第127話「最高の結果」
ゲオルグは、ゆっくりと剣を下ろした。
そして――背を向ける。
少しだけ、顔を上に向ける。
天井を見るでもなく、ただ視線を逃がすように。大きく、長い息を吐いた。
その声は、低く、静かだった。
「……いい剣だった」
それだけを、残す。
悔恨も、言い訳も、勝者の誇示もない。
ただ、剣を交えた者への敬意だけが、そこにあった。
そして――
ゲオルグは、振り返らないまま、続ける。
「イリーナ」
「ここまでにするぞ」
イリーナは、その背中を見つめていた。
剣を握る手が、微かに震える。
だが――
その声に、迷いはなかった。
剣が、納められた。
その音を合図にしたように、張り詰めていた空気が、わずかに緩む。
サラは、息を整えながら、ゆっくりと周囲を見渡した。
倒れている者たち。
砕けた床。
血の跡。
――そして。
ミラ。
サラは、思わず目を凝らした。
ミラの服。髪。肌。無傷どころかどこにも、血すら付いていない。
(……やっぱり)
胸の奥で、静かに言葉が形になる。
(この人は、最初から――私たちを殺す気なんて、無かった)
もし本気で殺すつもりなら、カイも自分も、おそらく生きていられなかった。
あれほどの剣を振るいながら、血の飛び方まで計算していたのだ。
(守ってる。いやそれ以上の何か…)
サラは、そう感じた。優しさ、という言葉では足りない。
赦しでも、同情でもない。壊さないと、最初から決めていたのだろう。
ただ――
サラは、ゲオルグの背中を見る。大きく、重く、そしてどこか孤独な背中。
(この人は……)
癒すことは、できない。抱えてきたものが、あまりにも深すぎる気がした。
それでも。
(この人は、まだ戻れる。戦う姿は救国の英雄そのものだった)
サラは、ミラの肩にそっと手を置いた。温もりが、確かにそこにある。
戦いは終わった。
少なくとも――殺し合いは。
沈黙が、戦場を包んでいた。
腰まで地面に固定されたままのイリーナは、ゆっくりと視線を動かし、隣にいる男を見る。
土に縛られながらも、どこか気の抜けた顔で天井を見上げている魔法使い。
「……おい」
声は、思っていたよりも静かだった。
「この魔法。解除してくれないか。もう……終わりだろう?」
ザイルは、少しだけ目を細めた。中央では、剣が納められ、誰も動いていない。殺気も、敵意も、もうそこにはなかった。
「そうだな」
小さく息を吐く。
「やれやれ……」
口元に、いつもの軽い笑み。
「なんとか、誰も死なずに済んだか」
次の瞬間。
地面が、静かに軋んだ。土の拘束が、まるで溶けるように崩れていく。
腰を締め付けていた圧が消え、重力が、ようやく“普通”に戻る。
イリーナは、片膝をついて体勢を整え、ゆっくりと立ち上がった。剣を拾い上げるが、構えはしない。
「……礼を言うべきか?」
「いらねーよ」
ザイルは肩をすくめる。
「貸し借りは嫌いなんでな」
イリーナは、それ以上何も言わなかった。ただ、一度だけザイルを見て――
背を向ける。足取りに迷いはない。
向かう先は、ただ一人。
一方、ザイルは大きく伸びをすると、首を鳴らした。
「っと……」
魔力の抜けた身体は、正直に重い。だが、それでも歩く。中央を横切り、血の跡を避けながら、ゆっくりと。
カイたちのいる方へ。
サラがこちらに気づき、ほっとしたように息を吐く。ミラも、少しだけ表情を緩めた。
コハルもサラの治療で意識を取り戻し、笑顔でザイルを出迎える。
「……大丈夫か?」
ザイルが、ぽつりと呟く。
カイは、まだ立ち上がれないまま、空を見上げていた。悔しさと、満足と、言葉にならない何かが、胸の奥で混ざり合っている。
「終わったんだよな?これで良かったのか?」
カイの言葉にザイルは、少しだけ笑った。
「帝国の英雄と、その最強の部隊を相手に誰も死なずに退けたんだ。最高の結果じゃねぇか」
少し間を置いて、軽く肩をすくめる。
「なあ、リーダー」
その一言で。胸の奥に絡みついていたものが、すっとほどけた。
その言葉に、誰も反論しなかった。
剣は納められた。
血は、これ以上流れない。
戦いは、確かに――終わったのだ。




