第五十四話「朝鮮危機」
金暻秀と朝鮮共産党幹部による白金グループ技術者への監視は日増しに厳しくなり、開発した核弾頭やミサイルは入念なチェックが実施された。去年の末あたりから、明らかに金暻秀の態度が変わり、白金グループの技術者たちが裏でこっそり何かを仕掛けているのではないか、と、疑るような態度や言動が垣間見られるようになった(もっとも金暻秀の読みは当たっていて、それこそが《愛の贈り物作戦》の要であるのだが)。とは言え、金暻秀にとって、白金グループの持つ原子力技術や航空宇宙技術も未だ必要であり、《我々》と手を切って技術者たちを追放あるいは強制収容所送りにすることはなかった。
ぼくも姉さんも、この金暻秀の急な態度の変化は、秘密結社ヘリオスの仕組んだ情報工作である可能性が高いと見ている。事実、虫型ドローンや《党》内に潜入させたスパイ、《協力者》を使った徹底的な監視により、ヘリオス側の送りこんだスパイや買収された党員たちが秘密裏に外部と連絡を取りあっていたり、直に接触したことが判明している。《党》内では、白金機関とヘリオスが送りこんだスパイたちによる抗争が繰り広げられていた。ぼくは情報工作や虫型ドローン、時には真茶を使ってヘリオス側の人間を何人も排除したが、こちらが買収した《協力者》も何人かやられた。事態を重く見た金暻秀は、《党》内における密告を奨励し、さらには秘密警察のエージェントを党内に潜りこませて双方のスパイを洗い出した。かくして《党》内では血で血を洗う大粛清が行われ、党員は半分にまで激減した。
全世界を射程に収めた大陸間弾道ミサイルとそれに搭載する核弾頭は完成し、すでに量産体制に入った。数カ月後には北朝鮮は五百発の核ミサイルを保持する核大国の仲間入りである。
だが、ここにきて事態が急変した。
白金グループの技術者数名が、北朝鮮国家保安省、つまり秘密警察の手によって捕らえられ、幽閉されてしまったのだ。
無論ぼくも何の対策も打っていなかったわけはなく、白金グループの技術者には全員監視用の自動追尾ドローンを仕掛けておき、彼らの身に危険が迫れば、送りこんだスパイや《協力者》たちを使って、あるいはぼくたちが直接出向いて保護するつもりでいた。
しかし技術者たちの拘束は北朝鮮全土に散在する核・ミサイル関連施設で同時多発的に行われ、ぼくと真茶は大仏たちとともに、平壌のど真ん中にある黎明マンション内の技術者たちを保護することに成功したが、他のいくつかの施設では失敗し、計五名の技術者が金暻秀によって捕らえられてしまった。各地の《解放戦線》のメンバーにも死傷者が出た。
「姉さん。ぼくだ。白金グループの技術者が五名、《党》に捕まってしまった。すまない。ぼくの責任だ」
今ぼくは特殊衛星電話を使い、姉さんに現状を報告している。
『存じております。私も先ほど金暻秀より「技術者たちを預かった。彼らの命を救いたくば、四十八時間以内に訪朝せよ」と連絡……いえ、脅迫を受けました』
「何だって」
姉さんの言葉を聞いて、ぼくは唖然とした。一般人を拉致して訪朝を要求するなんて、まるでテロリストじゃないか!
だが、ぼくは自分がおめでたい平和ボケ思考に毒されていると気づいた。
何を今さら……相手はあの危険な独裁者、金暻秀だ。彼の父である金東建は、日本にスパイを送りこんで日本人を拉致し、対日工作員の養成に利用したじゃないか。そして、ここ最近金暻秀が掌を返したようにぼくたちを疑り出したことを考えると……
「姉さん。これはヘリオスの罠だ。おそらくヘリオス側のスパイが、金暻秀に姉さんを訪朝させるよう仕向けたんだ。ヘリオスの狙いはぼくたちと金暻秀の分断、および姉さんの抹殺。のこのこと《党》本部へ出てきたら最後、ヘリオスが仕込んだ刺客によって姉さんが殺される可能性がある。ぼくに任せてくれ。必ず、捕らえられた技術者たちを取り戻して」
『どうやって』
姉さんは、ぼくの言葉を遮り訊ねた。
『金暻秀は、大陸間弾道ミサイルと核弾頭が完成したことで、もう我々は用済みだと思っているでしょう。四十八時間以内に技術者たち全員の居所を掴んで、救出できますか。ヒデル。私は何も、技術者たちを捕らえられてしまったことを責めているわけではありません。むしろあれだけ大規模な手を打ってきたにもかかわらず、あなたは九割以上の技術者たちを無事に保護し、帰国させることに成功した。今回に限って言えば、敵の方が一枚上手だった。それだけのこと。今は、どうすれば拉致された技術者たちをより確実に救出できるか、考えるべきです。大丈夫ですよ。こう見えて私も元秘密結社ヘリオスのエージェント。そう易々と敵に後れを取ったりはしませんわ』
ぼくには言葉が見つからなかった。姉さんはぼくを責めなかったが、ぼくが何人かの技術者を敵に渡してしまったせいで、姉さんがリスクを冒すことになってしまったのは事実。三年前の国会戦争の時もそうだったが、姉さんは仲間が窮地に陥った時は自らリスクを負うことも厭わない人だ。だからこそぼくは姉さんを敬愛してやまないのだが、一方で純粋に弟として危ない橋を渡ってほしくないとも思ってしまうのである(事実三年前の戦いで姉さんは腹に風穴を開けられ、重傷を負った)。
『ヒデル。少し早いですが、《平和の使者作戦》を発動します。あなたと真茶には、私の警護をお願いします。失敗すれば、日本が核の炎で焼かれるかもしれない。正念場ですよ』