第104話 エランシールからの招待状と、王都への出張?
悠久の憩い亭の厨房奥にある事務室には、今日もユグドラシルの葉を揺らす風の音が静かに響いていた。ジューゴは、机の上に置かれた一通の手紙を前に、彫りの深い顔をさらに歪めて深く溜息をついた。
その手紙は、一般的な郵便物とは一線を画す重厚な紙質で、封蝋には王家に連なる名門、ローゼンブルク公爵家の紋章が誇らしげに刻まれている。先日、この宿を視察に訪れ、最初は散々に毒づきながらも最後にはその魅力に屈して帰っていったエランシール・フォン・ローゼンブルクからの招待状だった。
「ジューゴ、また難しそうな顔をして。何が書いてあるの?」
盆に乗せた二つのコーヒーカップを運びながら、リナが部屋に入ってきた。彼女はジューゴの隣に腰を下ろすと、机の上の書状をのぞき込む。ジューゴは言葉を返す代わりに、黙ってその手紙を彼女の方へと差し出した。そこには、エランシールらしい高飛車な言い回しの裏に、隠しきれない切実さが滲む依頼が綴られていた。
招待状の内容を要約すれば、以下の通りである。
一つ目は、王都で開催される「建国記念大晩餐会」でのリキュール提供について。
エランシールが視察の土産として持ち帰った「ユグドラ・ドロップ」を国王陛下に献上したところ、その至高の味わいに陛下が深く感動されたという。これを受け、各国の王族や重要人物が集まる晩餐会のメインリキュールとして、この酒を提供してほしいという正式な要請が下されたのだ。
二つ目は、ジューゴ個人への指名依頼である。
酒を運ぶだけでなく、ジューゴの持つ「空間干渉」の力を使い、王宮の大ホールそのものを「悠久の森」のような清涼で美しい空間に作り替えてほしいという、魔導師泣かせの無茶振りであった。
そして何よりジューゴを閉口させたのは、私信として添えられていた一文だ。
「もし断れば、陛下は直接この森へ軍を派遣してでも貴方を連れてくるでしょう。それは面倒でしょう? ですから、大人しく私の顔を立てなさいな。悪いようにはしませんわ」
彼女なりの不器用な忠告なのだろうが、半分は脅しに近い。
「軍隊ねぇ。穏やかじゃないわね」
リナが苦笑いを浮かべながら、コーヒーを一口啜る。ジューゴは椅子に深く背をもたれさせ、天井の木目を見上げた。
「ああ。行くのは死ぬほど面倒だが、冷静に考えればメリットも大きい。ここで王室との太いパイプを築ければ、宿の『不可侵』の地位は不動のものになる。それに、王都の最高級食材や、滅多に市場に出回らない魔導具の部品を直接仕入れる権利も手に入るはずだ。……宿の質をもう一段階上げるには、絶好の機会なんだよな」
ジューゴは、自分の平穏なスローライフと、宿の仲間たちの将来、そしてこの森の安全を天秤にかけた。一分ほどの沈黙の後、彼は決然と顔を上げた。
「行くよ。ただし、俺たちの美学は絶対に貫く。愛想を振りまくつもりはない。裏方として完璧な仕事をこなし、会場を整えたらさっさと帰ってくる。俺たちはあくまで『宿屋』であって、王宮の道化じゃないからな」
ジューゴのその決断が下されるやいなや、事務室の扉が勢いよく開いた。聞き耳を立てていたわけではないだろうが、スタッフたちの士気は既に最高潮に達していた。
「王宮の大ホール……。掃除しがいのある広さですね、カイルさん、ハクさん!」
フィニが目を輝かせ、手にした魔法の磨き布を握りしめながら二人に同意を求めた。
カイルは無表情のまま、愛用の研磨ヘラを指先で回す。
「……不純物の抹殺範囲が広がるだけだ。だが、王族の住処にどれほどの塵が潜んでいるか、興味はある」
ハクは影のように静かに立ち、その鋭い視線を王都の方向へと向けた。
「死角が多い場所ほど、磨く甲斐があります。不浄の気配は、すべて闇に葬りましょう」
その掃除・整備トリオの背後では、料理担当の二人が既に激しい議論を始めていた。
「おい、マルタ! 王宮の連中を驚かせるなら、ユグドラ・ドロップに合わせる最高のつまみが必要だ。森で採れた極上のナッツを、十五年熟成の蜜で絡めた特製品を準備するぞ!」
「わかってるっすよ、ザック師匠! 保存性と香りを両立させるために、魔法銀の容器をフィニに作ってもらうっす!」
ザックとマルタは最高のリキュールの選別と、それを引き立てる料理の仕込みに没頭し始めた。
セリーヌとテオは、王都までの移動距離と時間を逆算し、馬車のサスペンション調整から休憩ポイントの選定まで、分刻みのスケジュール表を作成していく。
「よし、準備を急ごう。王都をあっと言わせて、俺たちの『おもてなし』の恐ろしさを分からせてやる。その上で、余計なちょっかいを出されないよう釘を刺して、さっさとこの森へ帰ってくるぞ」
ジューゴの言葉に、仲間たちが地響きのような力強い返声で応えた。それは、世界一のおもてなし宿が、初めてその真価を王都という巨大な舞台で披露するための、誇り高き出陣の合図であった。
「ごほぉぉー!」
足元では、留守番を任される予定のキュイが、寂しさと応援を混ぜたような元気な火を吹いた。ジューゴはその火を器用に避けながら、騒がしくも誰よりも頼もしい仲間たちの背中を見つめ、静かに、しかし確かな自信を持って微笑んだ。
「……さあ、最高の裏方仕事を披露しに行くとしますか」
悠久の憩い亭。その名は、今まさに歴史の一ページへと刻まれようとしていた。
ご拝読ありがとうございます。急な招待状?脅し?……。高慢な自己中貴族らしい人物像が公爵令嬢エランシール。なので、いい具合に宣伝の場として利用します。
さて次回は、第105話『王都への出張おもてなしと、管理人の釘隠し』をお送りいたします。お楽しみに!!




