第九十四話「切捨」
今のぼくはサリーの騎士。
正直ブラックメロン家の世界支配やヒヅルの抹殺より、たとえ無様でも、ヒヅルに服従したふりをしてでも、サリーには生き延びてほしい。
そんなことを彼女に乞い願う自分の情けなさに、涙が出てくる。
眼の前の大切な人を救いたいのに、どうにもできない。
何だか以前にも同じようなことがあった気がするが、なぜかよく思いだせない。
だが生きてさえいれば、いつかぼくとサリーのふたりで脱走するチャンスが来るはずだ。
死んでしまったらすべてが終わる。
「何を言っているのかよくわからないわ。麗那。あなたは何か誤解をしているようね。私とヒヅルは親友同士。だからあなたが私を助ける必要はないわ」
ぼくの祈りが通じたのか、サリーはあくまでしらを切った。
麗那は残念そうに呻き、頭を抱えた。
『残念です。あなたならこの好機を活かしていただけると思っていました。いいでしょう。あなたの意志は問いません。我々は〈主〉の指示に従い、任務を全うするまで』
次の瞬間、十五機のF35はひとつの生き物さながらに統率のとれた機敏な動きでヘリの周囲を縦横無尽に飛び交い、ヒヅルたちが逃げられぬよう牽制しはじめた。
ここはアメリカ。ヒヅルたちにとっては完全な敵地である。警察も司法も我々ヘリオスの味方であり、ヘリの燃料が尽きるまでここに留めておけば、その時点で我々の勝利は確定。ヒヅルたちは捕らえられるか、その場で射殺されるだろう。
もしヒヅルがサリーを道連れにしようとするならば、ぼくはこの命と引き換えにしてでも彼女の盾となる覚悟がある!
ところが、この期に及んでヒヅルは相変わらず薄ら笑いを浮かべている。
「穏やかではありませんね。麗那。しかしあなたがその気ならば、我々としても降りかかる火の粉は払わねばなりません」ヒヅルは傍にいた棗に目配せをした。
数秒後、ぼくたちの乗っているこのヘリの下部から、細かい棒状の何かが、大量に撒き散らされた。
それはすぐに〈翼〉を広げ、蜻蛉を彷彿とさせる動きでひとつひとつが独立した軌道で空を飛び回りはじめた。
おそらく白金機関の新型のドローン兵器だろう。
ぴいー。
人間の聴覚がぎりぎり聴きとれるか否かの高い音を立て、〈蜻蛉〉から一斉に細い光線が放たれた。
数多の細い光の筋は、たちまち隊列を組んで飛行していたF35戦闘機に次々と命中し、炎上、撃墜。
アメリカ軍の最新鋭戦闘機軍団が瞬く間にやられていくという、悪夢が如き光景を、ぼくとサリーは今、目の当たりにしている。
そしてそれをまるで虫けらを見るように冷ややかな眼で半笑いを浮かべるヒヅルの顔は、まさに〈悪魔の太陽〉そのもの。
それでもF35の飛行士たちもなすがままというわけではなく、瞬時に散開して各自機関銃やミサイルで反撃を試みたが、いかんせん的が小さく、多すぎる。
ステルスヘリ本体を叩こうにも、〈蜻蛉〉たちに阻まれ、間合いを詰められない。
数分後――彼らの奮闘も虚しく、十五機いたF35の編隊は、無数の〈蜻蛉〉の光線によって、一機残らず撃墜されてしまった。
「総帥。新手です」
万二とかいう鯰髭面の男が声高に叫んだ直後、ががががが、と、けたたましい音が響き渡り、ヘリの外部で大量の火花が散った。
「何」サリーの顔が急にこわばった。
先ほどのゆうに三倍ほどの数のF35が、ぼくたちを乗せたこのステルスヘリに向けて機銃を発砲したのだ。
「メインローター破損!」
万二が叫んだ直後、ヘリが黒煙を上げながら高度を下げていくのがわかった。
ヒヅルの撒き散らした〈蜻蛉〉型ドローン兵器がいくら優れていても、五十機もの最新型戦闘機をまとめて叩き落とすのは至難の業であろう。
「ふむ。燃料切れを狙った作戦ではサリーの救出は難しいと判断したのか、多少手荒な……一か八か、このヘリを叩き落として救出する方針に切り替えたのか」
ヒヅルはあくまで冷静に、銀色の雲海が描かれた扇子を広げ、口もとにあてた。その顔には先ほどと変わらない薄ら笑いが貼りついたままだった。「それとも、サリーの救出はあきらめ、我々の抹殺を優先することにしたか。サリー。どう思いますか」
まるでサリーを苛めるかのようなヒヅルの質問に、サリーは惚けていたのか、ぼんやりしたまま返事をしなかった。
棗が拳銃を取り出し、サリーのこめかみにつきつけた。「総帥のご質問に答えろ」
サリーは不機嫌そうに顔をしかめ、ようやく口を開いた。「知らないわよ、そんなの。お父様が私の救出よりもヒヅル、あなたの抹殺を優先することにしたのかもしれないわね。あの方ならやりかねない」
サリーの不遜な態度に棗の表情がますます凶悪に歪んでいく。
「光。銃をおろしなさい」
ヒヅルが棗に対してそう命じると、棗は「おおせのままに」と、あっさり拳銃を下げた。
「総帥。また通信です」万二がコックピットから叫んだ。
「おや。また麗那ですか」
「いえ……それが、ハロルド二世と名乗る男から」
ハロルド二世。ブラックメロン家次期当主にしてサリーの実兄である男がいったい何の用だろう、と、ぼくが訝しんでいる間にスクリーンがふたたび点灯し、逆立った金髪が特徴的な整った顔立ちの白人男性の顔が、映し出された。
『サリーよ。貴様には失望した』やや古びた英語で尊大な話し方をするハロルド二世が、ため息まじりにそう言った。『白金ヒヅルを謀殺すると意気込んで戦いを仕掛けた挙句、降伏して人質になるとは。せめて妹の最期にとわざわざ晴れ舞台を用意してやったというのに、白金ヒヅルに怖気づいてみすみす台無しにするとは思わなんだ。このブラックメロン家の恥め。白金ヒヅルもろとも滅ぶが良い』
「ハロルド様。サリー様に罪はありません」ぼくは反射的に叫んだ。「すべては私めが騎士として至らなかった……サリー様を、お守りできなかったせいです。裁きを受けるべきは、この私ひとり。どんな罰でもお受けします。サリー様に、どうかご慈悲を」
「パエトン」ぼくの言葉が意外だったのか、サリーが眼を見開き、口に手をあてて声を洩らした。「ああ。パエトン。あなたを騙して利用していた私を、まだ庇ってくれるというの」
「当然じゃないか。ぼくはあなたの〈騎士〉、聖戦士パエトンなのだから。あなたがぼくを騙していようが、そんなことは関係ない。ぼくは、世界を平和へと導く聖女であるあなたに一生仕えると誓った。この命あるかぎり、あなたをお守りする」
先ほどまで乾いた半笑いを浮かべていたサリーの眼尻から、堰を切ったように、ぼろぼろと大粒の涙が、零れ落ちた。
「パエトン。ああ。何てこと。私はあなたのような純粋な人に、何てことをしてしまったの。こんな汚れた私を許してくれるというの。ああ。何て愛おしい人なの。愛してるわ。パエトン。このままここであなたと心中したって、構わないわ」
「ぼくもだよ。サリー。いや。絶対にあなたを殺させはしない。最後まで絶対にあきらめ」
サリーが口上の途中、ぼくの口に唐突に熱い接吻をした。
「何ですか。これは」
ヒヅルが汚物でも見るような横眼でぼくたちを見おろした。
ハロルド二世は、そんなぼくたちのやりとりを見て最後に愉快なものを見させてもらったと言わんばかりに哄笑した。
『貴様は果報者だな。サリー。愛する男と死ねるなら本望であろう。パエトンといったか。彼は貴様にはもったいない素晴らしい騎士だ。我が妻ベランジェールの騎士に抜擢したかったくらいだ。ははは』
通信はそこで途絶えた。
「いつまでくっついているのです」
通信が終わるや否や、ヒヅルはぼくに抱きつくサリーの脇腹を、乱暴につま先で蹴りあげた。
サリーはぎゃっと呻いて鈍色の鉄板張りの床を転げ回り、壁に激突した。
「ああ。痛い。痛いわ。骨が折れちゃったみたい。ひどい。何てことするの。悪魔」
サリーが脇腹を抑えながら喚いた。
「立場を弁えなさい。全く、穢らわしい女」嫌悪感剥き出しの顔で、ヒヅルが罵った。
「ああ。サリー。くそ。貴様。殺してやる」
愛するサリーが痛めつけられているというのに、何もできない。
「助けて。パエトン」
サリーのそんな声が、ぼくの胸に突き刺さった。
何てざまだろう。
愛する女性が眼の前で痛めつけられていても、何もできない。
この無念が、悔しさが、わかるだろうか。
こいつらを今すぐ全員殺すことができるなら、ぼくは悪魔に魂でも何でも売り渡すだろう。
どんな犠牲を払ってでも、この悪党どもを皆殺しにできるだけの力を手に入れたいと、願うだろう。
あれ。前にもこんなことがあったような気がする。
ぼくの脳裏で、何かが引っかかっていた。
ぼくは、何かとても大事なことを忘れてしまっているような気がする。
「総帥。敵の数が多すぎます。このままではジリ貧です」
万二の慌てふためく声が聞こえてきた。
ヒヅルはしばらく不機嫌そうな顔で沈黙し、何か思考しているようだった。どうせろくでもないことを考えているにちがいないが、多数の最新鋭戦闘機に囲まれたこの状況を脱するさらなる切り札を持っているのだろうか。
「光。〈革命の自由作戦〉の準備は」
急に能面のように無表情になったヒヅルは、灰色の無地の扇子を懐から取り出し、口元にあて、傍らにいた棗に問うた。
「は。メディアやサイバー戦略部隊による誘導は進んでいますが、いかんせん扇動部隊の大部分がヒデルに殺されてしまったため、もう少し時間がかかるかと」
棗が憎々しげにこちらをにらみつけ、ぼくはほくそ笑んだ。ざまみろとしか思わない。ぼくの殺してきた白金機関のスパイどもは、やはりアメリカ国内でのテロ破壊工作を画策していたのだ。ぼくの聖戦によって、殺されるはずだった何万ものアメリカ国民は今も平和に暮らしていられる。めでたしめでたし。
「なるほど。仕方がありませんね。アレはできればまだ秘密にしておきたかったのですが」
「まさか総帥。アレを使うおつもりですか。アレはまだ試作段階です。実戦投入には」
棗が強張った顔で血相を変えて思わせぶりに言った。もったいつけた言い方で読者の気を引こうという作者の思惑が透けて見える。
「この際やむを得ません。秘密兵器〈光芒〉の使用を、この私白金ヒヅルの責任において、許可します」