最終話 好きな人との帰り道
その日の仕事を終える頃には、空は茜色に染まり始めていた。
「今日もありがとうございました」
診療所へ顔を出していた私は、エリーゼさんたちへ頭を下げる。
「こちらこそ」
エリーゼさんが優しく微笑む。
「また明日ね」
「はい!」
診療所を出ると、少し先でレオンさんが待っていた。
今日は護衛のお仕事も終わり、一緒にロイドさんのお家まで帰る約束をしていた。
「お待たせしました」
「いえ」
レオンさんは短く答え、私の歩幅に合わせて歩き始める。
夕暮れの村は、昼間とはまた違う穏やかさがあった。
畑仕事を終えた村のみなさんが家へ戻り、あちこちから夕飯の良い匂いが漂ってくる。
「平和ですね」
私がそう言うと、レオンさんも周りを見渡した。
「そうですね」
少しだけ間が空く。
沈黙なのに、不思議と気まずくはなかった。
しばらく歩いたところで、レオンさんが静かに口を開く。
「一年前は、想像もしませんでした」
私は隣を見る。
「この村で暮らすことになるとは」
その言葉に、思わず笑みがこぼれる。
「私もです」
本当に、一年前は何もかも違っていた。
私は王宮で管理人をしていて、レオンさんは王都で近衛騎士をしていた。
こうして毎日一緒に帰り道を歩くなんて、考えたこともなかった。
風が吹く。
道端に咲いた花が小さく揺れ、私は抱えていた籠を持ち直す。
すると、その様子に気付いたレオンさんが足を止めた。
「持ちましょう」
「え?」
返事をするより早く、レオンさんは私の籠を受け取っていた。
「レ、レオンさん⋯⋯?」
「少し重そうでしたので」
あまりにも自然だった。
護衛として当然のことをした、そんな表情で籠を持って歩き始める。
私は少しだけ照れながら、その隣へ並んだ。
「ありがとうございます」
レオンさんは私を見ず、小さく頷く。
「このくらいでしたら」
私は思わず笑ってしまう。
やっぱりレオンさんは優しい。
でも、その優しさを当たり前のようにしてしまう人だから、少しだけずるいと思う。
そのまま二人で歩き続ける。
夕暮れの風は心地良くて、昼間の暑さが少しだけ和らいでいた。
私は何気なくレオンさんの横顔を見る。
籠を持つ姿も歩く速さも、いつもと何も変わらない。
本当に自然で、気負った様子がまったくない。だからこそ、少しだけ胸が温かくなる。
「そういえば————」
私が口を開く。
「レオンさんも、この村での暮らしには慣れましたか?」
「ええ」
短い返事。
でも、少し考えるように前を向いたまま続けた。
「最初は護衛任務が終われば王都へ戻るものだと思っていました」
「そうですよね」
私も頷く。
あの頃は、こんな毎日が続くなんて想像もしていなかった。
「ですが」
レオンさんは小さく笑う。
「今は、この村に居れて良かったと思っています」
その一言が、なんだか自分のことのように嬉しかった。
「私もです」
自然と言葉が重なる。
二人で顔を見合わせて、少しだけ笑った。
その時だった。
さわさわ、と優しい葉擦れの音が聞こえてくる。
見上げると、少し離れた場所に立つフィルが夕日に照らされていた。
枝葉が風に揺れ、こちらを見守るように佇んでいる。
フィルも、私たちが帰ってくるのを待っていてくれたのかな。
そんなことを思うと、自然と笑みがこぼれた。
ロイドさんのお家までは、もう少し。
隣にはレオンさんがいて、少し前にはフィルがいる。
少し前まで寂しいと思っていた帰り道が、今はとても好きな時間になっていた。
(こんな毎日が、ずっと続いたらいいな)
心の中でそっと願う。
まだ、その想いを伝える勇気はない。
だけど今は、この時間を大切にしていきたい。
そう思いながら、私はレオンさんと並んで家への道を歩いていった。
◆
——同じ頃。
王都から遠く離れた、アイゼンベルク伯爵家。
重厚な扉に閉ざされた執務室では、一人の男が静かに書類へ目を通していた。
ヴォルグ・アイゼンベルク。
代々王国の財政と行政を担ってきた名門、アイゼンベルク伯爵家の現当主。
五十を過ぎた今なお鋭い眼光は衰えず、その笑みの奥には何を考えているのか決して読ませない冷たさを秘めていた。
やがて一枚の書類を机へ置く。
そこへ控えていた執事が一礼する。
「エリオット様をお連れしました」
「入れ」
扉が静かに開く。
「失礼いたします」
現れたのは、一人の青年だった。
柔らかな金髪。澄んだ青い瞳。
白を基調とした上品な装いは清潔感に溢れ、その穏やかな微笑みは、誰もが自然と心を許してしまいそうな優しさを感じさせる。
アイゼンベルク伯爵家嫡男。エリオット・アイゼンベルク。
「お呼びでしょうか、父上」
ヴォルグは椅子へ腰掛けたまま、一枚の書類を差し出した。
「読め」
エリオットは書類を受け取り、静かに目を通す。
そこに記されていた名前で、手がわずかに止まった。
「⋯⋯フローラ・リーフレット」
「最近、王都で話題になっている管理人だ」
ヴォルグは静かに口元を歪める。
「宰相アーヴィン・クロムウェルが認め、王家も正式に承認した」
その声には賞賛など欠片もない。
価値ある駒を見つけた時のような響きだけがあった。
「リーヴェ村へ向かえ」
短い命令だった。
「そして、フローラ・リーフレットの心を奪え」
部屋へ静寂が落ちる。
エリオットは父を見つめた。
「⋯⋯理由を、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「必要ない」
ヴォルグは即答する。
「お前は私の命令を果たせば、それでいい」
その言葉に、エリオットは静かに目を伏せた。
「⋯⋯承知いたしました」
深く一礼する。
それ以上、何も尋ねることはなかった。
父の命令は絶対。
幼い頃から、そう育てられてきたのだから。
執務室を出たエリオットは、一人で長い廊下を歩く。
窓から差し込む夕日が白い外套を淡く照らした。
小さく息を吐く。
「フローラ・リーフレット、ですか⋯⋯」
その名を静かに口にする。
まだ会ったこともない女性。
それでも、自分は父の命令どおり近づくのだろう。
胸の奥に小さな引っ掛かりを覚えながらも、エリオットはゆっくりと歩き続けた。
それが、自分に与えられた役目なのだから。
これにて2章:芽吹く者たち 完結です!
また、これにて作品完結になります!ここまでお読みいただき、ありがとうございました!!
評価等が伸びれば3章も作成するかもしれないです!
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