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砂塵の王  作者: 秋山 和
彼らは嵐雲をのぞむ

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213/222

27

 ユハは、ウシュメルの女の側に座っていた。


 女は、地面に横たわる幼い少年の頭に手を当てて、病を癒している。


 彼女の唱える聖句を聞きながら、その手に己の手を重ね、念を凝らした。女と少年の間で循環する力を感じとり、自分の力を重ねていく。


「そう……、ゆっくりと赤子を抱くように優しく包み込んでください。力を、水が地面に染み込むみたいにゆっくりと広げていくんです。患核を見付けたら、砂の中から麦粒を取り出すみたいに慎重に注ぎ込む……」


 ユハは女の傍らで助言しながら、彼女の力を感じ、観る。ユハ自身の力を干渉させてはならない。それは、彼女のためにならないし、何より癒しの力を乱すことになる。あくまで、その力の流れを観るだけだ。


 水面の波紋のように、彼女から広がる力が伝わって来る。少し早くなった吐息と鼓動を感じ取った。


 少年の体へ、癒しの力が広がっていく。最初は無駄に拡散されていた力は、網となって少年の頭にある患核を包み込んでいった。やがて、癒しの力は患核を縮小させ、消滅させる。苦しげに歪んでいた少年の表情が穏やかになった。


「すごい、出来ましたね!」


 大きく息を吐いた女に、ユハは笑いかけた。


「少し……分かった気がする。ありがとう」


 頬を赤らめた女は、潤んだ瞳でユハを見る。


「きっと、まだまだ上手に力が使えるようになると思います。今の感覚を覚えていてくださいね」

「そうね。今の感覚……、忘れないようにするわ」


 女はユハを見て、己の手を見た。


「ユハ、まだ汚れている」

「うん……、ありがとう」


 どこか怒っているような、素っ気ない口調のシェリウが、手拭いでユハのこめかみの血糊をふき取った。お湯で濡らした布の温かさと、口調とは裏腹の優しい手つきが心地よい。


「ユハさん! こっちに来てくれ!」

「はい!」


 マムドゥマ村から来た男の呼び声に、ユハは答えると素早く立ち上がった。


 彼は、マムドゥマ村で薬師見習いであり、ウシュメルの女は、まじない師パニトゥの弟子だ。二人とも、彼らは、ユハやシェリウに付いて学びたいと申し出てて、ユハたちに同行している。そんな人たちが他にも集まり、今やユハたち一行は十人以上に増えてしまった。


 カドラヒから援助を受けているとはいえ、儲かりもしないこの仕事に人が集まったことはユハを困惑させたが、今では彼らは無くてはならない仲間だ。


 癒しの技は、術者の持つ力によって左右される。それは、体の大きさや強さのように、生来のものであろうとユハは考えている。ある程度は鍛えることができても、人によって上下があり、限界がある。


 しかし、癒しの技は力自慢が全てではない。それは、灌漑に水の流すことにも似ていて、大量の水を一度に流しても全てには行き渡らない。溜池に水を貯め、適切な量を計って水門を開き、幾つもの水路へ水を送り込む。端から端まで水を行き渡らさなければ意味がないのだ。力の出し方を制御したり、人体や病の知識を持つことで、怪我や病を効率よく癒すことができる。


 ユハは、これまでの経験をもとに、他の癒し手ににその技を教えている。


 ユハの癒しの力は無限に湧き出るわけではない。疲労は蓄積していくし、集中力を失って失敗をするかもしれない。そのまま無茶をして限界以上の力を使おうとしたり、意識を失えば欠片の影響力が増すかもしれない。他にも癒し手が来てくれたおかげで、その危険を減らすことができる。


 そして、人が増えればさらに効率的に人々を施療することができる。ユハとシェリウは、修道院で学んだことを基に、その都度手順と役割を決めて施療を行っていた。


 意外だったのは、ここまでユハたちに同行している第二軍の兵士も、いつの間にか手伝うようになっていたことだ。


「ある意味ここも戦場のようなものだからな。部隊に戻った時、ここでの経験は役に立つ」


 彼はそう言って笑う。


 その返答にどう答えていいものか、ユハは戸惑ったが、力を貸してくれるのはありがたいことだった。


 こうやって色々な人々が加わってくれたことで、思いついたこともある。ユハとシェリウが自分の技や知識を伝え、今、共に活動している仲間たちが輪を広げていく。そして、いつか自分たちがリドゥワを去った後も諸教派の人々が互いに繋がり、教会の救済が及ばない人たちが助け合う仕組みができたら良いと思ったのだ。シェリウもこの考えに賛成してくれて、幾つもの提案をしてくれていた。


 こうして、リドゥワやその近郊を施療のために駆け回り、毎日が忙しく過ぎていく。


 仲間たちと奉仕活動に専念する日々は、修道院の暮らしを思い出させる。様々な場所に行き、色々な人々に会えることも楽しい。


 だが、ここがラアシュのお膝元であることに変わりはない。


 元々、リドゥワという街は人の出入りに厳しくないが、自分たちが再び戻った時も、何事もなく城門をくぐることができた。


 街から逃れた自分たちが戻ることで、ラアシュが再び追手を差し向けるのか、不安もあったが、今のところ何もない。


 スハイラは自分を餌にしてラアシュの動向を窺っている。ユハも、そのことを受け入れてこの活動に臨んでいた。スハイラは、ユハがリドゥワに戻ることで何かが起きることを期待していたようだったが、それも肩すかしに終わったようだ。


 ユハは、何事も起きなかったことに安堵したが、一方で、曖昧な状況に不安も覚えていた。今の自分はスハイラの庇護のもとにいるが、一方で虜囚の身であるともいえる。今の自分は、釣り糸に繋がれて、水面を必死に泳いでいるようなものだ。しかし、釣り糸の先には第二軍がいるのだから、カドラヒの言葉を借りれば“悪くない取引”ということになる。


 少なくとも、アタミラのナタヴ邸にいた頃のような、無為な日々ではない。今はただ、目の前の人々を救うだけだ。


「なあ、あんたら……」


 皆が忙しく駆け回っている中、指示を出しているシェリウにおずおずと声をかけてくる者たちがいた。周りで見ていた若者たちだ。


「なんでしょうか」


 シェリウの問いに、一人が進み出て言う。 


「何か手伝いたいんだ。俺たちにできることはあるかい?」

「でしたら、水汲みを手伝ってもらえますか」

「分かった。まかせてくれ」


 若者たちは、シェリウの言葉に大きく頷く。


「助かります! ありがとう!」


 ユハは嬉しくて、思わず大きな声で礼を言った。若者たちは驚いた様子だったが、照れたような表情ですぐに仕事に取り掛かる。


 こうやって、人の善意に触れることで、疲れも吹き飛ぶ。


 ユハは笑みを浮かべると、己の仕事に戻った。 

  



 いつの間にか、聖堂の前に多くの人々が集まっていた。


 ユハたちの施療を見世物代わりに見物する人々も多いが、若者たちのように手伝う人々も増えている。


 ラハトは、少し離れた場所からユハたちを、そして町の様子を見ていた。そんなラハトの隣に、屋根の上から月瞳の君が音もなく降り立つ。


「ラハト、変な奴らがいるわねぇ」

「そうだな」


 月瞳の君が指差したのは、僧侶とそれに従う侍僧だ。


 施療の最中、正教派僧侶の一団がアシャン達を見ていた。諸教派の祭りの時に、シェリウと対決した僧たちを思い出して警戒したが、彼らは、あの時の僧侶とは関係が無いようだ。彼らの表情は、無関心か、汚いものを見るようなものだった。


 しかし、その僧侶の一団の中で、彼ら二人だけが残り、施療を、正確には、ユハだけをじっと見ている。ラハトは、これまでの観察から、彼らの印象を口にした。


「敵意は無いように見える」

「嫌な匂いはしないから、襲うことは無いでしょうね」


 ラハトの言葉に、月瞳の君は頷く。


「あんたの鼻は信用できる」

「嬉しい事言ってくれるじゃない」


 ニヤリと笑みを浮かべた月瞳の君は、僧侶たちを見て、ラハトを見た。


「どうするつもり?」


 月瞳の君の問いに、ラハトはすぐには答えない。少なくとも、直近の危険はなさそうだ。ただ、何を考えてユハを見ているのか分からない。ここまでの様子を見ていると、ユハの姿に魅入られているようにも見える。僧侶の抱いている感情が良い結果をもたらすのか悪い結果をもたらすのか、ラハトには判断がつかなかった。


「様子を見よう」

「つまんないこと言うわねぇ。ちょっと声かけてくるわ」


 おもむろに答えたラハトを一瞥した月瞳の君は、溜息をついてひらひらと手を振った。


「おい、何を考えてる」

「面白そうだから。どんな奴なのか、興味があるじゃない。……私の鼻、信用してくれるんでしょう?」


 自分の鼻を指差した月瞳の君を見て、ラハトは小さく頷く。


「ああ」

「決まりね。それじゃあ、確かめに行きますか」


 含み笑いと共に、月瞳の君が歩き出した。




「僧侶様、私どもに何かご用ですかぁ?」


 突然、背後から声をかけられて、侍僧が悲鳴にも似た短い驚きの声を上げる。


 振り返れば、背後に顔の整った一人の青年が、その隣にはニヤニヤと笑みを浮かべた女が立っていた。


「あなた方は、あの癒し手のお知り合いですか?」


 数瞬遅れて女の問いかけが頭に入ってきたナフーヌは、思わず二人に向き直る。


「使用人だ」


 男が簡潔に答えた。ナフーヌは目の前の男女二人を見やり、頷く。


「そうか、使用人……。すまない、どうか、あの方と話をさせてもらえないだろうか」


 ナフーヌはユハを指差した。


「主にどのようなご用件で?」


 問いかける女の笑みは、どこかからかっているように感じる。しかし、そんな違和感をねじ伏せて、ナフーヌは言った。


「私は、聖王教会の僧侶として、癒しの技を修めている。同じ癒し手として、あの方の癒しの技に感銘を受けたのだ。それに、あなた方のやり方には、教会の教えを感じられる。是非とも、そのことについてお話を伺いたい」


 ナフーヌは、勢い込んで言った。


「ああ、そうですかぁ。お察しの通り、我が主は、教会の教えを学びました。あなたのような信仰に篤い方にそう仰っていだたけるとは、喜ぶことでしょう。どうぞ、ご案内いたします」


 使用人の女は満面の笑みを浮かべ、芝居がかってはいるが優雅な所作でナフーヌを招いた。


 施療に訪れた者たちは、施療が終わった後、町の人々によって差し入れられたねぎらいのお茶や食事をとって休んでいる。


「ユハ、客人だ」


 使用人の男が告げる。茶を飲んでいた碧眼の娘が、驚いた表情でこちらを見た。使用人の女がナフーヌを手で示す。


「ご主人様、この方が、ユハとお話ししたいそうです」


 驚く碧眼の娘の傍らで、どういうわけか、栗色の髪の娘が使用人二人を睨み付けていた。


「初めまして。私はナフーヌと申します。ご覧の通り、聖なる教えを修める者です」


 進み出たナフーヌは、一礼した。


「ありがとうございます。私はユハ。こちらはシェリウ」


 慌てた様子で立ち上がった碧眼の娘は礼を返した。栗色の娘も一礼する。ユハたちの所作から、僧侶特有の雰囲気を感じ取れた。使用人が二人も仕えていることを考えると、僧侶に教育を受けた良家の子女なのだろう。


「ナフーヌさんはどうしてこの町に?」


 そう聞いてきたシェリウという少女は、こちらを警戒しているように感じた。


「この町には救貧院がないので、教会として施しをしていたのです」

「素晴らしいですね」


 ユハが感心したように言った。澄んだ碧い瞳に見つめられて、後ろめたい気持ちから思わず目を伏せる。


「ご覧のように、私たちも、貧しい人たちへ施療を行っています。教会の方から見れば、ちっぽけな活動だとは思いますが……」 

「そんなことはない!」


 ナフーヌは、思わず声を上げた。


「あなたの癒しの技は素晴らしい。あの、繊細かつ力強い技は、才能と共に、たゆまぬ努力が無ければ為し得ないものだ。そして、共に働く皆さんのあのやり方は、教会のものでしょう。きちんと手順に従い、乱れが無かった。皆、息が合い、己の役割を弁えていて、素晴らしい。優れた指導と訓練の賜物ですよ。きっと、お二人は徳と学識に優れた良い師について学ばれたのだと思う。本来ならば使用人にかしずかれて、何不自由にない暮らしを過ごせるはずなのに、あえてこのような苦難の道を歩まれるあなた方は称賛に値する」


 ナフーヌはまくし立てるように言う。ユハが驚き、困惑した表情を浮かべた。何かを言おうと口を開いた時、傍らのシェリウが身を乗り出すと、拝むように両手を握る。


「ナフーヌ様のような信仰篤き方に褒めていただいて光栄です! きっと、私たちの師も喜んでいると思います!」

「ええ、『美しき畑はその持ち主を顕す』。あなた方を見ていれば、その師も素晴らしいことがよく分かります。それで、他にも施療をしているお仲間がいるのですか?」

「いいえ、私たちだけです」


 ユハは、ナフーヌの問いに頭を振ると、自分たちの活動についてナフーヌに語り始めた。有志たちの援助によって、リドゥワ市内だけでなく、郊外の村々、そして葦原の国(ショナ・ウルク)まで回っているという。


「癒しの技だけでは限界があるので、薬草なども使って出来るだけ広く、長く施療できたらいいなと考えているんです。色々な人たちに助けてもらって気付いたのが、私たちの知識は浅く限られた物だったということですね。在野の人たちの知識に助けられることも多くて、とても勉強になります」


 そう語るユハの表情は明るく、楽しげだ。傍らのシェリウも頷くと、沼地のカザラ(ニヴドカザラ)に教わった薬草や、海沿いに暮らす人々から教わった海藻や貝などの効能を語り始めた。少しは薬草の知識があるナフーヌも知らなかった効能だ。


「それに、リドゥワでは、その……、諸教派の人たちに救いの手が届きにくいと思うので、皆が互いに助け合っていけるような仕組みを作ろうと考えているんです」


 これこそが、救済の在るべき姿だ。このうら若き二人の少女が、僧侶であるはずの自分よりも人々に尽くしている。ナフーヌはその事実に打ちのめされた。


「私たちのやっていることは小さな規模ですが、諸教派の人たちだけでなく、その他の貧しい人たちの力になれば、教会の活動を補っていけるはずです。そうすれば、きっとリドゥワはもっと良くなると思うんです」

「ユハ……、あなたは素晴らしい」


 ユハの笑顔を見て、ナフーヌは呟くように言った。

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