ACT.13 窮鼠達のささやかな密約
西暦4192年4月25日。
その衝撃的すぎるニュースは突如として世界中を駆け抜けた。
そこかしこで挙って取り上げているそれは日本の隣国にして42世紀現在、アジア諸国を代表する軍事国家の現大統領"林 培植"が突然死したとの内容だった。
某国の発表によれば死因は"死神ウィルスによる不慮の死"だが、そんなものはあくまで表向きのシナリオ。
遡れば4192年4月17日の15時過ぎ。
日本海に集結した解放者の意図が見えず国連のお偉方が頭を抱えていた頃、日本の首相官邸に入った1本の直通回線から全ては始まった。
「比御内閣総理大臣」
「あなたは・・・姜国務総理?」
国同士のトップを結ぶ、この場合は両国の官邸が構えるエリアの頭文字から通称STHと呼ばれる最重要秘匿サーバー介して内閣総理大臣比御蔵将のナノマシンにコールしてきたのは軍事国家の実質的No.2"姜 秉熙" だった。
日本海を挟んだお隣さんがこのタイミングで連絡を入れてきた理由を想像するのは難くない。
凡そは解放者に関してのクレーム・・・日本発と言われるテロ組織が起こした奇行を前に"我が国は無関係です"とは、口が裂けても言えない蔵将は疲れきった表情で小さく肩を落としながら受け答えする。
「この度、非礼を承知であなたに直通回線を繋いだのは他でもありません。4月10日に観測された解放者の海域占拠についての事です。現在発令されている非常事態宣言と共に、この海域に隣接する近隣諸国から強烈な批判の声が出ているのをご存知ですかな?」
既に周知の事実を、特にあの手この手で対策をしているにも拘らず結果が出ない事に対して改めて"ご存知ですかな?"と問われる事ほど人を不愉快にさせるモノはない。
ましてやそれが悪い意味ならば、なおの事。
人の苦労も知らずにのうのうと上から目線で物を語る姜 秉熙に対して今すぐぶち撒けたいほどの怒り、大爆発寸前のイライラを押し殺して蔵将は総理大臣然とした態度でそれを真摯に受け止め言葉を返した。
「日に日に増していく批判の声を前にあなた方日本は今後どうしていくおつもりですか?威圧的な言い方になりますが、あまり悠長に構えている時間はありません。日本を除外した近隣諸国では解放者よりも先に日本のあり方をどうにかしようとする動きもあります。つまり彼らには処罰する対象が必要なのです」
「あなた方を含む隣国が我々を攻撃する計画を立てている・・・そう仰りたいのですか?」
「遺憾ながら、そう捉えていただいても差し支えありません。ですが私も然り近隣諸国も、その考えが誤ちである事は百も承知しています。しかし国内から溢れ出る膨大なヘイトは最早私の権力でも抑えきれなくなっています。それは他の国々も同じ事です。ですがそれらの憎しみを影から煽っている"ある人物"の暴走を止めてさえいただければ最悪のシナリオは回避する事ができます」
「話が見えませんな」
「言葉を濁すつまりはありません。その人物とは我が国の大統領"林 培植"・・・あなた方には代理戦争ビジネスマン或いは林大佐とでも言った方が伝わりやすいでしょうか?林 培植は今回の件を皮切りに大規模な戦争ビジネスを計画しています。近隣諸国、延いては世界中の・・・それこそ、ならず者国家と呼ばれる国々さえも巻き込んだ大規模なビジネスを。我が国に於ける大統領とは軍部の全てを掌握した元帥そのもの。そして解放者の海域占拠を免罪符に軍部を動かし、日本国の実質的支配を計画しています。ですが真の狙いはそれだけではありません。このビジネスが成功した暁には約11兆Qという莫大な金が林 培植の懐に流れ込み、それを元手に新たなビジネス・・・つまり世界中に戦争の火種を撒こうとしているのです」
「仮にあなたの仰っている事が事実だとして、それを林大統領の暴走だと理解しておられるのでしたら、なぜ自国が不利になるような情報を我々に?」
「あなたも人が悪い。私は国務総理として自国の大統領の暴走を止める義務があります。単刀直入に言います。我が国の大統領林 培植の始末をお願いしたい。それがあなた方、日本がこの危機を乗り越える為の唯一の手段なのです」
「些か疑問が残ります。たとえそれが事実であっても他国の意思により一国の首相を手にかけるリスクは計り知れません。それこそ我々からの一方的な宣戦布告だとして、あなた方の言うビジネスを後押しする形になる・・・そう捉える事も出来ますが?」
「あなたの言い分はごもっともです。しかしそれ故の直通回線、それ故に私とあなただけの"密約"なのです。これは今後とも我々が友好を築いていく上で必要不可欠な外交だと思っていただいて構いません。それに多少なりとも、あなた方にも責任はあります。林 培植が今回のビジネスを思い立ったキッカケは解放者の海域占拠にあります。尤も、林 培植への制裁はある意味で"日本国の正当防衛"とも言えますが」
「どういう意味でしょうか?」
「林 培植はあなた方が所有する"最強の力"を欲しています・・・そうです。日本を支配下に置こうとしているのも全ては社会福祉法人 技能開発研究所を自らのモノにする為なのです」
「なんですと・・・!」
「今や名実共に世界最強の暗躍組織となった福祉技研の名を出すだけで国連はそれを黙認せざるを得ない状況にあります。それだけ福祉技研という組織は強大であり、国連からも恐怖の象徴として見られています。あなた方には不愉快極まりないな物言いになりましょうが今や日本という国が存在していられるのも全ては "福祉技研を所有しているからこそ"。そう考えればこれは既に林 培植からの一方的な宣戦布告。そこに国としての意思はなく、あるのは私利私欲に駆られた愚者の幻想です」
「・・・」
「我が国の軍事力は、あまりにも肥大化し過ぎてしまった。その上、現在林政権は非常に不安定な状態にあります。近い将来これらは音を立てて内部から崩壊し溢れ出した軍事力は実体のない暴徒となり世界中を巻き込んだ戦争ビジネスを展開する事でしょう。しかしあなた方、日本にだけは伝えねばなりません。このシナリオこそが林 培植の思い描いている戦争革命である事を。その引き金として4192年5月1日に開かれる国連総会で"国の公式な発言"として日本海に集結した解放者を駆逐する事を宣誓、そのまま戦争革命を起こすつもりなのです。そうなれば林 培植共々、私も退任を免れる事は出来ません。そして何も知らない次代の政治家がこの悪政を引き継げば、また新たな暴君が誕生する最悪の政権交代が起こります。その前に、なんとしてでも私・・・いえ"我々が"その火種を刈り取り世界を救う必要があるのです」
「"我々が"・・・ですか」
「そうです。我々は互いに被害者であり被疑者なのです。解放者と林 培植・・・あなた方が動いてくださらなければ5月1日が人類最後の日になるやも知れません。しかし林 培植を始末してくださった暁には私は国務総理の立場で"国の公式な発言"としてあなた方、日本との確かな友好を示しましょう。いえ、それだけではありません。我々の友好を形あるモノとしても示させていただきます」
「と、言いますと?」
「林 培植が戦争ビジネスで儲けた莫大な軍資金は、ある意味で裏金にも近しいモノ。出処不明になるまで資金洗浄した資金の一部は未だ、あなた方が所有権を主張できるエリアに残っています。兵役時代から今に至るまでに繰り広げられた戦争と規模から見てどんなに少なく推測しても、その資金は約7千億Q」
「7千億・・・!!」
「それらが記された裏のデータを管理しているのは他ならぬ私です。我々からしてもコレを端金と呼ぶには覚悟のいる事ですが現実問題、全ては林 培植の独断と私欲によるモノで、我々は資金洗浄された資金の流れをこのデータ以外で物的証拠として証明する事はできません。つまり私がコレを手放した時点で我々がいかに声を上げようともその資金の所有権はあなた方にあります」
「・・・」
「これは私とあなただけの密約・・・未曾有の危機を防ぐ為の然るべき処置であり、その結末は互いにとって利になる戦略的外交です。もちろん福祉技研の名を口にした以上、私も命を懸けて行動します。その日までの期限は2週間。この件に関しては、くれぐれも御内密に他言無用でお願いします」
直通回線による一方的な外交を終えてなお蔵将はしばらく無言のままだった。
某国の習わしで大統領を元帥とするならばNo.2たる国務総理は言わば参謀総長。
常に駆け引きの中心にいる人物だからこそ相手が弱者であれば対等に物事を語る必要なんてない事を熟知している。
そう考えれば姜 秉熙が世界中にばら撒かれた資金を回収しなかったのも全ては外交、延いてはそれに準ずる場面でさり気なく見せびらかす為の切り札を作る事が目的。
故に資金洗浄の話をしたのも、いやらしい言い方をすれば蔵将にNOと言わせない為の手付け金。
権力に溺れ、孤高の暴君と化してしまった上官の首を刎ねるのはいつの時代も側近の役目。
この事から口に出さずとも蔵将は姜 秉熙が焦っている事に気付く。
林 培植が自らの私欲の為に政界を振り回すのなら姜 秉熙もまた自らの為に暗躍を企てる。
なればこそ、この外交はある意味で対等な、それこそ窮鼠達の密約だと言えよう。
その後、蔵将は3日を掛けて独自の調査を行い姜 秉熙の発言した内容の裏を取る。
4192年4月20日。
タイムリミットまで残り11日となった今日。
多忙を極める激務の中、悩みに悩み、考えに考えた結果ようやく蔵将は福祉技研とのコンタクトを実行。
それは国家特務警察軍隊長重徳を介さずに7番で直接源以に連絡を取る、言わば姜 秉熙との密約の範囲内で行われた。
某国の大統領が新たな代理戦争ビジネスを企てている事や、それに乗じて福祉技研を支配下に置こうとしている事。
またそれらを阻止できた際の見返りとして綺麗に洗浄された多額の資金を譲渡すると同時に"軍事大国との確かな友好"という形で国連内部での確固たる地位を約束してきた事に対する自らの下した結論をありのままに伝えると、まるで想定の範囲内だと言いたげな落ち着いた口調と態度で源以は言葉を返した。
「話は理解した。姜 秉熙・・・国務総理という立場でありながら中々に素直な男ではないか。だが、この計画で我々に最高のパフォーマンスを発揮してもらいたいのなら向こうの協力も不可欠だ。今後の林 培植の動きを秒単位で記したスケジュール表と政府全体の動きと氏が生まれる以前からの人脈、護衛にあたる人数とその者達の個人情報リストを用意させ、彼の国の内情と近隣諸国の動きを逐一報告させろ。それと同時に林 培植に今後の予定を変更させないように動いてもらう必要もある。また、これらのいずれかが不履行となった時点で我々は姜 秉熙側の一方的な契約違反と見なし、こちら側の調査に基づいた事実を根拠に林 培植の侵略行為に対する報復として独自に行動させてもらうと伝えておけ」
「動いてくれるんだな源以」
「それが福祉技研の存在意義である以上、お前が決断したのなら我々に拒否権はない。どちらにせよ話と資料を見る限り林 培植を放置するわけにもゆくまい。相手側からの資料と返答があり次第すぐ行動に移る」
ここ数ヶ月、福祉技研は人間を囲み楓や景勝らを中心とした和やかな雰囲気に包まれていたがその本質はあくまでも非合法組織。
コレを知る者達の間では、福祉技研が動いた時点で狙われた者には絶対の死が約束されるとまで言われ、怖れられる世界最強の暗躍組織が本来の姿を現した。
急いては事を仕損じると言う言葉もあるが、物事を悠長に構えていてもまた然り。
同日、蔵将は日本海を隔てた向こう側、某国官邸にSTHを繋ぎ、いよいよ全てが動き出す。
一方、国務総理の席に着き1人静かに終わりの始まりを知った姜 秉熙は自身が最も望んでいたであろう契約成立の連絡を受けたにも拘らず、たらりと滲み出た脂汗をスーツの袖で拭き取り一息、まるで九死に一生を得たような、おどろおどろしい表情を浮かべて小刻に体を震わせていた。
その理由は自国の大統領が企てる真実を語ってしまった以上、仮に福祉技研が NOと答えたその時点で自分の命もない事を悟っていたからだ。
いつの時代もタダで利用させてくれるほど悪魔の御心は寛大ではない。
それこそ1の願いに対して100も200も見返りを求められるのが筋である。
故に姜 秉熙はまず自らの命を差し出して話し合いの場を作り、そこで初めて駆け引きをスタートさせた。
無論、一度差し出した貢物が自らの手元に返ってくる事は二度となく、これ即ち姜 秉熙の命を含めた意思や人権は既に彼のモノではなく日本国現内閣総理大臣比御蔵将と福祉技研所長松永源以のモノとなっていた。
つまり氏を生かすも殺すも全ては悪魔の一存。
先に源以が言ったような報復などと言う生易しい言葉では到底済まされない。
当人や肉親、友人は疎かその末代までもが生きる権利も死ぬ権利も奪われた理不尽極まりない無限地獄を彷徨う事となる。
それでも国務総理として林 培植の暴走は無視できるモノではなく、なにより林政権崩壊と共に国務総理というホストから失脚、林 培植の掲げる戦争革命の巻き添えを食らってしまっては堪ったモノではない。
政治家として国の為、自分の為、なにより未来の為に全ての責任を負わされたその心中はまさに窮鼠であった。
その日の晩。
大規模な戦争ビジネスを目前に控えた林 培植は、まるでお遊戯会を指折り数える児童のような笑みを浮かべて姜 秉熙を行きつけの高級レストランへと誘った。
色鮮やかな贅沢三昧のフルコースに合わせる話のネタはもちろん今後の予定に他ならず、超一流店の高級な雰囲気と破滅へのカウントダウンを見事に調和させた落ち着いた語り口で"戦争とは何か"についてを説き始める。
「戦争とは、もっと自由であるべきだ。非人道兵器を皮切りに定められた様々な法律がこれらを縛り付け邪魔をしている。そもそも戦争とは互いの主張と主張、意思と意思、目的と目的とがぶつかり合う事で生まれる一種のコミニュケーション。にも拘らず、実際は誰かが決めた法律の範囲内でしか主張は認められていない。サードメイカンドを投入してはならない・・・攻撃の対象に個を狙ってはならない・・・世界の許しを得てからでないと武器を手にとってはならない。未だ数多くの柵が絡みつく中でしか生きられない未来の戦争とは果たして誰の為にあるモノなのか。その答えがわかるか?」
「恥ずかしながら私程度には到底理解の及ばないところです」
「そうか。では答えを教えてやろう」
管楽器、弦楽器、その他の様々な音が複雑に絡みあい奏でるジャズのリズムとアナログな炎が揺らめく落ち着いた大人の空間に相応しい一流のマナーとして一切音を立てる事なく皿に盛られた小さなステーキを切り分けると林 培植はそれを一口食べて言葉を続ける。
「未来の戦争とは"一部の強者達の為にある"。本当に戦争を必要とする弱者達は理不尽な法律により主張は疎か意思や目的さえも一方的に掻き消され、敗戦者の烙印と共に闇の中へと葬り去られる。本来戦争とは強者と弱者が唯一対等に物を語り合う事を許された第三者絶対不可侵の領域。しかしいつの時代からか戦争は姿を変え、強者の為の法律に基づいた不公平なモノになってしまった。それ故に法律で禁止されている手段しか持たない弱者達はどうなるかと言えば・・・わかるな?対して我々の国は素直に言って強い。だからこそ世界中で巻き起こる戦争をリードしなければならない。その目的は"全人類が平等に戦争を行う事ができる世界を実現する"事であり、近隣のならず者国家のように上部だけのビジネスとは理由が違う。それらを語っていいのは根本にある戦争の必要性を理解している者だけだ」
「では福祉技研を狙うのも"平等な戦争"の為と言う事ですか?」
どこまでも深く濃厚な紅を煌めかせ、甘過ぎず渋過ぎず、フルーティーな香りと味わいを楽しませてくれる某国伝統の果実酒、覆盆子で口直しした姜 秉熙は源以に言われた通り、直接本人の口から今後の予定を聞き出すべく自然な流れで、さり気ない質疑応答の時間を作った。
「彼の暗躍組織の存在は不公平だ。まだ人類が不完全だった現代と違い、最早核抑止力がなんの意味もなさなくなった未来に於いて福祉技研は不公平な法律そのものだ。かと言って今現状ソレをどうにかしようモノなら悪魔の報復を恐れる国連は黙ってはいないだろう。故に今度は我々が弱者として戦争革命を起こす必要がある。タイミングとしても解放者が動き出したこの瞬間を狙わない手はない。予定通り4月25日の水曜日、私は大統領として日本側から見た解放者の動きを視察するべく彼の国へと向かう。5月1日の国連総会に間に合わせる為にも今後の予定は変更はしない」
「わかりました。スケジュールに変更なし。護衛に付ける人材にも変更はありませんか?」
「是非もない。ところでこの料理の味はどうだ?」
「はい。さすがに名だたる一流店だと感服致しております。ですが恐れながら言わせていただければスープの味付けが少し濃いかとも思います」
「スープ・・・そうか。ちょうど私も同じ事を考えていた」
一国の大統領が贔屓する高級店へ当人直々の誘いをもらえば普通どんなに料理がマズかろうとも、それこそただの泥水が出されようが媚び諂う事こそ正しい付き合いなのかも知れないが既に死が確定している相手という事もあり姜 秉熙は少々強気に物申した。
それに対して林 培植は同感の意を示してシェフを呼び出し"今日のスープは口に合わん。もう一度味を整えてから作り直せ"とオーダーする。
その後、林 培植との最後の晩餐を済ませた姜 秉熙は契約通りSTHで源以の求めた情報を提供。
それから10時間後の午前9時。
源以から暗殺プラン完成の連絡を受け、今度は蔵将が姜 秉熙にSTHを繋ぎ、窮鼠達の密約は最終段階に入る。
「明後日午前10時発の便で福祉技研の人間を1人、そのあと1時間ずらしてもう1人をあなた方の国に送ります」
「・・・2人だけで大丈夫なのですか?」
「はい。これ以上の人数を用すれば無駄に場を乱す事にも繋がります。そして今後は全てが終わるまでの間こちらの派遣する・・・午前11時38分着予定の女性工作員を資料にある護衛の1人"朴 声雅"として扱ってください。またこれにあたって本物の朴 声雅は事が終わるまで何よりも信頼できるあなた自身の手で自由を奪い、なおかつ生きた状態でありながらナノマシンリンクも使用させないという状況下で確実に拘束していただきたい。そして最初に入国する1人に関しては性別や年齢、外見の他にどのような役目で国内にいるのかなどの無用な探索はお控えください。この人間に関して言える事は、少なくともあなたの不利になるような行動はしない事を約束していると言う事だけですがそこを信じていただければ幸いです」
「・・・わかりました。朴 声雅は私の方で確実に対処させていただきます。後者に関しましても一切の探索をせず、なおかつ一切関与しない事を誓います」
蔵将と姜 秉熙が今後のプランの最終確認をしていた同時刻。
地下深くに創設され、決して陽の目を見る事のない福祉技研最重要施設八角形の第4ルームでは、今回の密約の成否をわける"鍵となる人物"を囲むようにして佇む一課と三課の職員達に源以が指示を出している。
改めて部屋を見渡せばその中央、全高5mはあろうかという無機質で巨大な椅子型装置に腰掛け、全身に謎の機器を巻き付けている楓の姿があった。
プリント基板のような模様が施された緑色のボディスーツに身を包み、苦しそうな声を漏らしては小さく体を仰け反り、彼女はこの瞬間が終わる時をただひたすらに待ち続ける。
それから数分後。
手元に投影された大きなデジタルディスプレイを確認して一課、三課を代表した1人の職員がおそるおそる源以に告げる。
「書き換え完了しました。湊楓のナノマシン情報を統括コードで確認した結果、データは全て朴 声雅本人のモノを示しています」
書き換え。
それは世界中でただ1人、この湊楓だけが行える究極の偽装。
事を成すにあたって一切の関与を覚られてはならない暗躍組織にとって"偽り"とは必要不可欠なファクターであり、いかに厳重なセキュリティに守られた敵陣深くに潜り込んだとしても、そもそも発見されなければ攻撃される道理はないという結論にたどり着く。
そういう意味で何者にもその存在を覚られない事に特化した景勝を影とするならば、楓は敵として認識されない事に特化した偽者。
同じ目的の偽装でもこの2つは似て非なる全くの別物。
尤も姿形を模して身分を偽る上部の変装は42世紀の技術と世界観、さらには楓の登場により、さらに上の次元へと昇華する。
個が持つ記憶から癖からナニに至るまでを書き換える事は、姿形を始めとした遺伝子以外の遺伝情報ミームをも凌ぐ。
ミームは常に変化の中にあり髪型を変えた、物理的な傷を負った、肉体の成長或いは老化に伴って誰かの記憶の中に生きるかつての面影を失ったとしてもナノマシン情報だけは不変、ナノマシン情報だけが絶対、ナノマシン情報こそ真実という価値観の中でナノマシン情報を偽る事こそ、まさに究極の偽装と言えよう。
元々は重度の環境汚染に対応する為のナノマシン技術であったが、皮肉な事に時代と共に成熟していったこれらの技術は本来の目的から逸脱。
だからこそ福祉技研的には都合が良いのかも知れないが、良くも悪くも未来人はナノマシンに頼りきっていると言わざるを得ない。
そして、それらの書き換えが完了すれば今度は源以の指示で一課職員達が慎重に、楓を縛り付けていた機器を取り外しに掛かる。
「湊君、気分はどうかね?」
「・・・悪いです」
「よろしい。では早速だが朴 声雅の記憶を参考にコレを扱ってみたまえ」
いかように答えても、どのみち気遣ってくれないならなぜ聞いた?
相も変わらず他人の心境を無視して話を進める源以に対してそう問い質したくなる楓だが、口が滑っても彼女にそんな事が言えるわけもなく源以の差し出した小型拳銃を浮かない顔で受け取り、初めて見たハズのソレを片手に、慣れた手付きで弾を込め難なく扱って見せた。
政治に関わる一部の人間に対して武器の携行が義務付けられている彼の国に於いては、これらをきちんと扱える技術を身に付ける事も業務の一部。
若干右肩を上げ、左半身に体重を乗せた朴 声雅の構えの癖までも完璧にコピー。
明後日の方向に銃口を向けてその期待に応える。
刹那、彼女の魅せた一連の流れに感化されたのか無駄のない動きでスーツを翻した源以はその下に隠された白銀のスパルタンリボルバーを抜き、一切躊躇う事なく楓のこめかみに突き付ける。
するとどうだろう?普段の彼女からは想像もできないほど鋭い眼つきで銃口を躱し、銃を握りしめたまま親指だけで素早くセーフティを解除した後トリガーに指を掛け、あろう事か源以の眉間に標準を合わせて牽制してみせた。
周りを囲む職員達を頭から押さえつける緊張を超えた極限のプレッシャー、呼吸をする事すら極刑に値する程の空気が支配する中、1人納得した表情を浮かべた源以は親指をハンマーに添えながらトリガーを引ききり、それをゆっくり寝かせると同時に銃口を下ろして真意を語る。
「自身の危険を感じた場合、朴 声雅はそのような行動をするのか。マニュアルに忠実な無意識下での本能的部分まで書き換えは出来ているようだな。上出来だよ湊君。では予定通り明後日午前11時発の便で彼の国に入り姜 秉熙の手配した政府の内通者と合流。その際、君は国賓扱いの偽装データを使用して0番ゲートから乗り込み、12番ゲートから降りる事になっている。あとはナノマシンに記された作戦記録をベースに最善のプランを組み立ててくれたまえ。それと作戦途中で君自身が危険を感じる場面に遭遇したら時間や場所ないし相手が誰であろうとも始末してもらって構わん。もちろん国際問題など考える必要はない。そのあたりについては全て私が許可しよう。これは外交の名を借りた暗殺ではなく寧ろその逆だ。故に今回のターゲット林 培植の死に我々が関与した"証拠"を残さねばならん。つまりこの作戦に於いて君の敵となる人物はいないと言う事だよ。期限は約1週間。やる事さえ終わらせてしまえば、あとは海外旅行だと思って気楽に構えていてくれたまえ」
「・・・」
トリガーから外した人差し指をスライドとフレームの噛み合わせに沿わせて固定して、中指でマグキャッチを押し込みマガジンを抜き取った直後、銃口を下ろしてスライドを引きチャンバー内の弾を手動で排出。
八角形第4ルームに鳴り響く心地よくも攻撃的な音色を耳にセーフティ兼デコッキングレバーを下げてハンマーを落とし、一課職員に連れられ楓はこの場をあとにした。
4192年4月23日、時刻は午前11時。
小さな島国日本と世界各国を物理的に結ぶ国内最大級のエアポートに彼女の姿はあった。
一般市民が長い列を作りながら今や遅しと順番を待つ中、それを横目に予め用意していた偽装データを使い楓は0番ゲートから乗り込みVIPルームへと通される。
シワ1つない漆黒のスーツに身を包み、前髪を後ろに流して結わった気品溢れる姿を見て誰があの賑やかしその人とわかるだろうか?
既に楓は外見から中身に至るまで某国の大統領親衛隊然とした出で立ちだった。
ならばこそ、これから向かう彼の国に対しての警戒心など微塵もない。
今の彼女にしてみれば記憶に基づいた感性に則り"祖国へ帰り、本来の居場所にもどるだけ"なのだから。
決して剥がせぬ化けの皮に身を包み、さらに福祉技研内部の囮り部署、唯一純粋に福祉目的で活動する四課内部で一般市民に紛れた工作員。
それこそが彼女の正体であり、それこそが彼女に淡い恋心を抱くフォシルでさえも知らない真実であった。
日本を発ってから約10分。
未来の技術とその水準に見合った素材を以ってすれば日本海を越えた先、お隣の軍事国家へは30分足らずで行けてしまう。
長いようで短い、短いようで事実短いこの中途半端な時間を使って楓は1人念入りに装備品の確認をしていた。
手元にあるのは某国製の38口径小型拳銃が1丁、各シーンに対応するフォーマルなスーツが上下セットの3着。
記憶から調べ上げた朴 声雅好みの下着に香水、洗剤や化粧品。
そして福祉技研の最終兵器"死の遺伝情報"の試作型ナノマシンが入った小型の注射器。
源以からはコレを使って対象を始末できれば理想だが難しいようであれば射殺しても構わないとの指示も受けている。
複製や生きた人間を用いて日夜様々な実験を行った結果、死の遺伝情報は一定の水準にまで達したが、それでも源以に言わせれば6割弱の出来栄え。
その為、姜 秉熙には林 培植の死因を死神ウィルスだと特定させたら、それ以上の調査をさせずに速やかに処分する事が最重要事項だと伝えている。
楓は、らしからぬ冷酷な目付きで死の遺伝情報をギュッと握りしめてソレを袖の下に隠し、作戦開始のタイミングを待った。
程なくして楓を乗せた便は彼の国に到着、人混み賑わうメインゲートを避け予定通り12番ゲートから降りた彼女を待っていたのは紳士的に深々と頭を下げる姜 秉熙の側近2人組だった。
上司直々の命令でこの場にいる以上、彼らは自らの命に代えてでも楓を政府官邸まで送り届けねばならず、その緊張感が不思議な事に勝手知ったる自国の中にいながら、まるで武器も持たされずに敵陣に放置された捕虜のような雰囲気を醸し出していた。
それに対して普段の楓なら気の利いた言葉ないし、おちょくりの1つでも掛けてくるところだが今の彼女にそんな選択肢はない。
さらに言えば相手が全てを理解しているからこそ何も語らず、何も遠慮せず、何事もなくエケスコートされるまま護送車に乗り込んだ。
そして姜 秉熙が直接サポートできるのはここまで。
その先に待ち受ける責任と対峙するのは絶対の死を具現化した暗躍組織に属する変幻自在の工作員。
その実、年端もいかぬ少女ただ1人に全てがのしかかる。
姜 秉熙の用意した内通者のおかげで無事政府官邸への潜入を成功させた楓はその道を当たり前のように歩き、そのセキュリティを当たり前のようにパスして、次々とすれ違う官僚や同業のSP達にも当たり前のように敬礼する。
その誰もが彼女を朴 声雅本人だと信じて疑いもしない。
こうしてたどり着いた大統領室の前、武装した2人のSPを敬礼とナノマシン情報で騙し厳重な扉を潜った先に林 培植は鎮座していた。
「大佐」
「声雅、昨日はどこへ行っていた?あれからずっと待っていたのだが?」
今回の始末対象に敬礼をして"普段通りに"大佐と声をかけた楓を待っていたのは予想だにしなかった返答だった。
どうやら2人の間では直前まで何かしらの、やりとりがあったようだが"あれから"と言われても楓には当然何の事だか見当もつかない。
そこで朴 声雅が拘束されるまでの記憶と姜 秉熙が用意した都合の良すぎる情報を基に事実と虚偽のシナリオを説明して辻褄を合わせる。
あとは下手に深掘りされてボロが出る前に林 培植の好きそうな話題、戦争経済の話へと流れをチェンジ。
それに対して林 培植は席を立って彼女に歩み寄りながら"戦争に於ける勝者と敗者とは──"から始まる得意のビジネス文句、得意の演説を披露する。
「被害者より加害者の人権が優先される世の中。なぜなら被害者とはイコールで弱者の事であり、その価値観も根本にあるモノは一部の強者達が生み出した不公平な法律だ。だが法律を変える為に動いてもそこには既に別の強者達が作り上げた、また別の法律が存在する・・・法律、法律、法律!吐き気がする!!万人の為の法律なくしてなにが平等だ!これでは何も変わらない・・・いや、変わらないだけならまだしも悪化の一途をたどる事となり、それは今現在も悪い方へと進み続けている!では万人の為の法律とは何か!?それは即ち自由だ!だが本当の自由とは"自由という概念すらも知らない事"だと私は考える。何者にも縛られたくないと思った時点で既に自由という名の鎖に縛り付けられている。それもこれも全ては強者達の法律の中での自由・・・真に世界が求めるモノは"檻の中の自由" ではなく"解き放たれた自由"。何者かが一方的に押さえ込もうとするから争いが起きる。無益な戦争が起きる。だからこそ我々が介入しなければならない。人は私を代理戦争ビジネスマンなどと言うが、そもそもを語れば世界が権力にさえ支配されていなければ私のような人間も不要なのだ。平等でないから、自由でないから、誰も手を差し伸べないから世界は歪んでしまった。その歪みの一部が戦争という形で表面化しているだけなのだ。最早この歪みを取り除く為には法律により押さえ込まれていた全ての歪みを戦争という形で表面化させて鎮める他に手はない!だが戦争を目的の1つとして自らの意思を訴えかけるには遅すぎた・・・戦争が時代に取り残されてしまったのだ。そう考えた時、ある意味で解放者の・・・いや、パン=エンドのやり方は正しいのかも知れない。だが同じゴールを目指していたとしても、そこへたどり着くまでの道順が違えば結果として同じ志を持った者同士が争いを始める事になる。今の世の中は過程を評価してくれるほど余裕があるとは言えない。だからこそ私には一刻の猶予もないのだ。今この瞬間の延長線上に未来があると言うのなら未来の為に今日の屈辱に耐え、敢えて悪名を被り世界中に戦争の火種を撒こう!今を破壊して未来を0から作り直す為の礎として私は最狂最悪の戦争屋として未来永劫悪名を被り続けよう!」
語りを続けながら林 培植は馴れた手つきで背後から楓の首元に手を這わせネクタイを解きシャツのボタンを外し、紳士的でアダルトな雰囲気を演出する。
今回の作戦の肝となる書き換え対象を決定するにあたって、源以が朴 声雅を選んだのには3つの理由があった。
1つは単純に楓と背格好が似ていた事。
1つは彼女が配置されるポジションが他のSP達よりも林 培植に近い場所であった事。
そして最後、それは彼女が氏の愛人の1人である事が挙げられる。
肉体関係のある者同士ならばこそ踏み込める領域を見据えての判断は正しかった。
殺伐とした空気の中で生きる一国の大統領が愛人に求めるモノは癒し。
そんな相手を前にしてわざわざ警戒するハズもなく楓のブラジャーのホックに指を掛けた時、彼女は"大佐" と意味ありげに林 培植を呼んだ。
「今はまだ・・・この日の事は全てを成し得たあとにと思っています」
「・・・お前は"昔から"そういう女だったな。だからこそ唆られるというモノ。では来たるその日まで預けておこう」
始末対象と2人っきりという最高のポジションを確保した楓だがこの日は行動を起こさずに解散。
しかし死の遺伝情報を打ち込むにも事欠かない間合いを取れた事は事実であり、タイミングを見計らいナノマシンリンクでこれを源以に報告。
翌日の早朝。
大統領の護衛にあたるSP達に休みはなく、時刻が午前4時を迎えた頃、怪しまれない程度に人を避けながら同業者と共に政府官邸内外を行ったり来たり。
林 培植の身辺警護に当たりながら最も都合のいいタイミングを狙う。
その最中、細心の注意と様々なイレギュラーを視野に組み立てたプランを何度も何度も確認して何度も何度もイメージする。
その都度福祉技研三課のサーバーにナノマシンリンクを接続、それを介して源以に状況を報告しては指示を仰ぐ。
特別な外部機器を使わずとも通信を可能とするナノマシン技術はまさに秘匿そのもの。
誰に見られていながらも怪しまれず、また誰に聞かれる事もなく楓と源以はプランを仕上げていった。
翌4月25日、時刻は午前10時。
林 培植は予定通り政府専用機で日本に飛び立ち解放者の視察を開始する。
キングサイズのソファーに腰掛け優雅な空の旅路を満喫する氏の隣にいるのはもちろん楓だった。
そして今日という日は対象の体内に死神を潜伏させる、即ち死の遺伝情報を初めて実戦に用いる日でもある。
しかし死の遺伝情報は未だ試験段階という事で今回は任意の発病タイミングをセットして、ラグと致死性を観察事が目的となっている。
だが、この結果次第では源以はすぐにでもコレを実戦配備するとさえ言っており今後の福祉技研のあり方を大きく変える可能性もあった。
故に寸分の狂いも失敗も許されない。
ここで言う失敗とは林 培植暗殺をしくじる事に非ずして死の遺伝情報が不発に終わる事。
また1つ楓の両肩にズシリと重い責任がのしかかる。
「声雅」
「はい大佐」
「日本と言えば社会福祉法人 技能開発研究所を知っているな?」
不意に放たれたその言葉に楓の体は硬直した。
タイミングを考えれば林 培植の口から福祉技研の名が出るのは自然かも知れないが、その工作員である彼女にとってはまさに度肝を抜かれるような衝撃だった。
一瞬眉間にシワを寄せ表情を強張らせるが、そこは楓も大したモノ。
すぐに平常心を取りもどし"存じております"とだけ述べると何事もなく林 培植に向き直る。
「これはあくまで外部からの情報だが、どうやら彼の組織が私の暗殺を目論んでいるとの話を小耳に挟んでな。しかも丁寧にその主犯格が姜 秉熙であるとも添えてだ」
「姜国務総理が?なぜそのような事を」
「差し詰め小心者の化け狸が尻尾を出したという事だろう。だが今さら福祉技研が動いたところでもう遅い。5月1日まで私が生きていようが事故死に見せかけて暗殺しようが世界は既に革命の引き金に指を掛けている。どちらにせよ近い将来、必ずや戦争革命は起こるだろう」
「・・・」
同日、林 培植の飛び立った某国の観光名所では、汗水流してせっせと働く営業マン達の苦労を肴に1人呑気に酒を飲み、目で見て美味いとわかるアメ色の豚足を次々頬張るイケメンのナノマシンに"CALL:OS"から呼び出しが掛かる。
「聞こえるかね景勝君」
「しょ、んん!!・・・失礼しました」
「せっかくのバカンス中すまないが湊君から緊急の連絡が入った。どうやらこちらの動きが対象に感付かれたらしい」
「っ!?まさか楓が──」
「そうではない。事もあろうに姜 秉熙側の不手際により我々の存在をリークする者が現れてしまってね。そこで私はコレを姜 秉熙側の契約不履行とみなし予定通り独自の調査に基づく情報を根拠に報復を実行する。それに伴いプラン内容を変更、これ以上湊君を対象の側に置いておくのは危険と判断して4月27日に予定していた林 培植の暗殺時期を本日4月25日、対象が来日してから帰国するまでの間に決行する」
観光客と地元民の織りなす人混みに紛れ、ほろ酔い気分だった景勝の表情が一気に鋭さを増す。
豚足を摘んでいた手を止め、飲みかけの酒をテーブルに置くとナノマシンを急速活性化、体内を駆け巡るアルコールの高速分解を開始。
そしてジャケットの下に隠し持っている兵役時代からの愛用銃をチラッと確認すると有事の際に備えて覚悟を決めた。
ショートスライドから伸びたフロントサイト付きのロングバレルが第二次世界大戦の名銃を彷彿とさせるオールドルックな麻酔拳銃NonNo−4のマガジンには専用の22口径麻酔針が18発。
さらに予めチャンバーに込められた分も合わせて18+1の19発。
そして予備マガジン3本の計55発。
数々の武功を讃えられたスナイパーにとっては十分すぎる程のフル装備、抜かりはない。
楽しかった擬似バカンスに別れを告げるようにジャケットを翻した景勝は己の使命を全うすべく、その場を立ち去り人混みの中へと消えていった。
時同じくして小さな島国日本に降り立った林 培植は予定通り解放者の動きを偵察しながら着実に戦争革命へのカウントダウンを進めていた。
連れ添いの官僚、SP、そして自国民達に大統領として責任ある行動を示し続ける氏の周辺には最早一片の隙もない。
対して楓は一定の距離こそ保ってはいるものの手の届く範囲には近付こうとすらしない。
だがそれでいい。
なぜなら彼女は既に先の機内で"男と女が無防備になる状況"を作り出して目的を達成していたからだ。
そして時系列は冒頭の"死神ウィルスによる不慮の死" へと続く。
これを発表したのは某国のNo.2にして今回の黒幕、国務総理の姜 秉熙に他ならず今この瞬間、日本と某国と福祉技研による密約は遂行された。
しかしまだ終わりではない。
本人の意思とは関係なくとも何者かによってもたらされたイレギュラーにより姜 秉熙は源以との約束を破ってしまっている。
そして今、日付は4月27日の22時。
火種を刈り取った姜 秉熙が政府官邸の自室、そのバルコニーで薄暗く灰色がかった月を見上げて悠々くつろいでいる中、周囲の影と一体化して闇夜に溶け込んだ景勝の銃口がその眉間を捉えた。
いつのまにか吐く息さえも白さを失い、今日という日が春宵である事を主張する優しい夜風が吹き抜けるが姜 秉熙が明日の朝日を拝む事はない。
刹那、22口径の薬莢に封入された超高圧ガスがパシュッ!と短くキレの良い音を立て麻酔針を発射。
この時代の麻酔とは麻薬で神経を麻痺させ眠らせるモノではなく、特殊なナノマシンを対象のナノマシンと結合させてソレを鎮静無効化、擬似的な気絶に追いやるモノの事を言う。
その状態で稼働するナノマシンと言えば精々環境汚染に対する抵抗を示す程度で、当然それ以上のダメージには効果を発揮しない。
速効性の麻酔で姜 秉熙が落ちた事を確認した景勝は42世紀の科学技術(この場合は磁力と負圧を用いた災害救助用の小型吸着装置)を駆使して垂直の壁を音もなく走破、瞬く間にバルコニーへと到達。
心地よい夜風が景勝の襟足をサラサラと撫でる中、クールで切れ長な目が冷酷な輝きを放ちターゲットをそこに映し出す。
慣れた手つきで姜 秉熙を背後から抱え、バルコニーから薄暗い地上を見下ろして絶好のタイミングを確認するや否や、間髪入れずその無抵抗な体を滑らせるように自然な体勢で突き落とした。
まもなくして冷たく渇いた石畳みに叩きつけられ悉く流れ出る鮮血で大地を潤す国務総理の姿を発見、ようやく異変に気付いたSP達が駆け付けるも時既に遅し。
しかし死因を調べればナノマシンが機能していなかった事などすぐにわかってしまうのだが、敢えてこれが事故に見せかけた他殺である事を感付かせるところに福祉技研側からのメッセージ、姿の見えぬ今回の情報提供者に対する警告の意味が込められていた。
その後、当然と言うべきか大統領と国務総理を立て続けに失ったダメージで某国の政治は秩序を失い暴走。
次期大統領の座を狙い戦争革命を推し進める者然り、別の角度からその座を狙うべく反戦と軍事力の衰退を推し進める者然り、果てにはそのどちらとも違う新たな主張を推し進める者達によって繰り広げられる不毛の争いにより某国の政治体制は音を立てて崩壊した。
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・・・・・・・・・
「う〜ん・・・まさかこんな事になるなんて思ってもなかったよ。やっぱり福祉技研のやる事は普通じゃないね」
「こんな事?まさか彼の国の大統領と国務総理が死んだというこの話、福祉技研とは別にお前が手を出していたのか"久遠"?だとしたらなぜこんな事をした?」
「なぜ?ん〜・・・なんか・・・放っておけなかったからかな?あの林 培植って人をさ・・・ベクトルはどうあれ頑張ってる人を見ると、なんか助けたくなっちゃうんだよね?」
「・・・勝手な事をするな!」
「そんなっ・・・怒らないでよ!!」
「お前は遊びのつもりだろうが人の人生とは限られている。その中で生まれてきた意味、生きる意味を見つけ、己が何者であるかを知った者が、己の意思で何かを成し遂げようとする。その意思を一方的に奪う事は決して許される事ではない」
「ふ〜ん。人って難しいね。でも"一方的じゃなくなったら"いつもみたいに介入するんでしょ?あれ・・・ねぇ・・・聞いてんの?ちょっと!無視しないでよパン=エンド!!」