浮雲の心に穏やかな日々の来たること
どこから仕入れたのか煉瓦を積み上げて炭火を熾す甲玄の傍らで、玉藤が食材に串を打っている。松影が金網や食器を用意する横で、白と黒が待ちきれないとばかりに戯れていた。
「ちょっと蛟、あんたも手伝いなさいよ!」
大量の食材を前にせっせと手を動かしていた玉藤が、縁に座ってのんびりしている蛟を睨む。
「ええ?俺料理とかできひんで」
「食材切るくらいできるでしょ!」
きっと睨みつけられて、やれやれと腰を浮かす。蛟の方が格は高いのだが、こういう時に女性に逆らってはいけないと蛟は経験から知っていた。
「そういえば龍太子は?」
蛟の問いに、玉藤は黙って厨房を指差した。そこでは緇珀が自在に水を出して食材を丸洗いしている。傍らでは綾音が大喜びで手を叩いていた。
「……龍太子ともあろうお方に野菜洗いを……」
「……だって手伝うって言われたんだもの」
気まずそうに言う玉藤に、蛟は少し笑った。この屋敷では、本人が了承している以上目くじらを立てる者も居ないだろう。
暫く食材を切っていると、即席のかまどの方から良い匂いがしてきた。どうやら火が熾り、食材を焼き始めているらしい。既に白と黒が箸と皿を手に今か今かと焼き上がりを待っている。
「これは朔夜、はよ帰ってこんと無くなるで……」
蛟が呟いた時、手の中の包丁が消えた。
「気遣いは無用だ。間に合った。それよりなんという拙い切り方だ」
顔を上げると、そこには蛟の使っていた包丁を手に腕を組んでいる玄玲が居た。その傍らで、朔夜が苦笑している。
「ただいま」
「おう、お帰り……玄玲公主、料理なんかできはるんですか」
思わず二、三歩下がりながら蛟が問うと、玄玲はふんと鼻を鳴らした。
「料理はしたことが無い。だが刃物の扱いは心得ている」
「……さいで」
料理ができると言われるよりも遥かに説得力のある言い分に、蛟は黙って作業台の前を譲った。
「姉上」
玄玲の帰還に気付いた緇珀が、庭へ出てくる。その腕には洗い上がった食材の入ったざるを抱え、何故か一緒に綾音まで抱えている。
「緇珀。苦労をかけた」
「いえ」
玄玲の表情に穏やかなものを見出した緇珀が、ふわりと微笑む。
「お元気になられたなら、何よりです」
玄玲と朔夜が顔を見合わせる。
「俺、龍太子の表情が変わるの初めて見たんだけど」
「奇遇だな、私もだ」
「玄玲すら!?」
衝撃を受ける二人をよそに、当の緇珀は既に無表情に戻って綾音に強請られるまま肩車をしていた。どうやら意外にも、幼子に懐かれる質らしい。
「おうい、焼けたぞ」
「早くしないと白と黒にみんな食べられてしまいますよ」
甲玄と松影の声が聞こえる。
「あらま。じゃあ、ここまでで第一弾として、あとは残りが少なくなってきたら追々作業しましょう」
玉藤がそう言って、出来上がった分を纏める。
「白、そのお肉とって」
「お野菜も食べないといけませんよ、黒」
「いや自分ら石像やろ?栄養関係あらへんやん!」
黒と白と、いつの間にか混ざっていたらしい蛟の騒ぐ声が庭に響く。
「賑やかなことだ」
「これほど雑多な者達がああも仲良くしているのを初めて見ました」
玄玲が苦笑し、緇珀が頷く。
「主―!それに公主様と弟君も、本当に無くなるわよ!」
玉藤の呼び声に、朔夜は苦笑した。
「それじゃ、俺達も行こうか」
歩き出す朔夜の手が、自然に玄玲の手を握る。緇珀はほんの少し目を細めて、綾音を肩から下ろした。
とある山の中腹。
山深い場所というわけでも、人里離れているわけでもないその場所に、ぽつりと一軒の家が建っている。
見たところ、何ということも無いごく普通の、やや古風な造りの木造家屋。
しかし知る者は知る。
そこに住む一人の人間と、賑やかな妖怪たちのことを。
その場所のぬくもりと安らぎが、誰かのささやかな願いを叶えていることを――。