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Griffe et Aile ~死神の爪と恩寵の翼~  作者: 淡路帆希
アルエットの正体
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第二十二話

「さて、どこから話し始めようかな」

 森の中の小さな家。かつて暮らした家とよく似たそこは、内装までもそっくり同じだった。落ち着きを取り戻したオルガが出してくれた焼き菓子の匂いに、今までのことがすべて悪い夢だったのではないかと錯覚する。

 卓を囲む皆の視線を集めるアルエットはしばし瞑目し、頭の中で話すべき事がまとまったのか目を開くと金色の眼差しでレンを見た。

「まず、大前提として話しておかないといけないのは、これだよね」

 言いながらアルエットは自身の胸元――鎖骨の少し下あたりを服の上からそっと撫でる。

「この聖紋は本物だよ。聖王国エテーリアの聖王――本当の神子は姉様じゃなく、わたしなんだ」




 先王クロヴィスと王妃ミラベルの間に産まれた王女セシリア。

 ミラベルによく似た蜂蜜色の髪の美しい娘であったが、生まれつき目が見えていなかった。

 そのことが原因なのか、塞ぎ込んだミラベルは居室からほとんど出ることがなくなり、生家から連れてきた侍女ニーナの他に顔を見ることができる者はいなかったそうだ。

 以前より不仲と噂されていたクロヴィスも不在がちで皆が気を揉んでいる中、ある日突然、まさに青天の霹靂が如く二人目の子が産まれたというのだから驚きである。

 よもや不義の子かと囁く声もあったが、その王女アルエットはクロヴィスと同じ緋色の髪に金色の瞳を持ち、成長するごとに間違いなくあの王の子であろうと思わせる活発な娘に育った。下世話な噂をする者などすぐにいなくなるほどに。

 しかし、その噂は当たらずとも遠からずであった。

 アルエットはクロヴィスの子である。ただし、母はミラベルではない。

 ある嵐の夜に、まるで捨て犬でも拾ってきたように、布に包まれた赤ん坊を連れ帰ったクロヴィスはミラベルに子供を差し出し、こう言った。

「俺の子だ。母親は亡くなった。セシリアの妹として育ててやってくれ」

 狼狽えたのは侍女ニーナで、嫁入り前から仕えているミラベルを主人というより娘のように愛していた彼女はその場に泣き伏して王をなじった。

「あんまりですわ、陛下。あまりに酷い……。ずっと放っておいて、いきなりそんな……。身勝手がすぎるではありませんか!」

クロヴィスの供をしていた王弟ロドルフがニーナをなだめる中、黙って話を聞いていたミラベルはじっとクロヴィスの顔を見据え、ただ一度、その頬を平手で打ち据えた。鋭く乾いた音が響いた後、ミラベルは差し出された赤子を無言のまま受け取って部屋の奥へと引き戻った。

 以来、ミラベルはアルエットを我が子として育てた。もちろん身の回りの世話のほとんどは侍女のニーナが行ったが、決して憎んだり遠ざけたりはせず、微笑みかけ、時には叱り、セシリアと分け隔てなく慈しんだという。

 幼かったセシリアは異母妹というものを理解しておらず、突然現れた赤ん坊に夢中になっていた。目が見えないながら手を差し出し、その指をアルエットが握ると嬉しそうに笑って一日中一緒にいた。傍目に見れば幸せそうな母と娘たちそのものだった。

 盲目のセシリアはそれを補うように勉学に励み、聡明に育った。そんなセシリアを守りたいと言って、アルエットは騎士たちの演習場に出入りしては稽古をつけてもらい、大きくなったら自分が姉様の守護者になるんだと豪語していた。実際、当時入団したばかりであらゆる武芸に秀でていた少年騎士ハインツの剣に食らいつく腕前に、皆が舌を巻いたという。

 ミラベルが本当の母ではないことをアルエットは知っていた。罪の意識があったのか、クロヴィスによって知らされたのだ。それでも母と姉と、そして父へのアルエットの想いは変わることなんてなかった。自分は父と母の子であり、美しく賢いセシリアの妹。そんな自分が誇らしくて、いずれ聖王となるセシリアを支えていきたいと願っていた。

 けれど、その願いは突然崩れ去る。

 クロヴィスの突然の訃報。狩りに出かけた山での事故で、亡骸の捜索から葬儀まで慌ただしく終えた頃、ミラベルの部屋へ訪ったアルエットは自身の動揺を抑えながら、喪服の襟を開いて母にそれを見せた。

「母様、どうしよう。これ……」

 アルエットの胸元、鎖骨の下に浮き出た鳥の翼に似た文様。

 それを目の当たりにした一瞬、ほんの一瞬ではあったが、ミラベルが嫌悪の表情を表したのをアルエットは見た。母がずっと秘めてきた、奥底にある感情を見た。

 呆然と立つアルエットの足元に、ミラベルは腰が砕けたように頽れた。それからまるで哀れな亡者が神に祈るように、アルエットに懇願したのだ。

「お願い、アルエット……。聖王を……神子を、セシリアに譲って……」

 言ってから、ミラベルは己が口走ったことの意味を悟ったのか目を見開いて首を横に振った。

 クロヴィスが亡くなったから、娘であるアルエットが聖紋を引き継いだ。

 それを譲ろうとするならば、アルエットは命を捨てなければならない。

「違う、違うのアルエット……! ごめんなさい、でも、わたくしは……」

「大丈夫だよ、母様」

 狂乱寸前の母の前で、アルエットは葬儀の式典用に身につけていた短剣を抜いた。

 そして、長く伸ばしていた緋色の髪を、一息に切り捨てる。

「姉様はわたしが守る。そのために――わたしは消えるね」

「アルエット……!」

 引き留めようをしたミラベルの手をすり抜け、アルエットはその場を後にした。

 もしもこのままアルエットが聖王になれば、セシリアはこれまで次期聖王として国内外に認識されてきた立場を失ってしまう。それに、万一アルエットがミラベルの実子でないことが知られれば、ミラベルの生家やその係累の者たちは不満と不審を抱くだろう。

 クロヴィスが生前語ったアルエットの実母は、狩猟のために入った山で出会った猟師の娘だったそうだ。そのような出自のアルエットを排するため、内乱が起こる可能性だってある。盲目のセシリアを、本人に意思に関係なく担ぎ上げて。

 だからアルエットは姿を消した。侍女ニーナの親族に、家を出て導士になった女がいると聞いて、その人を頼ることにした。それがオルガだった。

 アルエットが聖殿を出る時、セシリアは泣いて引き留めた。その胸元には鳥の翼に似た痣。けれど、それは赤く引き攣れて痛々しいものだった。

 アルエットが決意を示した後、ミラベルとニーナはまだ何も知らないセシリアを部屋へと呼んだ。

 セシリアはすぐに異変を感じたという。春の終わり、もう暑い日だったというのに暖炉に火が入っていた。薪の爆ぜる音と熱。黙りこくった母と侍女。異様な空気に、恐怖を覚えた。

「お母様、どうしたのですか? ニーナも、どうして黙っているの? アルエットはどこ? ハインツは?」

 いつも傍にいてくれる妹と、守護者候補として傍仕えをしている騎士の少年がいない。人払いをされた部屋には、他に誰もいなかった。

 怯えるセシリアを、ニーナは半ば強引に椅子へと座らせた。そして背後から拘束するように抱きしめ、セシリアの口に布を噛ませる。

 暖炉の傍で母が何かをしていた。分厚い革手袋をぎゅっと填める音。火を掻く音。

「セシリア様、どうかお許しください……」

 耳元で聞こえたニーナの絞り出すような声。セシリアは身をよじって妹と騎士の名を呼ぼうとした。けれど口を塞がれ声が出せない。

「ごめんなさい、セシリア……!」

 涙に濡れた母の声がした。それと同時に、胸元に衝撃。じゅっと肌の焼ける音がして、セシリアは仰け反って逃れようとしたがニーナに押さえ込まれ適わなかった。上げた悲鳴は布に吸い込まれ、くぐもった声が漏れるだけ。

 エテーリアの紋章を刻印した指輪。婚姻時に、クロヴィスがミラベルに贈ったものだ。火で真っ赤に灼けたそれはセシリアに偽りの聖紋を刻んだ。

 まさか母がそこまでするとは思っていなかったアルエットは驚愕した。

「姉様、わたしのせいで……」

「違うわ、アルエット。あなたのせいじゃない。わたくしは聖王になんかならなくたっていいの。アルエットがいてくれたらそれでいいの。ねぇ、どこにも行かないで。傍にいて」

 セシリアはアルエットの手を握って離そうとしなかった。でも、この手を守るためには、ここにいてはいけない。身を隠さなければいけない。少なくともセシリアの聖王としての立場が確乎たるものになるまでは。それに――

「わたしがここにいると、母様はきっと壊れてしまうよ」

 セシリアを守る。そのために母の願いを叶える。アルエットにできることはただそれだけだった。離れている間、姉を守ってくれる者が必要だという思いから、ハインツを彼女の守護者とするため聖剣グラキエースを与えたのもアルエットの意思だ。

 聖剣の授与は本物の神子にしかできない。アルエットが己の力を初めて行使したのはその時だった。

「さよなら、姉様」

 そう言って、アルエットはセシリアの手を振り払った。

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