第百話「京都会談」
本来ならばそんなものは女中にやらせておけば良いのだが、こういうところが姉さんは読めないというか、ちょっとした茶目っ気のようなものがある。いや、姉さんのことだ。もしかしたら予期せぬ行動で相手の反応を伺おうという深慮遠謀があるのかもしれない。
「ふん。そんな女中のような格好をして何のつもりかね」
習錦濤が呆れた様子で姉さんに言った。
この会談には中国国家主席である習錦濤と、ロシアの大統領ウラジーミル・ベーチンと、大嶽総理も同席しているが、姉さんが日本の事実上の支配者であることは皆知っている。
「こう見えても朕は忙しい。時間は限られている。速やかに用件を伝えたまえ」部下に威張りちらすパワハラ上司の如く居丈高に胡座をかき、姉さんに命じる習(何たる無礼! 今すぐ中国へ渡り、抹殺したい)。
日本と中国とロシアは三国同盟を締結しており、またヘリオス擁するアメリカに対抗するため〈世界平和連合〉にも加盟しているが、軍事力でいえば日本と同等かそれ以上の中国やロシアは案の定〈世界平和連合〉の議長国を交代制にしようとか、日中露三カ国が主導する新体制に移行すべきだ、などと主張しはじめた。が、表立って核兵器を保有し、他国と領土問題で揉めてる国にそれを許せば〈世界平和連合〉の大義が揺らいでしまうため、表向きはあくまでも平和の国である日本が主導しておく必要がある。
「今日ここにお越しいただいたのは、他でもありません。三国同盟の結束をより強化するための、経済、軍事における新たな協定の提案を」
「ふん」習が露骨に鼻を鳴らした。「我が国に工作員を仕込み、政敵を排除するような人間と共に歩めというのかね」
習はその細い針金の如き眼をさらに細め、姉さんを睨みつけた。補足しておくと、現在中国では十五人の日本人が中国国民党によって拘束されている。日本としては即時解放を要請し続けており、外交問題に発展しつつある。
「それは貴国とて同じことだろう」姉さんの代わりに大嶽総理が叫んだ。「我が国でスパイ活動をしている貴国のエージェントを、我々は何人も知っているぞ」
「ほう。我が国のスパイが日本で秘密工作をしていたという証拠でもあるのかね」
挑発的な笑みを浮かべる習に、今にも食ってかかりそうな大嶽総理を、ヒヅル姉さんが手で制止した。
「今日は内輪揉めをするために集まっていただいたわけではありません。我々としましては引き続き拘束された〈国民〉の即時解放を求めますが、貴国が送りこんだスパイに関しましては、今後も共闘していく同志として、不問としましょう。我々は貴方がたに隠すことは何もございませんので。ほゝゝ」
「うさんくさい女狐め」
憎々しげに姉さんを睨みつける習の罵倒に、姉さんは変わらず女神然とした柔和な笑みを浮かべていた。
「時に」習の矛先は、姉さんから現ロシア大統領ウラジーミル・べーチンへと向けられる。「貴君はベンス大統領とこっそり親交を深めているようだな。ウラジーミル・べーチン。我が中国を裏切り、ブラックメロンに与するかね」
不快感を顕にする習とは対照的に、べーチンはまったくの無表情である。なおベンス現アメリカ大統領はヘリオス百人委員会すなわち幹部であり、ブラックメロン家の忠実な下僕であることは知る人ぞ知る。
「貴国こそ我が国の軍事機密を盗もうとしていただろう」
表情を変えずにべーチンは淡々と習に反論した。ロシアの潜水艦における軍事機密を中国側が盗み、自国の兵器開発に組みこんだとして中国籍の科学者数名がロシア当局に拘束され、今も取り調べが進んでいるらしい。
「それより白金総統。貴女こそブラックメロン家の連中と影でこそこそ密談を繰り返しているようだが」習がだんまりを決めこんだので、ベーチンは露骨に姉さんの方へと話題を逸らした。
「あら。サリーのことでしたら、私たちは和解し、共に世界平和を築きあげる同志として」
「サリー・ブラックメロンのことではない。我々の諜報網を甘く見ないことだ」ベーチンは意味ありげにそう告げた。話の矛先を逸らすためのブラフなのか、姉さんがブラックメロンの連中と水面下で何らかの駆引きを行っているのか、ぼくにはわからなかった。
終始温和だったヒヅル姉さんの眼が、サディスティックに細められた。
「これはこれは。異なことを仰いますね。べーチン大統領。クリミア問題で欧米からの制裁に苦しむ貴国を救ったのは何者か、お忘れのようで」口元にあてられた扇子に描かれし鷹の鋭い眼が、彼女の態度を表していた。「まさかまさか。そんな恩を仇で返すような方ではないと信じていましたのに。我々白金グループは、いったい何のために巨額の赤字を抱えてまで貴国を経済支援したのでしょう。悲しいわ。しくしく」
ロシアは二〇一四年にウクライナはクリミア半島に軍事侵攻し、制圧。その後欧米各国はウクライナに味方し、一方的な侵略行為に対する正義の鉄槌と言わんばかりにロシアに経済制裁を加えた。海外からの投資を著しく制限され、さらに主要輸出品の原油価格の下落などによって経済がズタボロになったロシアに、姉さんが巨額の投資話を持ちかけ、ようやく経済が成長軌道に乗りはじめた。要は姉さんはロシアの恩人、いや、救国の女神とも言うべき存在である。そして、彼女はその見返りとして――
「白金総統。貴女の支援には感謝している。だから私は周囲の反対を押し切って北方領土の返還に応じた。結果、長年の領土問題を解決したと貴女の労働党の支持率はますます盤石なものとなっただろう。我々はあくまで対等なパートナーであり、受け入れられぬことにははっきりノーと言わせてもらう。後ろめたいことがないのなら、貴女が数日前にアレクシア・ブラックメロンと交わした密談について、お聞かせ願おう。我々が信頼のおける同盟国ならば、話せるはずだ」
「まあ。アレクシア。かの〈ダイヤモンドの女王〉とこの私が、いったい何を話すというのでしょう。人違いではございませんこと。おほゝゝゝ」
「何も心配は要らないぞよ。べーチン大統領」習がベーチンの肩をぽんぽんと叩いた。「白金グループがロシアから撤退すれば、我が国が代わりに貴国へ投資するだけのこと。我々は一蓮托生。こんな薄汚い女狐とつるむより、我が中国と中露同盟を締結し、共に繁栄と富強の道を歩もうぞ。ほひひひひ」
ベーチンは無言であった。中国は中国でこのコロネウィルス騒動の戦犯として槍玉にあげられており、同盟を結んだところで欧米による徹底的な制裁に巻きこまれ、共倒れになる可能性がある。そして今回の会談には、コロネウィルス騒動の戦犯が中国なのかどうか、習の腹を探る狙いもあるだろう。
「それより」習がふたたび姉さんをにらみつけ、あけすけにこう宣った。「来週台湾に武力侵攻する。貴国に手出しはしないでもらいたい」
「それは難しい相談ですわ。習主席。台湾は〈世界平和連合〉の加盟国。有事の際は連合軍による介入は避けられない。でなければ連合の大義が揺らいでしまう」姉さんは涼しい笑顔で即答した。
「加盟国だと」習は円卓を拳槌でがつんと殴りつけ、姉さんを威嚇する。「良いかね。そもそも台湾などという国は存在しない。中国は昔からひとつであり、かの島に逃げた反乱軍どもが勝手に独立を宣言しているだけぞ。にもかかわらず、貴様は彼奴らがまるでひとつの国であると宣う。いったい何のつもりか。朕への嫌がらせなのか」
「他意はございません」
中国との関係を重視するならば、ここは台湾を無視して中国に歩調をあわせるべきなのかもしれない。しかしヒヅル姉さんはあくまでも世界の調停者として、一方的な武力侵攻に対してはノーと言わねばならない。でなければ、いくら姉さんのカリスマをもってしても世界を統一し、恒久的な平和と繁栄を実現することは難しいだろう。
「ところで、習主席。今さらですが」
姉さんが眼を閉じ、習に問いかける。
ふたたび開かれた姉さんの眼には――明確な敵意が、あった。
「いえ。名もなき影武者よ。非公式の場とはいえ、首脳同士の会談に偽物を差し向けるというのは、相手国に対する礼儀を失しているのではありませんか」
場を、沈黙が数瞬支配した。
習の顔からうすら笑いは消え、ベーチンは相変わらずロボットの如き無表情を貫いている。大嶽総理だけが気づいてなかったのか、眼を見開いている。
「はて。何のことやらわからんね。朕が偽物である証拠でもあるのか。それとも貴君は証拠もなく他国の代表を貶めるのかね」
「以前お会いした時から身長が二センチ、肩幅が三センチほど変化しておりますね。手足の長さも指の爪や耳の形も黒子の位置も歯並びも異なる。証拠は我が人工知能IRISに記録された膨大なカメラの高解像度映像、画像を解析すればすぐにわかることですわ。ほゝゝ。ベーチン大統領、あなたも元KGBならすでにお気づきのはず。あえて知らないふりをしていたのはなぜでしょう。身も心も中国国民党に捧げましたか」
ヒヅル姉さんの挑発的ともいえる物言いに、ベーチンの片眉がかすかに揺れた。
「言いがかりだ。でっちあげだ」習が吼えた。「よりにもよって国家元首たる朕を偽物呼ばわりするとは。今日をもって、三国同盟は破棄とする。貴君がその気ならば、朕も容赦はせぬ。台湾は抹殺する。尖閣も沖縄も、我が国固有の領土とする」
「それは〈世界平和連合〉を敵に回す、という意味でよろしいでしょうか。習主席」
堂々と宣戦布告してきた習に、姉さんは冷ややかな眼つきで返答した。
「貴君はどうするかね。ベーチン大統領。我々中国とともに歩むか、それともこの女狐とともに沈むか」
威圧的な習に対し、ベーチンの表情は相変わらずロボットだった。
「白金総統。貴女の主張には根拠がない。習主席も、冷静になってほしい。ここで我々が仲間割れをすれば、それこそブラックメロンの思う壺ではないのか。もし日本がふたたびブラックメロンの支配下に置かれれば、我々は」
「ほゝゝ。ご心配なく。たとえ同盟が決裂しようと、我々がブラックメロンに与することなどありえません」
「日本国が滅んでもかね」
姉さんに対して習は意地悪く訊ねる。
「この戦いに敗れるようなことがあれば、日本という国は消滅するでしょう。未来はすべて勝ち残った国のものです」
「ふん。貴君はこの女狐を信用するというのかね、ベーチン大統領。ダイヤモンドの女王と組み、我らを嵌めるやもしれぬぞ」
「だからこそ、白金総統。貴女は我々に身の潔白を証明しなければならない」
習の流言を無視し、ベーチンは姉さんの眼を真っ直ぐ見据えてそう言った。
「それよりも、朕を偽物呼ばわりした罪は重いぞ。白金ヒヅルよ。貴君がこの場で土下座して謝罪せぬかぎり、日中の同盟は金輪際ない。さて、尖閣諸島における領有権についてだが、明日大規模な艦隊をそちらに差し向けよう。尖閣諸島は我が中国固有の領土なので、手出ししないように。我が領海を侵犯すれば、侵略行為であるとみなし、宣戦布告とみなす」
「習主席」ベーチンが今度はいささか鋭い声で呼んだ。
「ほゝゝ。よりにもよって日本への宣戦布告とは。ブラックメロン家の面々は笑いが止まらないでしょうね。もっとも、それがあなたの狙いなのかもしれませんが。影武者殿」
「ベーチン大統領。貴君はどちらにつくのかね」
姉さんとの会話を強引に打ち切り、習は矛先をベーチンへと向けた。
「我が中国に仕え、共に発展するか。それともこの女狐とともに滅ぶか」
習は威圧的にベーチンを見下ろしていた。経済において中国はロシアの十倍近い規模を誇り、日本からの支援が打ち切られれば、欧米からの制裁に苦しむロシアは中国に頼る他ない。同盟というよりは一方的な主従関係になるだろう。
「ベーチン大統領。日本は今後も貴国の対等かつ重要なパートナーとして、ブラックメロン家と戦うためのありとあらゆる協力を、惜しむつもりはありません」
ヒヅル姉さんは習とは対照的に、ふたたび女神然とした穏やかな笑顔で握手を求めた。
姉さんはさらにつけ加えた。
「ウラジーミル・ベーチン。親愛なる同志よ。習錦濤とは違い、影武者を使わず自らこの場にお越しいただいたあなたを、我々一同心より歓迎いたします。あなたとは良い協力関係を築き、日露両国を発展させ、ブラックメロン家の〈終末計画〉を阻止し、平和で秩序ある世界を築けると、確信しております」
「ベーチン君! 一切聞く耳持つでないぞ。それともまさか、この女狐と組むなどと、たわけた冗句を言うつもりかね」
いきなり国の命運を左右する究極の二択を突きつけられたベーチンに、ぼくは少し同情した。