どうしてもと仰るならば結婚してあげても宜しいですよ
「……」「……」
半眼で睨む二人の男女の視線を受けても尚、旧姓武田彰子は楽しそうな笑みを崩さない。
その指先がすっと動くと、また一つのカセットテープがセットされた。
「?!!!!!!!!!!!!!!!! 」「きゃ?!!!!!!!!! 」
突如、強烈なハウリング音が周囲に響き、喫茶店のマスターがコップを落とす音が聞こえた。
この時代のテープは機械音声を相互に録音時、ハウリング現象を起こすことがあった。
「ち。録音に失敗したらしい」「……」半眼で睨む久。
由紀子は「何を録音したのだろう」と一瞬興味を抱いたが。
「なに勝手に抱きついているんですか」「えッ 」抱きついているのは。由紀子。貴様だ。
程よい煙草と珈琲の香りと、こびりついた埃の漂う喫茶店にてくつろぐ三人の男女。
「まったく油断も隙もないですね」「……」
久は「お前が勝手に抱きついたんだが」といいたかったが黙っていた。
三人は現在、マスターが落とした珈琲カップ代を誰が払うべきか真剣な争いを水面下で行っていた。
対衝撃容器の無いこの時代の器は、簡単に壊れる。
ちなみに、彰子は今月金が無い。珈琲代しか持ってきていない。
久は金はあるが払ってやる道理が無い。由紀子は先日布代を払った。珈琲カップ代を立て替えるのは厳しい状況だ。
「(払って。払って。お願い由紀子。払って)」
旧姓武田彰子の瞳が激しく訴えるが。
「(無理。無理。私だってピンチなのですっ )」由紀子は必死で瞳で拒否している。
この二人は親友であり、付き合いが長い。瞳でだいたいの意思は推察できる。
反して、空気を読まずに食事を続ける久は、二人の意思等わからない。
そもそも払ってやる義理がない。店主だって払えとは言っていない。知り合いの彰子に『払え』と言う目線を送っているだけだ。
久には余裕があった。同僚。木下の知り合いはパチンコ屋に勤めている。
ある日、久が何気なくパチンコの台に座って打っていたら(この時代は手で弾いていた)、
いきなりパカリと台の横が開いて人間の顔が出てきた。見知った顔である。
「なんだ。ヒサ坊じゃん。どうした? 」「いや、どっからでてくるんだよぅっ?! 」
驚いた久にニッコリ笑う壮年男性。彼は「ここじゃなくてとなりに座れ」と言うとまた扉を閉めた。
「春とはいえ暑いだろうに、何やってるんだよ」久は呟きながらも助言に従う。
久の打った球は、綺麗に開閉を繰り返すチューリップの中央に入っていった。
「どうよ? もうかったろ? 水臭いよヒサ坊。もっと勝たせてやるから来たら遠慮なく言えよ」「……」
久は、付き合い以外のギャンブルを辞めた。教養は無いが賢明な判断力を持つ男である。
「あ。俺、珈琲よりカレーが欲しい。カツカレーで」
「……」「……」二人の乙女のカツカレーより熱い視線を受けながら、彼は『何みているんだろう。カレーくらい頼めばいいのに』とか思っている。
「ええと。解りました。久さん」「? 」
カツカレーを食べながら久はすっくと立ち上がった二人の娘を見上げた。
ひくひくと口元を動かせながら由紀子は心にも無い台詞を吐いた。
「どうしてもと言うなら結婚を検討してあげても宜しいですよ」「はぁ」
呆れた久の匙の中のカツカレーがぴちゃ。とおちて由紀子のスカートを汚す。この時代の洗剤の性能は宜しくない。カレーがついたらまず落ちない。
「と、いうわけで、支払いヨロシクお願いします」「はぁ? 」
「いこ。たっちぃ 」「お、おう、久。悪いな。この不始末はいずれッ?! 」「おい」
別名。食い逃げという。後の世にはアッシーだの言われる男性の扱い方である。
心無い相手の告白を華麗にスルーする高等テクニックだが、由紀子が何処で習得したのかは疑問である。
珈琲カップ代の領収書を持った店主は、
「カップル成立おめでとう。カップだけに」と面白くも無い台詞を吐いた。
そういって、彼は領収書を久の目の前でビリビリと破いて見せた。
「あの子はいい子だから、可愛がってあげてね」其のウインクは。久をして怖いと思わしめた。




