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砂塵の王  作者: 秋山 和
彼らは嵐雲をのぞむ

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31

 三重の城壁に守られた、アタミラの中心にある円城。


 その一角に、緑あふれる庭園があった。


 厚い城壁と背の高い建物が並ぶ円城の中で、そこは空が広く開放的な場所だ。官僚や商人、婦人や僧侶など、円城の中にいることを許された様々な人がくつろいでいた。


 円形の庭園の中心には水面に跳び出す翼をもった巨大な魚を模した彫像があり、その口から水が吹き出している。周囲の池には、小さな水鳥たちが羽を休めていた。


 月輪の騎士であるイフラムは、庭園におかれた石造りの長椅子に腰かけて、水鳥たちを眺めている。


「イフラム様、お待たせいたしました」


 己を呼ぶ声に、イフラムは立ち上がった。


「ムアム様」


 前に立つ尼僧に一礼する。尼僧も礼を返した。


「どうぞ、お座りください」


 イフラムの勧めに従い、ムアムは隣の席に腰かける。

「イフラム様、この度は我々の要請に応じていただき感謝します」


 座るや否や、時節の話題といった前置きもなく、単刀直入に切り出した。上流階級の人々の迂遠な会話に慣れているイフラムにとって、彼女の率直さは好ましい。微笑むと、頷く。


「我々としても、すでに関わりがあることです。何しろ、分かたれし子を取り逃がす失態を演じていますからな。今回は名誉挽回をさせてください」

「教会は、建国の頃より月輪の騎士団に守られています。その尽力には感謝してもしきれません」


 ムアムは胸に手を当てると、深々と一礼をする。


 月輪の騎士団は、まだ聖女王が癒し手(イス・シーファ)と呼ばれていた頃に、彼女に帰依したウルス人貴族とその一党が結成した。彼らは、迫害された聖王教徒を守り、やがて“聖戦”において聖女王の戦力の中核となる。


 ウル・ヤークス建国後は、聖女王を守る軍団として王都アタミラに在り、その起源から現在まで、上流階級の子弟が多く入団している。そして、その性質上、聖王教会との関係も深かった。


「聖女王陛下に忠誠を捧げた我らにとって当然のことですよ。それよりも、すぐに動くことができず、申し訳ありません。少人数とはいえ、軍務省には秘密で兵を動かすために手間がかかるもので……」

「勿論、それは理解していますとも。焦る必要は無いと思います。今、分かたれし子はスハイラ将軍の監視下にあります。そう簡単にリドゥワから出ることはないでしょう」

「スハイラ将軍が身柄を主張しているというのも厄介ですな」


 腕組みしたイフラムは唸った。リドゥワに派遣された“修行者”が提出した報告書は、己の眼を疑うような内容だった。分かたれし子を取り巻く状況はあまりに混沌としており、それは欠片の力が引き寄せる運命なのだろうかと思わせる。


「軍務省に報告しているのですか?」

「教会として正式に抗議をしましたが、芳しい返答を得ることはできませんでした。軍務省からの働きかけは、あまり期待できそうにありません」

「スハイラ将軍はイッラニフール家の長女ですし、これまでの軍功を併せて考えれば、軍務省が庇うことも理解できますな」


 ムアムの返答にイフラムは頷いた。イッラニフール家は南部でも名家として知られており、王国中央でも無視できない存在だ。何より、スハイラ将軍自身が北の護りとして華々しい武勲を示してきた。(いち)異端者の身柄をめぐって、教会と将軍、軍務省がどちらの肩を持つかといえば、考えるまでもない。


「月瞳の君が、分かたれし子に味方しているというのも驚きました。あの御方も何を考えているのやら……」

「何しろ猫の精霊ですから、気まぐれが本質なのでしょうね」


 その淡々とした答えに、冗談を言っているのかと思わず彼女の顔を見つめる。しかし、ムアムはいたって真面目な表情だ。


「月瞳の君に関しては、炎瞳の君にお任せすれば良いかと思います」


 ムアムの言葉にイフラムは頷いた。分かたれし子は、腕利きの修行者だった男と優れた魔術の使い手である女に守られている。その上でさらに使徒と戦うことは避けたかった。炎瞳の君が相手してくれるというのならば、安心できるというものだ。


「気掛かりなのは、太守ラアシュが異端の徒であるかもしれぬという報告です。それも、滅びたはずの巨人王の信徒ではないかという、俄かには信じ難い話しだ」


 はるか古代にこの地を支配していた巨人王の教えは、長くウルス人に信奉されてきた。今は聖王教会の教えに塗り替えられているが、その下地には、巨人王の教えが厚く固く積み重ねられている。イフラムもそのことはよく知っている。しかし、それは今やウルス人の古き伝統でしかなく、決して信仰などではない。諸教派の小教派に微かにその痕跡があるとはいえ、純粋な教えが現代にまで伝わっているとは考えもしなかった。


「炎瞳の君がお確かめになったことです。間違いないでしょう」

「……なるほど。それほど確実な言葉はない。そうなれば、国を揺るがす大事(だいじ)ですな」


 イフラムは溜息をつくと小さく頭を振った。


「あの一族は南部において大きな力を持っています。下手につつけば手痛い反撃を喰らうことになるでしょう。確たる証拠がなければ、その疑いすらも口にしてはならない……」


 南部の諸名家は、その伝統と富を背景にして元老院議員や官僚をアタミラに送り込み、影響を及ぼしている。北部出身とはいえ、名家の一員であるイフラムは、その厄介さを良く知っていた。


「スハイラ将軍と太守ラアシュは繋がりがあると思いますか?」


 ムアムの問いに、イフラムは首を傾げた。


「分かりません。ただし、最悪の状況は想定しておくべきです。何しろ二人はともに、南部の名家に属している。以前から誼を結んでいても不思議ではありませんからな。……太守ラアシュは分かたれし子のことを知って、その野望に火がついたのかもしれません」


 あの時分かたれし子から感じた力は、尋常なものではなかった。もし、巨人王の信徒があの力を得れば、恐ろしいことになる。彼ら異教徒が何を望んでいるのかは分からないが、少なくとも聖王教徒が治めるこの国が居心地のいい場所ではないことは確かだろう。


「せめて、あの土地で味方となる有力者がいればいいのですが、バールク司教も頼りにはならないでしょうな」

「お恥ずかしいことですが、リドゥワ教区を頼ることは難しいでしょう……」  


 珍しく歯切れの悪い口振りで、ムアムは目を伏せた。


 リドゥワでおきた騒乱の原因が聖王教会の僧侶であったことは、太守ラアシュの布告によって広く知られることになった。政庁が教会を非難するのは異例のことだ。以前から、リドゥワ教区の良からぬ噂は耳にしていた。味方として頼るには危険な相手だろう。無能な味方は、時に敵よりも恐ろしい。


「以前、分かたれし子を捕らえようとした時に、恐ろしい精霊によって阻まれました」

「はい、それは聞いております。市中でも被害が出たとか……」

「ええ。調査に協力した聖導教団の魔術師によれば、その精霊は光翼教の眷族であろうとのことでした」

「光翼教……。イールム王国の仕業ということですか?」


 目を見開いたムアムは、イフラムを見つめる。


「それを断言することはできませんが」


 イフラムは口の端を歪めると頷いた。


 彷徨(さまよ)える精霊。湧き出す妖魔。そういった強大な超自然の存在が、災害のように人々を襲うことはある。しかし、あの精霊は違った。明確な意志をもって、分かたれし子を狙ったのだ。そこには、召喚した者の意志も反映されていると考えるべきだろう。


 しかし、証拠がない以上、イールム王国を咎めることはできない。


「……つまり、イフラム様は、太守ラアシュの背後にイールム王国の影があるとお考えなのですか?」

「可能性の一つとして、それも頭に入れておくべきです」

「あの時、精霊は分かたれし子の命を狙っていたと聞きました。だとすれば、分かたれし子の身に危機が迫っているということになりますね」


 ムアムは厳しい表情で言う。


「今は全てが推測の積み重ねなので、確かなことは何も言えませんが、スハイラ将軍が分かたれし子の身柄を押さえているということが希望のように思えます」

「将軍が分かたれし子を守っているということですか?」

「報告を読む限り、私はそんな印象を受けました」


 イフラムは、ラアシュとスハイラは手を組んではいないだろうと考えていた。


「そして、太守ラアシュも、分かたれし子を害そうとするつもりはないように思えます」

「だといいのですが……」


 頷いたムアムだったが、その表情は曇ったままだ。


 イフラムは肩をすくめると、おどけた口調で言う。


「いずれにしても、我々からすれば皆 油断ならない顔ぶれです。太守ラアシュ、スハイラ将軍、そして分かたれし子を守る者たち。分かたれし子へたどり着くには、この恐ろしい壁を躱して行かなければならない。知恵を絞らねば、我らも生きては帰れないでしょうな」

「……これは大変失礼を。これから向かうあなた方が最も危険にさらされるというのに、それを失念していました。本当に、私の失態で大変なご迷惑をおかけして申し訳ありません」


 ムアムが頭を下げる。イフラムは手を振ると答えた。


「何を仰いますか。これは、私の失態でもあるのですよ。そもそも、我ら月輪の騎士は、聖女王陛下に命を捧げた身。危険は当然のことです。……しかし、彼らを出し抜き、分かたれし子をすみやかに連れ帰る。これが我ら騎士には中々の難事だ。修行者の邪魔をしないように努めなければなりません。まずは忍び足から教わる必要がありますな」


 そう言ってイフラムは笑った。


「イフラム様……」

「それに、私たちの失態も、全てが悪い方向に流れたとは思っておりません。分かたれし子がリドゥワへ逃れたことで、図らずも王国の闇に蠢く者どもを炙りだすことになった。これはやはり、聖女王陛下のお導きなのでしょう。……ムアム様、あなたが責任を感じておられるように、私も責任を感じています。この聖なる導きに従って、私は命を懸けて務めを果たす所存です」

「あなたは騎士の鑑のようなお方です」


 ムアムの言葉に、イフラムは頭を振る。


「そのお言葉は実に光栄ですが、まずは私の告解を聞いていただけますか?」


 唐突な申し出にムアムは戸惑った様子だ。


「私は怠惰の病を患い、騎士の名誉を汚しました。どうか、この愚か者をお赦しください」

「怠惰……ですか」

「私は朝、出仕するなり正午の珈琲と砂糖菓子を恋しく思い、夕刻になれば何事もなかったことに安堵するような男なのです」

「それは、皆が同じでしょう。あなたは騎士として、危険な任務に就いておられるのです。怠惰とはいえないのでは?」


 イフラムは自嘲の笑みを浮かべると、腰に吊るした剣に触れた。


「王都の秩序を守るために、警備隊と共に卑しき罪人どもを捕らえ、結界の隙間から湧き出る虫のごとき妖魔を狩る。我々月輪の騎士が日々研鑽した武勇をふるうのは、そんな危険とも言えぬような務めだけです。紅旗衣の騎士団や諸軍団のように生死の境に身をおいて、己の技量と信仰と、そして運を試すような場に立つことはないのです」

「月輪の騎士が王都にいるというだけで皆が安心することができます。たとえ戦場に立たなくとも、聖王教徒として立派に役割を果たしておられますよ。皆に信頼される、それは何より名誉なことだと思います」

「はたして、名誉ある騎士として振る舞えているのかどうか……。ただ、聖王教徒として私は、まさしく国の命運を左右する動乱の渦中にいる。そうなれば、これまでの怠惰を悔い、聖なる務めに命を懸ける。そう誓ったのです」


 ムアムは顔をほころばせた。


「平穏を愛していながら、止むに止まれぬ思いで剣をとり、聖女王陛下の下に馳せ参じた。きっと、かつての聖戦士(アータカ)にも、イフラム様と同じようなことを考えていた人がいたでしょうね」

「建国の偉大な戦士たちにあやかれるならば、幸いですな」


 イフラムは己と比較されることにおこがましさを感じながらも答えた。


「今の代は、あの頃とよく似ているように思えます」

「聖戦の頃に? 私は、大いに栄えていると思えますが……」

「アタミラには、家も持たぬ貧しき人々が年々増えています。街の外からも、数多く流れ込んできているのです。街で、それを感じたことはありませんでしたか?」

「確かに、物乞いが増えているようには思います。それに、治安も悪くなっていると聞きましたな……」

「おそらく、他の地方でも似たことが起きているはずです。富める者はますます富み栄え、貧しき者はさらに貧窮する。良くない循環が始まっているように思えます」

「なるほど……」

「人々は皆、天へと届けと、競って塔を建てているのです。その塔はまばゆく輝き、人々を惹きつけて離さない。そして、塔が高くなればなるほど、地に落ちる影は長く、濃くなる。しかし、人々は塔の頂上を仰ぎ見て、己が影に呑み込まれていくことに気付きもしないのです」


 こちらを見つめるムアムの瞳には、強い力が宿っている。それは、憂いと決意の入り混じった光だ。


「無明の代の頃、人々は嘆き、救いを求めていた。そこに、聖女王陛下が降臨されたのです。それは大いなる希望として人々を満たし、導きました。しかし、今、聖女王陛下は深い眠りにつき、その結果、ウル・ヤークスは病を患っています。このままでは、人々の怨嗟の声が満ち、異端の徒が跳梁することになるでしょう」    

「まさしく、聖戦の頃を彷彿とさせますな」


 頷いたムアムは、胸の前で手を組んだ。 


「こんな代だからこそ、聖女王陛下にお戻りいただかなければならないのです。この国のために、そして大いなる信仰のために、どうか、分かたれし子を連れ戻してください」

「お任せください。必ずや、連れ戻します」


 イフラムは立ち上がると、深く一礼した。


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