第5話「台風の指先」
東北の国境沿いは静かだ。
赤道で発生した、季節外れの台風が北海道に上陸しようとしている。
「春だってのに。異常気象てやつか」
北東からやってきた台風は、大陸の大気に押されることで軌道を変え、あるいは予想から変わることなく近づいている。
嵐が来ようとしていた。
「キャンプ組は引き上げましたか」
「今度の台風は大きいからな……気象変動のせいかも。うちの基地は、T-1さえ外で雨晒しなのにお客さんを入れる余裕はない」
「窓や扉を補強して基本的に外出禁止、哨戒も命懸けですね」
報道陣を連れて、外人部隊の拘束を宣伝していた警察官憲は消滅した。
台風に備えての下山だ。
並みの車両では遮るもののない暴風雨に耐えられないし、テントでの張り込みなど論外なのだ。
風が木々を揺らしている。
「酷い嵐になりそうです」
真守優希は、窓を打ち始めた雨粒を見た。
「バンカーに入れられた車両は何台ですか?」
「各中隊で1個小隊、4機ぶんくらいだ」
「使えるのは『その数だけ』ということですね」
「監視のためにやってきたシビリアンの部隊のせいでハンガーから締め出された車両が哀れだ。一応、建物の近く、できるだけ安全な場所に固縛したがどれほど生き残るか検討もつかない」
キーラはため息を吐いて、
「優希、嵐の中での山越えはT-1でもあまりに危険だ。あっという間に、ぐしゃっ、谷底で大破だ」
ウィッチ1のドライバーであるキーラが呆れたように言った。しかし、
「……行くのか? 命令拒否できる命令だ」
「光学迷彩シートの手入れを頼みます」
「雨のときに効果はほとんどないよ? ましてや暴風雨だ。だけど、優希が言うなら在庫を見ておく。車にも掛けておくさ」
「ありがとう、キーラ」
「……モンスターハンターに備えて、30mm機関砲は57mm機関砲に口径を変えた。30mmよりもかなり重くなってる。マンモスにも打撃を期待できる……かも。だが嵐のなか大型の機関砲は危険だ。ぬかるんだ足場で滑れば死ぬ」
「弾薬庫から引き出す弾頭はキーラに任せます」
「マンモスハントは考えるなよ。徹甲榴弾で本当に相手できるのか謎だ。少なくともマンモスはずっと大きい」
「直立2足歩行ですしね」
優希は危険性に触れず、
「換装の理由は──」
「──幹線道路監視で、重装甲の歩兵戦闘車対策て押し通した。武器や訓練のスケジュールは連隊単位で投げられてはいても、個々は興味もない、育児放棄されているのが外人部隊だし」
「子供なりに成長していきましょう」
「マンモスハンターに組み込むのは4機?」
「はい。例の秘密基地組です。予備部品の交換が少なく、ハンガー入りした車両から抽出した結果だとはなっています」
「中隊1両ずつ合同の偵察任務……他の中隊から抽出の理由、それを指揮する指揮権、諸々の手続きや根回しは終わっているんだな?」
「司令部からの命令では、対マンモスで知っている人間を集中する効率重視の臨時編成です」
「死ねと言うほどの度胸は流石にないはずだ。それに、ウィッチ1以外の機体にはマンモスの記録があったとは聞いてない。おかしいぞ。優希、お前を殺すために──」
「──それ以上は被害妄想です。通信記録を照合すると、司令部からなんらかの暗号通信が組まれていました。内容はともかく組み方が今までとは違います。通信の技官を退出させてです。例の秘密基地、マンモスの徘徊は誘導されたと考えるのはネガティブでしょうかね」
「ウィッチ1、グーラ16、ノエル7、ノエル8だな」
「できれば、中隊規模の陣形で敵を誘い、別の中隊で側面攻撃の伝統、せめて2個小隊以上を使いたかったですけど」
「監視が厳しい。国境の不安定化を危惧したとかなんとかで、哨戒は制限されてる。師団から即応連隊が動いているらしい。湿地に戦車もだ。訓練も『威嚇』になるから禁止だ。何もするな。だけど──」
「──山の日帰り旅行は疲れます。登るのも降るのも慣れていなければ、WTに乗っていても難しい。特に陽本の森は、鎮守の原生林のまま放置されているのですから」
「古い時代よりも植生が良くなりすぎた山らしいしな。昔からこのあたりは、寄生虫に細菌に恐ろしい伝説もある。龍骨とかね。忌々しいけど、嫌いにはなれない」
「哨戒は深夜から出ます。台風が上陸している時間ですね。今のうちに寝ておきましょう」
「怪物は夜にあらわれるか」
「幽霊て苦手なんですよね」
基地の窓がガタガタと揺れた。
風が、強まっていた。
打ちつける暴風雨の中──。
「酷い雨だ。予想よりも強いな」
「哨戒任務は雨天順行ですよ」
「哨戒に57mmなんて大砲を付けるほうが──くっ、AIが支援してくれなきゃ谷底で潰れてたよ今のは!」
ウィッチ1ドライバーのキーラはぬかるむ土へ慎重に足を沈めた。
「パノラマサイトが白濁していますね」
優希は潜水艦の潜望鏡から覗くように2枚のモニターの1枚を見ながら操作した。
WTの砲塔に載る円柱の形をしたパノラマサイトのセンサーが回る。
赤外線が、雨で反射して映像が乱れていた。
「雨じゃ視界が悪過ぎる。光学迷彩されてるとわからない。足跡も溶けるし、無人機も飛べない」
「ですが」と優希は映像をピックアップした。
「全車、停止!」
森の木々、その幾らかの枝がある一定の方向に折れていた。風のせいではない。
「熊というには巨大です。マンモスでしょう。塗料や足跡は流石に分かりませんが、サイズはわかります。大きい……それにこれは足跡こそ崩れていますが、大きく踏み崩してしまったような足跡だったものです」
パノラマサイトのワイパーが雨粒を払う。
「東に向かっています」
雲が引っ掛かった山岳地帯だ。
森は、より深まっていく。
遠くから雷が鳴り響いた。
「目的を忘れるな」
優希は、今1度、目的を確認した。
マンモスの僅かな痕跡をAIが画像解析で追跡していた。
見つけたのは、放棄された街だ。
山間部を埋めるように建物が並び、しかし酷く戦火に痛めつけられたゴーストタウンだ。
「台風が強まっている。今から基地に戻るのは不可能だ。ノエル7、通信を組め。司令部にポイントを報告、夜明けまで避難する」
「ノエル7、了解」
「こんなところに街があるなんて……」
と、グーラ16が見上げた。
高層ビルと言うには低い建物の数々が山と山の間に沈むようにして街になっていた。
人の気配はない。
「随分と昔に無人にされた街だ。名前は地図からも消されて、ほとんど知るものもいない。非武装地帯には消された村や街は多い」
と、優希は言った。
「……なんで知っているんだ?」
「スペランカーだからですよ、キーラ。龍骨山脈は龍の背骨と肋骨だけではなく、内側の大空洞があるでしょう? 地下水脈です。南北の国境を越えて繋がっているんです。山岳地帯で水源は豊富、食料もあるのでそこそこ野生でも生きられます。ミニ独立国とかミクロネーションてやつです」
「…………ふーん」
キーラはWTを歩かせた。
街に入る。
街に充分な規模だ。
何万人と暮らせそうだ。
自然主義者が山にこもって原始共産生活をしているのとは違う、現代と変わらない文明の建築物やライフラインがあった。
だがその全てが『攻撃』を受けて破壊され、道という道は混沌とした建物の残骸と放棄された自動車などで塞がれていた。
今や残骸、瓦礫の山だ。
森に呑み込まれつつある。
「WTでは足の置き場所に困りましたね。少し散歩に出ましょうか」
「隊長は忙しいのはわかるけど優希──」
「──WTに乗っていても何かと生身の足が必要なんですよ。それにもし住民がいるなら指揮と責任のある私が交渉しないと。ノエル7、小隊の指揮を任せる」
「ノエル7、了解」
「グーラ16からウィッチ1へ。もう1人、グーラ16から落とす。ペアで行動するべきだ」
「ノエル8からウィッチ1。同じ内容。ここはヤバすぎる」
「ノエル8から1人送れ。ノエル8、コマンダーの銃撃戦の腕を頼る」
「ノエル8、了解した」
ガンラックに固定していた銃を取りだす。
優希はスターリングサブマシンガンにマガジンを入れた。円筒の銃本体の真横に突き出している。鞘に入っている銃剣を確認した。
データリンクとして携帯液晶端末の接続を確認した。液晶のパネルを動かす薄い機械だ。通信以外にも様々な能力があるが、優希のもつ携帯液晶端末は市販品の私物だ。WTを基地局にして電話を繋げることができた。
「気をつけてよ本当に。ドローンはあげる?」
「荒れた風です。あげるだけ無駄でしょう」
優希はスターリングのオープンボルトを引いた。銃剣も胸に差した。ヘルメットはそのままだが、
「WTは嵐の中でも目立ちすぎます。そう遠くへは行きません。雨宿りできる周囲をこっそり見てくるだけですから」
レインコートよりはハイテクな衣服を着た。
メタマテリアルで編まれた雨合羽だ。
優希は光学迷彩のフードを深く被る。
風が強まっていた。
泥を跳ね上げて歩くWTの下で合流だ。
生身の優希とノエル8-コマンダーは、
「無線は繋がるか?」
「問題ない」
「援護しろ。向こうに私が着いたら、合図する。私がカバーするから走れ」
「わかった」
吹き溜まった泥煤が雨水でどろどろの中を軍靴が走った。廃墟の隙間を強風が過ぎ去るたびに不快な音が奏でられる。
顔が痛むほど雨粒が殴った。
ノエル8のコマンダー……キャロが小柄な体には大きく見えるスターリングを抱えて廃墟に取り付いた。
「建物を調べる。下からカバー頼む、キャロ」
「いつもカバーしてる」
優希とキャロは強風のなか、廃墟を走っては情報を集めた。
雨が肌で砕けて、冷たく、服に染みた。
「静かだね」
「声をたてるな」
雷雲が低く光った。
すぐ頭の上で閃光。
轟音が鼓膜を破りかけた。
「どうした?」
キャロが足を止めた。
優希を壁際に押し当てる。
小さな腕の力は強かった。
光学迷彩のフードを雨が打っていた。
「3棟先の2階で光、煙草か何かだと思う」
「誰かいるわけか。浮浪者かもしれない。交戦には充分に気を払え」
「いるなら悪党だよ。どうする?」
「無視はできない」
優希は、ノエル7に報告した。
「私たち以外の人間がいる可能性がある。突発戦闘に注意しろ」
「了解」と電子音声に分解された声が返ってきた。
「正体を確かめよう。雨宿りくらいは許してくれるかもだ。行け、キャロ」
泥を跳ねさせながらキャロが走った。
優希も後に続くが……
BABAM!
BABAM!
銃声だ。
TOTOTOTONK!
BABABAM!
「ぎゃっ!」
優希がキャロと同じ建物の壁に取り付いたときには、デパートだったのだろう敷地内、エスカレーターから完全武装の男が崩れ落ちてきた。
「よくもニィを!」とエスカレーター先から男の声が暴風雨を切り裂いた。
TOTOTONK!
ZiP!
ZiP!
ZiP!
CLiCK
「くそっ、ぶっ殺してやる!」
弾切れを機会にして、優希が物陰から顔を出した瞬間、
BANG!
BANG!
拳銃から撃たれた。
「私たちはお前らと戦うために来たわけじゃない! 銃をおろせ!」
「寝言言ってんじゃねぇ! このボケが! 俺の兄を殺しやがって!」
2階のエスカレーター先から銃撃だ。
1人は死んで、下に落ちている。
嵐でも消せない血溜まりが広がっていた。
キャロが仕留めた。
「何をやっている、キャロ」
「目が合って銃口を向けられた。煙草を捨てて、慌ててスリングから外してライフルを向けてきたんだ。こっちのが早かったけど」
「始まったものは仕方がない。あとで頭のカメラが確認するぞ。私はここで気を引く。身軽なお前はどこか別の場所から入って側面から撃て」
「殺す?」
「殺せ」
「わかった」
エスカレーター先の誰かがわめく。
「ぶっ殺してやる」
優希は返事としてスターリングの引き鉄を絞った。
少しして、
「ウィッチ1、終わった」
キャロがエスカレーターに立っていた。
手にはナイフがあり、刃は血で濡れていた。
優希は2人ぶんの死体を調べて、
「奇形だな。骨や肉のバランスが崩れてる。それに寄生虫の影響で極端に小柄で腹が出ている。鉱毒に寄生虫……現地民だろうな」
「見てこれ。クレムリ製のライフルにピストル。それに写真も見つけた。なんだろ?」
キャロが死体を漁って出した写真には、
「クレムリ製125mm戦車砲に見えるな。砲だけだ。脚部も馴染みのある設計局のものだ。新型のWTか? 純粋な歩行砲台とは古風だな。オープントップだが背中は閉じてる」
「例えば、コイツらが『山賊』でクリミア装備の北陽本軍を襲撃した鹵獲品なら? 帳簿みたいなの見つけた。なんでももってる。色々な国の金、宝石、羽振りがよさそ──125mmを鹵獲したのは7日前、そして今日、交渉があったみたい」
「現物が無いということは売ったあとか」
──徒歩で行ける場所なんてたかがしれてる。パワードスーツを装備しているわけでもない……125mmは過剰火力だ。7日前に、WTがいる山岳地帯に投入した?
「デパート下の駐車場にWTを隠せそうだ。雨宿りに借りよう。ウィッチ1-コマンダーからグーラ16へ。キャンプ地を確保した」
優希は、WTを無線で呼ぶ。
「少しは安全そうです」と優希ははにかんだ。
雨ですっかり濡れた顔だが、また外に出た。
WTを誘導する仕事があるのだ。
地下入り口の影から、周囲の建物の窓や角を警戒しつつ、到着を待った。
強風は豪雨に変わっていた。激しい雨足は大気をすっかり白濁させて、視界を著しく悪く変えた。
キャロが、
「マンモスがこの街に来ると思ってる?」
「来ても隠れます。台風が過ぎ去るまでは山岳地帯を歩くのは難しい。ここは屋根もありますし、泥だらけで滑る足場で寝るよりも硬く埃まみれのコンクリートのが体力を温存できます。街で待ち伏せたいわけではないですよ」
まあ、と優希は、
「豪雨のなかでの山越えをはしません」
「じゃ、北陽本と遭遇する可能性は?」
「充分にあります。しかし山賊や盗賊に追い剥ぎのたぐいに襲われる可能性のが高いです」
「治安悪……最悪」
「まあ北にも南にもいないはずの人間、世界中でも存在してはいない人間というものが国境の山岳地帯に何十万人といてけっこう無法地帯ですから」
「詳しいね」
「警察とか法治とかとは無縁なので気をつけてくださいよ」
「安心して。僕が守るから」
「逆なんですよねー」
白いベールのなか、WTの巨影が見えた。
WTで囲い陣地を作り、火を起こした。
燃料をゆっくり燃やしながら濡れた体を温めた。
「なに見ているのですか」
濡れた服を脱いだ優希とキャロだが、注目を受けていたのは優希のほうだった。
胸の肉は削ぎ落ちたように醜く凸凹としていて、まるで拷問でも受けたかのような傷が『ちょうど服に隠れている位置にむごたらしく』刻まれていた。背中も腹も腕も、脚にもだ。
なかには戦いの傷もあるが、大半は……。
「雨で山がぬかるむことで基地に戻るのが遅れるのはよくあることです。時間は無駄にできません。認識の確認ですが、マンモスも無限に活動できる永久機関がない以上は拠点があるのでしょう」
優希は誤魔化すように話を進めた。
「北でも南でもないなら、どこかの独立ゲリラだかに支援を受けているのかもしれません。ここはそういう地域です」
「そこの仏も?」
と、キーラが指差したのは死体だ。
正規軍ではないボロボロの私服の男が2体だ。優希とキャロを襲撃した追い剥ぎだ。
「ごく一般的な住民です」
「こえーなぁ……ぶった切られて食肉にされそうだぞ。大丈夫なのか?」
「気をつけてください。人肉は資源です」
キーラは息を吸って、
「気をつけましょ」と言った。
「追い剥ぎは、北陽本の部隊も襲撃していたらしい。大砲を奪い取ったとも。それと──」
優希は押収した日誌をだした。
「──追い剥ぎが、時計や金歯と一緒に持っていた北陽本軍人の日誌です。
マンモスについても記述されていましたよ。北陽本は、『この街』でマンモスを待ち伏せて狩るつもりだったようです。破壊されてはいないのでしょう。少なくとも2回、作戦は実行されて2回とも損害を出して失敗しているようです」
「北陽本にとっても敵なわけなんだ」
「完全に、鹵獲しようと考えてない」
「どうして街を戦場に選んだ?」
「道がいくらか綺麗にされて盛り土の横に戦車の走った跡みたいな深い水溜まりが長く続いているのは見たよ。マンモスに戦車をぶつけたかったらしい」
「破壊された戦車は誰か?」
「見てない」
「同じくだ」
「北陽本の機甲部隊も街のどこかにいる、というわけか……戦車相手に57mmとWTは、市街戦だとちと厳しい。平野での近接戦ならともかく」
「サイドジャンプの空間がないから撃ち合いだ」
「戦車か」とキャロは言葉を選びながら、
「主力戦車は難しい。軽戦車か、新しい戦車砲を積んだWTかだと思う。125mm対戦車砲……が、あったかな? 海軍の130mm砲も可能性はあるよ」
「なんでそんな大口径砲がいるんだ?」
「マンモスについては建造した北陽本のが詳しい。可能性としては──」
キャロは迷いながら、
「──本物の怪物かも。龍骨山脈にはおかしな噂が多い。村ごと消滅したとかは、近代になってからも頻発してた」
「最初の歩哨はグーラ16の2人だ」と、優希は話を切り「残りは寝ろ。夜襲がないわけではないだろう。今日は消灯だ」
「不味いコーヒーをまだ飲んでるのに」
火を消した。