第五十九話「囮」
徐々に近づいてくる、ヘリコプターの音。
ぼくは壁に空いた穴から慎重に顔を出し上空を見あげると、さまざまな装備を積んだ旧ソ連製武装ヘリコプター・Mi24ハインドが、こちらへゆっくりと近づいてくるのを確認した。朝鮮人民軍が使用しているものだが、中に乗っているのはおそらく……
「飛びなさい」
ヒヅル姉さんが壁の穴から地上へと、飛び降りた。金暻秀も即座に続いた。
ヴヴヴヴヴヴヴ。
けたたましい無数の炸裂音とともに、姉さんと金暻秀のいた建物の床が、木っ端微塵に弾け飛んだ。
金暻秀の部屋は三階であったが、姉さんは幸いにも建物の周囲に生い茂っていた木の枝をうまく使って着地速度を緩め、優雅に着地した。金暻秀はこのくらい屁でもないと言わんばかりに、木を使わずにダイレクトに地面に着地、転身してうまく衝撃を逃していた。幸い下は芝が生い茂っていたため、着地の衝撃はそれほどでもなさそうだった。ぼくも姉さんと同様、木の枝をうまく利用して下へ降りた。
「ヘリオスの連中か」
金暻秀が自らの頭上を旋回する攻撃ヘリをまるで頭にたかる蝿のように鬱陶しそうに睨めつけ、ぼやいた。
「む」
何かを感じとったのか、金暻秀は突如側転、木の後ろに身を隠した。
たたたたた。
タイプライターを思わせる乾いた音と同時に、金暻秀前方の木に、無数の穴が開いた。
「何だ。貴様らは」
金暻秀を銃撃したのは、相手を欺く気がないとしか思えない、朝鮮人民軍兵士の軍服に身を包んだ、白人や黒人の兵士たちだった。
「KILL YOU ALL.HAHAHA」
スキンヘッドで眉毛のない白人兵士が、今度は姉さんに向けていきなりM4カービンを発射した。
たたたたたたた。
姉さんは映画俳優さながらの華麗かつ俊敏な体術でスキンヘッドの射撃を躱し、建物の壁を素早く駈けあがった。
「アンビリーバボー、ジャパニーズ・ニンジャ!」
姉さんはスキンヘッドの頭上を飛び越え、華麗に宙返りしながら両手に持ったデザートイーグルを、地に対し垂直に発射した。
狙うは、防弾アーマーの隙間。
横からの被弾にはめっぽう強い鋼鉄プレート入りのボディアーマーも上空からの被弾に対しては無力であり、肩口から垂直に内臓を貫かれたスキンヘッドは直ちに絶命し、地面に崩れ落ちた。姉さんの人間離れした身体能力と、正確な射撃があって初めてできる離れ業である。
「ジェイコブ!」
スキンヘッドの傍にいた黒人兵士が叫んだ。
仲間の仇を討つべく姉さんにM4を向け引金を引こうとした黒人兵士の顔面が、別方向から放たれた弾丸によって爆散した。茂みの中に潜んでいた真茶が無音銃VSSで狙撃したのだ。
「よくもやりやがったな、ジャップども」
「敗戦国野郎どものケツに鉛弾ぶちこんでやれ。ファッカー」
英語で汚く罵る朝鮮人民軍兵士たちが、軍用ジープに乗って次々とやってきた。
「数が多い。一旦退きますよ。ヒデル。真茶」
姉さんが党本部ビルの裏側へ向けて、駈け出した。
ぼくと真茶も追走した。
ヴヴヴヴヴヴヴヴ。
攻撃ヘリMi24のバルカン砲が咆哮し、弾丸の雨というよりはレーザー光線の如き《線》の攻撃が、ぼくと姉さんの間の地面を引き裂いた。
「ヒデル。ヘリオスの狙いは、私と金暻秀です。我々が囮になります。その隙に、あなたは対空砲を」
刹那、戦闘ヘリから放たれたバルカン砲の弾丸の嵐が、姉さんと金暻秀に襲いかかった。
姉さんは《全能反射》で金暻秀を蹴飛ばし、その反動で自分は後ろに飛んだ。
彼女と彼の間を、弾丸の大群が地を穿った。否、切り裂いた。
「ち。貴様に助けられるとはな」金暻秀が悔しそうに顔を歪めた。
「行きなさい」
姉さんが叫ぶと、ぼくは建物の周囲に設置された対空砲へと向かって走り出した。
戦闘ヘリの機首にぶら下がっていたバルカン砲が、こちらへ向けられた。
すかさず金暻秀が黄金の白頭山拳銃で攻撃ヘリのコックピットを狙い撃つ。
無論拳銃弾でコックピットの防弾硝子は貫けないが、敵の注意がふたたび金暻秀と姉さんに向けられた。
その隙にぼくは対空砲置き場のすぐ近くまで辿り着いた。
見張りの兵士が何人か、口から血を流して倒れていた。おそらく宋赫の盛った毒によるものだろう。
「伏せろ」真茶が叫んだ。
ほぼ同時に、ぼくは身を低くした。
たたたたた。
タイプライターのような音と同時に壁に刻まれる、無数の弾痕。
そのままぼくは木の裏側へ飛びこんだ。
後ろに続く真茶を援護するため、倒れた兵士からAKを奪い、正体不明の襲撃者に向けて弾幕を張った。
ヒヅル姉さんと金暻秀は攻撃ヘリの射撃から逃れるため、即座に党本部の建物の中に逃げこんだ。
シュゴー。
ヘリの主翼に搭載されたミサイルが咆哮、姉さんたちに向けて発射された。
「姉さん」
ぼくは《全能反射》でAKをフルオート発射、ミサイルの狙撃を試みた。
が、漫画じゃあるまいし、さすがに高速で飛翔するミサイルに当てることはできなかった。
ぱああん。
凄まじい轟音とともに党本部ビルの正面の壁が爆砕され、一階と二階がシルベニアファミリーのセットの如く剥き出しになった。爆炎は壁の上方に飾られていた金勇浚の肖像画に燃え移り、やがて北朝鮮建国の父の顔を真っ黒な消し炭に変えてしまった。
『私は無事です。ヒデル。早くヘリを撃ち落とすのです』
耳に装備した無線機から、姉さんの声が聴こえた。
そうしたいのはやまやまだが、ぼくたちの眼の前に立ちはだかるこいつが、安々とそれを許してくれるとは思えない。
陽の光を浴びて眩く輝く金の巻き毛と、それとは対照的な暗黒色のロングコート、そして何より眼を引くのは、腰に下げた年代物の西洋剣。
「白金ヒヅル、そして白金ヒデル。お前たちが苦しみもがいて死んでいく様を見ることができて、嬉しいわ」
オフィーリア・ベレスフォード。
半年前、忍美や《解放戦線》の仲間たちを殺し、ぼくたちを全滅の危機に追いやり、自身は安全なベンツの中でナサニエル・ブラックメロンとともに高みの見物を決めていた、秘密結社ヘリオスの幹部にして対北朝鮮工作部隊の指揮官だ。




