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砂塵の王  作者: 秋山 和
万雷地を灼く

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222/222

4

「皆を守るためだからって、事を荒立てるのは良くなかったですね」


 咎める表情で、少女が見つめてくる。


 それは自分でもよく分かっていたことだった。


 彼女はうなだれると、少女、シアに小さな声で詫びる。


「まあ、そう言うな、シア。あの時は、ああでもしなければ収まらなかっただろう」


 壮年の男、ウァナギムが右手を上げながら言った。


「でも、あのせいで大きな騒ぎになったじゃないですか。ただでさえ私たちは信用されていないんですよ。乱暴なことをしたら、もっと印象が悪くなってしまいます」


 ウルスの地において、聖王教徒の立場は弱い。巨人王の教えや光翼の教え、その他様々な教えを信じる人々は、聖王教徒を敬遠し、土地によっては迫害している。この町でも、彼らを見る目は冷たく、何らかの切っ掛けによってそれが迫害に繋がる恐れがあった。


 今回の騒動も、聖王教徒への理不尽な扱いが切っ掛けだ。あの時、頭に血が上っていたという自覚はあり、感情に身を任せてしまったことを後悔していた。


「あやまることなんてないわぁ。あんな奴、ぶん殴ってやればよかったのよ」


 つまらなさそうな顔で長椅子に寝転んでいた女が言った。


「月瞳の君までそんな……、馬鹿なこと言わないでください。もし暴力を振るったらどうなったか。考えるだけでぞっとします」


 シアが眉根を寄せると月瞳の君を睨む。月瞳の君は起き上がると、ひらひらと右手を振った。


「大丈夫。何かあったら逃げ出したらいいのよ。私が守ってあげるわ」

「そんなの駄目ですよ。他の信徒たちに迷惑がかかるじゃないですか」


 大きく目を見開いて抗議するシアを見て、月瞳の君は笑みを浮かべた。


「あんたも本当はぶん殴りたかったんじゃないの? この()が怒った時に、嬉しそうにしてたじゃない」

「そんな訳ありませんよ。まあ、啖呵を切ったのは格好良かったですけど……」


 呟くように言うと、シアはうつむく。


「確かに穏便に済ませることは大事だろう。だが、時には声を上げることも必要だ。人は、物言わぬ路傍の石には気付かぬものだからな。そして、いざという時には、蜂の一刺しも必要になるかもしれん」


 ウァナギムの言葉を聞いて、シアは顔を上げた。


「声を上げることは必要かもしれません。だけど、やっぱり乱暴なことはよくないと思います。争いで人を納得させることは出来ないと思うから……」

「あんたは本当にお人好しねぇ。納得させるよりも、屈服させるほうが早いのよ。世の中のほとんどの人間は、そんなに気が長くないわ」


 月瞳の君は肩をすくめると言った。ウァナギムが微かに頷く。三人のやり取りを見て、彼女は口を開きかけたが閉じた。


 シアは頭を振ると、皆の顔を見回す。


「『剣は論よりも沈黙を欲する』。叩きのめして、ねじ伏せてしまう方が楽なことは分かってます。だけど、それは救いの道じゃないんです。慈愛と調和を実践して、説いていくことで、人は救われる。それを地道に続けて行けば、きっと、いつか分かってもらえる日が来ると思うんです」


 彼女は思わず手を伸ばすと、シアの手に触れた。シアは彼女に見つめる。そして、微笑むと、言った……。





 ユハは、自分の名を呼ばれたような気がして顔を上げた。意識が覚醒する。 


 どうやら眠りに落ちかけていたらしい。


 昼間の不快な暑さに耐えかねて、長椅子に横たわって休んでいたことを思い出す。


「ユハ……」


 部屋を覗き込んだシェリウは、ユハの様子を見て言った。


「ああ、ごめん、寝てたんだね」

「大丈夫、少しうとうとしてただけだから」


 ユハは応えると、起き上がって長椅子に座り直す。


「疲れてるのよ。少し休まないと」


 小さく嘆息すると、シェリウは部屋に入った。その手は小さな盆を持っていた。


 ユハたちは今、カドラヒが借りてくれた屋敷で施療を行っている。ユハたちの治療は評判を呼び、救いを求める大勢の人々が日々訪れていた。リドゥワの外でならばともかく、リドゥワの中では路上で施療するというわけにはいかなくなったのだ。そこで、カドラヒが手ごろな屋敷を見繕ってくれていた。


 並の癒し手は傷や病の治癒に数日かかることも多く、一日に四、五回と癒しの技を使えば疲労困憊してしまう。それだけに大きな怪我や重い病を一度で癒すユハの力が際立つのだが、彼女とて疲れ知らずではない。ユハへ患者が集中することを避けるために、他の癒し手や医術による治療で分担していたが、それでも疲労は蓄積していたようだ。


「そうだね。ちょっと疲れてるのかも」


 頷いたユハは、大きく息を吸い込む。


「とりあえずこれ食べてゆっくりして」


 シェリウは、ユハの前に盆を置いた。盆の上には、茶と、小さな菓子が幾つも盛られた皿がのっている。


「ユハに食べてほしいって、隣町のお菓子屋さんが差し入れてくれたんだよ」


 目を見開くユハに、シェリウが微笑んだ。


 小麦に砂糖と乾果(ドライフルーツ)を加えて作った菓子で、この貧しい町では中々お目に懸かれないものだ。


 最近ではユハたちの活動は他の街でも知られるようになっており、こうやってささやかな贈り物や手助けを受けることも増えてきた。自分たちの活動が実を結び始めたのだと実感できて、ユハは喜びを感じている。


「皆も休んでいるから、ユハもゆっくりしていてね」

「ありがとう」


 礼を言うユハにシェリウは手を振って部屋を出て行った。


 ユハは小さく息を吐いた後、茶を飲む。そして菓子に手を伸ばした。  


 疲れがたまっている時に食べる菓子というのは、本当に体に染み込んでいくような美味しさを感じる。一つ二つと摘まんでいくうちに手が止まらなくなり、我に返った時には半分は消え失せていた。後悔するが、時を戻せるはずもない。修道院では甘い菓子を食べることは滅多になく、ここまでの旅路で、すっかり甘味の虜になってしまった。悪徳を覚えてしまったように思えて、ユハは後ろめたいのだった。


「ユハ、休んでるのにごめん」


 突然、そう言ってシェリウが顔をのぞかせた。 


「何?」


 ユハは慌てて居ずまいを正す。シェリウは怪訝な表情を浮かべたが、言葉を続けた。


「今、ナフーヌさんが来てるんだ」

「ナフーヌさんが?」


 意外に思ったユハは、思わず聞き返す。


 聖王教会の僧侶であるナフーヌは、なぜかユハたちの活動を度々手伝ってくれている。初めは警戒していたシェリウも、今では聖典や教典の解釈で盛んに議論を交わすくらいには親しくなっていた。


 当然ながら、本来の僧としての務めがあるため、常に共にいるわけではない。つい先日にも手伝ってくれたばかりで、しばらくは来れないだろうと思っていたために、彼の訪問は意外だった。


「それが、一緒に連れてきてる人がいて……。ユハに会わせたいんだって」


 そう言ったシェリウの表情は困惑しているように見える。


「どんな人?」

「女の人なんだけど……、多分、山の手の人ね」


 リドゥワは、港や運河に面した土地からなだらかに高くなっていく。この高台の土地は富裕な市民や官僚の暮らす高級住宅地であり、低い土地に暮らす人々はその地域を山の手と呼んでいた。


「そう……。分かった。すぐ行くね」


 ユハは立ち上がると身支度を整える。ナフーヌが直々に連れて来た人だ。会わないわけにはいかないだろう。


 応接室でユハを待っていたのは、おそらく三十代半ばであろう、ウルス人女性だった。肩から掛けた、色鮮やかで精緻な刺繍で彩られた飾り帯。仕立ての良い絹の服。この町にはそぐわないその身なりから、シェリウの言う通り富裕な家の人間だと分かる。


「ユハ、突然訪問して申し訳ありません」


 ナフーヌは、立ち上がるとユハに一礼する。女はユハの顔を見て少し驚いた様子だったが、慌てて立ち上がると同じように一礼した。良家の子女らしい、丁寧な所作だ。ユハと傍らのシェリウも礼を返す。


「この方はマンナ・イシュデ・キシン様です」

「初めましてユハ様」


 強張った表情のマンナは、ひどく憔悴しているように見えた。何らかの切っ掛けで倒れてしまいかねない。ユハはそう思った。


「初めましてマンナ様。随分お疲れのようですね」

「ええ、まあ……」


 挨拶の後の唐突な問いに、マンナは戸惑ったようだったが、ユハは構わずに彼女に近付く。


「失礼します」


 言いながら、ユハはマンナの手を取った。持ち上げた彼女の右手の甲に、己の左手をそっと添える。


 思った通り、マンナの全身を巡る生命の力は乱れ、滞っていた。精神と肉体が疲労している時に起きる不均衡が原因だ。ユハは微かに念を凝らすと、聖句を呟いた。力の経路を開き、己の力をマンナへと送る。


 マンナは驚きの表情を浮かべてユハを見た。


「お疲れのようなので、少し力を送りました。楽になればいいのですが」

「……やはり、ナフーヌ様の仰ったことは本当だったのですね」


 そう言って、マンナはナフーヌを見やる。ナフーヌは微笑と共に頷いた。


「どういうことですか?」


 ユハの問いに、ナフーヌは答える。


「ナンヌ様の苦境を救えるのはユハしかいないと思ったのですよ」

「苦境ですか」

「はい。ユハ様には、お願いがあってここに参ったのです」


 マンナはそう言ってユハを見詰めた。


 病に苦しむ夫を癒してほしい。


 マンナはここに来た理由をそう語った。


 彼女の夫イムタルムが、一か月前から病に侵されているという。高熱が下がらず、日々衰弱していき、起き上がることもできない。家族はただ、見守ることしかできない状況だった。


「どうしてここに? リドゥワにはいくらでも評判のいい癒し手や医師はいるのでは?」


 シェリウが問う。 


「高名な癒し手や医師の方々に依頼したのですが、駄目でした。教会の方々でさえも、原因が分からないと仰って……」


 マンナは目を伏せると、嘆息する。そして、ナフーヌを横目で見ると言葉を続けた。


「恥ずかしながら、教会で取り乱していたところをナフーヌ様に声をかけていただいたのです」


 この状況に既視感を抱いたユハは、疑念と共にマンナを見詰めた。しかし、ユハの目に映るのは、夫の病に心を痛め、疲れ果てた一人の女性だ。そこに、何の邪念も感じられない。


「お話を聞いて、あなたなら癒せると思ったのですよ」


 ナフーヌが身を乗り出すと言葉を継いだ。ユハは思わず手を振る。


「そんな、買い被りすぎです」

「いえ、ユハならば癒せる。私はそう思っています。……病を癒すにはまず、何が原因なのかを見極めることが大事です。原因が分からなければ、その力をどこに注ぎこめば良いのか分からず、霧散してしまうでしょう。ユハ、あなたの癒しの力は、その“観る”が素晴らしい。あなたは正確に患核を観て感じることによって、その力を無駄にせず、患者に注ぎ込むことができる。そして何より、己の力をも観ることで、精緻な癒しの技を発揮することができるのだと思います」


 ナフーヌの言葉に、シェリウが小さく頷いた。彼の言うことは自分自身でも心がけていることだったので、それが理解されていることにユハは喜びを覚える。


「過分な評価をしていただいて光栄です」

「いえ、これは冷静な分析ですよ。恥を忍んで告白しますが、イムタルム様の病が何なのか、私にも分かりませんでした。私はまだまだ未熟だと、思い知らされましたよ」


 嘆息と共にナフーヌが答える。 


「病ではなく、悪霊や呪詛の力だとは考えられませんか?」


 シェリウの問いに、ナフーヌが頭を振った。


「祓魔師も、まじない師も、何も観えなかったのです。おそらく、まだ知られていない奇病に違いありません。……ユハ、あなたならばきっと、病の患核を突き止め、癒すことができるはずです」

「お願いしますユハ様。どうか、夫を助けてください」


 見つめるナフーヌの隣で、マンナがすがるような表情で手を組み、頭を下げた。


 ユハはすぐには答えなかった。しばしの沈黙の後、おもむろに口を開く。


「大変な状況でお待たせするのは大変心苦しいのですが、これからの施療の予定などもありますので、今日は決めることができないのです。お返事は後日でも良いでしょうか。もちろん、出来るだけ早くお答えします」

「そうですか……」


 口を開いマンナは、失望の表情を隠しきれていない。


「結論が出れば、すぐにお屋敷へ使いを出しますので」

「いえ、私に言伝いただければ]


 ナフーヌの答えにユハは頷いた。


 そして、屋敷の外へ見送りに出たユハへ、ナフーヌが歩み寄った。一礼すると、口を開く。


「人の災いを好機と考えることは不謹慎かもしれませんが……」


 声を落としてナフーヌは言う。


「イシュデ・キシン家はリドゥワの名家です。その当主が患っていた、誰も癒せなかった病を癒したとなれば、その名声はこの町を越えて、リドゥワ全域へ広まるでしょう。そうなれば、あなた方の活動はあらゆる人々に支持されることになる。どうか、前向きに検討してください」

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