第2話 精霊少女
枯れた大木から現れた少女はとても美しかった。
流れる髪は金色に光り輝き、肌は白く、処女雪の様。纏う純白のドレスもどこか気品に満ちている。
ただ……ただ一つ彼女が人と違うところがあった。
彼女はとても――そう、とても小さかった。人と言うよりはむしろ虫のように小さな小さな少女。
万里はその姿を見て驚愕する。
(まさか、まさかこいつ精霊なのか――!?)
精霊――『精霊戦争』以前、人と精霊はともに道を歩んできたという。しかしあるとき精霊王と精霊たちは突如、人々に戦争を仕掛けた。
これがのちに言う『精霊戦争』。そして勝利した精霊たちは人々をこの牢獄世界『プリズンワールド』に閉じ込め、以降、精霊たちが人々の前に姿を現すことは決して無かった。
もしも、これが本当に精霊だとしたら――
少女が目を開き、視線が万里を捉える。そして――
「き、きゃあああああ、あ、あんたどうしてそんなもの出してるのよ!?」
彼女の視線は万里の下半身――正確には股間に向けられていた。
「あ、いけね、まだ小便の最中だったわ」
万里はズボンを直した。
それを見てホッとした少女は、キッと少年を睨み付ける。
「神木に活力が戻って解放されたと思ったら、最初に見たのが、あ、あんな……うう、思い出しただけで気持ち悪いよぅ……」
背中の羽でしばらく飛んでいた少女だったが、先ほどの光景がフラッシュバックしたのかふらふらと地面に降りてへたり込んでしまった。
「まあ、なんだ、よくあることだ、あんまし気にすんな!」
「よくあるか、ボケエエエ!!」
精霊娘がとび蹴りをかまして来るが、なんせサイズがサイズだけに痛くもかゆくも無い。
少女はハアハアと息を切らしながら、パタパタと飛んでいる。
万里は少し考えてから質問してみた。
「なあ、お前」
「何よ、変態!!」
「変態じゃねえ、霧雨万里だ。
……まあいいや、お前はこの木の精霊でいいのか?」
「わたしは……あれ?」
彼女は神妙な面持ちで考え込む。
そして、万里に「分からない」と答えた。
「分からない、ってどういうことだ?」万里はあらためて再度質問する。
「記憶が無いのよ。自分の名がユミルっていうのは覚えてるんだけど、それ以外のことはぽっかり穴が開いたみたいになってる感じ」
少女――ユミルの顔が暗い闇に沈んでいく。
それを見て万里は髪をボリボリと掻いて、
「あのよ――」
彼が話しかけようとしたそのとき、ズシンとした木々が倒れる音が聞こえた。
二人はそちらに目を向けると、視線の先に何か大きな巨体の人影がこちらに近づいているようだ。
木々を倒しながら現れたその正体に、万里は絶句する。
「おいおい、冗談だろ? なんで……なんでこんなところに『オーガ』が居やがるんだよ!?」
オーガ――Fランクの上、Eランクの中でも最大級のパワーを誇ると言われる、超危険モンスター。そびえたつ2本の大きな角、3メートルはありそうな赤銅の巨体は筋肉の鎧に覆われており、その頑丈さはもちろん、丸太のように太い腕はたやすく岩をも粉砕する。
知性こそ低いもののその危険性は折り紙つきで、ベテラン探索者すら一人で遭遇すれば命の保証はないほどなのだ。
当然、Fランクの駆け出しに過ぎない万里など――
「クソッ、おい、にげ――」
撤退しようとする万里であったが、それはすでに遅すぎた。
戦技「咆哮」――オーガが放った咆哮が森中に響き渡る。
逃げようとした万里であったが、目の前の化け物は獲物を見逃すつもりは無いらしい。オーガの戦技にやられ、万里の身体は硬直し、まるで石のように動かない。
オーガが獲物に止めを刺すべくゆっくりと近づいてくる。
――完全に油断した。まさかオーガクラスがこの階層に出没するなど、通常ではまず考えられないことだったからだ。いや、その階層に通常存在しないはずのモンスターがイレギュラーとして現れる例はまれに存在することであった。つまりは万里の落ち度だ。もっともオーガ相手に事前の心構え程度でどうこうなったかは分からないが。
眼前に立つオーガの迫力に、万里たちは吹き出る汗を止めることができない。
――ここまでか。
万里は目を伏せる。そしてオーガの拳が眼前に迫り――
「戦技『突撃槍』!!」
不意打ちの一打がオーガをわずかにのけぞらせる。
オーガの「咆哮」の硬直が解かれ、自由になった体でそちらを向くと、そこには斧槍を構えた狼人の青年――ジンがオーガと対峙していた。
「ジン!!」
「説明は後だ、それよりこいつを何とかしねぇとマジでやばいぞ!!」
オーガは先ほど不意打ちを食らったにもかかわらず、外傷どころかかすり傷すらついていなかった。そのあまりの硬さに二人の心に絶望の色が見え始める。
オーガの目が先ほど攻撃した相手に向けられる。そこにははっきりとした怒りの色が見られる。
目の前の鬼は息をスゥーと吸い始める。
万里はそれがヤツの戦技「咆哮」の発動動作であると理解できた。「咆哮」は受けた相手の動きを一定時間止める事が出来る凶悪な戦技である。今、これほど接近した状態で使われれば今度こそ確実な「死」が待っているのだ、使われるわけにはいかない。
それを止めるためにオーガに向かっていった万里の対応は決して間違いではなった。だが、間違いではなかったが、最良でもなかった。オーガに攻撃しようとしたそのとき、オーガの表情が一瞬変わったのを万里は見た。それは人でいう「笑み」。まるで罠にかかったのがおかしいとでも言うような笑みの後、繰り出された剛腕の拳が、万里をまるで鞠のように地面に叩きこまれて弾き飛ぶ。
「万里!!」
ジンの叫びにも万里は反応を示さない。
それはまるで死んだかのように――
ジンは今、最悪の状況に立たされていた。
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オーガの攻撃を受けてもうろうとする意識のなか、万里はこちらに飛んでくる小さな存在を目にした。ユミルである。
「ちょっ、ちょっとあんた大丈夫なの!?」
大丈夫ではないくらい見ればわかるものを、必死の表情で聞いてくるユミル。
万里は「うるせーな」と言って立ち上がろうとして――地面に膝を着く。
「おいお前、何してんだ? 鬱陶しいから早く消えろよ」
万里はそう言ってくるが、彼女は逃げる素振りを見せず、目の前の死にかけの少年をジッと見つめている。
そして、彼女は口を開いた。
「手」
「あ? 手?」
「手、貸してあげるって言ってるの!」
何を言ってるかよく分からない。
彼女の手を見るが、それは身体同様に小さく、彼を持ち上げることすらできそうもない。
「もう、だから、わたしが精霊契約してあげるっていってるのよ!!」
「精霊契約だと……?」
彼が疑問を投げかける前に、彼の唇に少女が口づけを交わしていた。
それはキスと呼ぶにはあまりにも少女の身体が小さく、どちらかと言えば唇と唇が触れたと言った方が正しいかもしれない。
だがしかし、彼女と触れた瞬間、彼は少女の言葉の意味を理解した。
繋がった、そう、繋がったのだ、目に見えない、それこそ魂と魂とがまるで橋でもかけられたかのような奇妙な感覚。
これが契約、これが古の力。
少女から流れ込んでくる圧倒的力に万里はかつて聞いた言葉を思い出す。
――かつて人々は精霊たちの力を使い、栄華を極めた。
それはおとぎ話の類だと今まで思っていたが、その認識は誤りであった。
この力にはそれだけの価値がある。
「ど、どうよ、わたしの力は?
言っておくけど仮よ、仮! 本契約なんてあんたには千年早いんだからね!!」
気のせいかほんのり頬を赤く染めて、精霊の女の子は万里に聞いてくる。
万里は立ち上がり、「そうだな、まあ、悪くねーよ」と答た。
そして、懐に隠していた回復薬ポーションを一気に飲み干し、視線を先ほど自分をブッ飛ばした相手に目を向け、笑みを浮かべてこう言った。
「そうだよな、めんどくせぇけど、借りはきっちり返さなきゃいけねーよなあ」
万里はオーガに向かって走り出した。




