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第五十六話 中身

 危機管理部案が正式案として起案される。


 その連絡が共有された朝、危機管理室の空気は妙に静かだった。

 驚きがないわけではない。

 けれど、もう誰もそれを大げさには受け取らなかった。

 器が決まったなら、次に来るのは中身の話だ。


「来ましたね」

 小夜が言う。

「来たね」

 高橋が答える。

 澪は共有文書を閉じた。

「今日は人と役割の整理まで行くと思う」

「人員ですね」

「うん。そこが決まらないと、部にしても回らないから」


 午前の打ち合わせは、思っていたより早く終わった。

 細かい応酬はあったらしいが、戻ってきた資料に載っていたのは、もう検討ではなく整理された結果だった。


 危機管理部の所掌は三つ。

 案件統括。

 記録・分析。

 連携調整。


 必要人員は三名から四名。

 現行人数のままでは難しい。

 兼務の可否は引き続き整理するが、少なくとも増員を前提に進める。


 小夜は資料を見ながら、静かに息をついた。

 ここまで来ると、もう部という名前だけの話ではない。

 誰が入るのか、という現実の話になる。


「増えますね」

「増えるね」

 高橋が言う。

「でも、それだけじゃ足りない」

「え?」

「人も見えてるってこと」

 高橋は資料の端を軽く叩いた。

「総務部から異動を入れる方向で整理してる」

「総務から」

 小夜は顔を上げた。

「誰ですか」

 高橋は少しだけ間を置いた。

「相沢さん」


 一瞬、小夜は言葉を失った。


「相沢さんが」

 思わず、そのまま繰り返していた。


 総務部にいた頃、何度も指示を受けた名前だった。

 細かいところまでよく見ていて、曖昧なまま通さない人。

 言葉はいつも簡潔で硬かったが、何を基準に見ているのかははっきりしていた。

 小夜が危機管理室へ異動してからも、その仕事の進め方を思い出すことは何度もあった。


「……来るんですか」

「まだ正式発令前だけどね」

 高橋が言う。

「かなりその方向っぽい」


 そのとき、扉が開いて澪が戻ってきた。

 資料を持ったまま席に着くと、小夜たちを見る。


「お疲れさまです」

「お疲れさま」

 澪はうなずいた。

「だいたい固まった」

「三機能と増員、ですよね」

「うん」

 澪は答えた。

「それと、人も一人入る方向」

 小夜は澪を見る。

「相沢さんですか」

 澪は一瞬だけ小夜を見て、それから静かにうなずいた。

「そう」


 短い返事だった。

 けれど、その一言だけで十分だった。


 澪にとっても、相沢さんはただの総務の人ではない。

 総務部にいた頃の直属の上司だった。

 仕事の進め方も、線の引き方も、澪はその背中を見て覚えてきたところがある。


「相沢さんが入るんですね」

 小夜が言う。

「うん」

 澪は資料を机に置いた。

「連携調整をちゃんと置くなら、あの人が一番合うと思う」

「やっぱり、そうなんですね」

「総務の流れも分かってるし、曖昧な整理のまま進めないから」

 澪の言い方は静かだったが、迷いはなかった。

「相沢さんなら、線を引くところを間違えないと思う」


 高橋が小さく息をつく。

「強そうですね」

「強いね」

 澪は答えた。

「甘くはないから」


 小夜は資料に目を落とした。

 三機能。

 三名から四名。

 そして相沢さんの異動。


 急に、部になるという話がぐっと近くなった気がした。

 名前が変わるだけではない。

 本当に人が入り、役割が分かれ、今までとは違う形で回り始めるのだ。


「現実になってきましたね」

 小夜が言う。

「なってきたね」

 高橋が答える。


 澪は少しだけ黙ってから、静かに言った。


「やっと現実の話になったと思う」


 小夜はその言葉を、そのまま胸の中で受け止めた。

 部にする、という言葉だけなら前からあった。

 けれど、人が入り、役割が置かれるところまで来て、ようやくそれが形になる。


「相沢さんが入ると、変わりそうですね」

「変わると思う」

 澪はうなずいた。

「少なくとも、総務とのつながり方は今までよりずっと強くなる」

「連携調整の軸になりますかね」

「たぶんね。向いてると思う」

 高橋が小さく笑う。

「小夜さん、ちょっと緊張してます?」

「してません」

 小夜はすぐに言って、それから少しだけ言い直した。

「……少しだけです」

 高橋が笑う。

「ですよね」

 澪もほんの少しだけ笑った。

「分かるよ」


 窓の外は、まだ明るかった。

 けれど危機管理室の中では、もう次の景色が少し見え始めていた。


 器が決まり、中身が決まる。

 その中に入る人まで見えてきたなら、もうこれは仮の話ではない。


 危機管理部は、たぶん本当にできる。


 小夜はそう思いながら、机の上の資料をそっと閉じた。


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