第427話 新たな道
屋敷の重い扉を押し開け、一歩外へ出た瞬間、湿った空気と、草の匂いが鼻をくすぐった。視線の先には、即席で作ったアーススライムの橋が、湿地の上をゆるやかに弧を描いて伸びている。水面に映る黄褐色の質感は、まるで巨大な生き物が地面に横たわっているようだ。
「……こ、これは……なんという光景だ……」
最初に声を上げたのは、エリオッツ侯爵家の嫡男アランだった。続いて、後ろにいた妹のリナ嬢が目を丸くする。
「本当に地面から生えているみたい……動いてないんですよね?」
「動いてたら誰も渡れないからね」
僕は苦笑しながら答えた。
「素晴らしい! フィレール侯爵様、この道を恒久的に使わせていただくことはできませんでしょうか!?」
カーラ夫人が、興奮した様子で僕の腕を掴まんばかりの勢いで、懇願する。
「カーラ、落ち着け。フィレール侯爵を困らせるでない」
エリオッツ侯爵が静かに妻を制したが、その瞳は僕から逸らされず、藁にもすがるような強い光を宿していた。
「カーラさん、お気持ちは分かります。ですが、この橋には大きな欠点があるのです」
僕は彼女たちをなだめるように、説明を始める。
「このアーススライムの橋は魔力に弱いのです。表面を土などで覆えばある程度は防げますが、強い魔力を受ければ、たちまち崩れてしまいます。これでは恒久的な街道としては、あまりに心許ないですよね?」
カーラ夫人の表情が曇る。希望が見えたと思った矢先、それが幻だと知らされたのだから無理もない。
「対症療法ではなく、まずはこの湿地帯が生まれた根本的な原因を探るべきです。原因さえ分かれば、もっと確実な対処法が見つかるかもしれません」
僕の提案に、おじい様も深く頷く。
「エディの言う通りだ。原因も分からぬままでは、また同じ問題が繰り返されるだけだろう。ショーン、まずは調査から始めようではないか」
おじい様の言葉に、エリオッツ侯爵は少し考えた後、重々しく頷いた。その時、それまで黙って父の背中を見ていたアランが一歩前に出る。
「父上。次期当主として、この土地の問題から目を背けるわけにはいきません。どうか、私にも調査の同行をお許しください」
その真摯な眼差しに、隣にいたリナ嬢も勢いよく手を挙げた。
「わたくしもです! この不思議な湿地の謎を、この目で確かめたいのです!」
二人の強い意志に、エリオッツ侯爵は静かに許可を与えた。こうして、次代を担う兄妹を加え、僕たちは再び湿地へと足を踏み出すことになった。
◆
エリオッツ侯爵領の湿地帯は、外周をぐるりと小高い丘や山に囲まれた、まるで盆地のような地形をしていた。見た目には大河も湖もないのに、一年中水位が四十センチ前後で安定しているという、不思議な土地だ。
アーススライムの橋を頼りに湿地の中心部へと進む道中、エリオッツ侯爵が重い口を開いた。
「この湿地は、我が祖父の代から続く悩みの種でしてな……三代にわたり、あらゆる専門家を呼び寄せて調査させましたが、結局水源を特定することはできませんでした。大きな川も湖もない、周囲を丘や山に囲まれた盆地状の地形で、なぜこれほどの水が一年を通して水位を保っているのか……いつしか、この土地は『呪われた領地』と呼ばれるようになりました」
その声には、長年領地を苦しめてきた問題への深い諦念が込められていた。
進むにつれて、湿地はより複雑な様相を見せる。背の高い葦が密生し、水面には藻が分厚い絨毯のように広がっていた。
足を踏み入れてみると、ぐじゅりと靴底が沈む。
「この辺りは強い魔物が出ないそうです」
リナ嬢が前を歩きながら言う。
「強い魔物?」
「はい、革素材で人気のあるクレストゲーターは、湿原の奥地にしかいませんから」
名前からしてワニ系の魔物だろう。革素材で人気というのは気になる。
「そういえば以前、ニルヴァ王国のダンジョンでメガクロコダイルっていう魔物を倒したな」
「メガクロコダイルも奥地にいますが、クレストゲーターの方が強いという話でしたよね。お兄様?」
「ああ。クレストゲーターの前ではメガクロコダイルもただの餌にすぎない。ただでさえ強いのに、体表を藻で偽装していて見つけにくい。目は金色で、夜目も利く魔物だ。幸いこの辺りでは会わないと思う」
頭の上でピクリと動いたヴァイスは、きっと食べてみたいのだろう。
「この辺りで少し実験をしてみよう」
僕は湿地の中にアーススライムで直径二メートルほどのリングを作り重ねた。家庭用のビニールプールのような形だ。次に、ウォータースライムで中の水を排出し、地面を露出させる。
まだ湿っているので、マグマスライムで乾燥させてみた。
「エドワード様、これはいったい?」
リナ嬢が首を傾げる。
「一旦、水のない場所を作って、どうなるか見てみようと思いまして」
おそらく水源探索などは既にやり尽くしているだろうから、別のアプローチを試す。
これで何も起きないのなら街道の部分だけ、水を抜いてから埋め立てることが可能なはず。
しばらくすると、乾燥させた地面が再び湿り、みるみるうちに水が溜まっていった。アーススライムの糸には変化はない。
「……どこからか湧き出ているのというのではなく、地面全体からすごい勢いで滲み出ている感じだね」
「湧き水の穴もないのに、すごい勢いだな」
おじい様が驚き、エリオッツ侯爵が質問してくる。
「埋め立てた土が翌日にはなくなっているのは、このせいだろうか?」
「おそらくそうでしょうね」
侯爵の話では、石すら翌日には消えてしまうらしい。噂される「呪い」は、その光景が原因のようだ。観察によれば、石は土中へ飲み込まれるという。
結局、調査は丸一日かけても成果は乏しかった。地下水脈かと思ったが、別の原因がありそうだ。最後に蔓を湿地に突き刺し、その日の調査を終えた。
◆
屋敷に戻ると、応接室は重苦しい沈黙に包まれた。
「やはり……この土地は呪われているのでしょうか……」
報告を受けたカーラ夫人が、力なく呟く。
「いいえ、そんなことはありません。原因が分からないなら、別の方法で道を作ればいいだけです。まだ方法は残されています」
皆の視線が僕に集まる。僕は自信を持って新たな計画を告げた。
「蔓の能力を使います。水に強く、頑丈な道を造れるはずです。今日はもう暗いので、明日試しましょう」
「エディが帰り際に突き刺していたのは、そのためか?」
「はい、おじい様。今のところアーススライムの橋には変化がないので、もしかしたら、能力で出した蔓を使うのが正解かと思いまして」
「なるほど。土や石は消えるがアーススライムは残る。エディの蔓も残っていれば使えそうだな」
◆
翌朝、皆を湿地帯へ連れ出すと、蔓は飲み込まれず残っていた。今度はアダマントの糸で湿地の底の岩盤までの深さを探る。
「……岩盤まで、およそ十五メートル。これならいける」
僕は魔力を練り上げた。本来、蔓に魔力は不要だが、込めれば強化できると最近分かったのだ。
そして、その力を一気に解放する。
ゴゴゴゴゴ……!
湿地全体が震え、極太の蔓が何本も生まれ、杭のように湿地の底深くの岩盤へ突き刺さっていく。直径三十センチはあろう蔓の杭が、街道のラインに沿って等間隔に打ち込まれていった。
エリオッツ侯爵家の面々は、その光景に目を見張る。
次に、その杭を基礎に無数の蔓が絡み合い、橋の骨格を編み上げていく。それは、アーススライムの仮初めの橋とは比べものにならないほど強固で恒久的な道の土台だった。
「これで道は完成です。ただ、このままでは馬車が走りにくいでしょうから、この上に土や砂利を敷き詰め、固める作業はエリオッツ侯爵家の皆さんにお願いします」
すべてを僕が作っては意味がない。自分たちの手で道を完成させることで、この土地への愛着と未来への希望を取り戻してほしかった。
僕の言葉に、ショーン侯爵はゆっくりと顔を上げ、力強い決意の光を宿した目で前に進み出ると、深く頭を下げた。
「フィレール侯爵……エドワード様。このご恩、エリオッツ家は未来永劫忘れません。必ず我らの手でこの道を完成させてみせます」
その声は震えていたが、そこには三代続いた呪いから解き放たれた領主の喜びがあった。アランとリナ嬢も涙を浮かべ、侯爵夫妻と抱き合っている。
フィレール侯爵領へと続く新たな道。それは二つの領地を物理的につなぐだけでなく、人々の心をつなぎ、未来を切り開く希望の道となるだろう。湿地を渡る風の中に、そんな予感が確かにあった。
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