私からのお手紙
「犬って」「うん? なんだい。由紀子」
「食べられるのですか」「はいっ? 」
変な事を聞いてしまいました。折角森本さんと電話している最中なのに。
「うん。食べることができるよ。赤犬が特に美味しいっていうけど」「ええええっ 」
電話口からため息が聞こえます。「普通。食べないだろ」「ええ」
ですよねぇ。西尾由紀子25歳です。こんにちは。
お仕事にかこつけて森本さんと話す楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいます。もっとお話したいのに。
「ははは。犬が好きだといったら食うのが好きだと思われていたと」「もっと言ってあげてください。莫迦だと思います」
森本さんの電話口の声はあくまでも優しくて暖かいです。「まぁ食う奴もいるからね。しかたないよ」
いませんよ。そんな変な方。そう申しますと森本さんは笑っています。
「昔は日本も貧しかったから、そういう人もいたんだよ」存じております。というか、兄弟が多いと大変なのです。でも食べませんよ。
お父ちゃんは元々石川の豪農の息子でしたが、お金が無くて御馳走を自分で捌いていました。
具体的に言うと? えーと。鶏を御存知ですよね。
自分で〆るんです。下手をすると首なしで走ります。気をつけましょう。
「で、会社のそういう人と一緒にされていたと」「いくら田舎から出てきたと言っても侮辱ですよ。侮辱」
電話口でも私の噴飯やるせない様子がわかったのでしょうか。森本さんは楽しそうです。
「故郷には10メートルの蛇がいるとか、一尺のナメクジとか。
年中生えていてそのまま杖になるほど育つ蓬とか嘘ばかり言うあの方のいうことですから」
普通、故郷を侮辱することはやってはいけないことですが。
「よもぎ……」「凄く。変ですよね」「そんな杖があったらちょっと楽しいかもね」
楽しいのでしょうか。時々森本さんの感性も変だと思ってしまう私はおかしいのでしょうか。
「ところで由紀子」「はい。森本さん」
真剣な口調に私の声も引き締まります。
「来週。うちの母さんに会ってくれないかな」えっ。
それって。それって。ですよね。ですよねっ。
「えっ。えぇっ。ええっ。よろこんでっぇ」「落ち着いて。由紀子」
おつちいております。あ、消しゴムが。
「西尾君。何を喋っているのだ」ああ。風鳴さん。ちょっと今忙しくて。
「風鳴常務ッ 結構な事で見合って見合ってハッケヨイで、
お父さんと出会って取引先でキノコを食べて」「落ち着きたまえ西尾君」
電話口から「母さんだよ」と補足説明が聞こえました。
「あとだね。私用の手紙の連絡先を会社宛に書くのは辞めたまえ」はい?
これは武田君に当てた手紙だろう。書き間違えだな。と風鳴常務は楽しそうに笑います。
安物の便箋に『武田 久 様』と書かれた手紙は、確かに先週私が書いたものですが何故私の住所ではなく会社の住所を書いてしまったのでしょうか。
そして、切手をはりわすれていました。それでは届くはずも無く。
「拝啓 武田久様
先日に続いてのお誘い。誠にありがとうございます。(略)
待ち合わせ場所についてですが、都合により変更したく思います。
阪神百貨店の正面玄関付近でお待ちしております(略)
西尾 由紀子」
久さん。あの方、私が待ち合わせ場所を変更した事を知らなかったんですね。
ああ。これは社交辞令ですよね。くす。「当日を楽しみにしております」ですって。
それでお互い変なところで待っていたんですね。納得です。
「風鳴常務。大変失礼しました」「ふふ。まぁ西尾君だからな」なぜか恥ずかしいです。
でも、「常識が無い」と言ってしまいました。
酷い事をいってしまったかも知れません。
「あ、あの。風鳴常務」
森本さんとの電話が終わった私は、久さんの寮の電話番号を聞きます。
「いったいどうしたんだね」「その、あの」
まち合わせの場所をつたえる手紙がとどかなかったことを謝りたいと伝えると風鳴常務はニッコリ笑って教えてくださいました。
「直接行ったほうが早いぞ。もう定時だしな」
むぅ。鹿島まで自転車で走るとして、三国に戻るのは。義兄さんに叱られそうですが。
「行ってきます」「そのほうが良いね」
会社の自転車に乗。乗れない。なんて。だれが。思ってますか。
乗れ。乗れ。乗れますよ。自転車くらい。ちょっと座高が高いだけで。
こ、こ、怖いですけど。こ、これ、速く走りすぎです。いえっ。本当に怖いですっ。
鹿島にむけて走ります。自転車は軽快に走ります。いい自転車です。
ぶちっ。
何の音でしょう。
「と、と、とまらない」
今気がつきました。ブレーキが壊れました。
とまって。とまって。いやぁああああっっ!!!!!!!!
久さんの故郷のヨモギの杖と30センチのナメクジはガチです。




