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「君を愛するつもりはない」と言った伯爵様の胃袋をつかんだら溺愛されました  作者: あいら


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冬の終わりを告げる華やかな灯りが、王都の夜を照らしていた。

 王宮直属の社交会――通称“冬の晩餐会”。

 貴族社会の一年を締めくくる最も重要な舞台であり、主催は宰相家。格式の高さと、集まる貴族たちの権力の大きさにより、誰もが一挙手一投足を慎重にする。


 だが、そんな会場の入口で、クラウディオは露骨に肩を硬くしていた。


「……はあ。やはり……苦手だ」


 深いため息が零れる。


「クラウディオ様? 大丈夫ですの?」

 隣に立つエレナが心配そうに顔を覗き込んだ。


「問題ない。ただ……騒々しい場所は昔から得意ではなくてな」


 彼の苦手は“音”ではなく“空気”だ。

 貴族たちの腹の探り合い、見下し、嘲笑、羨望――。

 それらが渦巻く場所にいると、どうしても心がざらつく。

 自分が“成り上がり”と囁かれる過去が、無意識に刺激されるのだ。


 しかし、今夜は“妻”が隣にいる。

 以前の傲慢だった頃のエレナなら、彼も緊張していただろう。だが今のエレナは違う。

 前世の知識による洗練された礼儀と、自然な気遣いと聡さを身につけた彼女を思えば、むしろ安心感すらあった。


 エレナは、柔らかく微笑んだ。


「では、わたくしがサポートいたしますわ。こういう場では、笑って流すより、きちんと交わすことの方が大切ですもの」


「……頼もしいな」


 その一言に、エレナの胸が少しだけ熱を帯びる。



 広間に入ると、満ち溢れる香りとざわめきが二人を包んだ。


「……あれがバルツァーリ伯爵と……奥方か」


「思ったより愛想がいいじゃないか。噂では傲慢そのものだったと……」


「でも、最近は随分と変わったらしいわよ。

 マヨネーズの開発で、一気に名声を上げたとか」


 ささやき声があちこちから聞こえる。

 エレナはそれを聞きながらも、微笑を崩さず、優雅に歩き続けた。


(前世の会社では、これくらいの陰口は日常茶飯事でしたもの……)


 あの頃の自分と比べれば、社交界の敵意などまだ甘い。

 その余裕が、彼女の動作に品と落ち着きを与えていた。


 反対にクラウディオは表情こそ変えはしないものの、心の奥に微かな緊張がある。

 だが、それを読み取ったエレナは、自然に彼の腕にそっと触れた。


「大丈夫ですわ。わたくしが側におりますから」


「……ありがとう」


 その言葉が心の奥にあたたかく染みていく。



 ほどなくして、社交界の古株である伯爵夫人が近づいてきた。


「まあ、バルツァーリ伯爵夫人。なんてお綺麗なドレス。どちらの仕立てかしら?」


 声は柔らかいが、瞳には試すような光が宿っている。

 貴族女性特有の“社交戦”の誘いだ。


 エレナはにっこりと微笑んだ。


「ご覧いただき光栄ですわ。こちらはわたくしの実家とも縁のある仕立て屋でつくらせていただきましたの。夫人のエメラルドの髪飾りも、とても素敵ですわね。光の加減で表情が変わって見えますわ」


「まあ……! 気づいてくださるなんて……」


 一瞬で夫人の表情が緩む。

 先に相手を褒め、機嫌をとるのではなく“相手の選んだものに価値を与える”――

 それは、前世でエレナが磨いた社会術でもあった。


 その姿を見ながら、クラウディオはふと気づく。


(……エレナは、いつからこんなにも、社交に長けていた……?)


 ただ笑っているわけではない。

 ただ相手に合わせているわけでもない。

 自然で、知的で、そして相手を気づかせぬ形で主導権を握っている。


 その所作に、クラウディオの胸がじんと熱くなる。


(美しいだけではない……彼女は、賢い)


 その魅力は、静かに彼の心を奪っていく。



 晩餐会が最高潮に達したころ、事件は起きた。


「エレナ夫人、よろしければ少しお話を」


 甘い声を張り上げて近づいてきたのは、エルゴット伯爵家の令息・リュシアン。

 社交界で悪名高い“女好き”として有名な男だった。


 エレナは丁寧に頭を下げる。


「ご挨拶だけでしたら、こちらで」


「やだなぁ、もっと近くで……ね? あなたのような美しい方とは、特別な距離で話したいんですよ」


 その瞬間、彼の指がエレナの手首を滑り取った。


 エレナは微笑みを崩さないまま、すっと手を引き抜く。


「ご遠慮いたしますわ。わたくしは既婚者ですもの」


「そんなの関係ないでしょう? あなたほどの女性なら……」


 その瞬間——


 “ガシッ”


 鋼のような力で、リュシアンの手首が掴まれた。


「……何をしている?」


 クラウディオだった。


 その声音は、氷の刃のように冷たかった。

 周囲の貴族たちが一斉に息を呑む。


「い、いや、その……ただ挨拶を……!」


「挨拶に、我が妻の手を強引に掴む必要があるのか」


 クラウディオの碧眼が、怒りにより深く沈んでいく。

 普段は冷静で寡黙な男だけに、その怒りは異様な迫力を帯びていた。


 令息は恐怖に肩を震わせる。


「す、すみません! 軽い冗談のつもりで……!」


「二度と我が妻に近づくな。でなければ……名誉では済まないぞ」


 その声には、貴族としての威圧と、夫としての明確な怒りがあった。

 リュシアンは逃げるように立ち去っていった。


 残ったのは、驚愕と感嘆を含んだ囁き――


「バルツァーリ伯爵があそこまで怒るなんて……」


「成り上がりのくせに、随分と……」


「いや、あれは……愛しているのでは……?」


 悪意と嫉妬の混じった言葉が飛び交う。

 しかしクラウディオは一切気に留めなかった。


 むしろ、エレナの肩に手を添え、静かに尋ねる。


「……怖い思いをさせたな。怪我はないか?」


「……クラウディオ様……」


 エレナの胸に熱が広がる。

 クラウディオの指先は温かく、しかし微かに震えていた。


「君に触れられた……あの手を見た瞬間、どうにも……抑えられなかった」


 その本音に、エレナは息を呑む。


 今の彼は、周囲に見せる冷徹な伯爵ではない。

 “妻を守る夫の顔”をしていた。


「わたくしのために……怒ってくださったのですか?」


「当然だ。君は、私の……」


 言葉が喉で止まる。

 “妻”ではない。

 “一時の契約ではなく、大切な存在”だと認めるのが怖かった。


 しかし、エレナには伝わっていた。


(クラウディオ様……優しい……)


 彼の本物の優しさが——じわりと彼女の心を温める。



 晩餐会の終わり際。

 外の冷たい夜風に当たりながら、二人は馬車へ向かって歩いていた。


「クラウディオ様……わたくし、今日、とても嬉しかったですわ」


「……何がだ?」


「わたくしを、守ってくださったこと。

 そして、ほんの少し……わたくしのことを見てくださった気がして……」


 クラウディオは歩みを止め、振り向く。

 その目は深い色を帯びていた。


「エレナ。私は……君を、見ている。ずっと前から。

 ただ……自分が何を感じているのか、理解できなかっただけだ」


「……クラウディオ様……」


 その声は、今までで一番優しかった。


 そしてエレナは、この夜を境に——

 クラウディオに対する感情が、静かに、しかし確実に変わり始めるのを感じた。

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