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喫茶店 月と魔法 〜裏庭の影は断罪する〜  作者: 志摩


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第5話 とある古代の呪いについて


 光と影が交差し、あらゆる因果が寄り集まる次元の狭間。


 路地裏の深淵に潜む店内。

 今宵、永遠の暗闇を思わせる重苦しい静寂に満たされていた。



 暖炉で燃える紫色の炎が、静かに影を揺らしている。



 壁の棚には、過去にこの店を訪れ、黒の魔女によって淘汰された者たちの遺品が並んでいた。


 身勝手な正義を振りかざした聖騎士の壊れた剣。

 腐敗の果てに自滅を受け入れた元勇者レオンハルトの聖剣。


 黒のリラはカウンターの奥、ハイバックチェアに深く身を沈めていた。


 つばの広い黒い帽子、夜の闇をそのまま紡ぎ上げたような漆黒の髪。

 そして、あらゆる光を飲み込む漆黒の瞳。



 彼女は素手に戻した華奢な指先で、冷たくなった陶器のカップの縁をそっとなぞっていた。



「……表の私(バカ)も、少しは成長したかしらね」


 リラは誰にともなく、低く呟いた。



 かつて世界を救った勇者すら腐敗させる時間という猛毒。

 それを目の当たりにし、刈り取ったばかりの彼女の胸には、微かな毒の残り香が燻っている。



 表の店が光を差し伸べ、希望を与える場所ならば、裏の店はその陰に生じる害毒を食らい、世界の均衡を保つための刈り取り場。



 二つの店は表裏一体でありながら、決して交わらぬ並行線のはずだった。


 カラン……コロン……。



 その時、店内にドアベルの音が響いた。


 これまでにない音色だった。


 聖騎士のような傲慢な音でもなく、詐欺師のような品のない音でも、勇者のような重々しい足音でもない。


 それは酷く頼りなく、今にも消え入りそうな、儚い鈴の音。

扉が開く。



 足を踏み入れたのは、一人の少女だった。


 年齢は十歳に満たないほど。

 ボロボロの白いワンピースを身に纏い、裸足のまま冷たい床を踏みしめている。


 彼女の髪や肌は病的なまでに白く、線細い体は微かに震えていた。


 異様なのはその存在そのものだった。




 少女が歩くたび、彼女の足元からどろりとした漆黒の古代の呪いが滲み出し、店の床を蝕んでいく。



 それは世界の理(ことわり)そのものを腐敗させ、存在を崩壊に導く絶対の極毒。

 彼女自身は無垢な存在でありながら、存在自体はまさに世界を滅ぼす「破滅の種」であった。


 そして、何よりも黒のリラの瞳を鋭くさせたのは、少女の首元に結ばれていた、一本の繊細なリボンだった。



 淡い金色の糸で織られた、表の店の特製リボン。

 表のリラが、あえてこの少女を裏の店へと送り込んだという動かぬ証拠。


 こちらに何も伝わってきてはいない。


「……あの子、正気なの?」


 黒のリラはつばの広い帽子の陰から、漆黒の瞳を冷ややかに研ぎ澄ませた。


 表のリラは、訪れる者すべてを救おうとする温い理想主義者だ。

 その彼女が、この少女の手を放し、裏の店へと送り込んできた。



 それはつまり、表の光ではどうあがいても救えず、世界を破滅から守るためには「裏の影で処刑するしかない」と苦渋の決断を下したことを意味していた。



 少女は怯えたように大きな瞳を巡らせていたが、カウンターの奥に座る黒のリラを見つけると、足を止めた。


 その瞳には、恐怖ではなく、どこか清らかな諦念が宿っていた。


「……ここが、『影のお店』ですか?」


 少女の声は鈴のように可憐だった。

「お姉さん……ううん、向こうのお店にいたお優しいお姉さんと、同じお顔をした別の方ですね? 私をここへ送るとき、お姉さんは泣いていました。『ごめんね、私にはあなたを救えない。裏の私にすべてを託すわ』って……」



 少女は胸元に小さく手を当て、寂しそうに微笑んだ。


「私、知っています。私の中にいる『これ』が、周りの草木を枯らして、お友達を病気にしちゃったこと。私がいなくなれば、みんなが助かるんですよね?」


 無知ゆえの言葉ではない。


 彼女は自分が何者であり、どのような毒を抱え、なぜここに送られたのかを、完璧に理解していた。


 リラはゆっくりとハイバックチェアから立ち上がった。


 漆黒のドレスの裾が床を擦り、静かな音を立てる。

 彼女は高貴な足取りでカウンターを出ると、少女の前へと歩み寄った。


 近づくだけ。

 ただそれだけで少女の体から溢れる古代の呪いが、リラの肌を刺すような激痛となって襲いかかる。



 世界を崩壊させる毒。

 これほどの猛毒を体内に宿しながら、この幼い少女はどれほどの苦痛に耐えてきたのか。


 リラは胸の内で冷たく思考を巡らせた。


(簡単なことよ。表の私が手を汚せなかったから、私に介錯を押し付けた……ただそれだけのこと。この娘を消去すれば、世界は救われる。それが裏の店の存在意義)


 リラは静かに右手を掲げた。

 指先に集うのは、存在そのものを消滅させる絶対の漆黒の刃。


「言い残すことはあるかしら、おチビちゃん」


 リラの声は氷のように冷たかった。



「あなたの言う通りよ。あなたの体内の呪いは、世界を滅ぼす毒。あなたが息をしているだけで、何万もの命が死に絶える。だから私はあなたを殺すわ。存在ごと、跡形もなく消し去る」



 並の人間であれば、泣き叫び、命乞いをする場面だった。



 だが、少女は逃げようともしなかった。


 彼女は掲げられた黒い刃を見つめると、ふっと胸を撫で下ろし、心からの穏やかな笑顔を浮かべたのだ。


「よかった……」


 少女は小さな手を合わせ、嬉しそうに呟いた。


「私、ずっと怖かったんです。何もさてなくても……自分が生きているだけで、大好きな世界が壊れていくのが……。私一人が消えることで、みんなが笑って暮らせるなら、それ以上の幸せはありません。誰も私を殺さなかった。そこまで近づいて生きている人がいなくて。お姉さん、私を殺してくれて、ありがとうございます」


 真っ直ぐな、濁りのない瞳。


 そこには一切の怨嗟も、己の運命に対する憤りも存在しなかった。


 あるのはただ、世界を愛し、己を差し出す「完全なる無私」の魂。


 ピクッ。


 リラの指先が、微かに止まった。

 黒の魔女として数多の害毒を刈り取ってきた彼女の歴史の中で、初めての躊躇。


 目の前にいるのは、害虫ではない。腐敗した英雄でもない。


 ただ、酷く残酷な運命に巻き込まれながらも、最期まで光であり続けようとする、あまりにも無垢な生命。

(……冗談じゃないわ)


 そっと手を振り翳して、正体を覗き込む。


 少女を蝕むのは、世界の毒。

 戦、疫病、飢饉。


 ある国の王がその全てを消すため。

 妊婦を集め、産まれてくる子どもを神殿で生贄にした。


 この子のはその中で1人生き残った子。

 死にたくないと足掻いたたくさんの子どもたちからの呪いと祝福も混ざっている。



 リラの脳裏に、表のリラの泣き顔が浮かんだ。


(あの子は……表の私は、この少女を知っていたからこそ、殺せなかったんだわ。そして、私なら冷酷に割り切って殺せると思って、ここに送り込んできた……)


 黒い刃を握る手が、微かに震える。


 少女を殺せば、世界は救われる。

 それが影の魔女としての正解。


 だがその正解を選べば、黒のリラは「己の美学」を失うことになる。

 罪なき無私の魂を殺すことは、刈り取りではなく、ただの虐殺だ。


 少女は不思議そうにリラを見上げた。


「お姉さん……? どうしたの? 痛くされても、私、我慢できますよ? もうずっと心が痛いの」


 リラは深いため息をついた。

 つばの広い帽子の陰で、彼女は苦り切ったような、そして酷く不敵な笑みを浮かべた。


「……あいつ(表の私)の甘さが、うつったかしらね」


「え……?」


「勘違いしないで、おチビちゃん」



リラは手に作り出した闇の黒い刃をすっと消し去ると、少女の前で膝をつき、目線を合わせた。


「私は影の魔女よ。害虫を殺し、毒を刈り取るのが私の仕事。……けれどね、自分の命を捨てて世界を救おうなんておめでたい聖女様を殺すのは、私の美学に反するの」


 リラは華奢な素手を伸ばし、少女の小さな両手を優しく包み込んだ。


「ひっ……!? ダメですお姉さん! 触ったら、お姉さんまで呪われちゃっ」


「黙りなさい」


 リラは少女の言葉を制した。


「世界を滅ぼす古代の呪い……なるほど、重く酷い毒ね。……けれど、忘れないで。私は闇の魔女よ。毒を制し、毒を食らう者」



 リラは瞳を閉じ、詠唱を始めた。



『影よ、我に集え。我は器なり、あらゆる怨嗟と毒を飲み乾す漆黒の深淵なり』


 次の瞬間、少女の体内から膨大な黒い霧が噴出させた。


「あ……あぁぁぁぁっ!?」


 少女が歓声をあげる間もなく、体内に渦巻いていた『古代の呪い』が、リラの手を通じて、怒涛の勢いで黒のリラの体内へと流れ込み始めた。


「く……っ……あぁぁぁぁっ!?」


 リラの白い肌に、瞬間的に黒い紋様が浮かび上がっていく。


 世界を崩壊させる猛毒。

 それが全身の血管を駆け巡り、内臓を焼き、魂を苛む激痛となってリラを襲う。


 それは漆黒の薔薇の様な波紋を広げながら、腕から全身へと広がった。


 指先が麻痺し、視界が赤く染まり、精神が狂気に塗り潰されそうになる。


「お姉さん! やめて! 死んじゃう! お姉さんが死んじゃうよぉっ!」


 少女が泣き叫び、手を引き抜こうとした。


 だが、リラは少女の手を固く握り締め、離さなかった。


「動くな……と言っているでしょう……っ!」


 リラは血の涙を流しながら、歯を喰いしばって笑った。


「この程度の毒……私に消化できないと……思うんじゃないわよ……っ! 私は……リラ……闇の底に蠢く、すべての毒の主よっ!」



ゴォォォォッ!



 店内の暖炉の紫色の炎が爆発するように燃え上がった。


 壁に飾られた過去の遺品たちが共鳴し、怪しい光を放つ。


 リラは体内に取り込んだ古代の呪いを、己の強大な闇の魔力で押さえつけ、押し潰し、ゆっくりと自らの体の一部として「精錬」していった。


 毒を殺すのではなく、毒を食らい、己の血肉へと変える。


 


 少女の体内から、すべての黒い霧が消え去った。



 少女の白かった肌に、ポッと温かい血色が戻る。


 病的な冷たさは消え、人間らしい温もりが宿っていた。


 彼女の中にあった世界を滅ぼす破滅の種は、跡形もなく消滅していた。


「あ……あ……」

 少女は自分の手を見つめ、涙をぽろぽろとこぼした。


 もう足元から黒い霧は出ない。

 触れても、周りの命を枯らすことはない。

 ただの、普通の無垢な人間へと戻ったのだ。


「……ふぅっ」


 リラは少女の手を離すと、荒い息を吐きながら床に膝をついた。


 彼女の肌に浮き出た黒い紋様は、全身に広がっている。

 その漆黒の瞳の奥には、取り込んだ古代の呪いが「抑え込まれた毒」として、永遠に燃え続けることとなるだろう。

 その全てを消化できる日は来るのか。



 リラは肩で息をしながら、少女の頭にポンと手を乗せた。


「……これで……満足かしら、おチビちゃん」


「お姉さん……っ! お姉さんぁぁぁっ!」


 少女はリラにしがみつき、声を上げて泣きじゃくった。


「ありがとう……ありがとう……! 私、生きてていいんだ……! 世界を壊さなくていいんだ……っ!」


「泣かないの……うるさいわね……」


 リラは疲れたようにため息をつき、指先を軽く一振りした。


「さあ……お帰りなさい。あの子の待つ、温かい表の世界へ」


 光の粒子が少女を包み込む。

 少女は涙を拭いながら、何度も何度も頭を下げた。


「お姉さん! 私、忘れません! あなたが命を救ってくれたこと、絶対忘れません!」


「……忘れなさい。店のことも、私のことも。……それが、表で生きていく者のルールよ」


 少女の姿が、光となって表の世界へと消えていった。

 静まり返った店内。



 毒を引き受けた代償として、リラの全身にはズキズキとした激痛が走り続けていた。

 彼女は重い足取りでカウンターの奥へ戻り、ハイバックチェアに身を投げ出した。



「……ハッ。バカみたいなことをしたわね」


 リラは自嘲気味に笑った。


 自分は影の店主。

 冷酷に毒を刈り取る者のはずだった。

 それなのに、あの少女を救い、世界を滅ぼすほどの毒を己の体内に溜め込んでしまった。



「これじゃあ……あの子(表の私)と変わらないじゃない」



 リラは胸に手を当て、深く目を閉じた。

 体内を巡る猛毒の疼き。

 いくら強大な魔力で抑え込んでいるとはいえ、一人で抱え続けるにはあまりにも重すぎる毒だった。



 カウンターの上に、微かな空間の歪みが生じた。


 フッ。


 次元の隙間を通って、一客のカップが静かに舞い降りてきた。

 漆黒のカップに描かれた、金色の太陽の紋様。

 そこから立ち上るのは、甘く香ばしい茶葉の香りと、たっぷりのミルクと蜂蜜の匂い。



 表の店から届けられた、一杯の温かい紅茶。

 カップの横には、小さなカードが添えられていた。

そこに書かれていたのは、表のリラの、少し丸みを帯びた優しい文字。


『無理をしすぎよ。でもありがとう』


 リラはカードを見つめ、呆れたように鼻で笑った。


「……本当に、お節介なバカ」


 リラは華奢な手でカップを持ち上げた。

 あたたかな熱が、毒に蝕まれ冷え切っていた指先から全身へとじんわりと伝わっていく。


 彼女は口元をつけ、ゆっくりと紅茶を飲み干した。


「……っ。……ふん、相変わらず甘くて不味い紅茶ね」


 文句を言いながらも、リラは最後の一滴まで残さず飲み干した。


 不思議と、体内を苛んでいた古代の呪いの激痛が、その甘い紅茶の温もりによって微かに和らいでいく感覚があった。


 表の店が光を与え、傷ついた魂を癒す。

 裏の店が影を引き受け、世界を蝕む毒を食らう。


 どちらか一つでも欠ければ、この世界の均衡は崩れ去ってしまうのだ。



「甘い紅茶と、苦い毒……」


 リラは空になったカップを置き、ハイバックチェアにもたれかかった。



 漆黒の瞳に、かすかな満足気な光が宿る。


「完璧なバランス……と言いたいけれど、やっぱりこの甘さは好きになれないわ」


 彼女はつばの広い帽子を目深にかぶり直し、静かに目を閉じた。


 暖炉の紫色の炎が、優しく店内に揺らめいている。

表の店と、裏の店。



二人のリラが存在する限り、この世界は今日も、完璧な均衡を保ち続けるのだった。


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