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RUIN【破滅】  作者: シギ
二章 魔界の統治者トルデエルト
85/213

83話 帝都にて動く影 (2)

 気持ちの良い晴れやかなる朝方。イクセスがスカルネ邸に戻ると、三階の廊下から怒声が響いてくる。爽やかな気分を台無しにするには充分すぎるものだ。


「バッカモーンッ!!」


「ヒィ!」


 元は牢獄だった部屋の隅々にまで、その怒鳴り声が反響して響く。

 執務室に入ると、真っ赤な茹でダコのようになったロダムが、杖を振りかざして机を叩いているところだった。

 側にいたテリオは、今にも土下座して謝ってしまいそうなほど動揺している。


「この非常事態に、『警戒任務に置いては祭服を着用せよ』、だと?! あんなヒラヒラした服で戦えるわけがあるかッ!!」


「そ、そんなにお怒りにならないでも…」


「部隊再編成や軍規の見直しのみならず、ファルドニアの包囲計画、魔王の捜索……様々な計画立てにゃあならん大変な時期に、こんな書状を送りつけてくるなどとはふざけておる!!」


 ロダムは手にした書面をグシャグシャに丸め、乱暴に投げ捨てる。


「……おいおい。なにがあったんすか?」


「あ、ブラッセル将軍。いいところに…」


 ホッとするテリオとは対称的に、ロダムはギロリと睨み付けてくる。


「イクセスかッ! このクソ忙しい時に! 貴様、自分の任務を放ったらかしにしてどこに行っておったッ!!」


「…まあ、いろいろありやして」


「何がいろいろだ! 貴様の部下から、将軍が行方不明になったなどという報告が来てるぞッ!」


「あー。まあ、でも、最低限の指示は出してやしたし…」


「最低限しかしておらんから問題なんだろうがッ! ワシとマトリックスくんは青年部隊を鍛えにゃならんのだ! その間の帝都防衛は貴様とクロイラーに任せておっただろうッ! それが暇なら、ワシがやってるこの執務だって手伝えッ!」


「俺はそういう細かいの苦手なんで。閣下の作られる案のが最高っす! 文書作るのは、閣下やクロイラー嬢が一番!」


「き、さ、まぁッ!!!」


「いやー。閣下。あんま虐めないでくださいよー。俺も俺で忙しかったんすよー」


「バッカモーーンッ!」


 ロダムが怒り狂うのも、イクセスは飄々と受け流す。慣れっこといった感じだった。

 テリオは心の中で、“さすが、イクセス・ブラッセル将軍だ…”などといった奇妙な尊敬心を抱く。


「…んで、いったい何事だ?」


「はい。あの、これです…」


 テリオが、投げ捨てられた紙を持ってくる。


「グダル・バイアス神官長からの書状です」


 昨日、ニクロムと神官長のことを話したばかりだったのでイクセスは少し驚く。が、顔には出さずに頷くだけだ。


「書いてある内容は、軍部に対する意見書だ。ワシが祭服ではなく軍服着用を命じているのが気に入らんらしい。それに付け加えて、『マトリックス将軍にも最高三大神教の儀礼式に参加させよ』などとまで書いてきおった! 彼がイバン教会の神父だと知っていてだ! まったくもって嫌がらせにしか思えんッ!」


 ロダムは怒るが、イクセスは当然の意見だと考えていた。

 元々、帝国軍は国教である三神教の教えの下に組織されたものである。辛うじて祭服や儀礼動作は残っているが、それも正規軍だけが平常時に行っているだけに過ぎない。

 非常事にはより戦闘を意識した装備に変え、礼式ではなく効率を重視した動きをさせる…そうやって軍事と宗教を切り離したのは、他ならないロダムだったのである。

 そんなロダムの意見をダフネスが優先させてしまったので、神官長としては当然面白くないはずだ。少なくとも嫌味の一つでも言いたいと思っていることだろう。


「それで、閣下。返答は…」


「だから、そんなのせんでいいと言っておろうが! こんなものは無視だ、無視ッ!!」


「そういうわけには…。これは最高三大神信仰教団本部による直々の意見書ですよ。それを無視したとあったら、下手をしたら査問会が開かれて…」


「神告の場に連れ出して、神々に直接にワシを裁かせるか! 面白い! やってもらおう!!!」


 話にならないので、テリオは辛そうな顔でうなだれる。


「あー。ロダム閣下。そうなったら神告まで、閣下の身柄は数ヶ月間から数年にかけて軟禁状態すよ」


「…む。それは困る」


 そんなことは解っていただろうに、やはり怒り任せにそんなことを無責任に言っていたのだ。

 疑うべきは罰すべしではないが、査問にかけられた場合、神告が行われて潔白だとハッキリ解るまで一切の権限を奪われるのである。

 告知師が祈り、神々からのアプローチが夢見や暦占いで為されるまでひたすら待ち、神告が行われるまで数ヶ月か、下手をしたら数年にも及ぶ。

 ましてや、さきの神告においては魔王トトによる妨害が入った。それの影響により、次の神告が果たして正常に行われるかも疑わしい状態だ。

 事実、ダフネスは後に何度も神との交信を試みているが、神々からは今のところ何の回答も得られていない。


「いや、そもそも個人を裁くのに神告が用いられた例なんてまずないと思うんですが…」


 テリオが困り顔で言う。と言っても、さっきから困った顔しかしていないのだが……。


 歴史上、大きな事件ならばともかく、個々人を裁くために神告が行われたことはなかった。

 基本的に、“人間のことは人間で出来る範囲で執り行うべし”…というのが三神教の教えだったからである。

 だから、大きな犯罪者といえども、人間たちが行う裁判にて判決が下されるというのが普通なのだ。


「はぁ。しかし、面倒なことだな。だが、確かにテリオの言う通りではある。返答せねば、バイアスという男は納得すまい。ウラーゼルの方がまだ頭は柔らかかったぞ」


「なら、俺が行ってきやしょうか?」


「またサボりの口実にするつもりではあるまいな?」


「まさかー」


 ちょうどイクセスにとっては、神官長を調べなければならないところだったので都合のよい話であった。

 だが、それを知らないロダムは、相変わらずの飄々とした態度をとるイクセスが、真面目に調査しようと考えているとは思わなかったのだ。


「…まあいい。放っておけば勝手なことばかりしおるんだからな。仕事を与えれば少しは違うだろう」


「はいはい。ということで、ちょっくら行ってきますわ」


 イクセスは手をヒラヒラとさせて、執務室を後にしたのであった…………。




 同スカルネ邸の二階に位置するクロイラーの私室。

 イクセスが顔を出すと、うんざりしたような顔のクロイラーがソファーに腰掛けていた。


「クロイラーだいねえ様、カモミールティでございます! 肩こりに効果があると巷で聞きまして、手入れてございますわ!」


「あら、イーナちゅうねえ様。肩こりには揉みほぐしが一番ですわ。私、つい先だって道領国式マッサージなるものを習得致しまして…」


「レーナしょうねえ様ったら、そんなこと言ってクロイラー大姉様の身体に触れようだなんて不届き千万ですよ。道領国治療であれば、モグサを使った灸が一番効果あると聞きましてよ!」


「ニーナ! 末妹のくせに生意気を言うんじゃありません! お灸だったら、クロイラー大姉様の白肌を露わにせねばならないじゃないですか! はわわぁ~!」


「ちょっと、イーナ中姉様! 何を想像してらっしゃるの!」


「でも、決めるのはクロイラー大姉様ですわ!」


「そうですわね! ぜひ、私の習得した道領国式マッサージを!」


「いいえ、私のもってきたモグサでお灸を!」


「ううん! なによりも、私の入れたカモミールティをまずはズズッと一飲みに!」


 クロイラーにまとわりつく、やかましい女性たちがいた。

 三人ともシャギーショートにしたグレーの髪、きつめのアイライン、クロイラーと同じようなスーツといった出で立ちだ。

 遠目に、パッと見た感じだけでは見分けがつかない。同じ人物が三人いるようにしか見えないだろう。


「相変わらず、クロイラー嬢のところは仲が良くて羨ましいねぇー。ミルゼイズ三姉妹」

 

 イクセスが扉から声をかけると、イーナ、レーナ、ニーナのミルゼイズ三姉妹が同時にギロッと睨み付けてくる。

 顔の形はまったく同じなのだが、アイラインが赤いのが長女のイーナ。青いのが次女のレーナ。緑色のがニーナである。それで姉妹の区別はつくのだ。


「ああ。イクセスさん。仲が良いのはいいのですが。私の非番に合わせて……第一将軍の師団長全員が同じように休みを取るのはどうかと思うんですけれども」


 クロイラーが困ったように、ミルゼイズ三姉妹を見ると、三姉妹は泣きそうな顔でヨヨヨと崩れ落ちる。


「ああ、ひどい。クロイラー大姉様! 私たちはちゃんと自分の有給を使っていますのに!」


「ええ。そうですとも。お優しいファテニズム将軍が、今日ぐらいは…と、警戒任務を代わってくださったのでございますわ!」


「クロイラー大姉様も常々仰っているではありませんか! “人の好意は無為にしてはいけません”と! ですから、私たちもそうしましたのに!」


 涙を目尻にためて必死で訴える三人に、クロイラーはカクンッと頭を落とすようにしながら頷く。その顔は呆れ果てていた。

 明らかに演技だとは解るのだが、それを指摘すると余計に大騒ぎになるのが解っているので、クロイラーも何も言わないのだ。

 実際に三人は姉妹なのだが、クロイラーとは血縁関係はない。だが、慕っているが故に“大姉様”などと呼んでいるのだ。その心酔っぷりは敢えて説明するまでもないだろう。

 

「あー。あのよ。俺はクロイラー嬢と少し話したいんだが……いいか?」


 イクセスが尋ねると、明らかに怒気を含んだ眼で再び睨まれる。


「見て解りませんか? クロイラー大姉様は、久方ぶりの休暇なんです。肩こりもひどく、激務で疲労した身体を今日ぐらいは休めないと」


 三姉妹にまとわりつかれ、休むも何もないだろうとイクセスは思う。

 休日にベタベタと三人が周囲にくっついていれば、それは肩もこることだろう。原因はどう見てもミルゼイズ三姉妹にあるようにしか思えなかった。


「いや、別にクロイラー将軍に働いてもらいたいわけじゃなくて…。実は、お前らに用があるんだ。その許可をもらいにきたんだけどな」


「私たちにですって?」


「クロイラー大姉様の部下である私たちに、ブラッセル将軍が何を?」


「…ご自身の自慢の青年部隊をお使いになればよいのに」


 明らかに不審な眼を向けられる。

 クロイラーの部下を使うというのもそうなのだが、それ以上にあまりイクセスは将軍として評判が良くなかった。

 諜報活動で隠れて行動することが多いので、姑息だとか、味方にも平気で嘘をつくなどといった悪評が、管轄下ではない隊では流れていたりもするのだ。

 イクセス自身がそう思うならば思わせておけという態度なので、余計に疎まれているのは自業自得である面も強いのだが…。


「イーナ第一師団長、レーナ第二師団長、ニーナ第三師団長。…非常に大事な用件のようですから。ブラッセル将軍の話を聞きましょう」


 クロイラーが静かにそう言うと、ミルゼイズ三姉妹は仕事の顔になって、クロイラーの脇に着座する。


「…でも、私たちは戦闘では大してお役にたてませんよ」


 ニーナが困ったように言う。

 師団長自身が強いに越した事はないのだが、何よりも軍の指揮能力が求められるので、戦闘能力が多少低くても問題はないのである。

 イクセスが処理するのは荒事が多いのは知れていたので、ニーナはてっきり戦闘行為が求められているものだと思ってそう言ったのだ。


「いや、戦闘してほしいわけじゃなくてな…。ある人物を洗って欲しいんだ。お前らは、軍部の経理を担当しているだろ? そしたらそのツテで情報を得られないかなぁとね」


 戦闘能力は低くとも、三人は他の者にはないほどに執務能力が秀でているのだ。

 だからこそ、軍内部の最適・効率化を目指すクロイラーの側近サポート役として選ばれたのである。

 そういう意味で、こと内務調査などに関しては、イクセスの手持ちの駒などよりも遙かに情報収集能力が高い。


「ある人物ですか…」


「まあ、個人の資産状況ぐらいならば簡単に出せますわ。三神教の会計官にも知り合いがいますしね」


「もしかして、貴族のどなたかですか? 非常に怪しい人は確かにいますが…」


 クロイラーは、ジッとイクセスの眼を見る。

 昨日の話にでてきた、颯風団の立役者を調べようとしているのだろうと、クロイラーは理解して小さく頷いた。


「でも、そんな表向きの記録を調べるんだったら私たちでなくとも…。ブラッセル将軍が持つ情報網でも充分では?」


「いや、実のところ、調べて欲しいのは貴族じゃなくてだな…」


 イクセスは周囲を気にし、小声でミルゼイズ三姉妹にこっそりと耳打ちしたのであった…………。




---




 最高三大神教団。その教団本部は、“内神殿ないしんでん”と“外神殿がいしんでん”の二つに分かれる。

 内神殿とは帝国城内部にある一角であり、一〇階に位置する。神告などにも携わり、長年に渡り神官職に就いていたベテランしか入れない場所である。

 対して外神殿は、帝国城の側にあり、まだ未熟な入り立て神官の教育も行われているのだ。

 そして基本的に、神官長も指導責任者として外神殿に駐在することになっている。 

 かつては神殿は一つであり、神々の大水晶柱がある旧城に存在した。聖域であるその場所こそ、神殿として最も相応しいと考えるのは当然であろう。

 だが、政治、軍事、宗教の権力を一カ所に集中させぬというダフネスの考えで、大総統である大神官と、神官長は別々の場所で働くことになっているのである。

 これは軍事を司る将軍職も同じで、ロダム・スカルネを初めとして、決して帝国城に居を構えることはなく、己が邸宅を中心にして執務に当たっている。

 こうして、大総統、各将軍、神官長という三つの大きな役職が、ある程度の物理的距離を保つことで、帝国城のみに権力が集中するなどということを避けているのだ。

 というのは、権力者が一所に集まることで、利権談合などが行われ、それによって公正な業務を行えなくなる危険性がある…そういった問題を考慮に入れているのである。

 同じビルにいる以上は仲間意識がどうしても出てくるものであろうし、民草からすれば、権力者がコソコソと隠れて、帝国城という隠れ蓑で何かをしているように見えなくもない。

 外から帝国城に出向いて大総統に出会う……それだけでも、人目につくし、隠れての不正行為を心情的にしにくいだろう。そういった効果を狙っているのだ。


 幾つもの白柱を並べて、それを壁とした奇怪な台形の建築物。柱の上には三神獣と呼ばれる、陸海空の守護者たる獣を模した像が鎮座している。帝国城よりは小さいが、それでも龍族が一〇匹隠れていても解らないんじゃないかという大きさ…これが外神殿である。

 短いスロープを上がり、黄金の門扉に閉ざされた入口の前に立つと、祭服に身を包んだ神殿騎士が側にやってくる。

 帝国軍の兵士とは区別するため、神殿騎士のみに許されたパープルフードをかぶり、胸当てに三つの金リングがついていた。この三つ輪こそが最高三大神を表すのである。


「帝国軍第二将軍イクセス・ブラッセルだ。神学者ピングー・ジョルスに会いに来たんだが…」


 イクセスがそう言って、身分証となる帝国記章を見せる。


「…失礼ですが、アポイントメントは?」


「いや、急な用件で来たんでね。そんな暇はなかった」


 神殿騎士の顔はフードに隠されていて見えないが、明らかに訝しげな眼を向けられているのを感じる。


「…いくら、帝国軍将軍閣下とはいえ、神殿にお入りになるには事前の予約が必要です。恐れ入りますが、前もって…」


「あー、いいんだいいんだ! 彼は特別だよ!」


 神殿の庭から、大量の書類を抱えた小柄で太めの中年男性が走ってくる。お世辞にも早いとは言えない。薄くなった金髪が、パッサパッサと揺れている。強い風が吹けば、根本から飛んでいってしまいそうだ。

 大した距離でもないのに肩で息をつく。息を整えると、門扉の格子越しに顔を近づけてニタリと笑う。そのまま押し付ければ、余分な肉が削ぎ落ちるのではないかとイクセスは考えてしまった。


「彼はボクちゃんの友人。だから、通してやってよ」


 ニキビだらけの顔をニカッとさせる。まるで太ったネズミのような笑ったような顔だ。騎士は明らかに動揺した様子を見せる。


「しかし、ピングー先生」


「ボクちゃんがいいって言ってるでしょー。それともなに? 神官の誰かにこのこと言っちゃっていいのぉ?」


 ニタッとピングーが笑いかけると、騎士はビクッと震える。

 そして、畏まった態度でイクセスに「どうぞお通り下さい」と頭を下げたのだった。



「…あいかわらず忙しそうだな」


「ん? いやいや、ブラッセル将軍ほどじゃないよ。龍王に引き続き魔王なんてもんも出てきたんだから大変だねぇ」


 神殿内のロビーを通り、噴水が幾つも水しぶきを上げているのを横目に見ながらピングーの後を追う。


「神告の内容を未だ公表しないで、あちこちから非難が来てるんじゃねぇのか?」


 ゲナ副総統の命令で、神官や神学者たちに今回の神告公表をまだ差し控えさせているのだ。

 だからこそ、真実を知らない貴族や民衆からは『神々の情報の開示をわざと先延ばしにするのか!』と、三神教団が真っ先に槍玉に挙げられているのである。


「たいしたことないよぉー。ユーウ王女の演説のお陰で、だいぶ神告から気が逸れたように思うし。ムヒヒッ。あ、Dr.サガラに会ったら、あの時の映像もらえないか聞いてもらえない? ユーウ王女、ちょー可愛かったしー。ムヒヒッ! ボクちゃんのコレクションに入れるんだ!」


 下卑た笑みを浮かべ、ピングーはブルブルと震える。頬の肉と、腹の肉、尻の肉が同じように揺れる。

 だが、前日にもっと凄いものを見ているイクセスは特に何も感じなかった。


「あー。ま、聞いてみるぜ…」


 そういえば、サガラがユーウのブロマイドを売ろうとして、ダフネスの激しい怒りをかったのだとイクセスは思い出す。

 恐らく自分が動いたとしても、手に入れるのは難しいだろうと…心の中で、ピングーに謝った。


「そういえば、チミんとこに、時代の証人が一人、入ったんだって?」


「ん? 治癒師のことか? こんな場所に籠もっている割には耳が早いな…」 


「神々が関わった歴史的事象の真偽を調べるのがボクちゃんらの仕事だからねー。ボクちゃんたちの扱う範囲ではないけれど、異端者はDr.サガラにみんな持ってかれちゃったし。神の事象と思われる人々…時代の証人、せっかく連れてきた召還師は軍部に行っちゃっただろ。その上、大教会レ・アームが存在を知らない唯一の治癒師まで軍部行きかい?」


 その声には非難めいたものがあった。口調は軽いが、腹の中では強い憤懣が燻っているに違いない。


「…ああ。治癒師の力は作戦には欠かせないからな」


「神々の召還ね。それが本当なら、ぜひボクちゃんも調べに行きたかったなー」


 ピングーはそう言って、ピタッと立ち止まり、何か言いたげな表情をイクセスに向ける。

 それを見てイクセスは吐き気を覚えたが、素知らぬ顔をしてタバコに火を付けようとした。


「ココは禁煙。外神殿とはいえ、神官たちに見られたら大変よー」


「チッ…。で、神官長に会わせてくれんだろうな?」


「うん? それは、キミ次第でしょ。いつもの情報提供から、だよ。将軍」


 イヤらしい笑みを浮かべ続けるピングー。

 殴りつけたい衝動に駆られるが、神殿内の重要な情報源だ。イクセスは大きく深呼吸をして苛立ちを抑える。


「…解った。治癒師の名は、フェーナ・ランドル。南方レノバ村出身の一四歳だ。俺んとこの第三十二隊青年部隊ブロウ・ランドルの妹だと思われる」


「ブロウ? ……ああ、確か、三将軍の魔女バアさんの弟子だね。顔は知らないけれど。レノバ村? ふーん。あそこには聖教会はなかったの?」


「いや、レノバ村の神父はフェーナの能力に気づいていたが、本部には報告しなかったみたいだ。幼い頃に両親が他界したせいで、その老神父が親代わりに面倒をみていたらしい。だから、情が湧いたんだろう」


 これはフェーナに聞いたことではなかった。イクセスが独自に調べたことである。


「へえ。親がいないなら、無駄金を払う必要がないから助かるなー。Dr.サガラも多額の引き取り賃に苦労したみたいだしね。いるのは兄貴だけかー。ふーん、ほー、へー」


「…その兄も俺の部下ではある」


「…なら説得して、フェーナちゃんをボクちゃんのところに回すこともできるわけね? ね?」


「……ああ。だが、それができても作戦が終わってからの話になる。それに、その頃にはどれだけ消耗しているかなんて解らねぇぜ」


「OK、OK。別に“死体”だっていいんだよぉー」


 ニィッと笑うピングーは、まるで悪魔のようにイクセスには見えた。

 そんな話をしている最中、全身を白の祭服につつまれた男二人がストレッチャーを押して脇を通り抜けていく。

 ストレッチャーの上には大きな白い布が被されていた。それは膨らんでおり、何か大きな物を運搬しているのだと解った。

 通り過ぎた後には、なんとも言えない強い消毒液の香りが残る。


「…なんだあれは?」


「うん? ああ、ムヒヒッ。死体の話をしたからかな。ちょうど遺体が通るだなんてタイミング良すぎだし。ムヒヒッ!」


 なにがそんなにおかしいのか、ピングーは口元を抑えて笑い続ける。


「遺体、だと?」


「うん? ああ、だって、ここは神殿だよー。葬儀だって神官が行うからさ。ああやって、ガーネット領内から死者が集まって来るんだ」


 なるほど、とイクセスは頷く。

 聖イバン教徒であれば、教会が葬儀をあげて埋葬する。だが、それ以外は国教である最高三大神教が葬儀をあげることになっている。

 無信仰とはいえ、死んだらここに運ばれて葬式になるのかと考えると、なんだかイクセスは気が重くなるような気がした。


「……だが、神学者が治癒師を手に入れてどうするんだ? 科学者じゃあるまいし。何かを調べるなんてできねぇだろ?」


「わかってないなー。イクセスクン。神を学問の見地から調べるのに、神の業を調べるのは有意義なのよ。神の力がどれほどのものなのか…。

 例えば…そうだな。治癒師の腕をちょんぎって、自ら再生できるのかの実験とかね」


 イクセスは露骨な嫌悪を浮かべる。親しいとは言えないほどでも、顔を知っている少女がそんな目に遭うと想像するだけで腸が煮えくり返る。ましてやその片棒を自分が担ぐ羽目になるやも知れないのが尚更やるせない気持ちにさせた。


「科学者はその原因や結果をただ調べて、仕組みを明らかにするだけでしょ。ボクちゃんたちとは全然違う。

 ボクちゃんたちはその背後にある神々の働きにまで思索を及ばせる。そしてより正しい真理を後世に残すんだ。それは真実の歴史を紡ぐという一大事業を担っていると言っても過言じゃない。壮大なお仕事なんだよ。ムヒヒッ!」


 神学者の全てが決して正しい信仰の持ち主とは言えない。決して神官たちと対立しているわけではないが、“神の存在を学問として追求する”ことが彼らの目指すところなのだ。

 事実と史料を見比べ、矛盾点を掘り下げ、符合する点を見出して新たな見解を正当な記録として残していくことが彼らの仕事なのである。

 神告の真偽を調べたり、神教税の誤魔化しがないかを調べたりするのは、彼らにとってはその研究を続けるための業務の一部に過ぎなかった。


「でさぁ、もう一つ聞いときたいの」


 さっきまで研究熱に浮かされていたのが嘘のように、生真面目な顔をピングーは作る。


「…何をだ?」


「…その娘、もちろん処女だよね?」


 思わず、イクセスは強く舌打ちする。それは研究者としての質問ではなかったからだ。


「ムヒヒッ。ま、それは後でゆっくり調べればよいことだよねぇ」


 興奮して脂ぎった顔を火照らせているピングーに、イクセスは不快感しか覚えなかった。

 この男が頭の中で何を想像してやってるか、正確には解らないにしても、それが倫理に反したことであることは間違いない。


「約束だよ?」


「…ああ」


「OK、OK。物事はギブ・アンド・テイクだよー」



 そのまま、ピングーに連れられ、一番奥の間に通される。

 門扉と同じような金色の扉。精巧な彫り物がされて、それが神話の一部を象っているのであろうが、信仰に薄いイクセスには、動物や怪物に見える者たちが仮面の前に膝まずいているのが何を表しているのかまでは解らなかった。芸術でもかじっていれば違ったのだろうが、あいにくとイクセスはまったくどっちも興味のない分野だ。ピングーに聞けば教えてくれるだろうが、そんなことをする気にはなれない。この男にこれ以上の借りを作るのも癪だったのだ。

 黄金のドアノッカーを使い、ピングーはノックを二度繰り返す。


「……誰だ?」


 扉からかなり離れた位置にいるだろう。しわがれた声が響く。


「私です。ピングーです」


「何用か?」


 ピングーはわずかに迷った後、思いきったように口を開く。


「…客人です。イクセス・ブラッセル将軍をお連れしました」


「…将軍? 何も聞いていないぞ」


「ええ。急なのことなのですが、バイアス神官長にお聞きしたいことがあるようで…」


「聞きたいこと?」


 警戒の色がより強まったとイクセスは感じた。


「颯風団の件だそうです。どうか拝謁の許可を…」


「神官長殿。約束もせずにいきなり来て申し訳ありません」


 このままでは埒が明かないと、イクセスが遮る。ピングーは肩をすくめて一歩下がった。


「つい先日、颯風団に関した気になる情報を入手しましてね。そこに神官長のお名前もでてきたので、これは直接お聞きした方が早いかと思いまして…」


 イクセスは扉越しに反応を見るが、神官長からは何の動きもなかった。


「単刀直入に言いましょう。賊に御身が襲われた経緯を……ぜひとも詳しくお聞かせ頂きたい」


 やはり扉の先からは何の反応もない。いきなりの質問で動揺させ、ボロをだしてくれないかとのイクセスの期待は儚く潰える。


「……お入りになるといい」


 しばらくの沈黙の後に許可が下りる。

 ピングーが「それじゃ、ボクちゃんはこの辺で…」と立ち去るのを見届け、イクセスは扉を開いて中に入った。


 青を基調とした色彩の部屋。神告間と同じような柱などを使い、中央には最高三大神の像が飾られていた。

 そして、部屋の一番奥、神々の大水晶を模したと思われる柱が左右に二つあり、その真ん中に座っている痩せた老人がいた。

 白いローブ姿ではあるが、フードで顔を覆っているわけではなく、左右から飾り紐が垂れ下がっているような神官長独特の帽子を被っている。


「…お久しぶりですな。ブラッセル将軍」


 静かだがよく通る声で、神官長バイアスがそう言った。

 お久しぶりと言われても無理もなかった。イクセスですら、二、三度ほど議会で顔を見たことがあるという程度だからである。面と向かっての会話は初めてのことだ。


「…てっきり、ロダム閣下に送った書面のことで来られたものと思いましたぞ」


 イクセスが進むと、いきなりバタンと扉が閉められた。

 ハッと眼を向けると、左右に護衛の騎士が扉側に立っていた。イクセスが中に入るまで気配を感じさせないとはただ者ではない……無意識のうちに警戒してしまい、武器を隠している胸元をチラッと見やってしまう。


「その返答は……猊下ほどの方であればすでに予想されているんじゃありませんか?」


「ふむ。そうですな。確かに」


「いま必要ならばお答えしますがね…」


「いえいえ。ブラッセル将軍もお立場というものがありましょう。あえてここでお聞きするような無粋なことはしませんとも」


 なぜこんな話を振られたのかとイクセスは少し考えたが、おそらくはイクセスが神官に対してどんな感情をもっているのか判断したい意図があったのではないかと思う。

 バイアスは軍部に対して良い印象を持ってはいない。イクセスの返答次第では、どこまで話すかをそこで決めるつもりだったのだろう。


「こちらとしても三神教の体面としてあれはお送りしただけですからな。書面で返事を頂ければ大丈夫ですよ。…受け容れようと、受け容れまいと、ね」


 それを聞いて、すぐに嘘だなとイクセスは思う。

 受け入れない返事を出したら、次には猛烈な抗議文を送り、あの手この手で軍部の力を削ごうとするだろう。あわよくばかつてのように、軍部を神殿の下に置きたいと考えているのだからそれぐらいのことはして当然である。

 でも、実際にそれをイクセスに話しても仕方がない。話す相手ならば、古くから軍部にいて、影響力があり、今や復帰まで果たしたロダムぐらいの立場が相手でなければ意味がないのだ。だからこそ、彼に書状を送ったわけである。

 もしくは、ゲナやダフネスに直接抗議したほうがもっと早いだろう。そうしたところで、何か事件でもない限りは神官長の意見はまず通らないであろうが…。

 そう考えていたため、バイアスはイクセスとは事を荒立てまいとそんなことを言ったのである。ここで争っても、彼には何の得にもならないのだからして穏便に済ませてしまいたいのだ。

 他人の持つ権力によって対応を変えるしたたかな老人だとイクセスは思った。


「…して、この私に何をお聞きしたいのでしたかな。確か、颯風団がどうとか…」


 神官長から切り出す。様子見は終わりというところだろう。

 会話の主導権を握られているような気がして、イクセスは居心地の悪さを感じる。


「猊下。率直にお聞きします。ロダム閣下が、颯風団に襲われた事件をご存じですか?」


「ええ。あれは…確か、全将軍に帝国に召集がかかり、ご息女であるクロイラー将軍が帝国に戻ってくる間際のことでしたな」


「そうです。で、その時に…バイアス神官長。猊下も颯風団に襲われたのだと、ある筋から聞きまして…」


 バイアスはわずかに眼を細める。が、動揺しているような様子はイクセスには確認できなかった。むしろ、本当に過去の話を思い出しているかのような素振りだ。


「…そうですね。あの頃、私も神告の準備のために、この外神殿と帝国城を行ったり来たりの毎日でした」


 それは間違いないとイクセスは知っていた。

 三神教は儀礼を重んじる。だからこそ、神告が始まるまで大がかりな準備が必要になるのだ。もちろん、神官長が忙しくないはずもない。


「ロダム閣下と同じ時期だったかどうかは記憶が定かではありませんが…。その時に、道中で颯風団らしきアサシンに襲われたことがあります」


「…ご無事だったので?」


「ええ。私の護衛、神殿騎士たちは…帝国兵ほどではないとはいえ、それなりに精強な者たちですから」


 チラッとバイアスが眼を向けると、入口に立っていた大きい騎士と、小さい騎士が頭を下げる。フードを目深に被っているので、顔の形までは解らない。


「その経験があったからこそ、私もブラッセル将軍が行った“寄生虫”殲滅作戦には賛同してたのですよ」


 そういえば、ニクロムといった貴族たちは反発して大騒ぎしていたのに、バイアスら神官たちは何も言わなかったのを思い出す。


「ですが、なんで…俺たち帝国軍にその件をお話頂けなかったが不思議なんですけどね」


「龍王により砦が破壊されるなど、侵略行為が続いていましたでしょう。ちょうど、軍部も臨時召集で忙しかった。あえて、私的なことで煩わせたくなかったのです」


「私的? 颯風団は…国家の敵ではないですか? だからこそ、猊下も殲滅作戦にご賛同くださったんでは?」


「国家の敵とはいえ、まるで身内のようにかばっている方もいらっしゃるでしょう?

 正直、こんなことを申し上げて良いのかは解りませんが…どこまで軍を信じていいものやら。我が身は我が身で守った方が確実。そうではありませんか?」


 “軍では神官を守れはしないだろう”と、バイアスの眼が冷たく言う。


「“寄生虫”叩きが成功したのも、結果論としてですよね? 軍部と颯風団がもし裏で繋がっていたら……貴族の方々はこのように考えている人も多いはず。この件、私だけが特別ではありますまい?」


 逆に問われ、イクセスは気に入らなそうに眉を寄せる。

 言っていることは正しいが、実際に颯風団をかばっているのは貴族たちである。そして疑われるのを否定するため、そんな貴族が根も葉もないことで軍部に疑いをかけてるだけなのだ。それを知らないバイアスではない。

 それに颯風団が倒せなければ、まるで「私は知りませんでした」なんて平気で言いそうなバイアスの態度が腹立たしかったのだ。


「失礼。少し言いすぎましたな。…つまり、私は悪意があって情報を隠したわけではないことを言いたいのですよ」


「…では、颯風団が猊下を襲った理由はなんでしょう?」


「ハハ。まるで疑いがはれませんな…。その言い方だと、さも私が襲われるようなことをしたと決めつけられてるように感じられますぞ」


 最初から疑われてることは理解してるくせにとイクセスはますます苛立つ。


「…ならば訂正します。襲われた理由に心当たりはありませんか?

 犯人は斬り伏せられてしまったんでしょう? だったら、被害者に聞くほかありませんよね? 何かしら思い当たることがあってもおかしくはないでしょう」


 フムと、バイアスは頷く。


「…笑ったのは、心当たりがないからですよ。一切ね。だからこそ、襲ってきた側の思惑など知る由もない」


「高潔なことですね。さすが、神官長といったところですか…」


「そう言われましてもな。まったく、思い当たる節がないのですよ。人に恨まれるようなことをした覚えはありませんしね」


「それじゃ、暗殺…って線はないんすかね?」


「私を暗殺して得をする人物? 神官長の座を狙う神官の誰かとでも? それこそ、ありえませんな!」


 バイアスの顔に自嘲めいたものが浮かぶ。


「…肩書きだけで、責任の重荷しかない職務です。強い信仰、神々のご加護がなければ、私とてこの座に居続けるのは不可能でしょう。私を殺してまで、就こうとは誰も思わんでしょうな」


 鵜呑みにはできないが、バイアスの疲れた表情がそれが真実ではないかと思わせた。


「神教税を多く取られた貴族とかは?」


「私を殺しても、税率が変わるわけではありません。ブラッセル将軍。それは賢いあなたならばすでにお解りでしょう」


「三神教の根底から覆そうという野心家がまったくいないとも思えませんがね」


「…さっきの仕返し、ということですかな。そのような揺さぶりをかけるのは止された方がいい」


「警告ですか?」


「いいえ。ただの忠告です。その喋り方は人を不愉快にさせるし、敵を多くしますよ」


 イクセスとバイアスの視線が強くぶつかり合う。お互いに、腹の中の最も奥にえる物を探り合っているのだ。

 不穏な雰囲気を先に破ったのはバイアスだった。表情を変えず、目線を落として一つ静かに頷く。


「……さて、もうよいでしょう?」


「そうですね。お忙しいところ、ありがとうございました」


「ブラッセル将軍がお帰りです。出口までご案内なさい」


「いえ、見送りは結構ですよ」


「そうですか。またお越し下さい。何か…そうですね。私が襲われた理由でも解りましたらお聞かせ下さい」


「……ええ。そうさせてもらいましょう」


 イクセスは頭も下げずにクルッと踵を返し、扉に手をかける。

 その時、チラリと隣の神殿騎士を見やった。


「…隠し切れてねぇぞ」


 ボソッとそう呟くと、ピクッと神殿騎士の人差し指が震えたのだった……。




---




 すっかりと薄暗くなった夜道、イクセスはタバコをふかしながら歩く。

 わざと人がいない道へ、暗い通りを目指し、ノンビリと進んでいった。


「……さて、ここいらでいいか。後をつけてきてんだろ?」


 暗闇に向かって声をかけると、カチャリと金属音が響いた。


「待ってたのに仕掛けて来ねぇのか? そんなら、こっちから行くぜ!!」


 懐に手を差し入れ、“オードソード”を取り出す。そして、影に向かって斬りかかった!!

 ヒュンと何かが高く跳躍し、上空からクナイを飛ばす! それをイクセスは軽々と避ける。


「ちょうど、俺も憂さが溜まってたんだ…。派手にやろうぜ」


 イクセスがニヤリと笑うと、二人組のアサシンが闇から姿を現す。


「……殺す」


 男らしい声が無機質に響く。


「……証拠は残さない」


 女らしい声が殺気を込めて放たれる。


「…テメェらが手練れのアサシンか。もう帝都で好き勝手はさせねぇぜ」


 イクセスと、二人のアサシンは、暗くなった帝都で激しく斬り結んだのだった……。

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