第八十一話「悪魔」
主を失った《カピパラ》ことナンシーは、速やかに麗那から距離をとり、サリーのレーザー砲によって開けられた巨大な《窓》の外へ飛び出し、逃走した。
しかし直後、どかんと凄まじい爆発音とともに、城全体が凄まじい揺れに襲われ、《窓》の外に見えたのどかな庭園の風景は、不気味な黒煙によって遮られた。
爆発音は一度にとどまらず、何度も続いた。
建物全体のバランスが大きく崩れ、床がみるみるうちに崩落し始めた。
抜け目のない《悪魔の太陽》白金ヒヅルのこと、いざ勝ち目がなくなったら、城ごと爆破してサリーを殺すつもりだったのだろう。
『きゃあ』
パワードスーツ《熊のブーさん》に乗ったサリーが、床の崩落に巻きこまれ、階下へと落ちていった。
「サリー」
ぼくは降り注ぐ石の雨に全身をたこ殴りにされながらも突き進み、サリーの後を追った。
いくらハルバード社の開発した最新鋭のパワードスーツといえど、生き埋めになってしまったら中でそのまま御陀仏だろう。
いや、そもそもあの毛むくじゃらのスーツが火達磨になってしまえば、サリーは中で焼け死んでしまうかもしれない。試作機と聞いているし、防炎防熱仕様かどうかも不明だ。
とにかくサリーを救わねば、恩人を助けなければ、と、ぼくはただ感情に任せて、我が身を惜しまず炎と瓦礫の中をひたすら突き進んだ。煙を吸いこまぬよう、ハンカチで口もとを押さえることも忘れない。
がらがら、と、ぼくを圧殺せんと崩落してくる、天井。
「サリー! いるなら返事をしてくれ」
大声で叫ぶが、返事はない。
転落のショックで気を失ってしまったのか、あるいはすでに――
そこまで考え、ぼくはその可能性を排除した。生きている可能性が一パーセントでもあるなら、この命ある限り捜索を続けよう。
遠くで麗那や村正の声がしていた。彼らもサリーを探しているのだろうか。
「ヒデル。お家に帰る時間ですよ」
突然背後から《悪魔の太陽》の声が聞こえ、ぼくの心臓が跳躍した。
恐る恐る、後ろを振り返る。
先程の《マジカル・ミラクル・オラクル・ビーム》で負傷した様子は見られず、地獄の業火の中で、白金ヒヅルが、悠々と佇んでいた。
「断る。貴様のようなテロリストに誰がついていくものか」
恐怖を押し殺し、ぼくは必死でヒヅルを睨みつけた。
「邪魔をするなら、容赦しない。お前を殺してでも、ぼくはサリーを助けなければならない」
ぼくのその言葉を受けて、ヒヅルの顔にふたたび暴力的かつ凶悪な、悪魔の如き笑みが浮かんだ。その両手に握られた双つの黄金銃が、炎に照らされ橙色に輝いていた。
「帰らないというなら、引きずって連れ帰るまで」
ヒヅルが何の予備動作もなく黄金銃から一発の弾丸を放つ。
ぼくの脚を狙って正確に射出された弾丸を、ぼくは見て確認してから素早く横に飛び、回避する。不意さえ突かれなければ、ぼくに正面からの射撃は通用しない。
でもそれはヒヅルも同じであり、ぼくは懐に隠し持った予備の拳銃ワルサーPPKを左手で取り出し反撃を試みたが、銃弾は虚しく空を穿った。ぼくの右手の人差し指は先程ヒヅルに折られてしまったため、利き手ではない左手で撃ったのだが、狙いは充分に正確であるにも関わらず、彼女を捉えることはできなかった。
ヒヅルの身体能力は、明らかに人間の限界を超えていた。瓦礫の裏に身を隠しワルサーで弾幕を張るぼくに対し、ヒヅルはまったく怯まず、壁の上を走り、天井を蹴り、縦横無尽に眼にも止まらぬ俊敏な動きで間合いを詰め、凶弾をぼくに放ってくる。以前サリーに聞いた話では、ぼくもヒヅルもヘリオスによって遺伝子を操作され生み出された人造人間で、頭脳も肉体も常人とは比べものにならないほど優れているらしい。その中でもヒヅルは特別な存在で、研究者たちの間で《最高傑作》と呼ばれていたという。それが本当なら、ぼくに勝ち目はないかもしれない。
しかし、突破口はある。
今のところ、ヒヅルにぼくを殺す意思はないようだ。
彼女の放つ弾丸は、ぼくの腕や脚を狙うものばかり。
対してぼくは、ヒヅルの全身を狙うことができる。
だがあくまでも正面からの攻撃は通じず、頭や心臓を狙い撃っても、相変わらずの超反応ですべて避けられてしまう。
やがて弾は底を尽き、ぼくたちは炎に彩られた瓦礫の山の中で白兵戦に臨むこととなった。
ぼこ。
ヒヅルの右拳がぼくの右頰を掠め、すぐ後ろのコンクリート壁を大きく陥没させた。
その拳が引き戻されるよりも前に、ぼくはヒヅルに眼突きを試みた。
それを彼女は上体を大きく仰け反らせて避け――
がつん。
強烈な衝撃とともに、ぼくの視界が、強制的に天を仰いだ。
視界の外、真下からものすごい勢いで振りあげられたヒヅルの右脚の爪先が、ぼくの顎を捉えたのだ。
脳を激しく揺さぶられてしまったぼくに、もはや反撃の時間は与えられず、ヒヅルはぼくのがら空きになった首をその右手でぐわしと掴み、ぼくの全身を思い切りコンクリートの壁に叩きつけた。
逆らうことなどまったく許されぬ、圧倒的な力。
地に着くことを許されなくなったぼくの両脚が、力なくぷらぷらと空を泳いだ。
酸素が欠乏し、朦朧とする意識。
このままぼくを絞め落とすつもりだろう。
だめだ。
やはりぼくの力では、この悪魔は、倒せない。