第六十話「幹部」
ぼくは憎しみのあまり、ぎりい、と、歯噛みした。
眼の前に現れた女、秘密結社ヘリオスの幹部にして対北朝鮮工作部隊の指揮官、オフィーリア・ベレスフォード。こいつのせいで忍美も無津呂も《解放戦線》のメンバーも殺され、姉さんが危険に晒されている。
「お前たちがレイナ・タカガミに勝てたのは、単なるラッキーよ。すでに日本には火種を仕込んである。お前たちはこれからこの私によって殺され、日本はふたたびヘリオスの手に落ちる」
高神麗那。懐かしい名前だ。秘密結社ヘリオスの人間として、鷹条元総理とともに日本を支配していた秘密警察の長。
「結果が全てですよ。それに、貴女にぼくたちを殺せるとも思えない。貴女のような麗しい淑女に、マイクロUZIは似合いませんね。ここが戦場でなければ、薔薇のブーケをお渡しできるのに」
感情を殺し、笑顔の仮面を被り、突然ぼくはオフィーリアを口説き出した。心にもないことを平気で言えるのは、俳優養成校時代に培った一種の専門技術である。
「ばか。お前、こんな時に敵を口説いてんじゃねえよ。しばくぞ」
後頭部に真茶の拳骨が炸裂した。冗談の通じないやつだ。
「アハハハハ。面白い坊やねえ。敵にしておくには勿体ないわ。武器を捨てて降伏するなら、生命だけは助けてもらえるかもしれないわよ」
オフィーリアは意外そうに眼を見開き、心底面白そうに噴き出し笑いした。
「真茶。ぼくが彼女を引きつける。君は姉さんの援護を」
ぼくが小声でそう囁くと、真茶は無言で首を縦に振った。
そしてぼくはオフィーリアに対し、ふたたび爽やか美男子微笑を浮かべた。
「ぼくもですよ。貴女のような美しい方と、殺しあいなんてしたくない。どうです、銃など捨てて、一緒に食事でも」
唐突にぼくは地面を強く蹴り、オフィーリアに急接近した。
そして隠し持ったアーミーナイフ(先ほど朝鮮人民軍兵士の死体から失敬)を抜き、オフィーリアの細い首に向けて一閃した。
鋼と鋼の衝突。散る火花。
オフィーリアのレイピアが、ぼくのナイフを受け止めていた。
やはり彼女も相当の実力者。ぼくの、《人工全能》の人間離れした動きにもしっかりと対応してくる。ナイフが届くまで距離を詰めてしまえば、短機関銃もただの鉄屑でしかない。
「ふん。この私に接近戦を挑むなんて勇敢ね。いや、無謀と言うべきかしら。何せ私はフェンシングの世界大会で優勝」
誇らしげに解説するオフィーリアを無視して、ぼくはナイフで切りつけた。無論それで仕留められる相手ではなく、すべて避けられた。彼女にはどこか余裕が感じられる。身体能力、反射神経、頭脳の回転速度……生物としての基本的な性能においては《人工全能》であるぼくの方が完全に上のはずだが、それを補って余りある《経験》が、オフィーリアにはあるのだろう。
「貴女から離れなければ、ヘリもバルカンやミサイルを撃てないでしょう」
「見くびられたものね。貴方の頼もしい真茶さんも、それは同じ。誰も助けに来てくれないわよ。大丈夫かしら? 坊や」
そう。真茶の最重要任務はぼくの護衛なので、オフィーリアを殺すためにぼくまで巻き添えに銃殺してしまっては本末転倒である。
「敵であるぼくの身を心配していただけるとは。何と心優しい御方。殺すには忍びない」
冗談めかしてそういうぼく。
ジョークを飛ばせる程度に頭を冷静に保っておくのは、戦場において重要なことである。
そして軽口を叩いていても、ぼくのナイフはオフィーリアの人体急所目がけて正確に突き出される。
しかしその悉くが、予知されていたかのように躱されてしまう。
反射速度の差を、先読みの正確さで埋められてしまう。
「まだまだ坊やねえ。動きが素直すぎるわ」オフィーリアが余裕の笑みを崩さず言った。
「金暻秀。貴様さえ殺せば儂が朝鮮の王だ」
狂気すら感じさせる千成沢の叫び声が、唐突に谺した。
「やれ。車洪万。悪王・金暻秀とその下僕を、蜂の巣にしろ」
あの老いぼれ。ヒヅル姉さんが金暻秀の下僕だと。逆だろう。無礼にも程がある! くそ。この手で奴を、殺してやりたい!
ぼくの全身の血液が沸騰しかけたが、戦場では冷静さを欠いた者から死ぬ。姉さんの指示通り、まずはあの攻撃ヘリを何とかしなければ。
だだだだだだ。
聴き憶えのある、機関銃の咆哮。
初めて平壌を訪れた時、宋赫とともにぼくたちを急襲した千里馬部隊の兵士。そう、あのパースが狂った巨体と機関銃は、一度見たら忘れない。
「こら。車洪万。貴様、朝鮮の王たるこの金暻秀に何たる狼藉か。これは国家に対する反逆行為である!」
金暻秀が烈火の如く吼えた。
「えっ。あっ。えと。お、おら、い、いや、自分は、千委員長が、新しい朝鮮の王様だと聞いたであります」
辿々しい話し方で、《フランケン》は背筋をぴしと伸ばし、直立不動の姿勢で金暻秀に敬礼した。
「違う。朝鮮の王はこの俺だ。千成沢や宋赫らは謀反を企て、クーデターを起こした反逆者。貴様は奴らに騙されているのだ。眼を醒ませ、朝鮮の英雄よ。真の国家の主、いや、祖国のために戦うのだ」
金暻秀は、したり顔で《フランケン》こと車洪万を説教し続けた。
単純な車洪万は千成沢に向き直り、何かを言いかけたが、痺れを切らした宋赫が、車洪万を銃殺すべく白頭山拳銃を素早く構えた。
ぱあん。
放たれし十・九ミリ弾が肉を抉り、骨を断つ!




