第426話 湿地の街道
フィレール侯爵騎士団による街道整備が始まってから、半月が過ぎた。
アルクロからエリオッツ侯爵領の境界までの森は、僕の糸と騎士たちの尽力によって、驚くべき速さで切り開かれていく。
最初はぎこちなかったマルシュ君配下の騎士たちも、親衛隊や古参の騎士たちの圧倒的な実力と、アキラの言葉に思うところがあったのだろう。今では侮りや対抗心は消え、一つの騎士団として見事に連携が取れるようになっていた。互いに声を掛け合い、汗を流すその姿に、おじい様も満足げに頷いている。
「うむ、良い顔つきになったな。やはり、共に汗を流すのが一番の薬か」
僕もその光景に、胸が温かくなるのを感じていた。
そして、ついに僕たちはフィレール侯爵領側の区間と、ハットフィールド公爵領の一部区間を完全に整備し終え、エリオッツ侯爵領との境界線に到着した。
「よし、これでうちの領地分は完了だね。ここからはエリオッツ侯爵領だけど……」
今後の工程を思案していると、後方から数騎の馬がこちらへ向かってくるのが見えた。先頭の騎士は、エリオッツ侯爵家の紋章旗を掲げている。……どうして後方から?
「フィレール侯爵様でいらっしゃいますか! お探しいたしました!」
使者の騎士は丁重に挨拶をすると、僕たちに驚くべき報告をもたらした。
「我が主、ショーン・エリオッツより伝言でございます。『王領ヴァールハイトより、当家のアルティスタまでの街道は、王家と当家の協力により、先日無事に開通した』とのことです」
「えっ、本当かい!?」
これには僕だけでなく、おじい様も驚いた。王都までの道を繋ぐという壮大な計画の、半分以上がすでに完了していたとは。
「はい。ですが……まことに申し上げにくいのですが、このアルティスタからフィレール侯爵領までを結ぶ区間の整備が、困難を極めておりまして……」
騎士は言葉を濁す。だからこそ、僕たちの助力を求めていたのだろう。
「分かった。詳しい話は、エリオッツ侯爵に直接聞くことにして、案内を頼めるかい?」
「はっ! お任せください!」
ところが、使者たちがフィレール侯爵領側へ向かおうとしたので引き止める。
「どうして、そっちに向かうの?」
「我々はシノロを経由してフィレール侯爵領に入りました。ここからアルティスタへ向かうには、色々と問題がございまして。実際にご覧になっていただいた方がよさそうですね」
僕たちは使者に導かれ、未知の問題が待ち受けるエリオッツ侯爵領へと、足を踏み入れた。
しかし、そこに広がっていたのは、僕たちの想像を絶する光景だった。
「こ、これは……」
マルシュ君が絶句するのも無理はない。目の前には、見渡す限りの湿地帯が広がっていた。
森は途切れ、開けた土地が続いているのだが、そのすべてが水に浸かっている。深さは平均して四十センチほどだろうか。
場所によってはさらに深いところもあるみたいで、これでは馬を進めるのも困難を極める。
「なるほど……これでは街道の整備どころではないな」
おじい様が腕を組み、唸る。これでは、土を盛ってもすぐに水に流され、固めることすらできないだろう。
「どうやら、ここが難所と言われる所以のようですね」
アキラが冷静に分析する。エリオッツ侯爵領の使者も、申し訳なさそうに俯いていた。
「勝手なことをするわけにもいかないし……とりあえず、侯爵に会うのが先決だね」
僕はそう言うと、アーススライムの糸を硬化させていく。水面に、幅三メートルほどの頑丈な土の橋が、みるみるうちに出来上がっていった。
「なっ……!?」
「道が……できた!?」
エリオッツ侯爵家の騎士たちが、信じられないといった表情で目を見開く。親衛隊のメンバーは慣れたものだが、新たに加わった騎士団のメンバーも驚いている。
「さあ、行こう。この橋なら問題ないはずだよ」
僕たちはアーススライムの橋を先へ先へと伸ばしながら、湿地帯を進んでいく。やがて、前方にアルティスタの町が見えてきた。町は小高い丘の上にあり、湿地帯の影響は受けていないようだ。
◆
町の入り口では、エリオッツ侯爵家の人たちが、僕たちを出迎えてくれた。
中心に立つのは、がっしりとした体格の男性。実直そうな顔立ちで、口を真一文字に結んでいる。
彼が当主のショーン・エリオッツ侯爵。その隣には、華やかなドレスに身を包んだ快活そうな女性。そして、その後ろには、エリオッツ侯爵によく似た真面目そうな少年と、おそらく母の面影がある、好奇心旺盛といった感じの少女が控えている。
「……よく、来られた」
エリオッツ侯爵が、重々しく口を開いた。言葉数は少ないが、その声には歓迎の意が込められている。
「アルバン様にフィレール侯爵様、ようこそお越しくださいました! お待ちしておりましたわ! わたくしはショーンの妻のカーラと申します。ささ、長旅でお疲れでしょう。屋敷をご用意しておりますので、どうぞこちらへ!」
夫とは対照的に、カーラ夫人はマシンガンのように言葉を紡ぎ、僕たちを屋敷へと案内してくれた。
屋敷の応接室に招かれ、僕たちは改めてエリオッツ侯爵家の面々と向き合った。先程の若い男が嫡男のアラン(十六歳)で、少女は長女のリナ(十四歳)だそうだ。
僕たちが席に着くと、早速カーラ夫人が、夫に代わって口火を切った。
「本当に、よくぞこの湿地を越えていらっしゃいました。ご覧の通り、我が領の南部は、ほとんどがこのような状態でして……。これが原因で、フィレール侯爵領との交易もままならず、領の発展の大きな妨げとなっているのです」
カーラ夫人は、テーブルに広げられた地図を指しながら、切々と訴える。
「特に大きな川があるわけでもないのに、どうしてか水が引かないのです。専門家にも見てもらいましたが、原因は分からずじまい。本当に困り果てておりまして……」
その様子を黙って聞いていたおじい様が、一つの提案をした。
「うむ、事情は分かった。それならば、一度ハットフィールド公爵領を経由して、西からアルティスタの町に入る道もある。そちらを整備する方が現実的ではないか?」
それは最もな意見だったが、カーラ夫人は悲痛な表情で首を横に振った。
「それではダメなのです、アルバン様! それでは、この南部の土地はいつまで経っても見捨てられたままになってしまいます! どうか、どうかフィレール侯爵様のお力で、この地に道を通してはいただけないでしょうか?」
カーラ夫人は、僕の手を取らんばかりの勢いで懇願する。隣のショーン侯爵は無言のままだが、その瞳は妻と同じ、強い願いを宿していた。
話が少し行き詰まりかけた、その時だった。
「あの……お伺いしてもよろしいでしょうか?」
それまで黙って話を聞いていたリナ嬢が、おずおずと手を挙げた。
「フィレール侯爵様たちは、その……どうやって、あの水浸しの土地をここまでいらっしゃったのですか? 先程、フィレール侯爵様を迎えに行った兵士が、興奮してみんなに話していました」
その純粋な疑問に、場の空気がふっと和らぐ。
「見たほうが早いので、見てみますか?」
僕はにっこり笑い、皆を屋敷の外へ連れ出したのだった。
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