第四十一話
今日は一日、二人でゆっくり過ごすようにとセシリアたちに言われ、レンとアルエットは何をするでもなく庭に出た。
アルエットはデジレに一緒に来るよう頼んでいたが、「嫌です。面倒なんで」と素気なく断られている。
「きょ、今日は良い天気だね! 風も気持ち良いし鍛錬でもしたいね!」
などと、どうでもいい話を目も合わせないまましゃべり続けているアルエットに、レンは大きく溜め息をついた。
「なぁ、アルエット」
レンの呼びかけにアルエットの肩が震える。落ち着かなく視線を動かし、何故か庭木の後ろに隠れてしまった。
「……何してるんだ?」
「だ、だって今、君はわたしがあの時言ったことへの返事を言おうとしたでしょ? 聞いたらすべてが終わってしまうけど、聞かないままでいたら一生夢を見ていられるから……!」
何を言っているのかわからないけれど彼女は至って真剣だ。こういうところもロドルフが言ったように亡き先王と似ているのだろう。明るくて元気な割に、自分に魅力がないと思い込んでいる。
「あのな、俺は真面目に話そうとしてるんだ。そんなところに隠れていたら言いたいことも言えないだろ」
「その言いたいことを聞きたくないんだってば!」
レンが近づこうとするとアルエットはまた逃げた。庭木を挟んで二人でぐるぐると回りはじめる。本当に何をやってるんだと馬鹿らしくなってきた。
「こんにゃろ!」
もうそろそろ目が回りそうなところでレンは踵を返し、方向転換した。いきなりのことで対応しきれず突進してきたアルエットの両腕を掴んで捕まえる。
「ぎゃあっ!?」
王女にあるまじき声を出してじたばた暴れるアルエットだがレンは意地でも離さなかった。ここで逃げられるわけにはいかない。
だというのに、あまりに子供じみた追いかけあいのせいで笑いがこみ上げてしまった。顔にも出たようで、アルエットは藻掻くのをやめる。
「前にもこんなことがあったな。いや、あの時とは立場が逆か」
レンが何を言わんとしているのか、彼女にはわからないようだった。窺うように首を傾げながら、それでもようやくこちらを見てくれた。
「ほら、お前が母さんのところから出て行くって決まった時。俺は受け入れられなくて、ずっとお前のことを避けてた」
少し考えて、思い出したのかアルエットは小さく笑う。
「あぁ。あったね、そんなこと」
もう逃げる気配はない。レンが腕を放すと、彼女は姿勢を正した。今度はまっすぐにレンの顔を見つめる。
「あの時の、自分の言葉が我が身に返ってきたね。……逃げずに聞くよ。君が出した答えなら、それがどんなものだとしても」
覚悟を決めたような顔は、きっとレンが彼女のことを弟扱いしたままだと思い込んでいるからだろう。
でも、違う。そうじゃない。
これから話すことで、レンを傍に置いておくか判断するのはアルエットだ。彼女に拒絶されたなら、レンがどんなに望もうとも、ここにはいられない。
「俺は今まで、罪のある者と言われれば男も女も関係なく手に掛けてきた」
アルエットは相槌をうつこともなく、ただじっとレンの目を見たまま耳を傾けている。
「俺が初めて殺したのは、子供だ。今のエリーたちと同じくらいの歳だった。あの子は俺と違って、ヘラルドに反抗して自分を貫こうとしたんだ。それを俺が殺した」
もしあの少年が屈して生き延びていたところで、あの鼠の異形にさせられた者たちと同じ運命を辿っていたはずだ。彼はそれすらも予見していたのかもしれない。賢く強い子供だった。
エリーたちを本当の妹のように接し、施療院では病気の子供たちに奉仕する。そんなアルエットには一番知られたくない過去だ。しかし黙ったままではいられない。隠したまま傍にいることは、裏切りに近い。
「レン」
静かに、アルエットが問いかける。
「隠していたほうが楽だったろうに、言うんだね。――それでもし、わたしが拒絶したら君はどうするつもりなの?」
「お前が嫌だと言うならここを出て行く。この腕輪を――聖剣を外してくれ。お前にならできるだろう?」
レンがそう告げると、アルエットは俯いた。唇をぐっと噛んで何かを堪えるように。
「でも」
そんなアルエットと視線を合わせるために、レンは片膝をついた。意図せずして、主君に忠誠を誓う騎士そのもののようだった。
「それでも俺はお前の傍にいたい」
覗き込んだアルエットの目が大きく見開かれた。木漏れ日を受けて黄金色に輝く。
「身勝手なのはわかってる。たくさんの罪を犯しておいて、都合の良いことを言っているのも。俺はこんな人間で、汚れた手はもう元には戻らない。それでも……それでも、太陽に触れていたいんだ、アルエット」
汚泥の中から空を仰ぐように、レンはアルエットの顔へと手を伸ばした。彼女はそれを包み込んで受け止めると、屈んで自身の頬に添える。
「それなら、わたしは触れられていたいよ。だって君の手はこんなにも温かい」
桃色の頬がしっとりと手に馴染む。少し力を入れれば傷つけてしまいそうなほど柔らかな肌だった。
「君が罪人なら、わたしだってそうだ。相手が誰であれ、命は命だよ。数だって関係ない。レンが汚れているのなら、わたしだって汚れてる。そうでしょう?」
その言葉にレンは首を振って否定しようとした。しかしできなかった。アルエットが握った手をぐっと強く引き、レンを強引に立ち上がらせたから。
「もしもその罪が君を地獄に堕とすなら、わたしも一緒についていくよ」
笑いながらそんなことを言う。だけど冗談でもなさそうで、つられてレンも笑ってしまった。
「お前を地獄へ道連れになんかしたら、セシリア様に申し訳ないな」
「あぁ、そうだね。姉様、わたしのこと大好きだから」
「……そういう自信はあるんだな。だったら俺の言うことも少しくらいは信じてほしいんだが」
まだ握ったままの手の中で、アルエットの手がぎくりと震えた。強張るそれを、レンは逃がさないように強く力を込める。
「アルエットが好きだ」
太陽の瞳が揺らめいて、じわりと滲む。
「ファルコだった頃のお前も、好きだ。でも、今言ってるのはその延長線なんかじゃない。俺を陽の当たる場所に連れ戻してくれたのはアルエットなんだ。だから俺はアルエット・オ・エテールネルの守護者でいたい。神子だとか聖王だとか、そんな大層なものじゃなくたって、アルエットがいい。たぶんこういう気持ちを……愛してる、っていうんだろうな」
恥ずかしくて、そりゃあもう恥ずかしくて目を逸らしたくなるのを必死で堪えながら告げた。
アルエットの目尻に溜まっていた涙が瞬きの拍子に零れ落ちる。それを彼女は空いている手で拭い、下を向いてしまった。
「まだ信じられないのか?」
返事がなくて訊いてみる。すると彼女は小さく頷いた。しかし涙を拭った手の隙間から覗く黄金色の瞳は微かに笑っている。
「……どうしたら信じると思う?」
悪戯っぽい、挑戦的な瞳。あぁ、やっぱりこいつはアルエットでファルコだなと思うと自然に笑いがこみ上げてきた。
繋いでいた手を一度離し、アルエットの華奢な腰に手を回し抱き寄せる。それと当時に彼女は少し背伸びをして、レンはその唇に噛みつくような口づけをした。
アルエットの両腕がレンの首に回される。温かくて柔らかくて甘くて、もっと欲しくなる。まるで熟した果実にかじりついた時のような――
はっとして、レンは慌てて身を離した。そして少し強引にアルエットを振り払い、距離を取る。
「は、離れてくれ! 危険だ!」
「え? え?」
突然のことにアルエットは混乱した様子で立ち尽くしている。それどころか、せっかく想いが通じたのに拒絶されたように感じたのか、また表情が曇り始める。
しかしレンにとってはそれどころではなかった。これは彼女を守るためだ。
「い、今、俺はお前のことを食べたいって感じたんだ! 魔獣の力の影響かもしれない!」
「え」
こちらは必死だというのに呆けた顔で間の抜けた声を出すアルエット。しばしそのまま固まっていたかと思うと、見る間に耳まで真っ赤に染まっていく。
「れ、レンって意外と大胆だね……! それとも天然なのかな……!?」
両手で顔を覆って恥ずかしそうにもじもじしているが早く逃げてほしい。仕方なくレンはじりじりと後退りをする。その背後で、がさりと物音がした。
「見えなーい」
「聞こえなーい」
「こらこら、しー! 静かに! 動いちゃだめ!」
不満げな幼い声。次いで、それを急いで制する声がした。驚いて振り返ってみると、生け垣に身を隠していたカーラと視線がぶつかった。彼女に背後から目を覆われたエリーがじたばた暴れている。その隣にはハンナと、ハンナの手に両耳を塞がれたマリーがいた。
「お、お前ら……!」
もう襲撃される恐れはないものの、怪我をしたアルエットと倒れたレンを心配したオルガがしばらく滞在することになったため彼女たちもまだ聖殿にいた。しかしなんだって今ここに集まっているのか。
「あ、わたしたちのことは気にせずどうぞ続けて」
「できるか! いつからいたんだ!?」
しれっと言うカーラに、たまらず怒鳴る。するとハンナが申し訳なさそうに、おずおずと答えた。
「え、えっと、二人が木の回りをぐるぐるしてたあたりから……」
割と最初からだ。気配に気づけなかったのは悔しい限りである。それくらい、アルエットのことしか見ていなかったのだと思うと余計に恥ずかしい。
さらに人影はもうひとつあった。カーラたちの後ろに、見慣れた団子頭が見えた。
「デジレ、お前か……!」
レンたちがここにいることを、彼女なら知っていた。アルエットが一緒にいて欲しいと頼んだ時は断ったくせに、一緒になって覗き見とは。
「まぁ、そこそこ暇していたもので」
などと言いながら、抱えた袋から焼き菓子を取り出して口に放り込む。たぶんあれはオルガがカーラたちのために作ったものだ。隠す気もなく買収されている。
もう怒るに怒れなくてレンはその場にうずくまりたくなった。それを、響き渡った笑い声が阻む。
「ご、ごめん。なんかもう、可笑しくなっちゃって……」
腹を抱えて苦しそうにアルエットは笑い続ける。何がそんなに面白いのか。それに、危険だってまだ去ってないのに。
「何を笑ってるんだ。俺はお前に危害を加えるかもしれないんだぞ?」
「あ、あのね、レン。それはね……」
気遣うようにハンナが何かを言おうとした。それをアルエットが遮る。
「待って、ハンナ。いいんだ。わたしたちはこのままで」
何がいいものか。しかしレンが離れる前に、アルエットはその腕を捕まえて絡みつくと、吐息のような耳打ちをした。
「ねぇ、レン。君になら食べられてもいいよ」
ぎょっとしてその顔を見る。それそれは楽しそうで、ようやくその意味を悟ったレンは己が口走ってしまったことを思い出し羞恥で死にそうになった。
子供の頃から一枚上手なアルエット。
せめて一矢報いたい。
「骨まで残さず食べてやる。――いつか、な」
そう答えると、アルエットは少し驚いた顔をして、晴れやかに頷いたのだった。




