手帳の闇
“死ぬつもりはありませんでした。ただやってみたくなっただけです”
教室の床に残されていた手のひらサイズの綴じ手帳、その黒い表紙の裏手に記された文言を見て俺は絶句した。
灰色の余白の中央に示された迷いのない筆致はまさに遺言だ。整った文字の優美な曲線が、書き手の平静な精神状態を伺わせる。一時の感情からではないのだろう。文字には深い絶望が込められている気がした。
(あいつ、こんなものを持ち歩いているのか)
数分前に見送った双海の背中を思い出す。思わぬところで彼女の内面に触れてしまった。
バツの悪さを誤魔化すように、窓の向こうを仰いでみる。だが、影に染まった遠方の山並みと藍色の空を炙る夕日の輝きは、俺をより一層物思いに耽らせるだけだった。
明日どんな顔をして会えばいいだろうか。
双海について俺が知っていることはそれほど多くない。わりと声が通ること。それなのに、教室ではほとんど目立たないこと。昼休みに教室にいないこと。放課後は俺と空き教室で時間を潰して、日が暮れる頃に駐輪場へと向かうこと。それくらいだ。学外の彼女についてはまるで分からない。今まで特に知ろうとも思わなかった。
何となく気が合うから放課後を共有する。それ以上でもそれ以下でもない希薄な交流が心地よかった。
双海の方も俺に特別何かを期待していたわけではないと思う。この半年、双海は決して俺に自分を見せようとはしなかった。とりとめのない話をして一定以上近づかない。適度な距離を保っていたからこそ、今日まで付き合いが続いていたのだと思う。
その均衡が、俺の出方によっては明日にでも崩れそうである。まったくとんでもないものを落としていってくれたものだ。ポケットに地雷を仕込んでいるとか勘弁してほしい。
見てしまったことは、とりあえず謝ろう。それからの話は成り行き任せだ。内面を知らないのだから打つ手がない。そうだ、それしかない。ないのだ。
手帳を鞄に仕舞い、帰途につこうと腹に力を込める。その時、狙いすましたかのように空き教室の扉はガラリと開いた――。