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Griffe et Aile ~死神の爪と恩寵の翼~  作者: 淡路帆希
離別の日の記憶
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第二十七話

 オルガたちがこの山に住み始めたのは二年ほど前かららしい。

 王都にそのまま居を構えることも考えたが、オルガの能力は植物を操る力に特化しており、自然の中で長年暮らしていたこともあってか街での暮らしは馴染めなかったそうだ。

 かといってあまり遠く離れてしまうのは心配だからと、アルエットの提案でこの場所を新たな住処とした。カーラとハンナはあと数年ほどしたら再び王都へ戻って、それぞれニーナに紹介してもらった商人や画家のもとに弟子入りするのだと楽しそうに話してくれた。

 離れていた時間を埋めるように話が弾む。おしゃべりなカーラとアルエットがほとんど二人で話していたようなものだが、その賑やかさこそが懐かしかった。――しかし。

「あの、アルエット様」

 何の前触れもなく挙手をして、デジレが会話を断ち切った。皆の注目を浴びても動じず、彼女は茶のおかわりでも要求するような気軽さで言う。

「さっき襲ってきた賊について、先生たちに話しておかなくていいんですか?」

 物騒な言葉にオルガたちから笑顔が消える。アルエットは言い出す機会を探っていたのか、わずかに視線を落とした。

「賊? どういうことなの? もしかして、また……」

 不安げなオルガの問いにアルエットは首を横に振った。

「同じ相手かどうかはわからない。でも、あの時みたいな……化け物はいなかったよ。見たところ全員普通の人間だった」

 目を閉じ、眉間に皺を寄せる。きっとアルエットにとって、あの夜に見たものは思い出したくない光景なのだろう。しかしデジレはそんな主人に気を掛けることもなく続ける。

「いえ、どうでしょう。相手が本気を出していなかっただけということも考えられます。数年前にアルエット様を襲ったのはおそらく魔宝珠を取り込んで肉体改造を施した者でしょうし、だとしたら元は普通の人間ですからね」

「魔宝珠?」

 レンが訊きたかったことを、先んじてエリーが尋ねる。マリーも隣で首を傾げていた。

「わたしも実物を見たわけではないのではっきりとは言えません。出回っているのは主に裏社会のようですし。ただ、集めた文献から推察するに……魔獣の力を結晶化した石、といったところでしょうか」

「魔獣って……そんなもの大昔にいなくなったんじゃないのか?」

 レンは自身の腕を見る。そこには雷槌のアーリックという魔獣を封じ、その力を奪い宿したという精霊フランムルージュの聖剣があった。先ほどは仄かに光っていたものの、今はただの赤い腕輪に戻っている。

「倒されたわけではなく、あくまで封じられただけですので。岩から水が染み出すように、じわじわと蘇ってきているものと考えられます。少しずつ、ごく弱い力なのでそう恐れることもないですが、その力を結晶化させたものと思われる魔宝珠は少々厄介ですね。普通の人間が取り扱えば体に負担もかかるはずですし、自我も壊れていくでしょう。わたしたち導士のようにエクラ――精霊と対話する力に優れた者ならぎりぎりどうにかなるかもしれませんが、おすすめはしません」

 俄には信じられなかったが、実際にアルエットは獣のように変じた男に襲撃されている。それに、デジレは性格はともかく導士としては本当に優秀なようだ。彼女の師であるオルガも真剣な眼差しで彼女の話に聞き入っていた。

 アルエットも同じくだ。しかし彼女は少しだけ黙した後、ふっと自嘲気味に笑った。

「わたしの秘密を知らなくても、存在が気に入らないって人はきっといる。王族ってそういうものだって諦めるしかないよね。でも、わたしは絶対に殺されることはないから。周りを巻き込まないようにしたいだけかな」

 殺されない。それは武人としての自負ではなかった。そうであれば、もっと堂々と胸を張っているはずだ。けれど今、彼女の太陽のような瞳は暗く陰っている。

「あの、光の翼か」

 レンが問うと、アルエットは小さく頷いた。

「あれは神子を守る恩寵の翼。悪意をもった攻撃に命を脅かされたら、倍の力で弾き返す。わたしの意思に関係なく、ね」

 レンがアルエットを殺そうとした時、彼女は言った。君を死なせたくない、と。

 あれはそういうことだったのだ。

「だからわたしは強くなくちゃいけないんだ。攻撃が入る前にわたし自身の力で防いでしまえば翼は発動しない。たとえどんな人間だって、あんなふうに死ぬところはもう見たくないからね」

 己にも制御しきれない力。それから他者を――自分に殺意を向ける者であろうと守るために彼女は強くなったのだ。きっとその力を受け入れるまで悩み苦しんだろうに。

 自分とは違うなと感じ、レンはアルエットから視線を外した。

 レンの強さは憎しみからくるものだ。家族を殺されたと思い込み、命じられるまま多くの命を奪った。

「レン兄ちゃん、どうかした?」

 俯いたレンにマリーが不思議そうな目を向けてくる。心配させてしまったようだ。つい昔のように頭を撫でてやろうとして――その手を引っ込める。

 今、エリーとマリーは十一歳のはずだ。

 あの時、罠に掛かった少年も、同じ年頃だった。

「なんでもないよ」

 笑ってごまかす。引っ込めた手のひらは無意識に太腿に擦りつけていた。かつて、そこにこびりついた血を今さら拭い取るように。

「ひとつ、提案がある」

 ずっと考えていたことをレンは口にした。

「母さんたちはしばらくここを離れたほうがいい。賊は、もしかしたら皆を人質に取って何かを要求してくるかもしれない」

「どういうこと?」

 オルガが不安げに訊いてくる。アルエットはレンが何を言うのか心配しているようだったが、口を挟むことはなかった。

「俺はいろんなところを渡り歩いて良いものも悪いものもたくさん見てきた。だから、ああいった連中は目的のためなら手段を選ばないことを知ってる。……皆が心配なんだ」

 その目的が何なのかはわからない。けれど、彼ならきっと、そうする。あの人混みに紛れて消えそうな特徴のない笑顔で。

「この人の言うとおりにしたほうが良いと思いますよ」

 困惑するオルガたちにデジレが言った。後れ毛を弄りながら大して興味もなさそうに。

 いや、違う。デジレは非常に察しが良い。そしてそのうえで、自分が働きかける必要のないものにわざわざ手出しや口出しをしないだけだ。そんな彼女がオルガたちの背を押したのは、レンが何者であるのか、ある程度予想がついているから。

 それについて何も言わないのは主人であるアルエットの意思を尊重しているということだろう。ただし、その主人が間違っていると判断したなら、即座に手を打ってくるはずだ。

「わかったわ。すぐに準備しましょう」

 オルガが決断すると、カーラたちは頷いてすぐに動き出した。一度は命辛々逃げ延びた身だ。皆、非常に落ち着いている。

「レン……」

 アルエットが気遣わし気にレンの名を呼んだ。

 彼女もまた察しが良い。賊とレンの関係に気がついているのだろう。

「大丈夫だ」

 少なくとも彼女たちに手出しはさせない。

 これは裏切りではない。

 最初から裏切られていたのはこちらだったのだから。

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