいったい何者だというのだろうか? それを考え続けていたのだ。


「あらよッ!」


「グッ!?」


 いままで足下ばかり攻撃していたイクセスが、急に攻撃を変化させて顔を狙い始める!

 突きに男が怯んだと見るや、姿勢を低くして女の方に猛ダッシュをかける!


「なッ!?」


 女アサシンがチャクラムを受け取る瞬間を狙って、素早く近づき攻撃を与える!

 体術にも自信があるようで、なんとかイクセスの一撃を受け、後退しつつチャクラムを回収した。


「なるほど。“最速”と呼ばれるだけはある…。スピードだけは見事だ」


「私のチャクラムよりも早く動くだなんて…」


「おいおい。まだ本気じゃねぇぜ」


 片足でトントンと軽くジャンプしてみせ、イクセスはニヤッと笑う。


「ならば、本気を出すがいい。こちらも出し惜しみはしないぞ!」


 男が刀の柄頭を叩くと、まるで蛇腹のように刀身が伸びて鞭のような形状になる!


「ええ。そうね!」


 女が回収したチャクラムを胸の前で交差させ、奇妙に揺らしながら放った!


「戦技『蛇行曲刀だこうきょくとう』!」


「戦技『多重戦輪たじゅうせんりん』!」


 二人の身体から陽炎のような戦気が放たれたかと思った瞬間、同時に戦技を繰り出す!!

 鞭になった刀が蛇のように暴れ回り、二つのチャクラムは上下にぶれながら無数に分裂する!


「ッ!? んだと!?」


 驚きつつも、イクセスは身を捩りながら必死でかわすが、避けきれずに肩口と足首にダメージを受けた。


「……グッ。痛ぇじゃねぇかよ。まさかアサシンが戦技を使うとはな」


 イクセスが意表を突かれたのは無理もなかった。

 戦気を纏うというのは先天的な素質を要するが、それを戦技まで扱えるようにするのは素養に加えて並々ならぬ努力を要する。それも努力したからといって、才能がなければ実用レベルにはとても至らないのが普通であった。


「さっきから怪しいな。戦技まで操れる『戦闘者ウォリアー』だったら、わざわざ暗殺者アサシンになる理由がわからねぇしな」


「…フン。強力な戦技に、暗殺技術が加われば無敵というだけのこと」 


 それが嘘だということは、イクセスはすぐに見抜く。

 戦気を出したり、戦技を放つという行為は、どうしても大仰で目立つのだ。闇や陰に紛れて敵を討つアサシンの殺法とは真に相性が悪いといえる。

 特に戦気は、戦う時となれば不随意に生じてしまう場合が多い。それを押し殺して戦うのは非効率的といえるだろう。

 戦技まで扱えるウォリアーが手っとり早く強くなるには、使いなれた得物で戦う方が道理である。アサシンのように、多数の暗器を扱えるようになるまで修練を積むのは、強くなるのに明らかに遠回りな方法と言えるだろう。

 事実、さっきまで目の前の二人は最初のクナイを投げたっきりで、ずっと同じ得物だけで戦っていた。絡め手を好むアサシンにしては不自然な真っ向からの戦法である。

 

「…なんか読めてきたぜ」


「ハッ! 何かに気づいたとて、ここで死ぬ運命なのだから意味などないだろうよ」


「勘弁してくれ。死ぬ運命だなんて誰がきめたんだよ?」


 男が“蛇腹刀”を遠心力をかけて振り回し、戦気が込められた一撃が跳ねる! 

 イクセスは“オードソード”で受け止めるが、戦技によって生じた衝撃で吹き飛ばされる!


「アッハハ! こっちの攻撃も終わっちゃいないよ!」


 チャクラムが羽虫の羽ばたきのような不快な風切り音とともに迫る! 

 二つの鉄輪に率いられるように、後ろから八つの光る輪が続く! まるで編隊飛行をする渡り鳥のように規則正しい動きだ。

 動きが分かっているならば避けるのはたやすいだろうと、先頭を飛んでいるチャクラムを避け、避けきれないであろう光輪は打ち落とさんとする!


「クッソ!?」


 当たると思われた瞬間、光輪が四方八方に弾け飛ぶ! そして、散弾のようにイクセスの身を貫いた! 深い無数の傷口から血が噴き出る。


「よし! 当たったし! なーんだ。将軍クラスでもこんなもんなんだ! 帝都でデカい顔している割に情けないわね!」


「仕方ないだろう。俺たちの実力が、それ以上だったというだけの話だ」


 すでに勝ち誇ったようなことを言う二人に、イクセスは喉の奥で笑う。 


「なにがおかしい?」


「いやね。まるで自分たちが颯風団のアサシンじゃないと否定しているように俺には聞こえたんでね」


「…否定だと? 深読みしすぎだ。将軍である貴様を狙うのは颯風団にとって当然。ましてや、我らの組織をほぼ壊滅までに追いやった貴様には恨みがある!」


「とってつけたような理由だな。俺を殺すなら、もっと早くできたはずだ。お前たちみたいな手練れがいるのに温存している意味がねぇだろ?」


「…無駄話はいらん」


「都合が悪くなると黙りかよ。それとも、下っ端だからちゃんとした情報もってねぇのかな? 見たところ、安っぽい装備だしな」


「し、下っ端だと!? この私が!? 舐めやがって! 私たちの強さを見ていなかったっての!?」


 女の方が激昂する。それを見て、イクセスは口の端をニヤリとさせた。


「…よせ! 耳を貸すな!」


「どんな大金積まれたか知らねぇが、そんな小汚い戦闘服で戦う奴の気がしれねぇぜ。おおかた、その強い武器を手に入れるのに大枚はたいて金欠なんだろ? それで、こんな場所でコソコソと暗殺家業で荒稼ぎってことか。実に惨めだな。同情するぜ」


「ふざけるな! 金に困っているわけじゃない! 金などで動いたりなんてするものか! 私たちは誇り高い“黒い…」


「余計なことを言うな!!」


 慌てた男が女の頬を叩く。女は呆気にとられたが、すぐに自分がやらかした失態に気づいてうつむく。


「黒い…なんだ? ほう。詳しく聞かせてもらいたいとこだね」


「…もうその手は通用しない」


「そうかい」


 心理戦ではやりやすい相手だとイクセスは思う。

 一見、感情を殺して任務を忠実にこなしているようだが、自分の強さと仕事にかなりのプライドを持っているのが感じられた。それは女だけではなく、感情を表に出さないようにしている男も同様である。いや、むしろ男の方が激しやすいのは、いま女を殴ったことからも明らかだった。

 もう少し揺さぶれば、もっと情報を得られるだろうとイクセスは考えていた。アサシンでないことはすでに気づいていたが、その動機が金によるものではないと知れただけでも大きい。


「さてと、どうするかな…」


 ただ普通に戦闘するだけでは、数の上でも不利だろう。かといって、手加減できるような相手ではない。もう少し会話を長引かせるにはどうすればいいかと頭を巡らせる。


「イクセスさん!」


「ん?」


 睨み合っている最中、視界の端から何かが走ってくるのが見えた。


「非常事態と判断し、バックアップします!」


 それは、血相を変えたクロイラーだった。あまりに急いでいたせいか、眼鏡がずり下がって鼻の頭にかかっている。


「クロイラー嬢!?」


 イクセスが驚きの声をあげる以前に、クロイラーは腰から取り出した伸縮警棒をシャコンッと伸ばす!


「もう一人の将軍だと?!」


 男も女も驚いていたようだが、やはりそこはさすがベテランと言ったところだろう。すぐに対処すべく、ターゲットをクロイラーに向ける。


「せやッ!」


「お、俺の腕を!?」


 武器を振りかぶろうとした男の懐に素早く入り、警棒を脇に挟み入れて間接を取る!

 そして、組んだまま、グイッと入り身投げの要領で転倒させた。男の後頭部が地面に叩きつけられる!


「ぐがッ!」


「うげぇッ。えげつねぇ。あれは痛いぜ」


 敵ではあるが、イクセスは同情した。受け身をとれない状態での投げ技ほど痛々しく見えるものもない。


「な、なんだよ! なんで戦技も使えないヤツが!」


 女が距離をとり、一〇個のチャクラムが動き出すが、クロイラーは“オードリボルバー”で正確に撃ち落としていく!

 高速で飛ぶチャクラムを打ち落とすのは、並の腕前ではないのだが…ただ残念であるのは、銃を構えてるそれが実に危ない表情という点だ。それさえなければ、将軍としての威厳もあったことであろう。

 破壊される度に、光輪は四方ハ方に飛び散るが、遠距離で撃ち落としているのでこちらに被害はない。


「さすがクロイラー嬢。瞬殺じゃないすか…。敵のタイプもすでに把握してるし」


 普段のクロイラーだったら、特殊警棒を使う前に銃を撃とうとするだろう。

 だが、男が近距離タイプ、女が遠距離タイプだと瞬時に見分け攻撃方法を変えたのである。そこに自身の銃撃優先といった好みばかりが入らないぐらいの自制心は存在するのだ。


「…こりゃ、もう俺の出番はないかな」


 戦闘での洞察力、判断力においてはイクセス以上の才能を持っていた。だからこそ、彼女は第一将軍の座についているのである。

 うっとりとリボルバーに頬ずりをしている様からは、まるでそんなことは解らないのであるが…。

 チャクラムをすべて落とされ、女の眉間に銃口が向けられる。


「ググッ。肩の骨が外されたか…。この俺が、こうも簡単に投げられるとは」


「まだやりますか?」


 クロイラーの問いかけに、二人とも心底悔しそうに、強く怒りを眼に宿す。


「当たり前だ! ここまでコケにされていて…」


「…いや、ダメだ。退くぞ」


「何を言ってるんだよ!?」


「本気でやれば勝てはするだろう。だが、俺たちの目的は違う…。親方様を守ることが優先だ。これ以上の傷を負えば、敵に付け入れられる隙を生む」


 男の説得に納得したのか、女の方も構えを解く。だが、クロイラーに向けられた敵意までは消えない。


「おいおい。そっちから喧嘩ふっかけといて、トンズラなんてムシが良すぎるとは思わねぇか?」


「……挑発には乗らん」


「無駄なことは止めて投降しなさい。イクセスさんの足からは逃げられません」


 クロイラーがそう言う前に、イクセスはいつでも走り出せる構えをとっていた。そのスピードは先ほど戦った時に嫌というほど見せつけられている。


「“最速のブラッセル”、“早撃のクロイラー”か……侮っていたと素直に認めよう」


 クロイラーも拳銃を低く構える。逃亡しようとした瞬間、二人の膝を撃ち抜くつもりなのだ。

 この将軍二人から逃げるのは、どう見ても無謀としか思えない状態だった。


「だが、一つだけ忘れていることがあるぞ…」


「忘れていることだと?」


「俺たちがアサシンだということを、だ!」


 男が袖から何かを落とす。次の瞬間、ボンと周囲が煙に包まれた!


「煙幕だと!? チッ!」


「撃ちます!」


 敵の姿が煙に隠れていても、クロイラーの眼は標的を失っていなかった。僅かに動く煙の動きから、敵を居場所を捕捉していたのだ。


「いや、待ってくだせえ!」


 イクセスの制止に、ビクッと震えるようにしてクロイラーが固まる。


「なぜですか?」


「…あれを」


 風に吹かれ、徐々に煙が晴れていく。

 クロイラーが敵だと認識した場所には、さっきまでいなかったはずの人物が立っていた。

 それは赤ら顔の中年男性で、かなり酔っていてフラフラとおぼつかない足取りだ。表情も夢うつつといったところだ。


「…代わり身、ですか?」


「ええ。逃げる時は、アサシンの技を使うとはね…。形だけは徹底してますね」


 忌々しそうな顔をしながら、タバコに火を付ける。


「私たちに後を追わせないとは…。非常に、ただ者ではありませんね。幹部クラスのアサシンといったところですか?」


「いいや、あれはアサシンじゃねぇですよ」


 イクセスの言葉に、クロイラーは眼を丸くする。戦っていたら気づきそうなものなのだが、クロイラーは相手の正体までは深く考えていないようだった。


「え? では、なんだと?」


「どこぞの武術の師範代クラス、もしくは強さを追求する流れ者のウォリアーでしょうね。あれだけの戦技を使えるんだ。それだけで食いっぱぐれはねぇはずです。颯風団の一員だとは思えないですわ」


「でも、戦技が扱えるからといって、颯風団じゃないなんて断定できないのでは?」


「もしキードニアのベテラン・アサシンなら、自分が鍛え上げてきた暗殺技術に重きを置くはずです。戦技が使えたとしても、最初から侮ってる相手にあんな戦い方はしないでしょ。

 もし後からスカウトされて入ったにしても妙だ。あれだけ強いなら颯風団なんて組織なんか入らず、自分で殺し屋稼業やりますよ。そうでなくても、今じゃ帝都内でも落ち目の颯風団に入るメリットはないすね。

 となれば考えられる理由は二つ……ただ単に颯風団を貶めたいと考えているか、はたまた颯風団って名前を使って何か企んでるか…ってとこでしょうね」


 クロイラーは納得したように頷く。

 本当に暗殺術に自信があるならば、最初からその戦法で仕掛けてくるはずだ。戦技を使ってきたのは、暗殺術よりもそちらのほうが得手だからに他ならない。


「…何者かが颯風団になりすましている。でも、いったい誰が? それで得をしそうな人は、非常に全く思い当たりませんが」


「んー。ま、予想はついてますよ。行ってみましょうか」


 イクセスは吸い終わったタバコを踏みつぶすと、クロイラーを連れて歩き出した……。




---




 先ほどまでイクセスがいた外神殿に戻ってくる。

 神殿騎士は行く手を遮ろうとするが、堂々と武器を持った将軍二人を見て気圧されたようで、「強制捜査」の一言で、素直に入口を開ける。



「……バイアス神官長が?」

 

 道すがら、イクセスに内容を聞かされたクロイラーは口元に手を当てて困惑の表情を浮かべる。


「…と、思われるでしょう。でも、さっきのヤツらと何かしらの繋がりはありやすよ。さっきの“アサシンもどき”は、明らかに神官長の近衛兵だった」


「…証拠はあるんですか?」


「ないです。ま、こういう時の俺の勘は外れたことねぇんで」


 適当すぎる発言に、クロイラーは不安そうな顔になる。


「イクセスさんのことは信じてますが…。もし、もし仮にこれが何かの間違いだったら。違法捜査になりますよ。非常にマズイことに…」


 大きく肩を落とし、クロイラーは大きくため息をつく。

 ここに入ってきたのも、正式な訪問とは言えない。それだけで問題になるだろう。


「ただでさえ、軍部と三神教の仲は非常に良くないのに…」


 スカルネ家の娘というだけで、神官長から嫌味を言われることも多かったクロイラーはげんなりとしていた。

 今はロダムが復帰したので、敵意はそこに集中しているが、それまではクロイラーが軍部の責任者としての標的だったのである。


「ま、そのときは俺が責任を全部負いやすから」


「…いえ、そういうことでは」


 話している途中で、神官長の部屋に辿り着く。


「……私、バイアス神官長…非常に苦手です」


 クロイラーが小さな声でそう呟くのに、イクセスは苦笑する。こういう時に滅多に私情を口にしない彼女がそう言うのだから、それは心からの本心だろう。


「いいすよ。俺が話しますから」


 遠慮なしに、イクセスはその部屋の扉を大きくノックした。


「緊急事態なんで失礼しますよ」


 相手の返事など待たず中に入り込む。もちろん、待てと言われても待つつもりもなかったのだが…。

 中に入った瞬間、イクセスのクロイラーも眼を見開く。


「んだ、と」


 むせ返るような血の臭いがした。どこからその臭いが漂っているのかと見回す。


「…奥ですね」


 油断なく武器を構え、敵の気配に警戒しつつ中に入る。

 もし相手がアサシンなどだったら、気配を消すのは容易い。よほど注意しなければ不意を打たれるだろう。

 バイアスも護衛の姿も確認できない。イクセスを襲った近衛兵はいないだろうとは思っていたが、それでも代わりの警備が立てられないのは不自然であった。

 部屋の中を進んでいくと、さっき神官長が座っていた椅子の後ろに扉があった。半開きの状態で、血の臭いはここから漂ってるのだと解る。

 イクセスとクロイラーは視線だけで確認し合うと、一気に押し開けて中に入る。

 それは小部屋だった。左手に書棚執務机、右手に衣装棚と天蓋付きのベッドがあるだけの、神殿の長が使うにはあまりに狭く質素な私室だ。

 ベッドの上に吊り下げられてるカーテンが、真っ赤に血で染まっていた。

 イクセスがゆっくりカーテンを開くと、白目を剥いて、血溜まりの中に横たわっているバイアスがそこにあった。

 “あった”というのは、もはや生きているのではなく、すでに事切れて亡骸になっていたからである。

 ローブ姿であることから、寝入ったところを襲われたのだろう。額に大きく穿かれた痕があった。これが死因に違いないだろう。


「イクセスさん。こっちにも…」


 ベッドの周りを探っていたクロイラーが声を上げる。

 衣装棚の前に、若い男女の遺体が重なるように転がっている。ベッドの背が高いので、死角なっていて入口からは見えなかったのだ。

 慎重にクロイラーが遺体の状態を探る。二人の服装は、神殿騎士が着る祭服だが、その内側に鎖帷子のようなものを着ていた。頭を撃たれているようなので、その防具も全く意味をなさなかったようだが…。


「…この二人。もしかして」


「いや、もしかしなくても、俺を襲った“アサシンもどき”ですよ」


 二人が持つ“蛇腹刀”と“戦輪”を見て、間違いないだろうと判断する。


「ええっと、なにがどうなっているんでしょう? バイアス神官長がこの二人を使って、颯風団の振りをしてイクセスさんを襲ったのは間違いない……ですよね?」


 自信なさ気にクロイラーが問う。ここでバイアスが死んでいる以上、彼も被害者なのではないかと考えていたからである。


「ええ。それは間違いないと踏んでたんすけどね」


 バイアスの死体を見て、イクセスは苦々しい顔をする。その大きく開いた口がイクセスを嘲笑っているかのように見えた。


「なら、どうしてこの二人と神官長が死んでいるんでしょう? 非常に解りません…。誰がこんなことを?」


「手口から見て、銃っすかね?」


 傷口を見て、イクセスが眉を寄せる。全員が同じ殺され方をしている。


「いいえ。“オード・リボルバー”のような銃器だったら、もっと穿孔が大きいはずですし、穴の形は丸くなります。

 けど、これは三角形に近いみたいです…。なにか、鋭利な細長い槍のようなもので突いたんじゃないかと」


 クロイラーの言うとおり、頭部を貫いている穴の形は潰した三角形のようだった。


「…俺たちがここに着くまでのたかが数分で、三人を一撃で殺すだけの技術。ましてや相手は戦技使いが二人だ」


「もしかしたら、颯風団の報復でしょうか? 考えられる線はそれが非常に濃いですね。

 こっちの男の人は、“敵に付け入れられる隙を生む”とか言ってましたし…。敵とは、颯風団たちのことじゃ?」


 クロイラーの推測に、イクセスも同意して頷く。

 もし颯風団の名を使い、悪事を働いていたのだとしたら、神官長が命を狙われた理由も納得がいく。


「なら、首領エンロパですか。帝都付近に潜んでいる可能性も考えられなくはないですが…。ですが、何すかね…。なんだかスッキリしない気が…」


 そう呟きつつ、背後に視線を感じて振り返った。


「ヒッ!」


 振り返った瞬間に、扉の影に隠れてしまう。悲鳴を上げたのでバレバレなのだが……。


「よお。ちょっと話聞きたいんだが…」


 近づくと、扉の影にいた者は脱兎の如く逃げだそうとする。それをイクセスが素早く捕まえる。


「知らない! ボクちゃんはなーんも知らないよ!」


「その口振りは、知っているって意味に聞こえるぜ。ピングー先生よ」


 ピングーは青い顔をして、プルプルと小刻みに震える。まるで肉食動物に捕まった時の小型草食動物を彷彿とさせる。

 問答無用と言わんばかりに、グイッと背中を掴み上げたまま、遺体の側に近づける。死んだばかりの血と脳漿の臭いは凄まじいものがある。死体は見慣れているピングーでも、思わず鼻と口を両手で覆う。


「…ウグム! な、なんてことだ。バイアス神官長の死は、今後の三神教のあり方を大きく変えることになるよぉ!」


 血走った眼で、両手足をバタバタさせながら狂喜とも悲痛とも判別のつかぬ表情でピングーは叫ぶ。


「そんな話は今はどうでもいい。問題は、誰が殺したのか、だ。知っているんだろ?」


「そ、そんなのボクちゃんが知るわけないだろ!」


 慌てたようにそう言って、ピングーはチラッと近衛兵の死体を見やったのを、イクセスもクロイラーも見逃さなかった。


「…この二人を知っているんですか?」


「あ、う…。む、ムヒヒッ。クロイラー将軍、今日も貴女はお美しい。そんな、眉間にシワを寄せたお顔は貴女には似合わないですよぉ」


「…いますぐに吐きなさい。でないと、撃ち殺します」


 おべっかで誤魔化そうとしたピングーの頭に、クロイラーは無表情のままリボルバーをゴリッと突きつける。


「な、なら取引だろ! イクセスクン! ここは紳士的に取引するべきじゃないか!」


「おいおい。俺が相手じゃねぇんだぜ。クロイラー嬢を怒らせんなよ。この人は、撃つったら本気で撃つぜ。この三人のお仲間入りをしたかねぇだろ」


「…そんな。将軍が、民間人を脅して」


「頭に風穴が開いたっていう殺し方も同じだしな…。俺らが口裏を合わせりゃ、事件は迷宮入りってとこだな」


 イクセスが冷たく笑うのに、ピングーはゴクリと唾を飲み込む。


「…こ、殺したヤツは見てない。だが、そこのバイアス神官長に付き従っていた神殿騎士の奴らの正体は知っているよ」


「何者だ?」

 

 イクセスの問いに、ピングーは視線を彷徨わせる。だが、観念したかのように口を開いた。


「……ダフネス大総統の直属護衛兵団“ブラックナイツ”の元メンバーだよ!」

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