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31.問.幼馴染の気持ちに気付いたら?

「ほ、本当にどうしたんだよ?」


「……」


 黙ったまま泪を流すアイルを見て立ち尽くした。

 なんで泣いてるんだ。なんで俺を呼び止めた。俺はどうすればいい。

 思考が停止した脳のブレーカーを無理矢理上げて黙考する。──だがわからない。

 きっとわからなくて当たり前だ。幼馴染だからいろいろ理解できるなんてのは思い上がった慢心的な考えに違いない。ただ時間という不可逆的なものを長く一緒に過ごしてきただけの関係なんだから。

 いや、でも本当にそうなのか? 俺は小さい時からアイルの何を見て接してきたんだ。

 

 彼女の鼻を啜る微かな音だけが無情にも響く。

 なにか声を掛けなければと焦燥感に駆られるが、やはりなにも言葉は浮かんではこない。

 アイルは白い華奢な細腕でこぼれ落ちそうな泪を拭った。


「ごめん。何でもない。大丈夫だから帰っていいよ」


 この状況でそんなこと言っても無理がある事くらいわかるだろ。それに帰れと言われて、本当に帰って良かった(ためし)が一度もない。

 ここは一つ、男空渡星斗──断固拒否する!


「嫌だ。ここにいる」

 

「いいって、もう大丈夫だから……」


 アイルはそう言って再び俯いた。

 理由も何もわからない。どうせこの様子だとしつこく聞いた所で何も言わないだろう。

 俺がそうだったからわかる。

 落ち込んでいる時、悲しい時にその根源となる事象を解き明かされることを人は酷く嫌がるのだ。

 それはプライドでもあり、思いやりでもある。


 中学の時、親友だと思っていた奴に裏切られ、落ち込んでいた時期があった。

 アイルは何か探るように理由をしつこく尋ねてきたが、あの時の俺はただただ邪険に扱った。

 理由を知って、心配されること、同情されることに罪悪感にも似た想いがあったからだ。

 言わないのなら聞かないのがベストアンサー。

 閉ざされた扉を無理矢理開けた所で壊れてしまうのがオチだからな。

 

「そうか、わかった。俺は理由は聞かないし、気にしないことにする。それにお前が帰れともう一回言ったら素直に帰る。だけどさっき帰らないでって言っただろ? それが本心から出た言葉なら俺は黙ってここにいるよ。お前が落ち着くまでな」


「ごめんね……」


 哀切じみた小さい声でポツリとアイルは言った。

 手を引きソファに座らせると俺もアイルの横に座る。握りこぶし四つ分の間隔を空けて。

 ちらりと横を見ると未だに彼女の頬には雫が伝わっていた。


 俺はそんなアイルを見ながら再び考える。

 今日水ノ下と何かあったことは間違いない。それに一昨日アイルを助けた日から様子がおかしい。

 どうおかしいか? 抱きしめてきたり、弁当を作ってきたり、一緒に登校したいと言い出したり……。

 

 なんかこれじゃあ……そう、好きな人にやる好意的な行動じゃないか。

 アイルは俺のことが──好き? なのか?

 いやでも好きな奴に恋愛協力なんて頼むか普通? それに今まで散々ツンツンして俺を貶してきたんだ。

 大体俺を好きだとして水ノ下となんかある訳でもないだろ。

 そう、だからこれは錯誤だ。きっと俺の妖精並みにピュアな心がもたらした弊害だ。


 アイルは芸能人で超絶なイケメンと接する機会も多いわけだし、俺の事を好きな訳がない。自意識過剰の大盤振る舞いな思考だ。

 完全なる疑心暗鬼に陥った俺は絨毯の赤い波模様の一点を見ながら考えを巡らせた。


「ねぇ、星斗」


「……」


「聞いてる?」


「お、ああ、そんなわけないよな」


「ん? 何言ってるの?」


 そう言って首を傾げて俺を覗き込むアイル。

 顔が近く、目が合うと思わず首ごと視線をそらした。

 

「な、なんだよ。いきなり。もう泣き止んだのか?」   


 うん。こりゃダメですね。すでに変に意識してしまっている自分がいる。

 そんなわけないと思っている。いやそんなわけないと思っていようとしているのだが、これはダメだ。

 

「星斗はさ、美織の事まだ好きだよね?」


「なんだよいきなり。そりゃまあ……な」


「付き合いたいって思ってる?」


「あ? いやまあ思うけど、俺が水ノ下と付き合えるわけないだろ? なに変な事聞いてるんだよ」


「そうかな……? 叶うといいね……星くんっ……」


「だからお前は何を聞い──」


 視線をアイルに戻した俺は、彼女の表情に言いかけた言葉を飲み込んだ。

 お得意の愛嬌ある作り笑い。しかしその深海のように吸い込まれそうな瑠璃色の瞳に光はない。その代わりにあるのは下眼瞼いっぱいに溜めた透明な雫だ。

 この流れでの泣き笑い。これが何を意味するか流石の俺でも否が応でもわかる。わかってしまうのがすごく嫌だ。 

 そう俺は認めたくないのだ。俺とアイルはただの幼馴染で、いがみ合う天敵で、これからもずっとそうしていくのだと勝手に心の中で決めつけているから。だから必死で自分の心に言い訳の言葉を探している。

 気持ちに応えられないとなると砂山のように築いてきた幼馴染という関係は、きっと一瞬にして崩れ去るのだから。

 どこまでも鈍感で、どこまでも理解しようとしない。そんなラブコメの主人公のようになれたら……。


「いや、そうだな。じゃあ、お前も大丈夫そうだしそろそろ帰るよ」


 嘘だ。泣き笑う奴が大丈夫なわけないだろ。

 ──わかってる。

 

「何があったかわかんないけど、きっとお前なら大丈夫だって」


 嘘だ。本当はわかっているくせに。

 ──わかってるんだ。


「ああ、そうだ。お前の恋も叶うといいな。応援してる」


 ──最悪の人間だ。俺は。

 

「うん……ありがとう」


 俺は逃げるようにカバンを抱えてアイルの家を出た。

 唇を噛み締めて家までの道のりを傘もささずに走って帰る。

 心拍は上がって体は熱いはずなのに胸は完全に冷え切っていた。

 これはきっと雨で濡れたせいなのかもしれない──と。


☆ 


 夜になってもアイルの泣き笑った表情は頭から離れなかった。

 俺の言った最後の一言は彼女にどう響いたのだろうか。

 そんなわかりきった事をベットに寝転びながら考える。


 それと同時に一つ疑問に残るのは水ノ下と何があったかだ。

 アイルが俺の事を好きだとして、水ノ下とどう関係があったというのだろう。

 一つ考えられることは水ノ下が俺の事を好きだということ。

 それを知ったアイルは落ち込んで今日の様子に陥った。

 予想としてはこれ以上にない筋の通った話だ。


 でも仮にそうだとして俺は水ノ下と付き合えるのか? それをしてまでアイルとの関係を壊したいのか?

 ぬわぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜! わかんねぇ。もしかしたらただの童貞の妄想ということもあるしな。


 てか俺は純粋に水ノ下が好きじゃないのか?

 水ノ下は優しくて、美人で清楚、しかもお胸まででかい。

 対するアイルは優しくなくてムカつくし、可愛いが清楚ではない。スタイルはいいが胸は普通だ。

 うん。これは圧倒的に水ノ下軍が最強ジャマイカ。

 

「兄〜!」


 やはり俺は水ノ下が好きなのだろう。だって理想のタイプなんだぞ。大崎まどかちゃんに激似なんだぞ。


「兄。聞いてるかぁ?」


 ならアイルとはなんで幼馴染の関係を崩したくないんだ?


「ぬあぁぁぁ〜〜〜。兄、めんどくさい」


「ふぐっ……」


 腹部への強烈なまでの激痛。

 悶えながら顔を上げると月花がプンスカと闘牛のように鼻を鳴らし、俺の腹に跨っていた。

 

「へ、ヘッドバットは禁止って言ったよな」


「おぉ。ヘッドじゃない。ニードロップ。兄だけにぃ」


 月花ははしゃぐようにお腹の上で腰を揺らす。

 よく見れば風呂上がりなのかパジャマに純白のパンツ一丁だ。


「なんも、ごほっ。面白くねーぞ妹よ。てか下を履け。あとお兄ちゃんはロデオマシーンじゃないから早く降りてください」


「んー兄の返しつまらない。なんかあった?」


「なんもねーよ。それでなんの用だよ?」


「ああ、そうだった。今セイラちゃんが来てて、兄のこと呼んでる」


「せ、セイラしゃんが!?」


 なんでだ。アイルとのことで何か言いに来たのか?

 いやでもアイルがセイラさんに俺のこととか話さなさそうだしな。

 でも会うのなんか気まずいな。


「お兄ちゃん今日体調悪いって言っといてよ。月花が代わりに聞いて来て」


「兄、体調悪いの? お熱あるのぉ?」


 そう言って月花は俺に跨ったまま上半身を倒し、おでこをくっつけてきた。

 洗いたてのシャンプーの優しい香りが俺の鼻腔を突き抜け、未発育な小さい二つの感触が俺の胸に当たる。

 妹とといえどこの状況はいろいろとまずい。

 

「い、いや。大丈夫だ。セイラさんのとこ行こう」


「おぉ。元気になって良かった。じゃあリビングに来て」


 俺は月花の肩を掴んで起き上がると一緒にリビングに向かった。

 危うくお兄ちゃんがいけない鬼いちゃんになってしまうところだったぜ。


 月花は扉を開けるなり駆け足でソファに腰掛けているセイラさんに抱きついた。


「星くん、ごめんね。ちょっと渡したいものがあって」


「はぁ。なんですか?」


「今週の土曜日暇かな?」


「まあ、暇ですね」


「アイルのアイドルグループの人気投票なんだけど一緒に観に行ってくれないかな?」


「えぇ!? な、なんでですか」


 ただでさえ会うのが気まずいのに人気投票の会場に行くとかさらに気まずいだろ。

 セイラさんはやっぱりアイルが俺の事を好きだと知っているのか?


「いや、星くん今までライブとかにも来たことないでしょ? 今年あの子頑張ったからさ。幼馴染として応援してくれない? お願い!!」


 立ち上がり、頭を下げたセイラさん。

 

「いや、その……」


「兄。セイラちゃんのお願いなんだから行くの!」


「月花よ、俺にもいろいろとだな」


「行かないと兄と一生口利かないっ」


「そうよ。星斗。アイルちゃんをしっかり応援して来なさいよ。じゃないと母さんもあんたと口利かない」


 月花に乗るように母さんまで口を挟んで来た。

 うちの女どもは人の気も知らないで好き勝手言ってくれる。


「じゃあ、セイラちゃん。星斗は責任を持って連れて行くから安心して。アイルちゃんにもよろしくね」


「ちょ、ちょっと母さん」


「あんたも往生際が悪いわね。誰に似たのかしら? お父さんみたい」


 じゃあお父さんに似たんだろうよ。

 くそっ。なんでこうも巻き込まれてしまうんだ。

 結局俺は土曜日アイルの人気投票結果を見に行くこととなってしまったのだった。 

 

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