第五十三話「抑止力」
以後の調査の結果、無津呂は宋泰希の情報通り咸鏡南道耀徳郡の強制収容所にいたが、すでに自決していたことが判明した。耀徳収容所に限らず、北朝鮮の強制収容所では碌に食糧も与えられずに一日十二時間以上の過酷な労働を課せられ、数年のうちに死んでいく。無津呂が収容されてからまだ三週間程度しか経っていなかったが、《党》の手段を選ばぬ拷問によってぼくたちの情報を吐いてしまうことを恐れたのだろう。ぼくは直接無津呂に会ったことはないが、義理堅く、組織の理想に忠実な、真面目な男だったそうだ。
金暻秀の度重なる挑発に、アメリカのプラトン大統領もいよいよ本腰をあげ、北朝鮮への軍事行動、すなわち《金暻秀斬首作戦》をちらつかせ始める。韓国軍と米軍の合同軍事演習も活発に行われるようになってきた。アメリカに届く大陸間弾道ミサイルおよび潜水艦弾道ミサイルが完成すればいよいよアメリカ本土の安全保障が脅かされるため、そうなる前に叩いてしまおうと開戦する可能性が高くなる。そうなれば、我々の朝鮮属国化計画はすべてオシャカである。無論ヒヅル姉さんもただ手をこまねいているわけはなく、巨額の資金を投じてアメリカ国内でのロビー活動、買収したメディアを駆使して情報工作を行い、アメリカ世論を非戦へ誘導するよう仕向けているが、そこは秘密結社ヘリオスのお膝元、なかなか思うようには進まない。
それでもプラトン大統領そのものがワイルドカードとなり、徐々に形勢はこちらに有利に展開していく。プラトン大統領の暴走により、国務省の高官が次々と辞任に追いこまれ、七割が空席というアメリカ史上初の異常事態となった。その中には対北朝鮮政策責任者も含まれていたため、アメリカの対北朝鮮戦略は事実上の機能不全に陥った。
そして姉さんの読み通り、ヘリオスはプラトン大統領を抹殺すべく刺客を送りこんできた。プラトン大統領のSPとして送りこまれた白金機関の優秀なエージェントの働きもあり、未遂に終わったが、連中が大統領の暗殺をあきらめるとは思えない。
白金機関と秘密結社ヘリオスの秘密工作戦は、今もなお続いている。
北朝鮮には《悦び組》という、金暻秀や朝鮮共産党の幹部たちに《悦び》を与える目的で結成された美女集団がある。ぼくはまず手始めに女装して《悦び組》に潜伏し、金暻秀や朝鮮共産党幹部たちに接近して言葉巧みに情報を聞き出し、買収に応じそうな人間には賄賂を渡して懐柔した。逆に筋金入りの反日派に対しては、他国の内通者であると流言を広めて国外追放、強制収容所送り、時には真茶を使って闇に葬った。
だが敵もさるもの。二カ月ほど経つと状況は大きく変わった。
まず、核・ミサイル開発に協力している白金グループ技術者たちへの監視が厳しくなった。以前はほとんど現場に顔を見せなかった金暻秀が、週に一度か二度くらいのペースで実験施設や開発研究所に顔を見せ、視察を行うようになった。
さらには豊渓里にある核実験施設が何者によって爆破され使用不能となり、何人かの技術者も犠牲となった。朝鮮国営テレビは反政府組織・朝鮮人民解放戦線によるものと報じていたが、我々は秘密結社ヘリオスの工作によるものと見ている。
平壌の白金グループ技術者たちが暮らす黎明マンションにも、不審者が忍びこんだ。事前に虫型ドローンで潜入に気づいたぼくたちが警備隊に間接的な方法で報せたため、技術者たちに死傷者は出なかったが、おそらくヘリオスの刺客であろう。
ぼくは今、衛星電話を使って姉さんと話している。
『ヘリオスが我々の《朝鮮属国化計画》に気づいて何かしらの手を打ってくることは予想していましたが、思った以上に動きが早い。彼らの狙いはふたつ。朝鮮の核開発の妨害、および日朝の分断。核開発の妨害に関しては、核開発施設の破壊、および経済制裁、物流の封鎖による物資供給の停滞。そして、核・ミサイル開発技術者の暗殺。開発施設の破壊と技術者暗殺の試みは今後も続くと思われます。特に暗殺。技術者たちを排除すれば、朝鮮の核・ミサイル開発は停滞する。彼らのいる黎明マンションの警備を強化するよう、こちらから要請しておきます。ただし警戒の眼が厳しくなるため、今までのように技術者に接触するのは困難になると思われます。《秘密工作》に関しては、無理に進展させないように彼らにお伝えください。それと、安保理決議で朝鮮にさらなる制裁措置が課されることが決定されました。これも、おそらくヘリオスが一枚咬んでいます。最初は朝鮮への制裁に反対していた中国とロシアも、同調しました。彼らは彼らで金政権を必要としているので、何かしらの方法で裏から支援するでしょう。核・ミサイル開発につながる有効な支援を引き出せるよう、こちらで働きかけておきます』
世界平和の実現を目指す姉さんが、なぜここまで北朝鮮の核開発支援に躍起になっているのか。ぼくは以前、その疑問を直接姉さんにぶつけたことがある。彼女の解答はこうだった。
「国家の命題は、まず安全の確保。その次にお金儲けです。現代人のほとんどは四六時中、お金を稼ぐために奮闘しています。我々がこうして世界を変えるための活動に専念できるのも、世界中でお金儲けを続けているから。白金グループの財力なくして、世界は変えられません。朝鮮の独裁者金暻秀は、たしかに国民に極貧生活を強い、自分たちは豊かな生活を送っている。しかし彼らが軍事に予算を注ぎこむのは、自国の安全を確保するため。日本に住んでいると実感が湧かないかもしれませんが、世界は未だ戦国時代です。むしろおかしいのは現代の《国際法》の方で、核拡散防止条約では米英仏露中以外の国が核兵器を持つことを禁じている。これは彼らが第二次世界大戦の戦勝国で、ルールは常に勝者が決めるからです。裏を返せば、自分たち以外の国に核兵器を持たれては彼らも困るということ。一発で都市を壊滅させ、何十万という人間を虐殺できる核兵器の前では、経済力や通常兵力の優位性は意味をなさない。現に朝鮮は五度の核実験によってすでに核保有国となり、代償として過酷な経済制裁を受けていますが、アメリカですら武力行使には慎重です。ましてや今の日本では戦争するという選択肢すら持てない。いざ開戦となれば、核兵器を持たない大国は、核兵器を持つ小国に敵わない。これが現実です。無論、我々の願いは戦のない《完全世界》の実現。頭脳、戦略を駆使して戦わずに勝つのが我々のやり方。たとえ世界の覇権を握っても核兵器が反乱分子の手に渡れば、テロによって民衆に甚大な被害が出るかもしれない。世界征服が実現した暁には、核兵器は《削減》され、すべて《私》の管理下に置かれます。が、それはあくまでも勝者の特権。世界を意のままに作り変えたいのなら、まず我々は全世界を相手に勝利しなければならない。それも、完璧に。それは世界一の財力、軍事力を持つ秘密結社ヘリオスですら未だ成し得ぬ難業。……あなたは今、こう考えていますね? 『核兵器という武力で相手を威嚇するのは、結局ヘリオスと同じである』と。『暴力と恐怖で世界を統治する彼らと何が違うのだ』と。逆に問いましょう。理想だけで星子のような力なき善良な民を守ることが、果たしてできますか。その理想は、安那子善三から星子を守ってくれましたか」……
力なくしては大切な人を守ることも、理想を実現することも、できないのだ。
だからぼくは白金機関に入り、過酷な訓練に耐え、姉さんとともに世界を変えようとしている。
日本が独自に核開発に着手すれば、いま北朝鮮がそうなっているように、瞬く間に世界各国から手酷い経済制裁に遭うだろう。「日本が軍国主義に返り咲いた、けしからん!」と。
そう。姉さんは北朝鮮に核を持たせ、その力を利用しようと企んでいる。在日米軍を追い出し、日米同盟が破棄され、アメリカという《核の傘》がなくなってしまった以上、新たなる抑止力が必要なのだ。《世界平和連合》という日本主導の軍事同盟の存在はあるが、加盟国には核保有国は今のところ含まれていない。故に中国は日本の尖閣諸島はおろか沖縄までも自国の領土であると主張し、領海侵犯を繰り返している。如何に人工知能IRISによる隙のない監視システムと最新鋭の軍備、優秀な日本の自衛隊が国土、領海を守ろうとしても、中国は数で圧倒的に勝る上、数百の核兵器を保有する軍事大国である。敵は秘密結社ヘリオスだけではない。隙あらば領土、領海を掠め取ろうとする世界の大国を相手に、姉さんは日本の最高指導者として、日本人の生命と権益を守らなければならない。
無論、金暻秀という狂犬には《首輪》が必要である。大まかに言えば、そのための工作活動を進めるのがぼくたち白金機関対北朝鮮工作部隊の役割である。それを実行するには、やはり現地民とのつながりもある反政府組織、つまり朝鮮人民解放戦線の協力を得ることが近道であろう。先日ナサニエルの改造人間たちに李永哲や宋泰希、韓正雄といった中心メンバーが殺されてしまったため、各地に散在する《解放戦線》をまとめる存在がいなくなってしまった。そこで、ぼくがその大役を引き受けようと各地の代表メンバーを集め、平壌の南西に位置する南浦に立ちあげた《新居酒屋大浦洞》で作戦会議を開いていた。
「我々の指導者《偉大なる太陽》は、衰退の一途を辿っていた日本にふたたびかつての繁栄を取り戻した。我々が力を合わせ金政権の暴政に終止符を打てば、正義が守られ、自由で平等、かつ安全で秩序ある新世界を築くことができる。諸君らは、《朝鮮革命》の英雄となるのだ」
ぼくの若さと素性に最初は疑問や不満を持っていた者たちも、結局のところ金政権打倒が優先事項であるのか、白金機関による豊富な活動資金の提供に眼が眩んだのか、あるいは故・李永哲が一度手を組んだ相手だからか、ぼくの指揮下に入ることに同意してくれた。
「で、結局俺たちは何をすればいいんだ。金日出さんよお」
彼らの中で最も発言力のありそうなリーダー格の男、身長百九十センチ、推定体重百二十キロの巨体にモヒカン頭という厳しい風貌の、《解放戦線》開城支部長である洪奉珠が立ちあがり、ぼくに質問を浴びせた。
「あなた方は、この朝鮮全土の民とのつながりや、独自の情報網を持っている。あなた方には情報収集や民衆の扇動を主にやってもらい、時が来たら《我々》とともに金政権と戦ってもらいたい。我々の望みは、あなた方と同じだ。朝鮮に真の民主主義を齎し、人民を豊かにすること。そして我が国と真の同盟関係を築いてもらうこと」
民衆の扇動とは、いざ金政権と事を構えた時のために、朝鮮の民衆をこちらの味方につけておくこと。そして朝鮮を属国……いや、同盟国として育成するための布石である。
二〇一八年二月九日。北朝鮮のお隣韓国で、平昌冬季オリンピックが開催された。そこで姉さんは金暻秀と共謀して米韓関係に揺さぶりをかけ、韓国をこちらの陣営に加えるべく画策した。韓国を《世界平和連合》に引き入れ、在韓米軍を追い出す。その上で北朝鮮の核抑止力によって中国の台頭を押さえる。経済軍事両面で発展著しい中国だが、GDPも軍事費も我が国とほぼ拮抗している。二〇一〇年の時点で中国は日本を抜いて世界第二位の経済大国となったが、二〇一三年末に姉さんが日本の影の指導者となり《日本革命》を推進した結果、二〇一七年第三四半期の時点でふたたび抜き返したのである。あとは《核の傘》さえあれば、迂闊に手出しはできなくなるはずだ。
金暻秀の政治手腕は実に優秀で、平昌オリンピックを成功させたい韓国の弱みにつけこんだ。その結果、韓国の新大統領である玄在寅は、アメリカの意向を無視して平壌での南北首脳会談を約束した(なお、韓国と北朝鮮による統一朝鮮チームでの出場が実現したものの、結果は散々だった)。
その一方で、国連安保理による北朝鮮への制裁は徐々に強化され、日本も表向きは世界平和連合の長として制裁に参加せざるを得ず、北朝鮮の国内経済はますます困窮した。しかし姉さんは金政権存続を望む中国やロシアと組み、裏からエネルギーや資金を援助し、核・ミサイル開発は続けられた。
そして同年三月十一日。奇しくもあの東日本大震災と同じ日に、とうとう北朝鮮は全世界を射程に収めた大陸間弾道ミサイル《金星十五型》の大気圏再突入に成功。水爆弾頭の小型化にも成功した。
北朝鮮の核戦力は、ついに完成したのだ。




