82話 帝都にて動く影 (1)
ガーネット帝都A地区の裏通りに、知る人ぞ知る隠れたバーがあった。
そのマスターが帝国軍の上役だったことを知っているのは、軍でも上層部にいる連中しかいない。
輝かしい軍歴を捨てまで、自分の趣味に生きることを選択した男が手にした小さな理想郷だ。
だが、そこに立ち入る顧客が、軍人しかいないというのもなんとも皮肉な話だろう。
用心深いマスターが、自分の信用した知り合いにしか紹介しないので、そうなるのは仕方がないことなのかも知れないが…。
平日のせいか、客は少ない。
いや、いつも少ないのだが、今日はテーブルに二人か三人くらいしかいなかった。普段だったらもう少しいてもおかしくないはずだ。
薄暗いこじんまりした店のカウンターに、一人だけイクセスが腰をかけていた。
グラスに入ったブランデーを飲み干すと、何も言わずにマスターは同じ物を注ぐ。
「…いいのかい。将軍様がこんなところで時間つぶしてて」
低いしわがれた声で、片目に眼帯をしたマスターが問う。
その油断ならない鋭い眼光と強面とあって、店主がこれじゃ、ここが普通の飲み屋だとしても客は入らないだろうとイクセスはいつも思うのだった。
「ああ。将軍が五人になったんで、俺も暇ができちまってね」
「フン。それで毎日のように入り浸られちゃかなわねぇぜ」
「俺が顔ださねぇと寂しいだろ? ギャラハン・ガラフ第二将軍下、元第一師団長」
「…その名で呼ぶんじゃねぇよ。イクセス」
ギャラハンがムスッとした顔をすると、イクセスは面白そうに笑う。
師団長というのは、将軍のすぐに下に位置する役職のことだ。一〇〇〇~五〇〇〇人規模の師団を指揮する長である。
さらにその下には部隊長などがいるが、一〇〇〇人以下の旅団、数人程度の小隊だとしても、それはすべて隊長という名の付く者がまとめているのが実状だ。
その時に応じて、旅団長や分隊長などという細かい呼び名はあっても、各隊長自体の立場にはそれほど違いはない。
もちろん経験に応じ、上級兵、中級兵、下級兵、見習い…そういった違いはあれど、それは兵士間だけの経験・資質に基づく序列としてであり、帝国軍とすれば全員一律の兵士職なのである。
功績をあげれば、報労金や勲章などはもらえるが、それだけで立場が偉くなるといったことは全くないのだ。
これは、指揮能力の欠ける武力主義者が無理矢理に軍を動かしたり、または血筋だけで入り込んだ無能な貴族が軍を掌握するなどといったことを防ぐ目的があってのことである。
隊長クラスは戦時下の臨時編隊時に優秀な者が、一兵卒から抜擢されることもあり、厳密には隊長というのは役職には当たらない。総隊長ですら、現場での統括指示こそしても単なる中級か上級兵ということもありうる。
かつては隊長職も細かく細分化されて存在していた。本来ならば、せめて常設部隊だけでも設けるべきなのだろうが、それをやると愚かな貴族が自分の息子を隊長にして、安全な後方支援部隊を特別に編成するようにと働きかけてくることがあり、怒ったロダム・スカルネが廃止したという背景がある。
結果として、中間管理職が定まらないせいで、師団長や将軍の仕事は増えることになったのだが、隊長となる者は名誉や権欲に溺れない優秀な者だけが残ることに繋がった。隊長などという責任ばかり取らされ、なんの栄誉も権利もない役割を貴族たちは当然というべきか忌避したからである。
こうして、現在軍部をまとめているのは、将軍と師団長という二つの役職だけとなり、第一師団長ともなれば、将軍の右腕といっても過言ではない優秀な者が選ばれることになる。そうでないと、到底勤まらないような激務であるが故、名ばかりの役職者など基本的には存在できないようになっていた。
「戻ってこいよ」
「前にも言っただろ。ないよ。軍に戻るつもりなんてな」
退役したギャラハンを、常々惜しいとイクセスは思っていた。
「あんたが尊敬していたロダム閣下も戻って来ている。今は、以前の弱体化した軍じゃない…」
「…くどいな。いま先陣を切って仕切っているわけじゃないだろ。ロダム様が戻ったのは一時的な措置だと聞いてる」
魔王と龍王に対抗するための臨時処置……五将軍は、実はそういう条件で認可が下りているのだ。
でなければ、『単なる民間人を将軍に据えるとは何事だ! ずっと軍属している我が子にこそ役職を!』と大騒ぎして、貴族たちは決して納得しなかっただろう。もちろん、それは親の見栄でしかなく、当人が役職者になりたいなどと思うはずもないのだが。
だが、ただでさえ、スカルネ派であるクロイラーとイクセスが将軍をやっていること事態に不満が出ているのだ。
元将軍であるロダムが復職するだけならばともかく、単なる一般人が正式に将軍となったとなれば猛反対されるのが眼に見えている。
付け加えて言えば、マトリックスは聖イバン教会の神父だ。国教である三神教からの顰蹙をも買うことになる。
宗教は軍事に口出しをできなかったが、だとしても生じる不満を抑えるために、ゲナは早々に手を打つことにした。
行ったことは実に簡単だった。『魔王に対抗できる戦闘力を有した者を選んだ。不服ならば、帝国を守れるだけの力ある者を将軍候補として推挙せよ』と述べただけである。
貴族や神官はこぞって、自分や息子の代理人となる猛者を掻き集めたのだが、すべてイクセスとクロイラーによって完膚無きまでに叩きのめされている。文字通り力ずくで黙らせたのだ。
そのまま頭を抑えて黙らさせて置くのが得策だったのだろうが、貴族や神官を敵に回して邪魔をされるのを良しとしないために、“魔王・龍王を倒すための臨時処置”などとフォローも行った。そうすることで、『期間限定ならば仕方があるまい』といったような貴族側の最低限のメンツが保たれることになる。
これは予想以上の結果となり、代理人を負かされて顔を赤くした者たちは、恥の上塗りを恐れ、文句すら言えなくなってしまったわけである。
「あーもったいねぇ!」
酔っぱらってもいないくせに、イクセスはわざとらしい声を上げた。
「あのキードニアとの戦いを生き抜いた古強者だぜ。もったいねぇよ!」
「…三十年も前の話だ。本当に、お前はくどいな」
グラスを手に取り、イクセスは溜息をつく。やけくそとばかりにその中身を一気に呷った。喉の奥が焼けつくように熱くなる。
いくら何を言っても戻ってくるはずがないとは解っているのだが、どうしてもギャラハンの能力を考えると毎度のこと声をかけてしまうのだ。
イクセスと一緒に仕事をしたほんの僅かだったが、頑固なロダムの腹心を長年勤めていた才能は、他じゃ代用が利かないほどなのである。
戦闘能力では自分より劣るだろうが、指揮や執務能力では絶対に勝てはしないだろうとイクセスは思う。
「クロイラーお嬢様が、俺なんかの代わりは充分に果たしてるじゃねぇか……っと、噂をすれば」
カラーン。
扉につけられた鈴が鳴り、息を切らせたクロイラーが入ってくる。
「す、すみません! イクセスさん。非常に遅れてしまって…」
「いや、いいんすよ。Dr.サガラのところに行ってたんでしょ?」
「ええ。新モデルの銃器の試し撃ちをやっていたら、いつの間にかこんな時間になってしまって…」
恍惚の笑みを浮かべ、的を穴だらけにしているクロイラーの様子がイクセスにはありありと想像できた。
きっと、サガラのことだ。『ケッケッケ! 弾はまだまだあんぜ!』なんて言って煽ったに違いない。
「…クロイラー様は、カクテルでいいですか?」
「はい。えっと、甘いのがいいんですけれど…。
あ、ごめんなさい! 挨拶もしないで…ギャラハンさん。非常にお久しぶりです!」
直角に近いお辞儀をしてみせるクロイラーに、ギャラハンは思わず笑う。
「ええ。お久しぶりです。お嬢様はいつも真っ直ぐで見ていて気持ちがいいですよ」
「え? 髪型…変でしたか?」
「いえ、そういうわけではなくて…」
ギャラハンは子供の頃のクロイラーを思い出していた。
打ち合わせが長引き、ロダムの自宅に泊まることもしょっちゅうだったギャラハンはスカルネ家には家族同然の存在だった。
天然なところがあるクロイラーとの話が噛み合わないのはいつものことだったが、何事にも一生懸命な彼女をいつも微笑ましく思っていたのだ。
家族をもたなかったギャラハンは、クロイラーを実の娘のように思っていたと言っても過言ではない。
「店には、男臭い客しか来てくれませんからね。そのお美しい顔が見れないと、いくら腕を振るっても楽しくないですよ」
美しいなどと言われ、クロイラーはポッと頬を赤らめる。
事実、この店に来るのは男性客ばかりで、女性客など滅多に来ないのだから嘘ではなかった。
ギャラハンは迷うことなくジュースと酒を選択し、手慣れた手つきでシェイカーを振る。
「しかし、イクセスさん。いいんですか?」
「いいってなにがですか?」
「あの、将軍が二人も…こういう場所でお酒を」
クロイラーの言うとおり、いつ龍王や魔王が攻めてくるか解らない状況だ。呑気に責任者が酒を酌み交わしてていい時ではない。
実際、いまはイクセスかクロイラーのどちらかが帝都の周辺の哨戒に当たらねばならないことになっていた。そして、今月の当番はイクセスのはずなのである。
「諜報活動は俺の得意分野っすよ? 少なくとも龍王に動きはないっすしね。それに、もし何かあれば…」
イクセスは自分の耳を指さす。そこには、サガラが作った小さなイヤホン型の無線が付けられていた。
「そういう問題では…。父やマトリックスさんが聞かれたら非常にお怒りになるのでは」
「フン。こいつのサボり癖は何があっても治りませんよ。はい。どうぞ」
ギャラハンが、最後にわずかに炭酸を注ぎ、カクテルグラスを差し出す。
湧き上がる気泡が鮮やかなオレンジ色の液体を撹拌させる。淡いライトの光に照らされるそれは格調ある芸術品を思わせた。
「…お嬢様をイメージしました。名付けるならば、“スカルネ家の煌めき”…なんてどうでしょう」
歯の浮くような台詞に、イクセスは思わず舌打ちをしそうになったが、ギャラハンが言うのは様になっていたので心の中だけで悪態をつく。
「非常に綺麗です…。あ、色が変わった
! すごい!」
ある程度混ざったところから、黄金のような淡い黄色にと変化する。仕掛けが上手くいったことにギャラハンは満足気に口許をニヤリとさせた。
「こんな綺麗なお酒が私だなんて…」
クロイラーは恥ずかしそうにしながらも見とれている。
酒なんか度が高くて飲めればいいというイクセスからしても、飲まずにいつまでも見ていたい気持ちにさせられるほどだった。
もったいないと思いつつも、クロイラーは礼を一言述べて、ゆっくりとグラスに口を付ける。
「…ん。非常に美味しいです!」
「お気に召したようでなによりです。あの小さかったお嬢様が、今や私の作った酒を飲んで下さる…なにか感慨深いものがありますね」
「ええ。あの頃は、父様とギャラハンさんが飲み交わしているのをずっと見ていましたからね。実は、愉しそうにお話されているのを非常に羨ましく思ってました」
二人の世界に入りそうになるのを、イクセスが軽く咳払いをして止める。
幼少期のクロイラーのことは、イクセスには解らないことだ。なんとなしに、気分が悪いものを感じた。
「…で、クロイラー嬢。例の件ですが」
「ええ。最近、帝都内で颯風団らしき人物の目撃証言が多いってやつですね」
イクセスは煙草に火をつけ、険しい顔をしながら頷く。
「首領エンロパ。幹部のドルドグにラウカン。上層部は帝都を逃亡し、中堅クラスも掃討作戦で一掃したはずですが…」
「そうですね。いま非常に見かけるのは、未熟な入って間もないアサシンばかり…。でも、手練れのアサシンまでもが未だに帝都内で活動を続けている?」
「ええ。その通りで」
“寄生虫”殲滅作戦以降、アサシンの姿は殆ど消えたかに思われていた。
いたとしても、下っ端も下っ端で、社会に憤懣を持つ若者が若気の至りで入団しているといったレベルだ。そういった輩であれば、兵士が捕まえてきつくお灸を据えるだけで済む。
今では軍部も慢性的な人手不足で、剣術道場などにそういった若者を入れて鍛え直した上、青年見習い兵として雇うといったプロジェクトが始まりつつあった。
職にあぶれて不良となった者たちには、これが良い更生となり、現在は帝都内の警戒はこういった見習い兵たちに一部を任せている。
ゲナとロダムが考案した、若者には職を与え、道場には生徒が増え、帝国としては兵士が増え、そして治安はよりよくなっていく…一石二丁どころか、一石四丁の策である。
だが、イクセスが仕入れた颯風団の情報は、明らかにそういった連中とは異なり、明らかにベテランと思われるようなアサシンが街中で目撃されるというものなのだ。
「なかなか俺の網にも引っかからねぇヤツらです。素人にこんな真似できるとは思えねぇ…」
「首領と幹部二人以外に、指導者となるような候補いましたっけ? 要注意人物リストにも該当するような人は…」
鞄からファイルを取り出し、犯罪者リストをめくりながらクロイラーは首を傾げる。
「表立っては出てきてないはずですぜ。まあ、元々から裏世界の話だから目立つ真似をするわけねぇんですが…。あるとすれば、誰かが匿っている可能性ですね」
「…颯風団によって利権を得ている貴族が?」
声をひそめて尋ねるクロイラーに、イクセスはコクリと頷く。
「キードニアの隠密部隊。国外のアサシンが入って、帝都内で巣くってから十数年ほど。急に勢力が拡大したのは、間違いなく誰かが資金援助したとしか思えない…けれども、その金の動きが未だ不明瞭です。そこが解れば、誰が犯人か特定できるんですがね」
「貴族のお金は、三神教が厳しくチェックしていますから…。暗殺依頼で幾らか支払ったならばともかく、組織運営に多額を投資したならすぐに解りそうなものですが」
神国であり帝国であるガーネットの金銭は、政府や貴族、個人に関わらずすべて最高三大神教が把握している。
“神教税”という税金が万民に等しくかかり、仮に聖イバン教徒であったとしても、神国ガーネット帝国に住む以上はそれらの支払いを義務づけられるからであった。
徹底した審査と公正さに置いては帝国からも定評があった。なぜならば、政府の税徴収も三神教が担っていたからである。政府にしてみれば、外付けの財務管理局と言えたのだ。
こうなると、三神教が都合の良いように利益を貪ることも可能だと思われるが、そこは厳格な非営利組織として、神の名の元に純然に機能しているのである。
三神教自体が得る利益は、神事・祭事に関した最低限の部分での使用に留められ、余剰分は全て公共福祉事業に還元されなければならないことになっている。
公共福祉事業とは、弱者救済のための援助や、医療機関、教育機関へ資金が回るようになっているのだ(実際には帝都内は潤っても、ガーネット領全土、つまり地方が恩恵を預かれなかったりしている問題もあるのだが…)。
この還元方法に関しても厳しいチェックが入り、それを確認するのは帝国政府の役割となっていた。つまり、還元先を上手く誤魔化したりして、三神教の神官たちが利を得ることは不可能なのだ。
かといって、徴収を適当に行った場合や、畏れ多くも横領などした場合は、神官職を剥奪された上、社会から抹消されるといった厳しい処断が行われるので、本当に信仰に厚い人物以外は神官にすらなれないし、なろうとも思わないであろう。
神官になるというのは身も心も神に捧げ、一切の自己資産を持たないことが求められる。大変な労力に見合った報酬もない。ただ“神のために働けた”…という、感謝のみが神官の自己犠牲の報酬となるのである。
そして、さらに帝国政府と三神教の二つの金銭の動きをチェックするのは、貴族議会なのである。予算報告は、定期的に貴族議会に提出される。当然、自身が一番に取立てられた税収の使い道なのだからして、貴族たちの眼は厳しい。正当な使い途だったとしても、延々と追及が入るなんて当たり前のようにあるのだ。
こうして違う立場の三者が、お互いの金銭の動きを互いに監視し合うシステムになっている。
帝国政府の帝臣役員は、国家の運営やさらなる技術発展のために。三神教は、教義に置ける秩序と万民の信仰のために。貴族議会は、自身の利権維持のために。
それぞれ目的が違うのと、少しでも収支を自らに有利に動かすために、それぞれがきちんと監視しているので上手くできている仕組みである。
これでも問題が生じた場合は、神告が行われ、最高三大神による裁定が為されることとなっている。が、実際に神告まで行われる前に解決するのが通例だ。
こういった理由から、貴族などの多額の資産を持つ個人の財政管理に関しては、重箱の隅を突っつく厳しいチェック機構がある故に、帝都に居る一貴族がそれを上手く隠し、颯風団に援助できるとは到底思えなかったのである。
「もしくは、帝都外に資金源があるなら調べようがないですね」
「ハミルトン街とかですか? でも、古参名家であるボイシュール家などが…」
「ええ。帝国にいない貴族が、颯風団を用いるメリットがあまりありやせんね。国家転覆でも狙っているなら話は別ですが。一応、ボイシュール家の納税報告書も見やしたが不審な点もありませんし。取り潰されたミルキィ家なども、破産宣告状と督促状が大量にあるだけで、隠し財産のようなものもありませんでしたからね」
ミルキィ家の名を聞いて、クロイラーは悲し気に眼をふせる。
「…スカルネ家は?」
まさかそんなことはないだろうと思いつつ、クロイラーは尋ねてみた。
「軍事に投資し過ぎだっていう三神教からの抗議書はたくさん出てきやしたが、不正は見あたりませんでした」
それを聞いてクロイラーは、ホッと胸を撫で下ろす。
しかし、イクセスは身内も疑って調べていたわけである。だが、それは職務に対してあくまで忠実であるからだろう。
見た目はかなりいい加減そうに見えるが、やるべき事はやっているのだということは一緒に働いているから解ることだ。
「それじゃあ、やはり誰が怪しいかは…」
「ま、それがすぐに解るなら、颯風団を叩くのにこんなに時間はかかんなかったってことですやね。それを調べるぐらいなら、首領を捕らえた方が早いです」
まるで自分がやってきたことが無駄だと言いたげに、イクセスは自嘲気味に薄笑いを浮かべる。
「…なんだ。まるでお手上げって聞こえるな」
今まで黙って話を聞いていたギャラハンが口を開く。
「正直、そうだな。颯風団の目的が、帝国内の混乱だとして…。それに荷担する貴族の意図が解らねぇ。気に入らない貴族を暗殺するために利用した例は幾つか見られるが、それだったら普通に暗殺者を雇えば済むだけの話だ。わざわざ暗殺集団を作る理由は? んな危険な橋を渡る援助をするヤツは何を考えてんだか」
「目的が解れば、対処のしようも非常にあるんでしょうが…。首領がいなくなった颯風団に、どれだけの価値があるんでしょう? いまこの帝都内で活動している理由も不明です」
「…そういう理屈だけで、動かない連中なのかもな」
コップを磨きながら、ギャラハンが小さく呟く。
「どういう意味だ?」
「…わざわざキードニアを出て、ラミティオン山脈を越え、この敵国に隠密として入ったんだろ? ただ任務だからってやれる行為だと思うか? 俺には何か矜持があって事に当たっている気がするぜ」
「それは、生粋の颯風団ならそうかもしれねぇが…。だが、俺が言っているのは出資した貴族の話だぜ。誇りなんかで、そんなことをするとは思えねぇな」
「だから、その貴族も何か理屈に寄らねぇ何かがあるんじゃねぇかってことだろ。危険を犯したとしても、成し遂げたいことがあるとかな」
イクセスは眉を寄せる。
「…仕事中だが、失礼」
ギャラハンは、グラスをもう一つ取り出すと、そこに適当な酒を三分の一ほど注いだ。それは誰かのためではなく、自分のためのであり、一気にクイッと呷る。
「…帝国の将軍であるお前には、師団長だった俺がこんな場末の酒場で働く理由がわからねぇだろ? 給与は大幅下がったし、大勢いた部下ももういねぇ。毎日少ない客のために同じ酒注いでやってる代わり映えのしない毎日さ。同じことの繰り返しだ。そら、客が来ない日なんて、ここに立ってるのが馬鹿らしくなってくる時もあるさ。何やってんだ、俺は…って思わねぇこともねぇよ。お前の理屈で言えば、退屈な人生を選んだ俺はおかしな存在になるわけだ」
早口に一気にギャラハンはそう吐き出す。それはイクセスの度重なる勧誘に対する今までの答えをまとめてだ、と言わんばかりだった。
「だがよ、イクセス。俺はなんか深い理由があって、この商売を始めたわけじゃねぇ。やっぱ好きだから、こういう仕事やってんだよ」
「…好きだから、か」
「ああ。そうだ。それ以外に理由なんて必要か?」
「いや、そうだな。その通りだぜ…」
自分の考えを一気に話してから最後に問う…それは、ギャラハンがイクセスの上司だった時の話し方だった。
何か懐かしいものを感じつつ、イクセスはギャラハンが正しいと認める。
「颯風団やそれを擁立した貴族と俺が同じだって言うつもりはねぇが、な。あんまり自分の基準で相手を計らねぇこった。でないと、大事なもんを見過ごすことになると思うぜ」
「そうですね。ギャラハンさんの言う通りです!
イクセスさん。もう少し、颯風団のこと調べましょう。見落としてるとこあるかも知れません。そこから、出資者の糸口が見えてくるかもです」
「…そうっすね。帰ったら、もう一度リストを見直してみるか」
二人のそんな様子を見て、ギャラハンは眼を細める。
「…こんな老いぼれの意見でも将軍様をやる気にさせられるもんなんだな。俺もまだまだ捨てたもんじゃねぇのかもな」
「ああ! だから、戻れよ。いまなら将軍の地位もゆずってやるぜ!」
「…ったく、お前は」
ギャラハンが呆れた顔をした瞬間、イクセスとクロイラーが同時に笑う。まるで示し合わせたかのような絶妙なタイミングだったので、出し抜かれたような気がしてギャラハンもつられて笑いだす。
三人の笑い声が、そんな小さな店の中でしばらく鳴り響いていたのであった…………。
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翌日。イクセスは上級貴族たちの住まう中央区に向かっていた。ある大物貴族に以前から夕食に誘われていたからだ。
いつもだったらそんな面倒ごとは無碍もなく断るのであったが、もしかしたら颯風団に関する情報が得られるかもという淡い期待を抱いて今回は受けたのである。
それは夜中に末端の団員リストを読んでいて、経歴にある傾向が存在することを新たに発見できたことが大きい。
その傾向とは、一時もしくは短期的に軍学校に入っている者を積極的にスカウトしているという点であった。戦闘経験ある者を集めるのは当然だろうと思い、今まで深くは考えなかったのだが、改めて考え直し、颯風団は相手がどうやって軍学校に入ってたか、ましてやその短期間などをどう判別してるのかと疑問がわいたところで、何者かが…つまり、学校の関係者が情報を流している可能性が高いと気づいたのである。軍学校に入っている若者は珍しくないので、経歴に偏りがあるのに気づいていてあえて見逃してしまっていたのだ。イクセスは自分がそんな当たり前のことにすら気づいてないことを深く恥じた。
まだこれが何か貴族に繋がるかは不明だが、どんな細い線でも繋がっていれば手繰り寄せられる可能性があった。
そんなことから、くだらない貴族の誘いであったとしても、自分が気づいてない何かを見つけられるチャンスかも知れないと考え直したのである。
将軍という地位にいるだけで、何とか近づこうとする貴族は大勢いる。あわよくば、帝臣役員を貴族側に引き込みたいと画策するのである。
スカルネ家の血縁であるクロイラーは、幼い頃から完全に政府側の人間として、ダフネスやゲナの側からの転向は見込めないだろう。
イクセスはスカルネ家に後押しされているが、血縁関係者ではないし、ましてや貴族でもない。将軍としての肩書きがなくなれば、ただの平民なわけである。だからこそ、そこに付け入る隙があると貴族たちは考えるのだ。
たった三人分だというのに、これでもかという程の贅を施した食事が長いテーブルの上に置かれる。
急に返事したにも関わらず、それだけの物を用意してみせたのはさすが貴族といったところだろう。いや、もしかしたら普段からこれぐらいは用意しているのかも知れないが。
その両端に、イクセスとでっぷりと肥えた大物貴族が座る。以前行われた貴族議会でも一番多く発言をした一人だ。
ガーネット南方領を統治するニクロム・ザクロウス伯爵である。
「ブラッセル将軍。本日はようこそお出で下さいました」
「いえ、急に押し掛けてしまって申し訳ありませんでした。なにせ当日まで休みを取れるか解らなかったものでして…」
それは大嘘だ。イクセスの休みはあってないようなもので、待機という名目で帝都内で活動することがほとんどだ。もちろん有事にはそれを優先するが、将軍としての仕事は他の将軍に振っても問題ない。むしろ、執務はロダムやクロイラーのが得意なはずだ。新たな将軍マトリックスも、イクセスよりも遥かに無難にこなすように思える。将軍が増えたことで、ただでさえ少なかったイクセスのディスクワークはほとんどやらずに済むのだった。
また接待も仕事の範疇とすれば、別にいつでも招待に応じられることは可能だったのである。
「いえいえ、いつでも結構と申し上げたのはこちらですから」
イクセスの話が建前だと気づいていて、ニクロムもそう返す。これももちろん建前だ。
夕食の誘いに、当日になって返事するような礼儀知らずな貴族などまずいない。しかし、イクセスは平民だからこそ、そんな不作法も当たり前にあるだろう。内心そう侮っているのを隠してそう言っているのだ。
イクセスはくだらないやりとりだと心の中で悪態をつく。「飯を食いに来ただけだ、文句あんのか? 誘ったのはテメェだろ」と言えたらどんなに気が楽になることかと心の底から思う。
「しかし、いくらお誘いしても首を縦に振って下さらないので、半ば諦めていたところでしたよ」
レースの付いたハンケチで、薄い頭を拭きながらニクロムは腹を揺らして笑う。物凄い汗の量だ。
「申し訳ありませんね。軍備拡張などで色々あったものでして…」
「そうでしょう、そうでしょう。龍王アーダンの宣戦布告に引き続き、魔王などといった不穏な者の襲撃…その将軍殿の深い心労お察ししますぞ」
苦悶の表情を浮かべる振りをしながらも、口元がニヤけているのをイクセスが気づかないはずもなかった。
そもそも宣戦布告をしたのは、アーダンではなくてエーディンである。そんなことすら理解していないのだから、かなり適当に話を合わせようとしてるのが解るものだ。
演技にしても酷いとは思ったが、それはおくびにもださずに繕った笑顔をイクセスは続ける。普段使わない顔の筋肉が痙攣している。
「以前は、貴族議会で失礼なことを申し上げましたが…」
「いや、お立場もあったことでしょうし。気にしちゃいませんよ」
颯風団叩きについて、イクセスはニクロムからかなり非難されたのだった。
だが、貴族とは立場を重んじる生き物である。私人としての発言よりも優先されるべきことがあったりもする。
それを理解している…というよりも、貴族という存在自体の必要性を感じていないイクセスにはどうでもいい話だった。
辛辣な話だが、存在を認めていない相手に、いくら罵詈雑言を浴びさせられようと痛痒などないのである。
それを、イクセスが寛容な態度を示したものだと勘違いしたニクロムはニタァッと嫌らしい笑みを浮かべた。
舌先三寸で生きてきた男だ。仮にイクセスが難色を示そうとも、ていの良い言い訳を駆使して煙に巻く自信もあっただろう。そうする必要性もなく、イクセスが簡単に軟化した態度を取ったので、ついそんな笑顔になってしまったのだ。
「いやはや、我らの安全はブラッセル将軍がいてこそのもの! 帝都における損害についても聞き及びました。復興支援金は、ザクロウス家からも出させて頂きましたからな! ドドンと! 古参名家に並ぶくらいの金額ですとも!」
あまりのヨイショっぷりに、滑稽なものを感じてイクセスは吹き出しそうになるのを我慢した。
「それはありがとうございます。大総統も深く感謝されていることと思います」
復興支援金などといっても、どうせ南方の村々(レノバなどといった貧村)から、特別税などと銘打って取り立てたものだろう。当然、ニクロム自身の懐が痛んだわけではない。
神教税はすべての人にかかるわけだが、かといって各個人に個別で支払わせているわけではない。つまり領主であるザクロウス家が代表として税収され、各領地の街や村から直接取り立てられることはないのだ。
定期的に個人資産をチェックはしても、離れた村のすべてを網羅することは不可能である。帝都民以外はかなりアバウトなことになっているが、それでも領主たる貴族に対しては厳密な調査が入る。
もちろん、自身が管理している領地の収益に関しては貴族から前もって神官たちに計上が出されている。あまりに貴族の収益が大きい場合は、村や街に返還するよう指示が来るので、領主は神官たちに目を付けられないよう腐心するのだ。あまりに税が高すぎると、村人から直訴状が神官宛に出されることもある。そうなるとさらに査察が入ることもあって厄介なことになる。
ただし先に述べた、復興支援などに使う援助に関しては、神教税のみならず帝国税の減税・免税対象となる。それはザクロウス家に対してなので、それを理由に領地の徴収を減らすかどうか…それはニクロム次第なのだが、恐らくはそんなことはしないであろう。復興支援したことが評価されて、チェックが甘くなる可能性もあり、上手くいけばニクロムの懐に入るお金が増えるかも知れないのだから。
「南方領の治安はいかがですか? 呪われしファルドニアが隣接しているだけあって、警護も大変では?」
「ええ。仰る通りです。ただでさえ寂れた地方だというのに、駐屯地の幾つかが壊されたせいで民たちも不安がっておりますよ」
私兵の話がでなかったことに、イクセスはわずかに眉をひそめる。
帝国は各地を守護管理する義務があるが、平時に限っては領主が私兵を持って治めるべきとされている。
今は対龍王・対魔王戦のために、各地の戦力を帝国に集結しているため、特例で各地での自警団の結成を認めている状態であるが、それは貴族の私兵による組織警護も含まれていた。
こういう状況故に、ニクロムは南方領土に私兵を派遣する必要があるのだが、どうやら自身の護衛を充実するため、南方に少しも派遣はしていないようだった。
村民などには、帝国軍なのか貴族の私兵なのか区別などつかない。これは結局のところ、各村からすれば「政府が帝国軍を派遣してくれない!」という認識に繋がることになる。帝国軍を少しでも派遣できれば良いのだろうが、本当に危険かどうかまで判断できない村にまで人員を割く余裕はない。だが、それを説明したところで納得などしないだろう。
結局のところ、帝国が貴族を、または帝都以外を完全に管理しきれてないのが問題ではあり、旧体制の貴族による領地支配が未だに根強く残ってしまっていることの弊害である。
もちろん陳情は上がってきてはいるだろうが、ニクロムはそれを敢えて無視しているのだろう。それはもちろん良い領主の応対とはいえない。
事実、メリハク・ウラーゼル枢機卿のように自身の領地に住まう貴族もいるが、ニクロムのように帝国にいながら遠隔で領地支配を行っている者もいるのである。
この事態をダフネスもゲナも歯がゆく思ってこそいるが、まずは帝国政府を地盤を磐石なものとし、帝都の改革を行っている最中のため、そこまで手を回すに至っていないのである。
「しかし、今も危難の時代とはいえ、我らが現役であった三十年前も戦争ばかりでしてね。死と常に隣り合わせでしたよ。ええ。本当に」
ニクロムは腕を組み、ウンウンと一人で頷いている。
「前代の頃が懐かしいですなー。ルーカス・ホウロン大総統は、新参名家でしたが、上級貴族の一人でありました。帝臣役員も貴族で固められていましたし、軍部も武力派のロダム閣下や、信仰派のブルモンド閣下がお互いの派閥を広げようと凌ぎを削っていましたなぁ~。キードニアとの関係も悪く、戦争ばかりやっていたものです。しかし、今などよりも命の危機にさらされ、私もあの頃は熱くギラギラしていたものですとも。副将軍として駆り出されたときには、私も自ら剣をとって…えい、やあ、とお!」
ベラベラと気持ちよさそうに喋り、ニクロムは剣を振るような真似をする。
だが、どうみても腕をクルクルと回した変なダンスをしているようにしか見えなかった。暴れるたびに、タプンタプンと腕の肉が波打つように揺れる。
「お父様ったら。戦争の話をすると、いつもこうなってしまうんですのよ。オブブッ!」
ニクロムの横に座った肉の塊が揺れる。彼と瓜二つの体型(若干小ぶりだが、身長の差によるもので横幅は全く同じである)をした若い女性…娘が、口元に手を当てて上品そうな振りをして笑う。
だが、唾液が指の間から飛び出して食事にかかっている。実に下品極まりない。
「オブハハッ! これは失礼。いやいや、食事時にはしたなかったですな」
「は、ははは…。いえ」
イクセスは張り付いた笑顔で、乾いた笑いを漏らす。
さっきからずっとニクロムの娘が熱い視線を送ってきていたのだ。気づかないよう、視界に入れないようイクセスは努める。あれは魔物だ、目を合わせてはいけない、と。
「おお、どうにも娘はブラッセル将軍を気に入ったようですな。仲良きことは美しきかな! オブハハッ!」
「いやぁ! もう、お父様ったら! 何を仰ってるの!」
「いやいや、お前も年頃だからな! パパっ娘だから、やはりブラッセル将軍のような年上の方がよかろう?」
「もう! イクセス様にご迷惑ですわ! オブブッ!」
「は、ははは…」
そんなことを露とも思っていない様子で娘が笑う。イクセスは(俺を名前で呼ぶな! テメェとは会ったばっかだろうが!)と、心の中で絶叫した。
「娘はまだ十代だが、ちゃんと身分ある者でさえあれば、相手が由緒ある血縁でなくとも嫁がせてやりたいと思っておる。恋愛結婚で幸せになってもらいたいのだよ、親バカな話だがね」
「お父様…」
なんだか感動的な話にしようとしているが、イクセスの眼にはミートボール同士が見つめあってる様にしか見えなかった。
明らかに、ニクロムは自分の娘をイクセスとくっつけたいのだろう。そうして帝臣役員との太いパイプを作りたい…そう考えているのは明白だった。
(何が恋愛だ。何が娘の幸せだ。テメェが将軍という肩書きを手中に入れたいだけじゃねぇか…)
イクセスは胸くそ悪いと言わんばかりに、ネクタイを少し乱暴に弛める。
(だが、ニクロムの気持ちも解らんでもないな)
貴族の力が弱められているのは、今のダフネスが大総統になってから顕著だったのである。無能な者を身内である帝臣役員の重役にはしない。
徹底した能力主義ゆえに、仮に大物貴族でもいつ振り落とされるか解らなかったのだ。逆に言えば、ダフネスに認められていない者が貴族議会にまとめて入っていると言っても過言ではない。
南方領土はさほど開拓が進んでいないのに加え、帝国軍が防衛地を作る上でニクロムがそれに従順であったがため、逆らわないのであれば放置しようという考えに至っている。
つまり、邪魔さえしないのであれば、ニクロムという無能から南方領土を取り上げるまでもない…それが、ダフネスが出した結論であったに過ぎない。
それは見方を変えれば、何かちょっとした切っ掛けでニクロムは領地没収になってもおかしくない危うい状態とも言えるのだ。
ダフネスがニクロムを排斥しようとした場合、貴族議会は彼を守るだろうか? 答えは、否である。
貴族議会は、あくまで自分たちの私腹を肥やして利権を守るために集まったような集団に過ぎない。
それにまた、ニクロムから南方領土支配権がなくなっても、帝国政府にその権限が移譲するわけではない。
“全領土は恒久的に神のものである”という三神教の教えにより、帝国政府は支配権こそ持っていても、実際に各領地を支配するのは各貴族に委ねることになっていた。これが旧体制を未だに撤廃できない大きな理由でもある。
帝国政府が持つ領地、それはガーネット城周辺であるガーネット領中央部分だけなのである。
ザクロウス家が失脚した場合といえば、その分の領地を他の貴族が支配することになるのだから、逆にその座につこうと必死になるはずだった。
財産については、あまりに多額をもっていると神教税で巻き上げられてしまう可能性があるが、領地は別なのである。領地こそが、貴族が持つ最大の資産なのである。
「…ところで、ザクロウス伯。一つ聞いてもいいですかね?」
「おお。なんですかな? 一つどころか、なんでも聞いて下さいな! …ああ、ははーん! 解りましたぞ! 我が娘ですね! 娘のことですな!? 気になっちゃいました!? それはそうでしょう! よくぞ聞いて下さいました! 見ての通り、見た目は私に似て美しい上に、ほんとーに気だての良い娘なのですよ。この前も私の誕生日に手編みのマフラーなどを編んでくれたりと、それはそれは気が利く自慢の娘でしてな!」
ここぞとばかりに娘を猛烈にプッシュする。先程の少し良い話はどこかに消えてしまっていた。イクセスが反応しなかったので、別の手に切り替えたというところだろう。
「今でもたまに一緒に風呂に入ってパパの背中を流すんだと言って聞かないこともあって…」
「いえ、他の貴族の方のことなんすが…」
放っておくと、頼んでもいないのに娘自慢が延々と続きそうだったので、イクセスは話を途中で遮った。
いや、むしろ風呂の件あたりで具合が悪くて仕方なかった。これ以上聞かされたら、問答無用で物理的に斬ってしまうかもしれなかったのだ。
ニクロムは残念そうな顔をしたが、すぐに下卑た笑顔を浮かべる。何か勘違いしているのだろうが、イクセスには好都合だった。
「ほう。貴族ですか? 貴族の何が知りたいので?」
「ええ。最近、颯風団と思わしき輩の動きがあるようでしてね」
颯風団という言葉に、一瞬だけニクロムはマブタをピクッと動かした。が、それ以上の反応はみせない。
貴族議会の時は意表を突かれて狼狽していたが、今回はイクセスがそういう話題を出してくることも想定していたようだった。
「颯風団は、ブラッセル将軍の作戦で帝都からは一掃されたと聞いておりますが…。将軍が存じないことを、知る由もないかと」
「仰られる通り。ですが、帝都でかなりの権力をお持ちの方であれば何か知ってるかと思いやして…」
「それは、貴族を疑っておいでなのかな? 以前もそういう話がでましたが…」
「いえ。それはないでしょう。颯風団上層部は帝都から退却しましたし、貴族の方々が繋がっている証拠などそもそも一切ありやせんしね」
証拠がないという言葉に、ニクロムの表情がみるみるうちに軟らかくなる。分かりやす過ぎる反応だった。
颯風団の設立のための援助資金は出してないにしても、何かしらで利用したことはあるのだろう。でなければそんな反応はしない。
「活動している颯風団は残党だと思われます。それもかなりの手練れ。もしかしたら、財をお持ちの貴族の方々などを狙うかも…と、思いやしてね。なにか心当たりはないかと」
「まあ、恐ろしいですわ!」
娘が、グワッ! と、鬼のような形相をしてイクセスの方に身を乗り出す。
(あぶねぇ。危うく斬るところだった…。お前の方が怖いぜ!)と思ったが口には出さない。
「フゥム。私に心当たりはありませぬが…。よろしい。他の知り合いの貴族にも聞いてみましょうぞ」
「それはありがたい。何とぞ、宜しくお願いします」
イクセスは近づいてくる娘をグイッと笑顔で押しやり、ペコリと頭を下げた。
「あ。そういえば…」
何かを思い出したかのように、ポンッとニクロムは手を叩く。
「なにか?」
「ええ。かなり日にちが経っていたので失念しておりましたが、神官長殿です」
「神官長?」
「はい。ほんの数ヶ月前、ロダム閣下が颯風団に襲われたのを覚えておられますかな?」
そういえば、セリクとフェーナが危機に陥ったロダムを救ったことがあった。
それを期にロダムはDBをえらく気に入り、イクセスが戦力外通告を突き付けて解散させようとした際には、それを乗り込んで妨害までしてきたほどだ。
「それがどうしたと?」
「実は、ここだけの話なんですが…。同じ時期に神官長殿も颯風団に襲われていましてな」
「なに?!」
思わずイクセスが大声を出したので、娘がビクッと震え、ニクロムはひっくり返りそうになった。
「し、失礼。ザクロウス伯。それをどこで聞いたんすか?」
「え? え、ええ。その時、神官長をお守りしたという神殿騎士の一人から聞きました」
「神殿騎士?」
あまり馴染みない言葉にイクセスは眉を寄せる。
少しして、神官たちを守る私兵のことだと思い出す。しかし、イクセスも見たことはあっても話したことまではない。なぜニクロムが神殿騎士と面識があるのかと訝しく思ってると、疑われてると思ったのか、少し焦った様子で先を続ける。
「少し前、腕の立つ私兵を集めようと募集をかけたところ…神官長をお守りした経験があると自慢気に話す若者がいましてね。なにやらつまらぬ粗相をして、神殿騎士をクビになったので雇って欲しいとやって来ていたのです」
「…事実確認は?」
「そこまでは…。ただ、試したところ腕っ節は本物だったので」
「雇い入れたのですか?」
「いえ、それが給金で折り合いが着かず…。今思い出しても腹立たしいのですが、相場の五倍を申し出てきましてね。神殿騎士でもそんなにはならないですよ」
神殿騎士になるには、別に神官と違って信仰心は必要ない。さすがに強い信仰をもった上での強者など数が揃えられないからだ。だからこそ、そこそこ素行が良く、少なくとも神を信じる程度の者を高い金で雇い入れるのである。そういった意味では私兵と同じである。
「一応、相手の住居などは解りますので…。もし直接話す必要があるのでしたら連絡をつけましょうか? 数日はかかると思いますが…」
「いや、結構です。襲われて撃退した…たぶん、そこまでしか知らないでしょう。知る必要がなく、知らないからこそ、敢えて口止めされなかったんでしょうしね」
もしイクセスが知りたい程の重要な事を知っているぐらいなら、口止めされてないのはおかしいし、むしろそんな口の軽い神殿騎士をただ放逐する愚を三神教が行うようにはイクセスには思えなかった。
それに本人に会わなくても、恐らく嘘は言っていないだろうとイクセスは考える。
ザクロウス家は、決して立場の低い貴族ではない。仮にニクロムが本気で調べれば、嘘だったらすぐにバレることだろう。
仮にも神殿騎士を務めた男なら、それを知らずに募集に来るほど頭は悪くない…はずだ。となれば、わざわざそんな嘘をつく必要がない。むしろ偽るのは危険なことであり、どうせなら神殿騎士であったことを隠して募集に来た方がまだ良いだろう。
大物貴族のところへやって来て、相場の五倍を求めたことからしても、神殿騎士という名前に価値があると自信を持っており、その武勇伝の一端として正直に話したと考える方が無理がない。
「……さて、どういうことだ? ロダム閣下は、あの時には引退時だったとはいえ、軍部に対しては強い発言力をもっていたから狙われたのは理解できる。だが、神官長を狙ったのは何のためだ?」
神官長は要人とはいえば要人だが、仮に暗殺したところで、大総統や副総統ほどの影響力、または軍部への影響など皆無に等しい。
「ブラッセル将軍?」
「イクセス様?」
ニクロムと娘が心配そうに伺うが、イクセスは全く気づかず、腕を組んで思案する。
「…………よし。神官長。調べてみる必要があるみてぇだな」
イクセスはスッと立ち上がる。勢いがよかったため、椅子がひっくり返るが、それを直すこともしない。
「ぶ、ブラッセル将軍! しょ、食事はまだ…」
ニクロムが言うとおり、イクセスは食事に一切手をつけていなかった。
「急用ができまして」
「き、急用?」
「はい。仕事です」
「そ、そんな…。あんまりですぞ! せっかく招待して来て下さったのに! この日を私たちがどれだけ楽しみにしていたことか…。娘だって…」
ニクロムがすり寄って来ようとするのを、イクセスは思わず睨みつけてしまう。ビクッと脂肪の塊が震えた。
「俺は帝国の将軍だ。帝国の利に反する者は許すわけにはいかねぇ」
ザクロウス家が…とまでは言わず、イクセスは踵を返して歩き出す。
もはや、ニクロムに止める意思はないようだった。
恨みがましい視線を背に受けつつも、イクセスはさっさとこの場を後にしたのであった…………。




