第四十六話「密告」
「無津呂さんの居場所がわかったわ。咸鏡南道耀徳郡にある十五号管理所よ」
宋泰希が居酒屋・大浦洞の入口の扉を勢いよく開け、大きな声でそう告げた。ぼくたちが元山に到着してから四日後の夜のことだった。
「確かですか」
ただちに泰希に確認するぼく。ここ数日の間に白金機関のサイバー部隊が北朝鮮人民保安省(警察)と国家保安省(秘密警察)のサーバーにハッキングを試みたが、《党》に捕らわれた無津呂の行方は確認できず、ぼくたちは北朝鮮国内に独自の情報ネットワークを持つ《朝鮮人民解放戦線》の力を借りることにしたのだ。
「間違いないわ。その筋のプロから仕入れた情報よ。高くついたけどね」
泰希は人差し指と親指で輪を作り、軽くウインクした。
「わかりました。かかった費用は後ほど我々が全額お支払いします」
ぼくはにこやかにそう言うと、すぐに真茶や忍美を呼び出し、無津呂の救出に向けての準備に取りかかった。
「敵は全員殺っていいんだな」
無表情な真茶が、抑揚のない冷淡な声でぼくに訊ねた。
「ああ。しかし、ミサイル開発の進行が予定よりだいぶ早まっている。そろそろ《愛の贈り物作戦》も最終フェーズに移さなければならない。ぼくが《彼ら》をサポートする。忍美、無津呂さんの捜索は君に任せる。虫ドローンを使って、彼の安否を確認してくれ」
念のため補足しておくと、《彼ら》とは日本から北朝鮮に派遣されている白金グループの核およびミサイル開発者のことである。グループ傘下の白金重工や航空機メーカー・フェニックスなどから原子力や宇宙開発の専門家を送りこんだからこそ、北朝鮮の核・ミサイル開発は飛躍的に進展したと言えよう。
「無津呂隊長を見つけた場合はどうするっすか」忍美がぼくに問う。
「君に任せる。現場の状況を鑑みて、可能であれば救出を。《解放戦線》の連中にも援護するよう、ぼくの方から頼んでおこう。真茶、忍美をサポートしてやってくれ。それと《解放戦線》の連中に不審な動きをするやつがいたら、容赦なく殺れ」
「おい。お前はどうする気だ。ひとりで敵地のど真ん中まで行くつもりじゃないだろうな」真茶が露骨に険しい表情で言った。「私の任務は、お前の敵を排除することだ」
「だが同時に、ぼくが指定した標的の排除も依頼されているだろう。ぼくは忍美に仇なす敵を標的として指定する。もちろん君や《解放戦線》の連中に牙をむく敵もね」
「ああ?」
真茶はぼくの胸倉を掴み、顔を間近に引き寄せた。
触れあいそうになる、鼻と鼻。
「寝ぼけてんのか。私の最優先事項はお前の護衛なんだよ。ムツゴロウとやらのことは知らんが、お前らの中でも有能なやつだったんだろう。そいつがとっ捕まって、ヒヅル様は《党》の連中を警戒してる。お前がムツゴロウの二の舞にならないようにしろと。だから私は、お前の傍を離れるわけにはいかないんだ」
「見上げた職業精神だね、真茶。でも、君がついていこうが、何も変わらない。今回の任務には一億二千万の日本人と、五千万の韓国人、計一億七千万の人命がかかってる。失敗は許されない。この場合の失敗とは、《愛の贈り物作戦》が《党》の連中にバレること。彼らに見つかることなく、完璧に任務を遂行しなければならない。バレて敵に追われることになった時点で、すべて終わりなんだ」
「一億死のうが二億死のうが関係ない。お前が無事なら私はそれでいい」
そう言ってのける真茶の顔は、真剣そのものであった。
「ありがとう。その言葉、とても嬉しい。惚れてしまいそうだよ、真茶」
ぼくが爽やか美男子微笑を浮かべてそう言うと、真茶はまた舌を突き出して嫌悪感を表明した……わけではなく、変わらぬ表情のまま、ぼくから一ミリたりとも視線を逸らさない。
「はぐらかすなよ。私の依頼人はお前じゃない。ヒヅル様だ。弟の身を案じる姉ちゃんの身にもなれよ」
真茶にも弟がいるのだろうか、と、ぼくは一瞬そんなことを考えた。彼女のその言葉が本心からなのか、ぼくを説得するための口実なのか、わからない。
「君の口からそんな言葉が聞けるとはね。でも、心配いらないよ。ぼくは死んだりしないし、姉さんが君を派遣したのはぼくのためではない。任務達成のためだ。彼女は身内贔屓をするような人じゃないよ。公正な人だ」
「は。どうだかな。私にはとてもそんなふうには」
「はいはいはーい」
忍美がぼくと真茶の間に割って入った。
「大丈夫っすよ先輩。うち、ひとりでやるんで。必要なら《解放戦線》に助けてもらうし。真茶さん梃子でも動きそうにないし、ふたりで行ってきてくださいっす」
ぼくはすかさず忍美に反論した。
「そういうことではない。《解放戦線》に潜んだ内通者が確定してない以上、君をひとりで行動させるわけには」
ぼくが口上の途中にも関わらず、忍美はぼくの口に人さし指を押し当て、遮った。
「あんな連中に遅れをとるほどへたれてないっすよ。うちのこと、もっと信頼してくれませんかね。先輩」
そう断言する忍美の表情からは、何が何でも任務を達成できるという、絶対の自信が感じてとれた。
「そういうことだ。気の利く後輩がいてよかったな。でなきゃ、お前をぶん殴って気絶させて日本へ連れ帰るところだ」真茶がにやりと攻撃的な笑みを浮かべた。
「むしろぼくが君を日本に送り返してやりたいね」ぼくはため息をついて苦笑し、肩を竦めた。
「あの。日出さん。ちょっと」
出発の直前、居酒屋の出口でぼくを待ち伏せしていたのは、美煐であった。彼女は、その栗鼠のように愛くるしい大きな眼でぼくをじっと見あげていた。何かを伝えようとしているようだった。
「何かな。ぼくは忙しいのだが」
ぼくはそっけない態度でそう言った。また日本へ連れてってほしいとせがまれるのか、と、うんざりもした。今は彼女に構っている暇はない。
「少しの間だけでいいの。ふたりきりで、お話ししたいわ」
美煐は何か意味ありげにきょろきょろと周囲を警戒し、小声でそんなことを言った。《解放戦線》の連中は各々の仕事に戻り、忍美は無津呂の捜索に出かけていった。
「私のことなら気にするな。ここで待っててやるから、行ってきていいぞ。心配するな、盗み聞きする趣味はない」
真茶がにやにやしながらそんなことを言った。
ここでは何だから、と、美煐は開放廊下を小走りで駈け抜け、ぼくを手招きする。
彼女の態度から何となく重要な情報を握っているのかもしれない、と、推測したぼくは、彼女の誘いに乗ることにした。またせがまれれば即座に断って戻るのみ。
美煐はそのまま階段を上り、屋上へ出た。
「で、何の用かな。美煐ちゃん」
「見てほしい物があるの」
美煐がぼくに差し出したのは、古びたソニーのテープレコーダーだった。北朝鮮では未だカセットテープが現役らしい。
彼女が再生ボタンを押すと、ざーという大きなノイズがしばらく流れ続けていたが、耳を澄ませてみると、その中にうっすらと女性の声が混じっているのが、わかった。
聞き憶えのある声だ。
「この声は……宋さんの声かな。もしかして」
「そうよ。昨日の深夜に彼女がこっそり外に出ていくのを見て、後を尾行てみたの。そうしたら、誰かと携帯電話で話しだして」
ごくわずかな音声だったので聴き取りが難しかったのだが、《反乱軍》、《日本人》、《無津呂》という単語は認識できた。
「あいつが内通者か」
ぼくが思わず歯ぎしりしながら低い声でそう呟くと、美煐がびくりと身を震わせながら、首肯した。
「もしこれが本当に宋泰希の声だとしたら、だが。それにしても、なぜこんなものをぼくに?」
「私が直接見たんだから、間違いない。信じて」
美煐は、ぼくの眼をまっすぐに見つめ、ぼくの手を両手で握りしめた。
そして顔を引き寄せて、こう付け加えた。
「私、役に立つでしょ? あなたたちの会社で、雇ってほしいの。日本に行っても大丈夫。言葉だってすぐ憶えてみせるし、自分の力で食べていける。与えられた仕事は何でもやるわ。あなたに迷惑はかけない。約束するから」
なるほど。結局のところ、目的はやはりそれか。
宋泰希を売ってポイントを稼ぎ、ぼくの恩情を期待しているというわけだ。
この証拠を得るために、美煐が殺されるかもしれないリスクを冒したことは確かだろう。ヘマをして泰希に見つかっていたら、今頃彼女はどこかの山中で犬にでも喰われているかもしれないのだ。このテープの声が本当に泰希のものであれば大した手柄だが、美煐が日本に移住したいあまりでっちあげた可能性も否定できない。
「わかった。本当に宋泰希が《党》の内通者であれば、これは君の手柄だ。移住の件も前向きに考えておこう」
ぼくの曖昧な返事に一縷の望みを抱いたのか、美煐は眼を輝かせた。
何という純朴な田舎娘だろう、と、ぼくは内心呆れていた。多分ぼくが脱北をちらつかせれば、この娘は何でも言うことを聞いてしまうだろう。
裏切られ、捨てられる可能性など考えもせずに。