この世を花にするために
「あ」「うん」「お」
酔客たちは夜明けと共に立ち上がる。駅に向かい、あるいは家路に。歩く。
「閉店。しますね」
店主、春香は微笑むと暖簾をしまう。
「俺は、全部、輝正。お前に奪われて、負けたんだと思ってたんだ」
「昇。俺は、お前を失って、すべてがどうでも良くなったような気がしていたんだ」
もう、安酒なんて不要だ。ただの冷たい水が甘く、喉を潤す。
「俺の手。……血に染まっている」「そうか」
「あのころは、荒れていましたから」
私は、ついていけませんでしたけどと店主。春香。
「でも、俺たちの青春だった」
「ああ。酷い時代だったけど、未来を信じていたな」
「『この世を花にするために』か」輝正の皮肉に苦笑する昇。
「橋幸夫か。死ぬほど歌ったよ」「歌えよ」「嫌だよ」
俺は。輝正は苦笑いした。
「おまえが、立派だと、思う」「ありがとう」
「俺も、未来を信じていたが、道を踏み外していたのさ。
たった一人の女すら、愛してやれなかった」
「そんなことはないぞ。輝正」
昇は微笑むと入り口を開ける。
優しく、まぶしい太陽が、徹夜明けの身体に少しきつい。
「俺も、見合いだが、孫がいて。女房と色々あるが。……なんとか上手くやってるぜ」
そういって、手をふる。昇。
「おごり。でいいって言ったっけ」
「ああ。おごらせてくれ」「久しぶりに、会えて楽しかったわ」
「まだ、俺たちは」
そういって昇は笑う。
若き日の思い出が心をよぎる。
「まだまだ。さ」「ええ」
「では、たっぷり愛してもらおうかな? 」「かんべんしてくれ」
嫌そうにする輝正だが、まんざらではない笑みを浮かべている。
「いい酒、だったぜ。また飲みにくるよ」「ああ」
嫌な事。悲しいこと。口に出すより飲み込んで。
安酒を煽って、洩れる気持ちに自嘲する。
嫌な大人にならないように。
だから、いつでも。夜明けまで。




