初デートはジョーズに
「ジョーズ」
がいな……おおきなサメの絵が描いてあります。
手書きであれを書ける看板屋さんは凄いですよね。
皆さん。こんにちは。由紀子です。
いま、久さんと一緒に映画に来ています。
すっごく。すっごく趣味の悪い映画ですよね。これ。
久さんのセンスを疑います。
「久さん」
無視。されたのかと思ったのですが、彼は思いのほか無口のようです。
しかし、あれですね。どうしてこんなに平日なのに人が一杯なのでしょう。
「4代目桂米丸さんの新作落語」
面白い。のでしょうか。それともあれでしょうか。暗い中で私が抱きついてくるとでも思っていらっしゃるのでしょうか。
「一応、言っておきますが。私は8時が門限なのです」
5時までには帰らせていただきますよ。恋人もいますし。
見合いは会社の人に無理に頼まれたからであって、私は結婚に興味がありません。
お金をためて大学にいき、勉強をしたいと思っています。
……。
……。
思いのほか。面白かったと思います。
問題は。
真っ青な彼の顔ですが。
ええ。映画館酔いです。あんな闇の中で音と光、タバコと人いきれ。
頭がおかしくならないほうが不思議なのです。
「久さん。立てますか」「大丈夫だ」
大丈夫には見えませんが。足元ふらついていますよ。
「怖かったんですか」「まさか」
彼曰く、子供の頃に海で遊んでいたら、子供サイズの小さなサメに囲まれていたことを思い出したそうです。
連れ立って歩く私達。
十三から一駅。梅田の駅を出ます。
「アレ。物凄く怖いんだ。体中を噛まれるとあぶないし」
必死で泳いで逃げたそうですが。数がいて怖いそうです。
ぷぷぷっ。
おなかがぷるぷると震えかけましたが顔には出しません。推し留めます。
「まして。あんなにでかいんだぞ。ばけものかよ」
「ほおじろざめ。でしたっけ」「あんなでかいふかは見たこと無い」
私は鳥取の生まれで、サメは因幡の白兎のお話であるように知らないわけではありませんが。
たしかに、あれはものすごく大きなサメでしたね。
もっとも、大阪の人は『サメ』といいますが、私達は『わに』と言います。
なので、大阪に出てきてしばらくは会話が成立しませんでした。ややこしいですよね。
平日とはいえ、やっぱり大阪は人通りが多いです。
三時過ぎなので陸橋でお弁当を広げる家族連れは少なめですが。
遠足っぽい小学生たちが何かやっています。
梅田は阪神百貨店周辺の陸橋。
ベコベコで、幅が狭く、ヒールだと大変危険で。怖い怖い橋です。
子供たちの中にはお尻をついて昇り降りしている子がいます。それくらい急で怖い橋なのです。
休日はお弁当を広げる家族連れでにぎわう橋を私と久さんは昇っていきます。
(作者註訳:この橋は西暦二千年代になってやっと改装された)
「あの曲。怖いよな」面白かったんですけど。可愛いじゃないですか。
「何処が可愛いんだよ。由紀子さん」あら。どうせ作り物ですし。
この陸橋をヒールで昇るほうが。怖いですよ。
「うちの島には三十尺の蛇や一尺のナメクジはいるけど、あんなバケモノはいない」 ッ?!
いま、なんと仰いましたか? 危うく足を踏み外すところでしたが。
「うちの島には三十尺の蛇や一尺のナメクジはいるけど、あんなバケモノはいない」
「もうしわけありません。久さん」
初対面の男性に対して凄く失礼なのは承知ですが。
「ワニより、その三十尺の蛇とかのほうがおかしいです」
どんな魔境なんですか。久さんの故郷は。
「いや、あんなフカのほうがおかしいって」「ナメクジのほうが変です」
「いやいや、あれに比べれば九尺の蛇が泳いでるのを見たうちのオジジの話のほうが」「ですから、創作のワニならわかりますが、事実を話していただけますか」
「本当なんだって」「久さんは御冗談も得意なんですね」
喉が渇いてきました。ああ。水筒もってくればよかったな。
え? じどーはんばいき? 『百円も』払って缶に詰まったジュースを呑む? 御冗談を。
れすとらん? ええと。洋食屋さんですよね。ああいうところに入るのは余裕がある方で。
梅田というところは、休日にお友達や親戚のみんなとちょっと綺麗な服をきて、お弁当を食べて回るところです。
え? そんなことは無いって? そういわれましても。
「おなか。すいていませんか」「久さんのお気遣いに対して失礼ですが。嫌味に聞こえますよ」
空いているはずがないですが、喉は渇いています。
「では、何か食べませんか」「飲み物なら。少し」
私が自分の分は支払うと告げたのにも関わらず、
彼は飲食費を全部出すと言い張って聞かないので帰ってきましたが。
あれだけたくさん食べてやったのです。もう二度と会いたいとか言い出さないはずです。
「由紀子。早いな」
「久さん。どんな方でした」姉さん。義兄さん。遅くなりました。
「ゆぎ~」はいはい。おそくなってごめんね。
「ごはん作るね」「お前、食べてきたんだろ」
「私の分はいらないから、ちょっと豪華に作るね」
洋食屋さんで色々入れてもらいましたし。
「会社のお付き合いで行かざるをえなかっただけですから。もう二度と会わないと思います。
紳士的な方でしたよ。ちゃんと五時には帰してくれましたし」「そうか」「ふうん」「ゆぎーあそんで~」
私はこのとき、子供たちと遊んでいましたが。
同じ時間。お金が足りないことに気がついた久さんが洋食屋さんでとてもとても酷い目に逢っていたことを存じませんでした。
この時代の映画館について。
『映画館酔い』なる現象が存在します。
そもそも冷暖房が普及していません。
真夏は暑い中、狭く、暗く、換気のない空間で過ごすことになります。
興行形式に若干違いがあります。
入場券を買えば好きなだけ何度も見ることができます。
よって、『立ち見』が存在しました。
人気のある映画の場合、寿司詰めが普通にあります。
映画館側は席がなくても入場券を売り、酒やツマミを売っています。
席がなくても、延々と居座るファンの横で子供や大人が立ち見してたりします。
タバコの臭いだの食い物の臭いだの酒の臭いだのが充満していて、入っただけで不愉快感を覚える人もいます。
オールナイトとなっている映画館の場合、
夜9時から翌朝5時まで延々と映画を流し続けるため、
真っ暗なままです。盗難もありえます。
久や由紀子には関係の無いことですが、第二次世界大戦中は平日の昼間に映画を見ていると徴用に引っ張り出されることがあったと妹尾河童が自伝小説『少年H』にて言及しております。
この時代にはこの概念はありませんが、
所謂ポケモンショックと言われる光過敏性発作を起こしやすい環境であり、久が体調を崩したのはそれほどおかしくはありません。
※ジョーズの公開時期について。
この話の元ネタは『ゴッドファーザー』を見に行った話なのですが、時代が合わないのでジョーズにしました。
しかし、12月公開なので、明らかに時期が合いません。
執筆時の調査不足申し訳ありません。




