第19話 会いたくなかった人(後編)
崖下の深い森の中。
彼女はしゃがみ込み、動けなかった。
(助けに来ない……)
無意識に胸元にある赤い石のペンダントを触れようとするが、そこには何も無い。
ドレスの下に着ていた薄手の布を掴むしかなかった。
「リア!リア……!」
「ごめん、ソフィア。誰か呼んできてくれる?」
「でも……」
ソフィアは光の魔法を使おうとした。
片手を痛めているようで、震えが止まらない。
その手をリアは優しく握った。
「これが、二人とも助かるためなの」
そう説得すると、ソフィアは大きく頷き、涙をこらえながら近くの村まで走っていった。
---
月明かりが残酷なほど、眩しい。
視界が揺らぐ――
(身を隠せる場所へ移動しなきゃ……)
動くたびに傷口が痛み、滲む。薬草を探して治療をする気力もなかった。
リアは近くの木に寄り掛かる。
走馬灯のように、記憶が蘇った。
自分を育ててくれた優しい父と母。
――君がいてくれて良かった。
私たちの元へ来てくれて、ありがとう。
「私……生きたいのに……」
セドリックと離れてしまったことを、
ほんの少し後悔していた。
けれど、人目につく可能性がある場所。
そこで首元を触れられるなんて、この国の乙女にとっては耐えがたい行為だった。
(今、意識を保ててるのは…… )
(きっと、怒りだ。)
それくらい彼にまた文句を――
嫌なことをしてきた相手なのに、
――どうして。
「セドリック……」
彼女は決意を固め、再び立ち上がった。
---
すると。
(甘い香り――)
その香りに導かれるように歩き出す。
「こんな場所に……苺……」
そっとその実を摘んだ。
魔力が無いと、すぐ魔物に体力を奪われてしまう。だから無心で口に頬張った。
食べ進めると……吐き気を催した。
手元をよく見ると、赤い実に混ざって黒い実。
(うっ……変な味……)
(本当に、苺……?)
すると――
バサバサバサバサッ
無数の鳥達に攻撃された。
まるで、奪うなと言わんばかりに。
「ご、ごめんなさい!」
リアは急いでその場をあとにした。
手と顔の小さな傷がズキズキと痛む。
---
また先を歩く。
今度は幹に大きな穴の空いた木を見つけた。
(ここなら寒さを凌げそう)
そこに身を潜めた。
「ゔぅ……よいしょ……」
足の傷を癒すためにも、ここで休むことにした。
リアは俯き、静寂が、耳を包む。
「セドリックのばか……」
すると、寒気がする。
顔を急いで上げた。
それは先程いた世界ではなかった。
空の色が不気味な紫色――
紫色のオーラを纏った魔物が複数。
(……やだ……囲まれてる……!)
---
鳥の姿をした魔物の群れだ。
奇妙に動き、音もなく距離を詰めてくる。
恐怖で目を閉じた。
体が重くて動かない。
「……ッ」
次の瞬間――瞼の向こうが強く光った。
バタバタバタ……と落ちる音がする。
(……何が……起こってるの……)
(こわい。でも現実を見なきゃ)
リアがゆっくり目を開ける……
そこには何もいなかった。
ユラリ、足元に不気味に揺れる影が見えた。
「ひッ」
思わず声が引き攣る。
——次の瞬間、光が弾けた。
バサッ、バサッ……羽音が途切れた。
見慣れた黒い靴。
また一歩。
影が、彼女に重なる。
低く息を吐いてから、
「……ばかで悪かったな」
会いたくなかった。
会いたかった。
世界で一番最悪な相手がそこにはいた。
---
あ……と言う間もなく、セドリックは彼女の前で片膝をつき、汚れた顔を優しく拭ってくれた。
「無事か?」
答えを待たずに、彼は足の傷へと手を伸ばした。
片手で治療魔法を施し、彼女の痕跡を消す。
静かに、光の粒が舞った。
リアの首元をじっと見つめ……
ゆっくり手をかざす。
(腕が震えてる……)
(触れないようにしてくれてる)
静かな月明かりのように光が灯り、気流とともに魔力が流れ込む。
胸の奥にずっと押し込めていた不安と後悔が、少しずつ和らいでいった。
(温かい…………)
---
リアの体温が徐々に戻っていく。いつもより長い時間だが、嫌ではなかった。
すると、首元がずしりと重い――
「……また、これ……」
拒絶が先に浮かぶ。
なのに……
光の首輪から流れ込んでくる温かさに、
力が抜けた。
(いやだ……嫌なのに……)
手のひらが離れた。
彼女の頭に手を置き、視線だけで傷を追った。
見落としがないよう、全身を確かめる。
「髪、あげておけ」
言われた通り髪の毛を寄せあげる。
(……?)
(ペンダント……!)
取り付けてくれた後、赤い石が胸元にくるよう調整してくれた。
「他に怪我をしてるところは?」
「足だけ……」
セドリックは立ち上がる。
彼女の腕を掴んで。
「帰るぞ」
「……」
しかしリアは考える。
立ち上がらなかった。
「おい」
「……帰らない」
俯いたまま、リアは唇を噛んだ。
「私、あなたのこと……許せてない」
「……助けてくれたのは、分かってる」
——でも、
「許せないの」
---
セドリックは一瞬だけ視線を落とし、
彼女の腕を離した。
少しの沈黙のあと、答える。
「……説明しただろ」
「短時間で魔力を送るには、直接触れるしかない」
「だからって、人前でするものじゃない」
「人目は避けただろ」
リアは首を振る。
「絶対、避けてない!」
セドリックの声が低くなる。
「お前は……契約を無駄にする気か?」
ボソっと呟く。
「自分の命の管理もできていないくせに」
リアは顔を上げた。
「私、魔力がない――空っぽの人間だから」
「何も……出来ないから」
「……首輪まで、勝手に……」
空気が、張り詰めた。
セドリックの拳が、わずかに握られた。
「……分かった。そこにいろ」
「動くな」
それだけ言うと、彼は背を向けた。
足音が、ゆっくり遠ざかっていく。
---
「……ありがとうなんて、言えない」
「信じたって……何も残らない……」
あの日、燃え広がる素材店を思い出す。
お店の中にあった優しい薬草の香り。
育ての父と母が残してくれた、大切な場所。
リアの実家はもう存在しない。
「私、もう帰る場所がないもの……」
何も残っていない。
ずっと心の支えになっていたのは、
このペンダントと――
その名前を綴りかけたとき。
ふわりと、温かい布が肩にかけられた。
(え……?)
リアの震えた手に、毛布がそっと重なった。
「……それじゃあ、うちに来るかい?」
ゆっくりほどけていくような感覚があった。
——深夜零時。
リアは顔を上げた。
「仲間から連絡を受けた」
「……間に合ってよかった」
そこに立っていたのはよく知る顔。
「アレン……」
舞踏会からそのまま駆けつけてくれたであろう、その姿。
彼の手が伸びてきて、汚したくない気持ちから身を屈めて抵抗した。
「……ッ」
けれど――彼は汚れも気にせず、
「君なら、問題ない」
優しくリアを抱き上げてくれた。
舞踏会で見届けたはずの彼が、ここにいる。
「っ……アレン」
「私……、」
「大人になれてなかった……」
この感情をどう処理すればいいか分からない。
悔しい――
自分に対して許せなかった。
「迷惑かけてごめんなさい……」
「気にすることはない。君は頑張ったよ」
「……」
意識が遠のく。
「……これが、僕の仕事だ」
穏やかな声。
気付いたら、彼の腕の中で眠っていた。
ずっと、心の支えになってくれていた人。
* * *
その日、昔の夢を見た。
アレンと一緒に町で過ごす、普通の夢。
彼は大人の姿。
けれど私は、十才の頃のまま。
目を覚ますと……大きなベッドの上にいた。
高級感のある家具に絵画。
周囲を見渡すとそこは広い部屋だった。
リアは――
アレンの御屋敷で療養することになった。
契約から始まったすれ違いは、まだ続く。




