23.同じ扉
「ねえ、クレイトス、どうせなら外に行こうよ」
歩きながらそう不満そうに言うのはタリアだ。前を歩くクレイトスは顔だけで振り返ってタリアを見た。
「まずはラフィーナ様へ城内の案内をいたします」
「ええー、住んでたらすぐ覚えるって」
タリアの言葉にクレイトスは困ったような笑みを浮かべた。
「もしもラフィーナ様お一人の時に迷ってしまうと困りますからね」
実は昨夜もう既に迷ったのだが、クレイトスはそのことは一言も口にしない。だからラフィーナもなんとなく口にしない。
ラフィーナは「とても助かるわ」と微笑んだ。教えてもらっても同じ景色ばかりで全く覚えられる気はしないけれど。
クレイトスの言葉を聞きながらペタペタと歩く。柔らかい草もいいけれど、この冷たい感触も心地いい。ラフィーナは目を細めて視線を落とした。
階段を降りると人が増えた。不意に昨日の囁く声を思い出して少し体が強張る。そしてそれはやはり今日もだった。
『あら、見て、あの方だわ』
その声が聞こえた途端、息が苦しくなった。
『まあ、本当に裸足だわ。なんてみっともない。頭がおかしいのではなくて?』
『氷月の方が靴もお与えにならないのかもしれないわ』
ヒソヒソと聞こえる声にラフィーナは視線を落とす。そうだった、忘れていた。昨日も言われたのだった。靴を履かないことは『みっともない』のだと。
先程までの心地よい冷たさが、今度は凍えるように足を刺す。
『だけどあの方には同情するわ。氷月の方と婚姻するのですもの』
『血も涙もない悪魔のような方よ。わたくしはてっきりもう亡き者にされているのかと思っていたわ』
『だけどきっとすぐに殺されてしまうわ。本当に恐ろしい方だもの。お可哀想に……』
これも昨日と同じ。『みっともない』の次は『可哀想』。可哀想という言葉がこんなにも胸を締め付けるなど、昨日まで知らなかった。
クレイトスは変わらない様子で説明をしている。タリアはつまらなさそうに隣を歩いている。後ろのイリスも変わった様子はない。どうして皆こんな言葉を聞いて平気なのかしら、と思う。自分はこんなにも苦しいのに。
「こちらがエリオス様の執務室でございます」
視線を下げたまま少し歩き、聞こえた声に顔を上げた。数え切れないほどの同じ扉がずっと並んでいる。目の前の扉も周りと全く同じで、ラフィーナは目を丸くした。どうしてこの中から分かるのだろう。
「せっかくだしちょっと会って行こう」
タリアはそう言うと迷わずノックをし、返事がある前に扉を開けた。クレイトスが困ったような笑みを浮かべる。
「兄さま、お疲れ」」
「おや、タリアじゃないか。どうしたんだい?」
部屋の中から聞こえる2人の声を聞きながら、ラフィーナはイリスを見た。
「扉に何か目印があるのかしら? わたくしには全部同じように見えるのだけれど」
一つや二つなら同じ扉でも迷わない。だけど歩いてきた廊下にずっと等間隔で同じ扉があるのだ。
「私にも同じように見えます。覚えるしかありませんね」
「そうよね……」
前を見ると比較的すぐそこに曲がり角がある。
「何個目かしら。いち、に、さん……」
端の扉から指さして一つずつ数えていると部屋の中から「ラフィーナ」と呼ぶ声があった。
「はい」
数えるのをやめて部屋を覗く。エリオスの温かな笑みがそこにあった。中へと踏み入ると、床の感触が変わった。絨毯がひかれている。柔らかく温かいそれに、エリオスらしさを感じた。
広い部屋の中には何人もの人が机へ向かって座っていた。その視線が一気にラフィーナに向き、思わず足を止める。
にこやかな笑顔を浮かべる人たち。だけど好意的な視線ばかりではない。冷たく、無遠慮な自然も感じる。できるだけ誰とも目を合わせないようにして、ラフィーナは正面に立つエリオスの元へと歩いた。
エリオスが椅子から立ち上がる。近くまで行くと頭を下げられた。
「改めて、先日のネストルの非礼を詫びるよ。すまなかった」
「謝らないで。わたくし、ネストル様の言っていたことが今なら少しだけ分かるの」
机に向かってお勉強してばかりでは何も分からないままなのだ。読み書きや計算を身に付けても、レガルディア帝国の歴史を知っても、ラフィーナは薔薇に棘があることすらも知らなかったのだから。
「ネストル様は怖いけれど、嫌とは思わないの。不思議ね」
微かな笑みを浮かべたラフィーナに、エリオスは「それはよかったよ」とどこかほっとしたような表情を見せた。
「ところで、靴は用意していなかったかな?」
エリオスは視線を下げることなく、また、嫌悪を表に出すこともなくそう聞いた。それはヒソヒソと囁かれるような嫌な響きはなかった。
「靴はあまり好きではないの」
ラフィーナはいくつもの視線を受け、少し恥ずかしくなって少し顎を下げ、小さな声で言った。
「ネストルは履くように言わなかったかい?」
「ええ、わたくしがいいなら、とおっしゃったわ。……だけど、次から履こうかしら」
囁かれる言葉の意味や悪意をラフィーナは肌で感じ取っている。靴を履いたらあれはなくなるのだろうか。エリオスは「そうだね」と頷いた。
「靴は履いた方がいい。君を守ってくれるはずだ」
「そうなの……?」
何からかしら、とラフィーナが首を傾げた時だった。扉をノックする音が響き、開いた。
入って来たその人はラフィーナを見て微かに眉をひそめる。エリオスが「ご苦労様」と微笑み、タリアが嬉しそうに笑った。対してその笑顔を向けられた相手ーーネストルは明らかに嫌そうな表情を浮かべた。
胸が少しだけざわめいたが、それがどんな感情なのかは自分でもよく分からない。
「……終わりました、確認を」
ネストルはそう言って持っていた書類をエリオスに手渡す。そしてそれ以上ラフィーナを見ることも、口を開くこともなく扉へと踵を返した。
「ネストル」
その背にエリオスが呼びかける。足を止め、振り返ったその目は相変わらず鋭くて、思わず肩をすくめた。
「そう怖い顔をするな。お前の執務室へ行ってもいいか?」
エリオスは変わらない穏やかな声で言う。ネストルは冷たい表情。正反対だわ、と思う。
「……仕事中ですが」
ネストルは静かな、だけど明らかな拒否を滲ませた声で言った。エリオスは笑みを崩さず、今しがたネストルから受け取った書類をひらりと振る。
「急ぎの仕事なら終わったじゃないか」
「まだ山積みです。誰とは言わないが仕事を押し付けてくる人がいるもので」
含みのある言い方にラフィーナはもしかして、と思ってエリオスを見る。エリオスが笑みを深める。
「すまないな、聞こえなかった」
ネスタルは深いため息をつくと、ラフィーナ達に背中を向け、部屋を出た。タリアもふわふわとその後ろをついて行く。クレイトスとイリスも続いた。
「ほら、ラフィーナ、君も行くよ」
今の会話で何がどうなったのかよく分からないまま、ラフィーナはエリオスに言われるままに扉をくぐった。




