第13話 四百人を、私兵にしない
安喜で始めた巡回と兵の集め方について、中山国へ報告を出してから五日後。
県廷へ届いた返書を読んだ俺は、喜ぶより先に背筋が冷えた。
「季衡。何かまずいことでも書いてあるのか?」
机を挟んだ向こうで、劉備が尋ねる。
「まずいと決まったわけじゃない。ただ、気にされる場所が俺の予想と違った」
文書には、巡回経路を固定しないことや、事件を地図へ落とす方法について、もう少し詳しく報告せよとある。
そこまではいい。
問題は、その後だった。
黄巾討伐後に郷里へ帰した義勇兵について、現在の指揮関係、武器の保有、招集方法、費用負担を明らかにせよ。
つまり中山国側は、俺たちの仕組みを便利な動員方法として見ると同時に、別の可能性も見ている。
「私兵か」
関羽が言った。
さすがに早い。
「ああ。兄上の命令一つで四百人が武器を持って集まる、と受け取られたら危ない」
張飛が眉を寄せた。
「実際には四百人全員が来るわけではないだろう。石梁里の時も六十余りだった」
「人数の問題じゃない。県尉が官の外に、自分へ従う武装した人間を何百人分も把握している。その見方をされたら、かなり印象が変わる」
黄巾の乱がまだ完全に収まったわけではない。
各地に武装集団が残り、昨日まで官軍側だった者が、食えなくなれば賊へ変わることだってある。
そんな時代に、県尉個人が数百の兵へいつでも連絡できるとなれば、上が警戒するのは当然だった。
むしろ、今まで俺の方が軽く考えすぎていた。
劉備は文書を受け取ると、しばらく黙って読んだ。
「季衡。この名簿を捨てた方がいいと思うか?」
「いや」
俺は即座に答えた。
「そこまでしたら、黄巾との戦で作った組織まで捨てることになる。必要なのは、兄上の私兵ではないと分かる形にすることだと思う」
「どうする?」
「まず、俺たちだけで決めない方がいい」
安喜の主簿を呼んだ。
県の実務を長く見てきた老人は文書に目を通すと、俺たちと同じところで指を止めた。
「なるほど。中山国が気にしたのはこちらでございましたか」
「主簿殿なら、どう見ます?」
「私が上におりましても気にはいたします。玄徳様のお人柄を知らぬ者から見れば、黄巾討伐で従った兵を故郷へ帰し、なお名簿と連絡網だけは手元に残していることになりますので」
やはりそうなる。
「では、残すなら何が必要でしょう」
老人は髭を撫でながら考えた。
「誰の命で兵が集まるのか。それを明らかにすることではないでしょうか」
俺は思わず身を乗り出した。
「兄上ではなく、官の命令で集まる形にする?」
「玄徳様が安喜尉として命じるのであれば、結果として同じ時もございましょう。しかし、『劉玄徳という人に従う兵』と『安喜県が必要に応じて助力を求める者』では意味が違います」
その通りだった。
俺は仕組みを作ることばかり考え、その仕組みが誰に属するのかを曖昧にしていた。
「兄上。名簿を県廷の正式な記録に移そう」
「俺が持つのをやめるのか」
「ああ。俺たちの荷物に入れて持ち歩くものじゃなく、安喜で管理する。連絡を出す時も、兄上個人の書状ではなく、県廷からのものだと分かるようにしたい」
劉備は迷わず頷いた。
「それでいい」
「それと、集められる条件も決めたい」
「条件?」
「賊が出たと聞いた人間が、勝手に近くの伍へ声をかけ始めたら危ない。誤報でも兵が集まるようになる」
張飛が腕を組む。
「村が襲われている最中でも、安喜からの命令を待てというのか?」
「村を守るなとは言わない。自分たちの家や家族を守るのは別だ。ただ、隣の村まで武器を持って出ることと、周囲の伍を集めることには線を引きたい」
そこで、連絡を二つに分けることにした。
村の中で急な襲撃を受けた時は、そこにいる者たちが自衛する。
だが、村の外へ武装した集団を出す、あるいは近隣から人を集める場合には、安喜県からの指示を受ける。
県廷からの使者には、文書だけでなく印を確認できる札を持たせる。
連絡役は、その札と文書を確かめてから各伍へ知らせる。
「偽物を作られたらどうする?」
関羽が尋ねた。
「札だけで全部を決めるのは危ない。使者の名も村へ先に知らせておく。それでも完全ではないが、口頭で『玄徳様が呼んでいる』と言われるだけよりはいい」
「使者が変わる場合は?」
「出発する前に記録する。どの村へ、誰が、何時ごろ向かったか。戻った時間も残す」
主簿が頷きながら木簡へ書きつけていく。
また記録が増える。
だが、何でも記録すればいいわけではない。
後で「誰が勝手に兵を集めたのか」が分かる程度に絞る。
組織は、人を動かせるようになった時ほど危険になる。
強くする仕組みと、勝手に暴れない仕組みは一緒に作らなければならない。
◇
その考えが甘くないことは、翌日に証明された。
北の清河里から、馬を飛ばした男が県廷へ駆け込んできた。
「玄徳様! 武装した者たちが東の道を進んでおります!」
劉備が席を立つ。
「数は?」
「三十、いえ、四十ほどかと。槍も弓も持っております。黄巾の残党かもしれません」
「村へ向かっている?」
「道だけなら、こちらへ向かっています」
まだ襲撃とは限らない。
俺は地図を開いた。
「見たのは誰だ?」
「炭を運んでいた者です。里へ戻って知らせました」
「今、清河里では?」
男が一瞬ためらった。
「以前、玄徳様と戦った方々が集まり始めています」
嫌な予感がした。
「誰が呼んだ?」
「里の連絡役が……玄徳様のお役に立たねば、と」
やはり起きた。
仕組みが動かなかったのではない。
逆だ。
こちらが思っていた以上によく動いてしまった。
「何人くらい集まっている?」
「私が出る時には二十人ほどでした。ただ、隣の里にも知らせを出したはずです」
劉備が剣を取った。
「季衡」
「ああ。急ごう」
関羽と張飛も連れて清河里へ向かった。
県廷から動かしたのは二十人ほどに留める。
敵と決まったわけではない以上、大人数で向かえば、こちらから戦いを始めることにもなりかねない。
◇
清河里へ着いた時、村の入口には四十人近い男が集まっていた。
槍を持ち、以前の伍ごとに並んでいる。
号令をかければ、すぐ動けそうだった。
少し前なら、その光景を見て俺は喜んだかもしれない。
今は違う。
「玄徳様!」
連絡役の男が駆け寄ってくる。
「間に合ってよかったです。あと二つの里にも人を出しております」
「止めてくれ」
劉備が言った。
男の表情が固まる。
「ですが、賊が――」
「まだ賊と決まっていない」
「武器を持っております」
「俺たちだって武器を持って道を歩く」
劉備は声を荒らげなかった。
だが、周囲にいた兵たちまで静かになった。
「家や家族を守るために集まったことを責めるつもりはない。ただ、俺の名を使って隣の里まで人を呼ぶのは、これからはやめてほしい」
「玄徳様のためにと思って……」
「分かっている。だからこそ今、決めておきたい」
兄上が俺を見る。
俺は持ってきた木簡と札を取り出した。
「これから、安喜県から人を集める時には必ず、この形の札と文書を持った使者を出す。口頭だけで『玄徳が呼んでいる』と言われても、他の里へは知らせないでほしい」
集まった者たちの間から、不満そうな声が漏れた。
「では、目の前に賊が来ても待つんですか?」
「自分の里を守るのは待たなくていい」
俺は答えた。
「ただ、敵かどうか分からない相手を追って里の外へ出るのは別だ。もし相手が商人の護衛だったらどうする?」
男たちが黙る。
「あるいは、別の県の兵だったら?」
さらに空気が変わった。
黄巾の乱以降、武装して移動する人間は珍しくない。
兵。
義勇兵。
商隊の護衛。
故郷へ帰る者。
黄巾から離れて逃げる者。
武器を持っているだけで賊と決めれば、いつか必ず無関係な相手と殺し合う。
「敵だった場合はどうする?」
別の男が訊いた。
「俺たちが見に行く」
劉備が答えた。
「皆はここを守ってくれ。里へ入ってきたなら戦っていい。ただし外へ追わない」
張飛が前へ出た。
「俺も残ろう」
意外だった。
「益徳が?」
「ああ。お前たちだけで見に行って、本物の賊だったらこちらへ逃げてくるかもしれん。なら俺は村にいた方がいいだろう」
俺は関羽と顔を見合わせた。
張飛が自分から「待つ側」を選んだ。
黄巾討伐を始めた頃なら考えにくかったことだ。
「頼む」
「任せろ」
◇
武装集団を見つけるのに、それほど時間はかからなかった。
清河里から東へ半里ほど。
低い丘の向こうを、三十六人が歩いている。
確かに武器は持っていた。
ただし隊列は乱れており、荷を背負った女と子供が数人混じっている。
「賊には見えんな」
関羽が低く言った。
「俺もそう思う」
先へ斥候を二人出した。
こちらも姿を隠すつもりはない。
劉備と俺、関羽を含め十人ほどで道へ出る。
向こうも俺たちに気づき、足を止めた。
槍を構える者がいる。
だが前へ出てきたのは、四十歳ほどの痩せた男だった。
「我々に何か御用でしょうか」
言葉遣いが思ったより丁寧だ。
劉備が答える。
「安喜尉の劉備だ。武装した一団が県内へ向かっていると知らせを受けた。どこへ行く?」
男の顔に緊張が走った。
「安喜県へ入ったとは知りませんでした。我々は鉅鹿の方から西へ移る途中です」
鉅鹿。
黄巾の中心地だった土地だ。
「黄巾か?」
関羽が訊く。
男はしばらく黙ったあと、頷いた。
「以前は」
周囲の兵の手が武器へ寄る。
俺は人数をもう一度見る。
男ばかりではない。
子供がいる。
老人も二人。
「今は?」
「もう従っておりません」
「証明できるか?」
「できません」
正直だった。
「なら、なぜ武器を持っている」
「持たずに歩けば、途中で何度奪われるか分かりません」
それも分かる。
この時代の道は、安全ではない。
「どこへ行くつもりだ?」
「冀州を離れたいと思っております。南へ行く者もおりますが、我々は西へ」
「食料は?」
男が答えない。
代わりに、後ろにいた子供が母親らしい女の袖を握った。
荷を見る。
多くない。
長旅を続けられる量には見えなかった。
「最近、村から奪ったか?」
「しておりません」
「では買った?」
「……二日前までは」
金が尽きかけている。
このまま放っておけば、数日後に本当に賊になる可能性がある。
だが、それは「今すでに賊である」という意味ではない。
「兄上」
俺は小声で呼んだ。
「ああ」
劉備も同じところまで考えている顔だった。
「安喜を通す。ただし条件がある」
男が顔を上げる。
「県内にいる間、武器はまとめて預けてもらう。護衛に必要な分だけはこちらで認める。それから村へ勝手に入らない。食料が必要なら県廷を通して買う」
「銭がほとんどありません」
「仕事はできるか?」
男が一瞬、言葉を失った。
「仕事……ですか」
「道の補修、荷運び、林の片づけ。安喜にも人手の要る仕事はある。働いた分の食料か銭を受け取ればいい」
俺は兄上を見る。
少し驚いた。
そこまで俺は何も言っていない。
「兄上、それは県廷と相談が必要だ」
「分かっている。だから決めるのは戻ってからだ。できなければ別の方法を考える」
男が深く頭を下げた。
「それでもありがたい」
武器を捨てろと言われたわけではない。
殺されるわけでもない。
奪わなくても食える可能性がある。
それだけで相手の表情が変わった。
◇
清河里へ戻ると、張飛たちが村の入口で待っていた。
「どうだった?」
「賊ではなかった」
俺が答える。
集まっていた兵たちの間にざわめきが広がった。
「元黄巾ではある。ただ、今は家族を連れて移動している。安喜にいる間は武器を管理して、勝手に村へ入らせないようにする」
連絡役の男が青ざめた。
「では……俺たちは、あの者たちを襲うところだったのでしょうか」
「そうなる可能性はあった」
責めるつもりはない。
俺たちが作った仕組みが、その判断を急がせた面もある。
「季衡」
劉備がこちらを見る。
「これは俺たちの失敗でもあるな」
「ああ」
連絡先と伍を残した。
早く人が集まるようにした。
だが、「いつ集まっていいのか」を決めていなかった。
速く動ける組織ほど、方向を間違えた時の被害も大きい。
「だから今日、直す」
俺は皆へ札を見せた。
「自分の家と里を守るために集まるのは構わない。だが、安喜尉の名で周囲から人を呼ぶ時は、この札と文書を確認してほしい。それがなければ、兄上からの招集ではない」
先ほどの連絡役が深く頭を下げた。
「分かりました」
「それと、今日集まったこと自体を悪かったとは思っていない。皆が早く動けることは分かった」
男が顔を上げる。
「次は、正しい相手に向ければいい」
劉備が続けた。
「そのために俺たちがいる」
兵たちの空気がようやく緩んだ。
◇
県廷へ戻ったあと、名簿の扱いを正式に変えた。
義勇兵の記録は、劉備個人ではなく安喜県の記録として保管する。
招集を求める時は、理由、必要人数、対象の村、使者の名を残す。
連絡役には県廷の札を確認させる。
そして戦いが終われば、いつ解散させたかも記す。
中山国への返書にも、そのまま書いた。
失敗したことまで隠さなかった。
連絡役が独自に周辺へ知らせを出し、危うく無関係の武装集団と衝突しかけたこと。そのため、招集の権限と手続きを明確にしたことも添えた。
「そこまで書くのか?」
張飛が木簡を覗く。
「書く。失敗を書かなかったら、同じ仕組みを余所が真似した時に同じ失敗をする」
「怒られないか?」
「怒られるかもしれない」
「平気なのか」
「隠して後から見つかる方が困る」
関羽が小さく笑った。
「季衡らしいな」
数日後、中山国から再び使いが来た。
返書ではない。
今度は人だった。
相府から遣わされた属吏が、県廷の前で馬を降りる。
「安喜尉、劉玄徳殿にお会いしたい」
劉備が迎える。
「私が劉備です」
男は礼を返したあと、一枚の文書を差し出した。
「安喜より提出された巡回法と義勇兵の管理について、中山相府が詳しく聞きたいとのことです」
俺と兄上は顔を見合わせた。
「俺が治所へ行くのですか?」
「いえ」
属吏は首を横へ振った。
「まず私が安喜で実際の運用を見ます。その上で、使えるものについては他県へ示すことになりました」
張飛の眉が上がる。
関羽もわずかに目を細めた。
俺は素直には喜べなかった。
真似されるなら、良い部分だけでは足りない。
人を早く集められる仕組みだけ持っていけば、それこそ各地に小さな私兵集団を作りかねない。
「一つお願いがあります」
俺は属吏へ言った。
「何でしょう」
「兵を集める方法だけではなく、集めてはいけない時の決まりまで一緒に見てください」
男が俺を見た。
「あなたが劉季衡殿ですか」
「はい」
「文書に何度も名が出ていました」
少し嫌な予感がする。
「どのように?」
「細かい男だ、と」
劉備が横を向いた。
肩が少し揺れている。
「兄上」
「いや、何でもない」
「笑ってるだろ」
「笑っていない」
絶対に笑っている。
属吏まで口元を緩めた。
だが、俺としては細かい男で構わない。
兵は、集めれば強くなるわけではない。
命令が届くこと。
勝手に動かないこと。
戦う相手を間違えないこと。
終われば家へ帰れること。
そこまで揃って初めて、暮らしを壊さずに残せる戦力になる。
兄上が最初に得た小さな安喜という足場から、その仕組みが外へ出ようとしていた。
史書で俺が知っている劉備は、とっくにここを去っている。
だが今の兄上は安喜尉のまま、県の外から人がやり方を見に来る立場になった。
歴史が変わったという実感が、そこでようやく形になった。
そして一度外へ広がれば、俺にもその先は分からない。
だからこそ、面白い。
未来を知る古代史研究家としてではなく、兄上の軍師として考える時間が、本当の意味で始まりつつあった。




