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Fランクダンジョンの平和な日常〜ダンジョンコアになって十数年いろんなことがありました〜  作者: 弌黑流人
【第一部】 第六章 [国定保養地]深緑の聖域と癒やしの新境地

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第58話 王女様の極秘訪問と、初めての森林浴サウナ体験。

 火熱の迷宮が国定保養地として正式に認定され、その名声が王国全土に轟き始めてから数日が経過した。


 迷宮の入り口周辺は、以前にも増して活気に溢れ、各地から集まった商人や冒険者たちで賑わいを見せている。そんな中、朝霧が立ち込める早朝の静寂を切り裂いて、一台の馬車が迷宮の入り口へと滑り込んできた。


 その馬車は、一見すると商人が使うような質素な外観をしていたが、車輪の回転音は静かで、御者の身のこなしには隙がない。何より、馬車の隅に小さく刻印された紋章は、知る者が見れば息を呑むほどの気品を漂わせていた。事前に王宮の使者から内密の連絡は受けていたが、実際に降りてきた人物を見て、現場のスタッフには緊張が走った。


 「極秘の訪問ゆえ、堅苦しい挨拶や形式は抜きにしてください。私は今日、地位も名誉も王宮に置いて参りました。ただの一人の疲れた客として、この場所にあるという本物の安らぎを求めて参ったのです」


 深い藍色のフードを被り、顔を半分ほど隠して現れたのは、王国の第一王女、シルフィア様であった。彼女の声は鈴を転がすように美しいが、その響きの奥には、隠しきれない疲労と重圧が澱のように沈んでいるのを、俺の感知能力は見逃さなかった。


 出迎えたリナとテオは、王女というあまりにも高貴な来客を前に一瞬だけ表情を硬くしたが、すぐにプロとしての顔に戻り、深く一礼した。俺はコアルームの深淵から、彼女の精神状態を静かに、かつ精密にスキャンする。


 (フム。王族としての終わりのない責務、そして先日の悪質な風評被害騒動における事後処理の心労。それらが幾重にも重なり、彼女の精神は今にも擦り切れそうなほど摩耗しているな。……よし、新しく開放した第5層の森林エリアを、彼女の魂の回復に捧げるとしよう。これは迷宮の主としての、最高の歓迎だ)


 シルフィア様一行は、まず第4層の活気ある宿泊・飲食エリアを通り抜けた。そこでは冒険者たちが笑い合い、たまご焼きの香ばしい匂いが漂っている。彼女はその光景をどこか遠い世界の出来事のように眺めていたが、テオの導きで第5層へと続く巨大な扉が開かれた瞬間、その空気が一変した。


 一歩、森の中に足を踏み入れた瞬間、王女様の足がピタリと止まった。


 「……これが、地下だというのですか? 信じられません。この清らかな風、頬をなでる湿り気。そして、まるで意思を持っているかのように、木々の呼吸が聞こえるようです……」


 目の前に広がるのは、巨大発光樹ユグドラ・ルミナスが放つ神秘的な緑の光。リーフたちが丹精込めて手入れした森からは、ストレスを浄化し、脳の奥を直接愛撫するような天然のアロマが立ち込めている。地下数百メートルの閉鎖空間であるはずなのに、そこには無限に広がる森の奥行きと、天界のような静謐さが同居していた。


 テオは彼女の驚きを急かすことなく、ゆっくりとした歩調で森の奥へと導いていく。鳥のさえずりのようなリーフたちの鳴き声が、彼女の歩みに合わせて木々の間から響き渡る。やがて一行は、森の最も深い場所、巨樹の根元に隠されるようにして建てられた「森のサウナ」へと到着した。


 そこは、王室の書庫に眠る古文書から着想を得た、香木として名高いヒバの木を贅沢に使った小さな小屋だ。職人たちが技術の粋を尽くして組み上げたその小屋は、釘を一本も使わず、木の温もりを最大限に引き出している。壁一面にはめ込まれた特製のクリスタルガラスの窓からは、外に広がる幻想的な森の景色が、まるで額縁の中の絵画のように切り取られて見える設計になっていた。


 (イグニス、火の魔力を最大限に微調整しろ。暴力的な熱ではなく、母親が子供を抱きしめるような、柔らかく深い熱を維持するんだ。アムネ、お前は森の精霊たちの歌声を蒸気に混ぜ、彼女の耳腔から魂へと直接癒やしを届けろ)


 王女様は着替えを済ませ、一人でサウナ室へと入っていった。


 扉が閉まった瞬間、そこは外界から完全に遮断された、彼女だけの聖域となった。


 ジュウ、という心地よい音が響く。アムネが精製したアロマ水が、加熱されたヒバの石に触れ、瞬時に香り高い蒸気となって室内に満ちていく。これまでの溶岩サウナが、肉体を強制的に活性化させる「力強いととのい」だとしたら、ここは魂の汚れを一枚ずつ剥がしていくような「優しく包み込む浄化」であった。


 王女様は目を閉じ、深く、深く呼吸をした。


 肺の奥まで森のエッセンスが満たされ、重く凝り固まっていた思考が、熱と共に溶け出していく。窓の外では、巨大発光樹の葉が微かに揺れ、エメラルド色の光が万華鏡のように室内に差し込んでいた。


 十分な熱を浴びた後、彼女はふらふらとした足取りで外へと出た。そこには、待機していたストーンシェルが静かに横たわっている。カメの背中に広がる苔の絨毯の上には、リナが用意した特製の、雲のように柔らかいクッションが置かれていた。


 シルフィア様は、吸い寄せられるようにその上に身を委ねた。


 「……あぁ、私は今まで、何をそんなに急いでいたのでしょう。何をあんなに、恐れていたのでしょう……」


 王女様の瞼から、一筋、また一筋と、真珠のような涙がこぼれ落ちた。それは決して悲しみの涙ではない。長年、王族という鎖に縛られ、誰にも見せることができなかった弱さ、そして溜まりに溜まった心の淀みが、この森の静寂と慈愛によって洗い流された証拠だった。彼女を包むのは、ストーンシェルの甲羅から伝わる大地の確かな鼓動と、リーフたちが奏でる安らぎの旋律だけ。この瞬間、彼女は王女ではなく、ただの一人の少女として、世界の優しさに抱かれていた。


 数時間が経過した。


 サウナエリアから戻ってきた王女様の表情は、入室前とは完全に入れ替わっていた。肌は内側から発光しているかのように瑞々しく、その瞳には失われていた活力が力強く宿っている。彼女は俺のクリスタルコアがある方向を、まるですべてを見透かしているかのようにじっと見つめ、優しく、そして気高く微笑んだ。


 「迷宮の主様。ここは、単なる保養地という言葉では到底足りません。戦いや憎しみ、そして人の醜い欲望すらも忘れさせる、この世界の、王国の宝です。……私が責任を持って、この場所の安寧を永久に保証いたしましょう。王家の名にかけて、何者にもここを汚させはしません」


 (フム。王家第一王女による直筆の永久保証。これ以上の経営資源、これ以上の防壁はこの世に存在しないな。彼女の魂を救った報酬としては、あまりにも出来過ぎているほどだ)


 王女様が再びフードを被り、満足げに帰路についた後、彼女がその場所に残していった浄化の涙と感謝の波動は、第5層の栄養(EXP)として大地に吸い込まれていった。するとどうだろう。巨大発光樹の緑はより一層深く輝き、森の木々は一斉に背を伸ばした。迷宮自体が、彼女の癒やしを祝福しているかのようだった。


 (さて、王女様をこれほどまでに満足させたとなれば、次はさらなる高み、あるいはさらなる難客がやってくるだろうな。現状に甘んじている暇はないぞ。ザック、王女様が気に入られたハーブの香りをベースに、新しい特別メニューの開発を急げ。リナ、護衛の質もさらに一段階引き上げるんだ)


 俺は、王女様の心が軽くなったこと、そしてこの迷宮がまた一歩、伝説へと近づいたことに満足感を感じていた。コアルームのクリスタルは、森の静寂を反映した穏やかなエメラルド色の光を放ちながら、次の瞬間に向けて静かに明滅を繰り返した。


 ご拝読ありがとうございます。王家第一王女による直筆の永久保証獲得!(この第一王女は以前コアルームでかくまった兄妹の姉にあたります。)

 次回は、この第5層の人気を不動のものにするための秘策を打ち出します。さて、どのような展開が待っているのでしょうか!乞うご期待!!

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