一族の由来
綾音が少し心配そうに言った。
「さっきの神主さんに会わなければいいんですけどね……」
彼女だけでなく、小川もマリエッタもそれには同感であった。三人でキョロキョロしながら土雲神社についた。こんな僻地の神社にしてはそれなりに大きな境内であった。
「あそこが社務所でしょうか……」
マリエッタが指差したところに平屋の建物があり、近づくと確かに「社務所」と書いてあった。
入口の呼び鈴を押すと、中から70歳くらいの男性が出てきた。
「警察の者です。八十宮司さまにお目にかかりたいのですが……」
「私が宮司の八十ですが、ご用件は何でしょうか」
「実は八重樫武という人物の行方を追っているのですが、それとこの村の由緒を尋ねたいと思いまして……」
「そうですか、とりあえず中へどうぞ」
宮司に促されて一行は中の簡素な応接スペースに通された。
「おたずねの八重樫武ですが、彼は神社に属する就奉院のメンバーです」
「就奉院とは何をする人たちなのですか?」
「村の掃除から子供の面倒や治安の維持まで、様々な社会奉仕をします。こういった当局のケアの届かないような山村ではそのような社会奉仕者が必要不可欠なのです。就奉院を創設したのは私ですが、現在は息子の博禰宜が院長をしています」
そう言った後、八十宮司の顔に少し翳りが見えた。マリエッタはそれが気になって聞いてみた。
「あの、もしかして失礼ながら博禰宜さんが院長をしていることに何か不安があるのではないですか?」
すると八十宮司がお茶を濁すように言った。
「あ、別にそんなことはありませんよ……そうそう、村の由緒についてですね。みなさんは神武東征という言葉を聞いたことがありますか?」
マリエッタが答えた。「その昔、磐余彦が九州の日向を出発し、近畿までやって来て戦いに勝利し、神武天皇となるお話ですね」
「その通りです。その時戦った相手として古事記では八十建、日本書紀では八十梟帥と書かれた人物が登場します。実はこれは個人名ではなく、八十は多くの数を意味し、梟帥は猛々しい者、強い者を意味します。つまり八十梟帥とは大和……今の奈良県と大阪府南部あたりを拠点とした軍事力の優れた一族だったのです。そしてその末裔が私たちの村の者というわけです」
「随分昔に遡るんですね……」
「一族の由来はさらに遡ります。私たちの家に伝わる秘伝によれば、武甕槌神が人の娘である新垣比売命を見初めて夫婦となり、生まれてきたのが私たちの祖先なのです。
その子孫は背が高く、力が強かったことで周りからは恐れられていました。それで神武東征前は大和の国では相当な権力を持っていました。しかし磐余彦に敗れて居場所を失った八十梟帥一族は日本全国に散り渡りました。その内の一民族が私たちの祖先というわけです」
「そう言えばこの村の方々はみな背が高いように思いました」
「はい、私たちの村は長い間純血を守っておりましたから、体型も昔から保たれたのでしょう。長い歴史の中では近親婚も多数あったと思われます。もっとも戦後はそうも言っておれなくなって麓の人たちとの混血が増えてきましたが……。
もう一つ私たちの村民は八十にちなんで八か十の字が姓に入っているのが特徴です。八木家、八重樫家、十川家、十三永家、十返舎家などがあります。もともと農家で姓のない家がほとんどでしたが、明治8年の平民苗字必称義務令によってそのようにつけられたわけです。私たち八十家は神職の家系となっています」
「あと、もしかして八十家の家紋は八つ菱に蜘蛛ではありませんか?」
宮司が黙って頷いた。小川は質問を続けた。
「村の名前も土雲村となっていますし、何か一族と蜘蛛は関係あるのでしょうか?」
すると宮司は少し苦笑するように言った。
「古代日本では土蜘蛛とは天皇に恭順しなかった豪族たちを揶揄して言う言葉でした。でも私たちは逆に土蜘蛛であったことを誇りとしているのです」
「そうでしたか……。ところで、秦氏の子孫で 〝タカ〟の字のつく一族と八十梟帥一族は何か関係があるのでしょうか?」
綾音は自分の出生は告げずにそう質問した。すると八十宮司は急に歯切れの悪い言い方になった。
「それはちょっと私のほうでは……あ、いかん、そろそろ行かねばなりません。わざわざご足労いただいて申し訳ありませんが、今日のところはお引取り願えますでしょうか」
またもや一行は追い出されるように社務所を出た。
「あの宮司さん、何か隠しておられますね……」
マリエッタがそう言うと、境内の奥のほうから八十博禰宜が一行を冷ややかに睨んでいるのが見えた。
「何かまずそうですよ。早くここを出ましょう」
綾音がそう言うと、一行は足早に車に駆け込んで逃げるように山を下りていった。