40話 魔王トト
女性が大水晶柱から飛び降りる。
かなりの高さだったので落ちるのかと思いきや、物理の法則を無視し、フワフワと漂うにして地面にストンと着地した。
ダフネスが警戒して数歩退く。
「フフフ。そう。怖がるな。なぁに、すぐに捕って喰うつもりはないさね」
クスクスと面白そうに女性は笑う。
年は二十歳前後といったところだろうか。美人といっても過言ではない容姿だが、その気だるげな様子とは裏腹に、得体の知れない狂気を感じさせた。
紫色の前髪は長く左右比対象で、後ろは肩にかかるほどである。
露出の多い、薄手のドレスローブを羽織り、腕にはいくつかバンドを巻き付けていた。着ているものは高級そうだが、素足のままだったりと、どうにもチグハグな格好だ。
パッとした見た目は人間の女性なのだが、何よりも特筆すべきは手と足の大きさだろう。人間よりも一回りは大きい。いや、大きいというよりは、やたら指先が細長いといった方が正確だろう。
爪などは、猫化の動物を思わせるような鋭いものである。それだけでも、彼女が人間ではないことを思わせた。
「……何者だ?」
ダフネスが敵意を隠さずに問う。
いつの間にか、イクセスとクロイラーが武器を構えて間に入るように立っていた。
「おや。数百年の月日のせいか、余の怖ろしさを忘れてしもうたか? ガーネットの人間王よ」
女性は余裕の表情で、辺りを見回す。皆の視線が自分に集まっていることに、満足気に頷く。
「余は三世界の統治者が一人。魔界ラゴレームを統べる者、魔王トトさね」
あっさりとそんなことを述べる女性……魔王を称する女性に、誰もが唖然とした顔をする。
「魔王…だと? 嘘をつくな! そんな馬鹿なことがあるものかッ!
魔王は老剣豪バージルが倒し、神々の封印が施されたはず!!」
激昂したダフネスが言うのに、魔王トトは鋭い歯を見せて一笑する。
「……そうさの。で、封印というものは、いつかは解けるものではないかね? フム。で、いまがその時だというわけだよ。ただそれだけのことさ」
「そんなこと……ありえぬ!」
「ありえぬ? ありえるから、余がこの場に…この神々の領域におるのだろうて。
余を封印した裁定神の神気を感じ、こうして飛んできたのだからな」
ダフネスは言葉に詰まる。確かに、この厳重に守られた神告間にいきなり現れることこそ、普通ではありえない事態が起きている証拠となっていた。
「神界凍結後の弱まった封印で、余をいつまでも止めて置けると考えておったのかな。神々も浅慮よのぉ」
コンコンと、神々の大水晶柱を叩く。
「う、うぐ……。馬鹿な。そんな馬鹿な。この重要な神告の最中に……」
激しく狼狽するダフネスを、トトは面白そうに見つめた。
「大事な儀式だったのかえ? それは悪いことをした。あまりに久しく温い神気を感じたのでな。つい、邪魔をしとうなったのだよ」
まるで遊びに来ただけという感じに軽々しく言う。
「この調子だと、ラクナの奴は未だ凍結の中で身動きがとれぬと見た。
アーダンも……気配が見えぬ。まだ傷が癒えぬのかえ?」
トトは何かの気配を探るよう鼻をスンスンと鳴らした。
「フフフ。なんと好都合。そんな中、自由な統治者は余だけとはな。良い時にでてこれたのう」
悠長なトトの態度を見て、イクセスの額に青筋が立つ。
「…魔王だか何だか知らねぇが。この俺たちがいる場所に、正面切って乗り込んでくるたぁ、いい度胸だぜ!」
「非常に痛い思いをしたくなければ、動かないで下さい! あなたを不敬罪及び不法侵入罪で捕縛します!」
イクセスが“オードソード”を構え、クロイラーが“オードリボルバー”を向ける。
「見たことのない武器だな。キードニアに人間がおらんかったが、あそこの機工技術がガーネットに流れたのかえ? フム。余がいない間にずいぶんと……」
「訳のわからねぇことをベラベラと言ってんじゃねぇ!」
相手が語っている最中だというのに、イクセスが仕掛けた! 剣を構えたまま突っ込む!
対するトトは隙だらけだった。イクセスは躊躇わず、首元に狙いを定める!!
「……だとしたら、何ともつまらん。戦争も終演したということであろうな」
「…ッツ!?」
イクセスの目が驚きに見開かれる。“オードソード”は見事、狙い通りに喉元に突き刺さっていた。だが、まるで手応えがないのだ。トトは何事もなかったように独り言を続けていたのだ。
「ん? いま、何かをしたのかえ?」
トトはニヤッと笑うと、イクセスの腕を指先でトンッと下から叩く。
「なッ!? ぐああッ!」
イクセスが浮かび上がったかと思いきや、神官たちのいる方に吹っ飛んでいく!
実に妙な光景だった。イクセスが自分で飛び跳ねたかのように誰の目にも見えたのだ。
「撃ちます!」
律儀な警告の後、言葉とは真逆の恍惚とした笑みを浮かべ、クロイラーが引き金を引く!
ズダンッ!! ズダンッ!!
クロイラーの戦気が銃弾となって撃ち出された!
「うん?」
余所見をしていたトトの両膝に見事それが当たる。
「おお。飛び道具だったのか。面白い機械だが、この威力では龍族を傷つけるだけがせいぜいだろうて。余に通じるものではないな」
当たったのにも関わらず、魔王トトはケロンとした顔をしていたのだ。傷一つ負っていない。
「え!? ……クッ!!」
涎を垂らしていたクロイラーはハッとし、懐から違う武器を取り出そうとした。
「もうやめよ。余は女には厳しいぞ」
トトがそう言うのにも関わらず、クロイラーは戦気を纏う伸縮警棒を伸ばした!
クロイラーは先ほどのイクセスにも引けを取らぬほどのスピードで、魔王トトの背後をとる! そして左手に持ったリボルバーで超近接射撃しつつ、警棒を振り下ろす!!
ドンッ!
皆、それはクロイラーの攻撃の音だと思った。
だが、それは違っていた。クロイラーは攻撃しようとしたままの姿勢で、床に思いっきり叩きつけられていたのだ。
ほんの一瞬の出来事である。誰にも何が起きたのか解らなかった。
「……ハァ。もうよせ。余は戦うつもりはないのだよ。
この距離ならば、ガーネット王の首はたやすく獲れるぞ。死なせたくなければ、まずは余の話を聞け」
トトがチラッと見やり、飛び出そうとタイミングを計っていたDBの面々を牽制する。
油断しているように見せていて、誰が自分に対抗する戦力なのかをトトはしっかりと把握していた。
「……話、だと」
こうも三将軍があっさり敗れてしまったことを信じられないとばかりに見て、ダフネスは青白い顔をしていた。だが、それでも魔王なる存在を強く睨みつける。
トトがダフネスと目を合わせる。その時、瞳孔や光彩がなく濃い紫一色であるのだと気づいた。やはり魔王とは、人間とは全く異質の存在なのである。そんな存在が人間と何の話をするのだと訝しむ。
ダフネスはかつて読んだ覚えのある魔王の伝承を思い起こしていた。老剣豪によって倒され封じられた存在。魔物を統べる闇の王。神王、龍王と並ぶ世界統治者。神々に敵対する邪悪なる勢力。そんな内容ぐらいしか、大神官であるダフネスも知らない。
地上に存在している龍王ほどに言い伝えは残ってはいないし、それこそ遙か昔に封印され、すでに脅威の去った魔王は御伽噺でしか語られない存在である。
だが、少なくとも神々の敵であることは間違いない。神々の敵であることは、つまりは人間の敵である。ダフネスにとってそれだけは明白だったのだ。
「何か勘違いしておるようだが、余は人間と敵対するつもりはないよ」
意外な言葉に、ダフネスの目が左右に揺れる。
「なんだと?」
「魔王などと呼ばれておるがな。余自身は争いを好まぬ。配下の魔族もそうだが、平和主義者なのだよ。余はこの豊かな地上フォリッツアに、真の平安をもたらしたいと考えておるのさ」
魔王が平和を説く? ダフネスは混乱する。
人間に悪事を働いたからこそ、そして神々に敵意を持っていたからこそ、救世主である老剣豪バージルが魔王を倒して封印したはずなのだ。
「そ、そんなことが信じれるものか! そんな甘言には騙されぬぞ! 貴様は、かつて神国ガーネットを滅ぼそうとしておるのだろう!? 龍王と同じく、愚かにも神々に挑みかかってきたのではないか! それは世界を征服するためだろう!?」
「世界征服? は! そんなことをして何になる?」
逆に問われ、ダフネスは真剣に悩む。
魔王や龍王は初めから邪悪な存在である。それが最高三大神信仰の教えであった。そこに、魔王や龍王の思惑など微塵も考慮する必要などなかったのである。
なぜ神々と戦うのか? なぜ人間と戦うのか? そういった理由を疑問に感じたこともなかった。神々が敵だと言えば、人間がそこに疑問を挟む余地などない。ダフネスだけではなく、教徒の誰もがそう信じていたのだ。
「よいか。よく考えよ。神々と龍王こそが邪なる元凶ではないか。神々は人間を正しく治めず、強欲な龍王すら御しきれないでおった。挙げ句の果て、余を恐れて神界凍結などという愚行まで犯したのだよ」
「魔王を恐れて……神界凍結を? なにを戯れ言を! 神々は龍王との戦いを嘆いておられた! 慈悲によるご英断だ!」
トトはやれやれという顔をした。
「実に盲信は思考を奪うものよのぉ。何度でも言おう。考えよ、人間の王よ。
なぜ龍王を破った神々が、わざわざ自ら本拠地に封印をかける必要がある? ましてや退いたとはいえ、龍王アーダンは実質上放置してのこと。そして現実に、人間はその龍王という存在に苦しめられているのだろう?
余には解るぞ。神々の寵愛を失い、日々、龍王への怖れを抱きながら生き続ける人間の気持ちがな。なのに神々は何の手だても下せない。祈れど答えは出せない。それを疑問に思ったことはなかったのか?」
「そ、それは……」
ダフネスは口の中がやたら渇くのを感じる。舌が上顎に張り付き、何も言い返せないのが悔しかった。
神を疑う? そんなことはあってはならない。神は絶対者である。信仰心篤いダフネスは、今まで神々に疑問を抱いたことなどなかったのだ。疑うこと自体が罪である……それが、告知師としても、フガール家としても、当然の理であったのだ。
「まこと単純な話よ。神々は、龍王アーダン、そしてこの魔王トトの二人を同時に相手にする訳にはいかなかったのさ。
龍王によって予想以上の痛手を被った神々は、余に追撃されることを恐れて神界セインラナスの扉を慌てて凍結したわけよ。人間を地上に放りだしたままね。
そして、老剣豪なる手駒を使い、回りくどいやり方で……隙をつき、余を封印したのさ。そちらが崇め奉っている神王ラクナ・クラナとは、そんな姑息な奴なのだよ。臆病で脆弱、それが神々の実態なのさね」
ダフネスも神官たちも困惑した顔をする。
神官たちの誰もが否定したい内容だったが、反論する言葉を見出せないでいた。
疑念の種子が上手くまかれたことに、トトはニヤリと笑う。濃紺の眼が怪しく光った。
「だが、余は違う。
余は人間が好きだ。生まれ、赤子から幼児に……そして青年に。老いて、熟して死す。そういう希有な生物。
最初から成体として誕生し、長き時をただ生き続ける余たちとは違う。
限られた短き時を惜しみ、精一杯に生きようとする初々しき人間。こと人間の雄は最上の生き物よ」
トトは自分の唇をペロリと妖しく舐め、ダフネスの顎を長い指でとる。
「老剣豪バージルにも、その魅力に囚われてしまったが故……フフフ、不覚にも斬り裂かれてしもうたが、な。それでも恨む気すら湧いてはこぬ。愛おしい者に壊されるのもまた一興よ」
腹の周囲を愛おしそうに撫でて、悩ましげな表情で魔王は言う。
「余は神王のように臆病者ではなく、龍王のように無法者でもない。
良き統治者として、この地上フォリッツアを治めようぞ。寿命ある人間の王にはできまい。余であれば、最高君主として未来永劫に人間を導いてゆけるぞ。必要とあれば、余が神々に代わり、龍王を討ち滅ぼしてくれよう。人間はこの地上に自由に生きるがいい。そして、余に様々な物語を魅せておくれ……」
ダフネスや神官たち、そしてマトリックスなどは拒絶の色を示していたが、それ以外の皆は、かなり良い条件であるような気がしてしまった。
魔王が人間を守り、龍王を倒してくれるならば……庇護する存在が、神ではなく魔王に代わっただけのことだ。それ自体に何か問題があるようには思えなかった。
「人間は、魔族の下で飼い慣らされることこそ至高ではないか。強い雄は、充分に熟した後に喰らうてやろう。余と一体となれる至福を感じるがいいぞ」
この言葉に、ダフネスは慌てて魔王の手を振り払う。
怯えた表情の人々を見て、トトはわずかに失敗したという顔をした。だが、すぐに表情をさきほどの妖しい笑みに戻す。
「……人間も動物を喰らうではないか。魔族もそれと同じよ。
ただ人間に比べ、魔族の総数は多くはない。年間に食する量は、人間が生まれ出ずる量よりも遙かに少ないのさ。人間という種の繁栄には支障ない」
皆の反応をうかがいながら、トトは続ける。
「フム。ならば、指定された人間は食さないことを約束しよう。そうだの。ガーネットであれば名のある血筋を重視するのであろう? そういった特別な者は食べないでおこう。龍王に滅ぼされるよりは……」
「黙れ!」
ダフネスが手刀で空を斬る。
「それは生贄を捧げよということではないか!! 古の英雄、老剣豪バージル・ロギロスが貴様をなぜ倒したか今解ったぞ! 貴様は会話することも汚らわしき邪悪だ!
我らは、神々により、この地上フォリッツアを預かりし民! 貴様ら得体の知れぬ魔族に喰われる家畜になど成り下がらん!!」
そう宣言したダフネスに、誰もが魔王の誘惑から目を醒ます。
一瞬でも魔王を信じてしまったこと……それは何か抗いがたい、魔王の放つ魔力によって惑わされていたのかもしれなかった。
よくよく考えれば、交渉とも呼べぬおぞましき取引である。そこに平和が存在するとは、信仰が無き者たちにもどうしても思えなかった。
「……はあ。どうしてかのう。かつても、それで多くの命を散らしたというのに。いつまで経っても余の理想には至らぬな。
平和を望むのに、くだらぬ信念を優先させて剣を掲げよる。幾度も幾度も…。
小数が犠牲になることで、多数が救われることも解らぬのか? 合理よりも道徳心か? 戦っても、戦わなくても……余に喰われる宿命だというに。なぜそれが解らん?」
首を左右に振り、嘆いていたのかと思いきや、トトは喉の奥で笑っていた。
「ま、そういうところも好きなんだがのぉ……」
そう言いつつ、おもむろに片手を上げる。その鋭い爪先がダフネスの喉元に向けられていた。
「ひとまず、人間の王はここで摘んでおこうか」
爪先が伸びる瞬間、何者かがダフネスを抱いて飛び退く!
「おや?」
「クロイラー嬢!」
「ハイ!」
ダフネスを助けたのは、意識の戻ったイクセスだった。
クロイラーが指示に従って煙幕を張る!
ボウンッ!!
イクセスは振り返ることもせず、ダフネスを抱えたまま出口に向かった。
同時に廊下で配置されていた兵士が雪崩れ込み、それを合図に、今まで成り行きを見守っていた神官や踊り子、そして聖歌隊たちがようやく危機に気づき、それぞれ逃げ出す。三階の出入口では大変な混乱が起きていた。
立ちこめる煙を見て、トトは薄ら笑みを浮かべていた。
「クハハ。悪足掻きするかえ? いいぞ。どうせ抵抗するならば徹底的にやってみせい」
「…その余裕が命取りになりますよ」
マトリックスが煙に紛れ、トトの背後に立っていた。
カッと目を見開き、氷の刃がその背後を襲う!
「ぬッ!?」
予期せぬ攻撃に、トトはわずかに眉を寄せる。
「うおりゃッ!!」
「えいッ!!」
ギャンとサラの炎と雷の投擲が、連続で放たれる!!
炎と雷の塊を見て、トトは少し驚いた顔をした。
「おお。“魔導士”がこの時代にもまだ残っておったか! しかも敵国ガーネットに! クハハ! 嬉しいではないか!!」
襲いかかる攻撃も物ともせず、トトは歓喜に震えていた。
「しかし、少々物足りぬなぁ……。どれ、ちと指南してやろう。本物の『魔術』をな」
魔王はニイッと邪悪に笑い、人差し指を高く突き上げた。
爪の先に紫色の塊が集まったと思いきや、それにボッと火がつく!
「なに!?」
「うげっ!?」
「なんですの!?」
「魔術『ファイヤーストーム!!!』」
ゴッーー!!
ゴオオオッン!!!!!
魔王トトを中心に、猛烈な熱風波が辺りを吹き飛ばす!!
とっさにマトリックスが氷の盾を作るが、間に合わずに何人かが炎の渦に巻き込まれて炭と化した。火傷を負って生き残った人々の絶叫が響き渡る!!
「……ほう。氷の使い手はなかなか。周囲の守りを優先しなければまだ戦えたろうに。惜しいのう」
小首を傾げ、トトは小さく口笛を吹いた。
両手を突きだした状態、ギャンとサラを守る形で、ボロボロとなったマトリックスは気絶していた。
ギャンとサラも軽傷ではあるものの、倒れて意識を失っている。
神告間は大惨事となっていた。大水晶柱にこそ傷は無いが、絨毯やタイルは燃え焦げて、バルコニーの一部が崩壊してしまっている。
その中で、自分に戦意を向ける者の姿がいることに、魔王はわざとらしく肩をすくめてみせる。
「生命力を神気に転換させて作った盾か。なるほど。余の魔術を防ぐにはいい代物だ。まさに神々の下僕といったところだの」
フェーナの出した聖盾により、辛うじてダメージを受けなかったセリクとシャインである。
「よくも皆をッ!」
セリクは剣を魔王に向ける。恐怖よりも怒りの方が強かった。
ザワザワとした感情が内から這い出てくるのを感じる。今ならば紅い力を暴走させても構わない…そんな気持ちでいた。
「ううッ。マトリックスさん、ギャン、サラ…」
傷ついた仲間たちを見て、フェーナは目に涙を浮かべていた。すぐにでも助けに行きたい。治癒を施したい。…だが、前には魔王が立ちはだかっていた。
「泣いている余裕はない。あのマトリックス様や、三将軍がいとも簡単にやられてしまったのだ……気を抜けばすぐ殺されるぞ」
真剣な表情でシャインが言う。
傷だらけのマトリックスを見て怒り心頭であったが、つとめて冷静に戦況を見やっていた。龍王エーディンよりも強敵かも知れない……そう、シャインは感じていた。
フェーナは、ゴシゴシと目のまわりをふき取って頷く。
いくら強敵であろうと負けるわけにはいかない。もう自分たちの後は無いのだと三人は覚悟を決めていた。
「魔導士……いや、ガーネットは確か異端者と呼んでおったな。その異端者による攻撃で余の意表を突き、そちらが一気呵成に攻め込む算段だったのかな?」
魔王に言われ、シャインは目を細める。
イクセスがダフネスを連れて脱出したのを見計らい、マトリックスはすぐ様、シャインに予め決めてあった戦闘指示のサインを出していた。
得体の知れない敵である以上、マトリックスの氷で動きを封じ、ギャンとサラの遠距離攻撃で様子を見て、セリクとシャインが戦技で叩くという展開の予定だったのだ。
だが、連携はいとも簡単に崩され、飛び出そうとした矢先のセリクとシャインを、フェーナが咄嗟に上手く護ったという状況だった。少しでもタイミングが悪ければ、先ほどの爆風魔術に晒されて大怪我は免れなかっただろう。運が良かったとしか言いようがなかった。
「異端者はよく知っていてな。先ほど見ての通り、異端者の力は、魔族が使う魔術がベースとなっておるのだよ。異端者の力は劣化版……と、いったところかな。別な意味での驚きはしたが、生憎と余には通じぬ」
「そんな種明かしなど不要だ! ならば、直接攻撃あるのみ! 老剣豪の技が通じたのであれば、私たちの攻撃は効くはず!」
刀をガチャリと構えるシャインを見て、魔王は大仰に頷く。
「そちにバージル並の腕前があればな。久しぶりに楽しいのぉ。古より、剣と魔術とどちらが優れているか……」
そうつぶやいたトトがグラリと揺れる。たたらを踏み、倒れそうになったところを堪える。
「…おっと。フゥム。やはり神々の領域に瞬間移動したので、かなり魔気をもってかれたようだな。攻撃魔術を放つには少々力が足りぬか。致し方あるまい」
一人でそんなこと言い、魔王はパチンと指を鳴らす。
すると、大水晶柱の後ろから紫色をした発光体が現れた。
フワフワとトトの周りを漂い、それはみるみるうちに大きく、人型へとなっていく!
「トルデエルト様が配下。死霊僧ピアー……推参。コホン、コホン」
目元まで隠せる布をかぶり、呪詛のようなものが隅から隅まで書かれた装束を着ている。線の細い女魔族だった。
手には大きな手鏡を抱えていて、なぜか小さく咳込んでいる。
新手の出現に、セリクたちはますます持っている武器を強く握りしめた。
「もう一人は連れて来れなんだか。クハハ、やはり足りぬな」
「…コホン。裁定神の神気の追従を? 一人で無茶されマスね」
ピアーは嗜めるように言う。
「今の人間が見てみたくて、気が急いたのよ。お陰でこの通りに窮地だ」
言葉ほど深刻ではなさそうにトトが言う。そんなことはすでに承知と言わんばかりに、ピアーもクスリと笑った。
「忌々しい神々の結界も未だ活きてマス。不利な状況デスね」
「だから、そちを呼んだのだよ」
「コホン。探しては見マス。ですが、拙僧らにそう都合良くありマスかどうか……」
ピアーが持っていた鏡を掲げ、周囲を照らすように見回す。
「な、何をやってるの、あれ?」
「そんなこと知るものか。だが、魔王が衰弱しているようならば好都合。そして油断している今がチャンスだ。一気に首をとるぞ」
シャインが小声でそう言うと、セリクもフェーナも頷く。
その時、ピアーが何かに気づいてキョロキョロとしだした。
「ん? 見つけたかえ?」
「ええ。龍族のようデスが……。最近のもののようデス。コホン、コホン」
「龍族? この時代にアーダンが動いておるというのか? 当人の気配は感じなんだのに? まさかのぉ…。
だが、まあ、如何せん、余の持つ情報は少なすぎるな」
教えて欲しいと言わんばかりに、トトはセリクたちの顔を順繰りに見回す。だが、もちろん誰も答えるわけがなかった。
「……飛べマスか?」
「距離は?」
「領内です」
「クハハッ! ピアーよ。余を誰と思うておる」
「……冗談デス。失礼を」
トトは手の平を上方に向ける。
次の瞬間、紫の光を放って、ピアーと共に瞬時に姿を消した。
「な!? に、逃げたというのか!?」
シャインは驚きに眼を見開く。
バタンッ! と、神告間の扉が開かれる。魔王が戻ってきたのかと、セリクたちは武器を構えたまま振り返った。
そこには左右に車輪がついた巨大な鉄の筒……超距離砲レールガンを構えたクロイラーと、イクセスがいた。屋上からこの武器を引っ張って来たのだ。
「奴はどこだ!?」
髪を振り乱しながら、イクセスは周囲を見回す。
「それが消えちゃって……」
フェーナがそう言うと、イクセスとクロイラーは怪訝な顔を見合わせる。
「フェーナ! 早く治療を頼む!!」
マトリックスたちの側にいち早く向かったシャインが叫んだ。慌ててフェーナは走り出した。
セリクやイクセスたちも、それぞれ傷ついた人々の治療に当たる。
「ダフネス大総統は大丈夫なんですか?」
セリクが問うと、イクセスはコクリと頷く。
「ああ。今のところはな……。だが、ああやって神出鬼没に現れたら警護どころじゃねぇ。なんなんだ、ヤツは! 魔王だと!? くそったれ!」
「あんな敵と……どう戦えば」
クロイラーが爪を噛む。
三将軍ですら手も足も出ないのだ。状況は絶望的といっても過言ではなかった。
「しかし、あいつらはいったいどこへ?」
そう言った瞬間、地面が大きく揺れだしたのだった…………。
魔界ラゴレームの統治者、魔王トト。その出現は、人間、神々、龍王にとって先の見えぬ大きな波乱をもたらす事となるのである…………。




