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第1話

BLです。苦手な方、興味ない方は興味本位で読まないで下さい。


親の離婚なんて、今時珍しくも何ともない。

それなのに、母さんはなぜ逃げるように…隠れるようなマネをして此処に帰ってきたんだろうか―――…。



ガタガタと車体を揺らしながら、舗装さえ施されていない山道をその車は行く。本当に道路かさえも疑わしいその道はところどころに穴をつくり、タイヤがそこを走るたびに後部席に詰め込んだ大きめの荷物がその振動で倒れそうになった。しかしそれが倒れる事はなく、なぜなら後部席に座っている一人の少年がその荷物を支えたからだった。

気怠そうにその荷物を支えているのは彼の右足で、その視線は先ほどからもうずっと窓の外へと向けられていた。草が茂った何もないそんな光景を彼は飽きもせずにぼぅ、っと眺めている。否、飽きてはいるのだろう。だが、この車内の殺伐とした光景を見るよりは外の草木でも眺めていた方がいいと、そんな消去法な考えだった。彼の口から漏れるのは言葉ではなく重苦しいため息ばかり。もうかれこれ、車に乗り込んでから三時間弱という時間が経つのだが、彼は車に乗り込んでから一度も声を発していなかった。

今運転席に座っている彼の母親と彼が不仲という訳ではないのだが、状況が状況だけにこの気まずい空気の中どちらも会話をしようとはしなかった。

つい先日、彼、如月智也の両親が離婚した。

親権は母親のサキとなり、母は世間の目を気にしてか今こうやって遠く離れた田舎へとやってきていた。一年に一度、来るか来ないかのそんな田舎。彼女にとっては住み慣れた故郷なのだが、彼にとっては慣れない土地のほかにない。たまに来るならば、新鮮でそれなりに楽しめるが実際そこに住むということになれば話は別だ。あんな…畑と森と川しかない場所まっぴらごめんだと、トモヤはうんざりとした面持ちでまた深いため息をついた。

田舎に移り住むと聞いてから、トモヤはずっと不機嫌だった。不機嫌というよりは憂鬱さを隠せない感じだった。なにを後ろめたいのか、サキはトモヤが生まれ育った地元にはいたくなかったらしく、学校の夏休みが始まるとともに、大荷物抱え、今こうして山道を走り祖母の家へと向かっていた。おかげでトモヤは友人達と遊ぶ予定を立てる事もなく、誰に何を報告する暇もなく車に乗り込み今尚退屈な時間を過ごしていた。

そろそろ本格的に道なのかどうかも分からない路を走る車に、茂った草が当たる。隠れ家のような、そんな場所に彼の祖母の家はあった。


「ついたわよ」


久々に聞いた気がする母の声がいつもよりも若干低く感じるのは、この重苦しい空気故のものなのか。母は早々に車のエンジンを切り、扉を開け、車から降りる。そんな母親に続いてトモヤもようやくその狭い車内から抜け出した。長時間、車に乗っていたせいで体はすっかり固くなってしまっていて、思い切り空へと腕を突き上げるように背伸びをすれば、コキコキと体の骨が鳴った。やはり田舎というだけあって地元よりも空気が綺麗だと思える。

草木が風に揺れ、田舎独特の土の香りが鼻をくすぐった。なにげなく見回した景色はここへ来るまでの景色と同じ、緑しかない。緑は目に良いとは聞きはするがここまで緑に囲まれていると気が変になりそうだ。

そんなことを思いつつ、再び視線は母のその後ろ姿をとらえる。何を思っているのか、ピクリと少しも身動きすることなくどこか遠い所を虚ろな瞳で見つめている。その視線の先を辿ってみてもトモヤには何も見えないが、母にはきっと何かが見えているのだろうと思い、特に気にする事はなかった。

そんな時、どこからか足音が聞こえてきた。それはだんだんとこちらに近づいてきているようで、音もそれに比例して大きくなっていく。いよいよその姿が見えた時、トモヤは何とも言えない懐かしさを感じていた。


「あら、早かったねぇ」


トモヤとサキの姿を見ても驚くということはなく、その人物はゆっくりとした足取りで車のあるトモヤ達の方へと近づいてきた。


「ばぁちゃん」


歩きにくくはないのかと疑うほどに腰を曲げ、それでもしっかりとした足取りで歩く祖母の姿にトモヤはほっと安堵のため息をついた。なにしろ、トモヤと祖母が最後に会ったのは2年以上前の事で、久しく会っていなかった。しかもこんなド田舎で一人暮らしをしている祖母を心配していないわけではなかった。小さい頃はそれなりにばぁちゃんっ子と言っても良いほど祖母に懐いていた記憶がトモヤにはまだあった。共働きで忙しい両親に変わり、夏休みなどの長期間の休みには祖母のところへと預けられよく手伝いをしていたものだ。しかしそれも、トモヤが成長していくにつれて、仕事にも余裕が出てきた両親もそれなりに家にいたので、預ける必要もなくなり、必然的にトモヤと祖母が会ったのは中学にあがる少し前になる、


「久しぶりやねぇ、トモくん」

「…うん、久しぶり」


しわがくしゃくしゃと更にしわを作り、笑顔が作られる。懐かしい優しい笑みに、心が温かくなるような気分。つられて笑みをこぼせば、自然と笑顔になった。

サキは相変わらずぼぅっとしていた。ただ、先ほどと違うのは眺める先がどこか遠い所ではなく祖母だということ。悲しげに目尻が下げられ、その表情はなんだか今にも泣き出してしまいそうで。


「おかえり、サキ」


それに気づいた祖母がサキに笑顔を向ける。

ハッとしたように顔を上げたサキの虚ろな目に初めて彼女の母の姿が映し出された瞬間、彼女はひどく泣きそうな声で、微笑み、小さく呟いた。


「ただいま、お母さん…」











退屈すぎる時間は、徐々に俺の体を蝕んでいく。

タチの悪い毒のようなそれは、じんわりと少しずつ、それでも確実に俺の中へと浸透していくのだ。


「…………」


時間は1時間前にさかのぼる。

なにしろ、俺でさえ久々にばあちゃんに会ったのだから、当然母さんもばあちゃんと会うのは久しぶりなわけで。あの後すぐに家の中へと荷物を運びしばらく居間で適当にくつろいではいたが、積もる話もあるだろうと変に気を利かせてしまった俺はそこらへん探検してくると一言残し家を飛び出した。変に気を利かせたこともあるが、本当の理由はあの重苦しい空気に耐えられなかったから。以前の、明るいことだけがとりえの母とは思えないほど、今の母は暗かった。理由は分からなくもないが。俺だって、いきなりのことでまだ混乱しているのだから。当事者である母は、それ以上なんだろう。

とにかく、今の母とふたりきりというのはごめん被りたかった。ただでさえ、走る車の中で無言の母と共に長時間過ごしたんだ。これ以上は、さすがにきつい。

しかしひとり家を飛び出たはいいものの、行く場所がない。ばあちゃんがド田舎と豪語するだけあって、本当にここは何もない。少し買い物に行くのでさえ車で2時間はかかってしまう。

そんな田舎のいいところと言えば、やはりこの緑だろうか。

東京ではあまり見られない一面の緑。なにも、すばらしく爽快な草原が広がっているわけではなく、山に囲まれている…というか山の中に住居があるのだからそれは当たり前な事で。ふと足下に目を向けてみれば見た事もないかわいらしい花が、なにげなく一本の木に近づいて見れば、蜜に引き寄せられてきたカブトムシやらクワガタやらが数匹いた。これ捕まえたらそれなりの値段で売れるのではないだろうかと考えてしまうほどの大きなものがここには普通にいた。


「…さすが」


ド田舎。

以前通っていた学校の友人達の中でも、これほどの田舎で育った親をもったヤツはいないだろう。決して母さんをバカにしているわけではなく、こんなド田舎からエリートまで上り詰めたのだからむしろすごいと褒めているわけであって。そしてこんな場所で育った母さんを尊敬するまではいかなくとも、すごいとは思った。

それにしても、と思う。

かれこれ歩き続けて1時間以上は経つというのにも関わらず、景色が一切変わらないというのはどういうことだろうか。ミステリー…いや、怪奇現象か。神隠し?まさか田舎にきてこんな短時間で神隠しに合うなんて…。

そんなこんな考えながら歩いていると、ようやく開けた場所にたどり着いた。先ほどまでの路とは大きく違って、地面が土ではなく石だ。しかも、人工的に敷き詰められたものではなく、きっと自然に出来上がったのだろうと思える空き地だ。しかしそんな場所を見つけたからといって俺の退屈が紛れるわけもなく、仕方なく再び歩き始めた。ふと耳をすませてみればどこからか水の音が聞こえる。そういえば、幼い頃ばあちゃん家に預けられていた時、大きな滝を見た事があったような気がしなくもない。あまりに昔の事なのでうろ覚えでしかないが、この開けた道を抜けて少し歩けば滝は見えたはず。そう思い、少し歩調を早めた、その時だった。


「ねぇ、君だれ?」


声が、した。

気配もなにも感じないこの場所にまさか人がいるとは思わず、勢いよく声がした方へと振り返る。


「………」

「………」


そこにいたのは、小柄なかわいらしい女の子。

黒のタンクトップに、パーカーの付いた半袖の上着を羽織り、下は膝丈までのズボン。左側の前髪にはヘアピンがつけられていて、その容姿は俺の知る中でもダントツ。後ろで手を組み、俺の顔を覗き込むようにして小首を傾げるその様は、かわいいとしか言いようがない。


「ここらへんで見た事ない顔だけど」


その言葉を聞く限り、どうやら彼女はここら辺に住んでいるらしい。というか、こんな田舎にまだこんな子どもが住んでいるということに俺は驚いていた。しかも、田舎に置いておくにはもったいないくらいの人材。東京で歩いていれば即スカウトの話が持ちかけられそうなその容姿はすごく印象深くて、思わず見惚れてしまっていたことに気づいたのは話しかけられてから数秒後。そして、ようやく俺の口から出たのはこんな言葉。


「こんなところに…女の子が住んでいたのか…」


驚くなという方が無理だ。

幼い頃、何度かばあちゃんと近くにある民家を訪れてみた事はあるが、それらしい子どもに遭遇した事は一度もない。というか、子どもを見た事がない。住んでいるのはばあちゃんと同じくそれなりの老人ばかりで。遊びに行くたびに、しわしわの手でよもぎもちやらの自家製お菓子を握らせられていた。あの人たちも元気にしているのだろうか。

そしてそこでようやくあることに気づく。

もしかしたら、彼女も夏休みを利用して田舎に遊びに来た子なのではないのか、と。それは尋ねてみれば分かる事だ。


「ね、君って…」

「君さぁ、喧嘩強い方?」

「は?あ、うん。それなりに」


尋ねようとした言葉を遮られ、俯き気味の彼女に突然投げられた問いに正直に答える。

俺の通っている学校は問題児が多かった。帰り道でカツアゲとかしょっちゅうだった。喧嘩売られるのも珍しくもないことだった。そんな地元で鍛えられ、いつからか不良相手でも逃げずに戦い、打ちのめせるくらいの力が俺には備わっていた。

それにしても、彼女はどうして突然そんなことを聞いてくるのだろう。そう思い、俯き気味の彼女を覗き込もうとした途端、その顔は上げられ、無邪気な笑みを浮かべた。


「それはよかった」

「っ!!?」


不意打ちだった。

かわいらしいその笑顔も確かに悩殺的な殺傷能力を秘めていそうではあるが、俺が言いたいのは笑顔ではなく、猛スピードで頬を直撃したその拳。その細い腕のどこにそんな力があるのか、不意打ちとはいえ俺の体がふっとぶくらいの威力は十分にあった。驚きと、戸惑いが隠せず、呆然と俺を見下ろす彼女を見つめる。ニヤリと口端がつり上がっている所を見ると、手がすべっただとか、そんなベタな理由ではなさそうだ。


「さっすがハジメ!!ぶちのめせ!!」

「あいつハジメを女扱いしたぜ。死んだな」

「ははっ、バカなやつー」


そんな声がいろんな方向から聞こえてきたと思えば、上方にある岩場からいくつもの子どもの顔が見えていた。彼らは興奮冷めぬといった感じで、歓声をあげ、もっとやれなどと俺に罵声を投げかけてくる。ざっと見て、二十人くらいはいるんじゃないだろうか。しかもそれのほとんどは男で。


「どうしたの?あぁ、あいつらは気にしなくていいよ。ただの観客だから」

「………」

「…どう?オンナノコに殴られた気分は」


…最悪だ。

こいつ、男だったのか。

馬乗りになり、再び拳が振り上げられる。余程女に間違われたことに腹を立てたのかその顔に躊躇いというものは一切感じられない。殴られる、ともうすでに諦めて歯をくいしばり、目をつぶってみたが、幾度待てども予測していた衝撃は訪れず。

そっと目を開けてみれば、男の腕はきっと俺よりも年下だと思われる女の子の手によって止められていた。


「だめだよ、ハジメちゃん」

「……カヨ、離せ」

「だーめ。だって、離しちゃったらまたその人の事殴っちゃうんでしょ?」


にっこりと純粋な笑みを浮かべる女の子に、ハジメと呼ばれた男はガリガリと頭をかき、やりづらそうに顔をしかめてはようやく俺の上から退く。その様子を見て安全だと判断したのかその女の子は彼の腕を掴んでいた手を離すと、こちらに目を向け手を差し出してきた。


「だいじょうぶ?」


いや、大丈夫って…。

首を傾げ尋ねてくる女の子にさっきのこともあって、今度は本物だよな、なんて疑心の目を向けてしまう。

そんな複雑な気持ちになりながらも、不機嫌そうな男を横目にその手を借りて俺は立ち上がった。


「ありがと」

「ううん、いいの。いきなりハジメちゃんがごめんね?」


しっかりした娘だ…。


「おいカヨ。なにおまえ母親ぶってんだよ。そいつに謝る必要なんかねぇよ」

「ハジメちゃんってば子どもー」

「あ゛…?」

「………」


どうやら彼は女の子みたいだとか子どもみたいだとか、そういう類の言葉は禁句らしい。きっとそのかわいらしい容姿から女に間違われる事が多かったせいだろう。

知らなかったとはいえ、悪い事をしたかなとも思ったが、それでもいきなり顔面右ストレートはないだろうと考え直す。俺よりも背は低く、容姿は…何度も言うようだがかわいい。そしてとても先ほどの右ストレートを繰り出してきた本人とは思えないほど、彼の体は細い。筋肉どころか余分な肉すらないのでは、と思えるくらい。そんな奴に殴られ、しかも吹っ飛ばされたとなれば、俺だって男だ。それなりに悔しい。


「おまえも黙ってんなよ。喧嘩、強いんだろ?俺としようぜ」


だがしかし、せっかく女の子が止めてくれたというのに、それを無下にして相手の誘いに乗るのはどうかと思うわけで。カヨと呼ばれていた女の子は、そのハジメの言葉に眉間に皺を寄せている。彼曰くの観客はというと、相変わらず騒がしく中には喧嘩を促す声もあった。


「…喧嘩、ね…」

「そ。やられたまんまじゃつまんねぇだろ?おまえも、俺も」


ニヤリと笑うハジメに、苦笑いを漏らした。どうやら、俺は挑発されているらしくその言葉に含まれるトゲはいっそ清々しい。カヨはもうあきらめたらしく、呆れたように深いため息をついては、睨むようにして自分より少し背の高いハジメを見上げていた。

「そう睨むなよ、カヨ。なに、俺だって嫌がる相手をいたぶるようなマニアックな趣味は持ってねぇって。これは同意。喧嘩っつーと聞こえが悪いかもしれねぇけど、ルールのないプロレスだって思えばいいだろ?」


「…結局は喧嘩ってことじゃない」

「そう言うなよ。まぁ、こいつが了承すればの話だし、な?」

「………」


断るなよ、とその目が言っていた。目が口ほどにものを言うってこのことかと、初めてあのことわざを理解した瞬間。俺はため息をついて、小さく頷いた。途端に、歓声があがる。俺とハジメの喧嘩を期待していたギャラリーが騒ぎ始め、あろうことか自分も参加すると飛び出してくる奴もいた。もちろん、他の奴らに止められていたが。


「そうこなくっちゃ」


ニヤリ、と笑うハジメにカヨは仕方ないなといった感じで俺たちから離れていく。どうやらこの子ども達のボスらしいハジメの言う事に結局は逆らえないということを分かっているらしい。しかも、今回はハジメだけでなくまわりも参戦してきている。そりゃ、カヨひとりで止められるはずもないわけだ。

開けた場所に佇むは、俺とハジメのふたりだけ。

一見、体格の違いからして圧倒的に俺の方に利があるかのようにも見えるが、当事者の俺からしてみれば明らかにこちらの方が不利に思えた。いくら地元の不良を蹴散らせていた俺でも、所詮は都会の成り上がりものだ。機械や便利なものに囲まれぬくぬくと育った俺たちに比べて、こいつらは自然に囲まれ日常生活の中でも鍛えられている。負ける気はしないけれど、勝てる気もしない。頑張れば五分五分で勝負がつくだろう。

こんな成り行きで、しかもしょうもない理由で始まった喧嘩で俺が本気を出せたらの話だが。


「ほんじゃ、始めようか」

「…おぅ」


準備は整った。

ギャラリーもそろった。

今から始める喧嘩に、異論もない。

さて、どうやって引き分けに持ち込もうかと頭をフルに回転させる。直後、猛スピードでストレートを繰り出してきたハジメの先制を俺はするりとかわす。

思考がフル回転する頭の中で、小さく、勝負のゴングが鳴ったような気がした。











「納得いかねー…」


そう呟いたのは、まさしく言葉の通り納得のいかなさそうな顔をしたハジメだった。不機嫌そうに口を尖らせて、すねたように座り込んでいるその姿は、まさしく子ども。いじけた子ども。


「知らね」

「だーっ、うぜぇ!!つかこれ反則だろ!!」

「喧嘩にルールなんてない。よって反則なんてもんがあるわけがない」

「…卑怯者。俺びしょぬれじゃねぇか」


ハジメが納得いかないと嘆くのも仕方がないと思える。

というのも、俺が引き分けに持ち込むために起こした作戦は、案の定近くにあった川に誘い込みスキを狙ってはその体を川へ落とした方法だった。おかげでハジメの服だけでなく、全身が水に濡れ、さらに、これは誤算だったが川に落ちたさいにハジメのズボンが脱げて流れていってしまったのだ。だからハジメは上着で下を隠しながら、反撃も出来ずに俺を睨みつけているこの現状。ちなみに流れていってしまったズボンは仲間のひとりが取りに行ってくれている。


「しつこいわよ、ハジメちゃん。反撃出来ないのはハジメちゃんなんだから、負けたって素直に認めなさい。…まぁ、納得いかない気持ちは分かるけど彼の言う事も一理あるし、だからといってハジメちゃんの負けっていうのもみんな納得いかないだろうし、この勝負は引き分け!!」


さすがしっかりもの。カヨの判定はまさしく俺が望んでいたものであり、この場を収めるには最もな判断だ。ちなみに外野は相変わらずうるさく叫んでいたりする。やかましいやつらだと思いながらも、本当に仲がいいんだなと少しだけ羨ましくも感じた。都会の友情は、ごく稀に例外がいたとしても、ほとんどが冷めた関係だ。不良に絡まれてしまえば簡単に友人を置いてひとり逃げてしまうだろう、そんな脆い友情。別にそれが悪いとは言わないし、そりゃ不良に絡まれて自分だけでも逃げられるならば逃げてしまうのが人間の本能だ。所詮人間は自分が一番大切なのだから。特に危機的状況に陥った時などに、そんな人間の醜い本性は見えてくるものだ。でもきっと、こいつらは違うのだろうと思った。上辺だけの浅はかで脆い友情なんかではなく、もっと強い絆をもっているのだろうと、出会ったばかりの俺でさえその光景を見れば分かってしまうほどに。


「んじゃ、俺帰る」

「は!?てめっ、勝ち逃げかよ!!」

「何言ってんだよ。引き分けつったじゃねぇか」

「俺は認めてねー」

「知るか。それに…」


しつこいハジメに思わず深いため息をつき、おもむろに空を見上げてみる。

明るかったはずの空も、いつの間にそんな時間が経ってしまったのか日が落ち始めてきていた。


「子供は帰る時間なんじゃねーの?」

「………」


ぽかん、と呆気に取られたような顔は笑える。

確かに、今思えばこんな奴を女の子に見違えた数時間前の自分がどうかしていたと思える。ようやく言葉の意味に気づいたのか、濡れたシャツを震える手で強く握りながら…叫んだ。


「っっ、てめぇ!!まだガキ扱いする気か!!」

「ははっ、じゃあな」

「待てこんにゃろーッ!!!」


ぎゃーぎゃーと喚く声を聞きながら、手を振りその場を去る。しばらく聞こえていた叫び声も、開けた空き地を抜ければさすがに聞こえなくなった。それでも、あのハジメという奴の間抜けな顔や怒った顔を思い出すと自然と顔がほころぶのが分かる。

つまらないだけだと思っていた田舎にも、あんなに楽しい奴らがいるかと思うとこの先の田舎暮らしが少しだけ明るく見えたような気がした。


これが俺とハジメとアイツらとの、初めての出会い。

それは少し衝撃的で、少し笑える、不思議な不思議な、それでいて必然的な出会いだった。


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