第34話 寝床は、二十二でございます
宮内府の紙は、宿帳より上等な紙でございました。
厚みがあって、折っても跡が白くなりません。夜のうちに石橋の者が置いていったもので、封は切ってございました。切ってあるのは、途中で誰かが読んだからでございます。
随行の数を改める、と書いてございます。
三十八という数の下に、線が一本引いてございました。線の下に、同じ三十八と書き直してございます。
数は変わっておりませんでした。
変わっていたのは、馬でございます。十六頭が二十頭になっております。その下に、荷車が二台加わると書いてございました。
馬が四頭増えますと、飼葉が要ります。峠の向こうから買うより、石橋の裏の草地を刈るほうが早うございます。
「四十を超えると伺っておりましたが」
「はい。人は三十八のままでございます」
マノンが紙を覗きました。覗いても読めませんが、線が引いてあるところは指で押さえられます。
紙を明るいほうへ持ってまいりますと、消した下の字が透けます。透けた字も三十八でございました。
「これは、消した跡ですか」
「はい」
消して同じ数を書く方はおいでになりません。書き直したのなら、その間に別の数があったということでございます。
「三十八を消して、三十八と書いたんですか」
「そういうことになります」
一度四十を超える数が上がって、また戻された。戻したのは宮内府でございましょう。戻す前の数を、男爵様はご存じでいらっしゃいました。
どちらが先にご覧になったかは、この紙ではわかりません。
昼前に、ヴァレンヌ様がお見えになりました。
書役の方と、もう一人、宿場の者を連れておいでです。宿場の者は馬車の脇に立ったまま、中へ入りませんでした。
宿場の者は、腕を組んで坂の下のほうを見ておりました。番に立っている二人と、同じ身なりでございます。
「割りを聞く」
「うけたまわりました」
わたくしは帳場に紙を広げて、数を三つ書きました。書いてから、客のほうへ向けて置きました。
紙には、二十二と十と六を書きます。足して三十八でございます。
「宿に、二十二名でございます」
寝床は、この宿ができたときから二十二でございます。父の代に一度だけ、二十四にしたことがございました。
「寝床の数だな」
「はい。増やしておりません」
二十四にした年は、寝台の間が狭くなって、翌年また二十二へ戻しました。通れなかったからでございます。
「厩は」
「二階に十名でございます。梯子の段を二か所継ぎました」
梯子の段は、上から二枚目と下から三枚目を継ぎました。踏み外しの出るのは、その二か所でございます。
「合わせて三十二」
「はい」
ヴァレンヌ様は、鉛を耳から取られました。取って、紙の余白に六と書かれました。
余る、というお言葉をお使いになります。足りない、とはおっしゃいませんでした。
「六名、余る」
「石橋へお回りいただきます」
お断りするという言葉は、宿の言葉でございます。父は年に何度か、これを使っておりました。
「断るということか」
「はい。お断りいたします」
書役の方が、こちらをご覧になりました。ご覧になって、すぐ紙へ戻られました。
厨のほうで、麦を量る音がしております。この人は、こういう話のときだけ音を大きくいたします。
書役の方の鉛は、今日はよく動いておりました。動いている鉛は、書き取る値打ちがあると思っている印でございます。
「誰を回す」
「翌朝いちばんにお発ちになる方でございます」
身分で割りますと、その晩の順が全部そこから決まります。湯も飯も朝の厠もでございます。
「身分ではないのか」
「宿は、身分で寝床を割りません」
わたくしは、紙の余白に朝の刻を書きました。
紙の余白は、もう三行ぶんしかございません。刻を書くには足ります。
「巡行は、朝の五つに発たれると伺っております」
「そうだ」
四つに発つ方は、前の晩に外套を乾かします。乾かし場の鉤は六つでございますので、そこも足りません。
「先触れの方と、道を検める方は、四つには発たれます」
「早い者から先に出る」
「はい。四つに発たれる方が、湯を使えるのは前の晩の遅い刻でございます。遅い刻に湯を使う方は、寝床に入るのが遅うございます」
鉛が、紙の上で止まりました。
「石橋の宿場は、湯が三つございます。遅い刻でも順が回ります。ここは湯が一つでございますので、六名ぶんだけ順が足りません」
湯が一つの宿で順が回りますのは、二十二名まででございます。二十二は寝床の数であって、同時に湯の数でもございます。
「その六名は、下で寝て、朝にここまで上がってくるのか」
「いいえ。石橋から、そのまま峠へ向かわれます」
石橋からこの坂を上がるのに半日、上がってまた峠へ向かうのに半日でございます。半日は荷を運ぶ方には大きゅうございます。
「宿を通らずにか」
「四つに発たれる方は、この坂を上がる刻が惜しゅうございます」
ヴァレンヌ様は、しばらく紙をご覧になっておりました。
ご覧になってから、鉛で六の下に線を引かれました。引いた線は、消す線ではございません。
線を引くのは、承知したという印でございます。消すときは、二本引かれます。
「湯屋を、もう一つ建てろとは申さん」
「ありがとうございます」
「建てられんことは、夏に聞いた」
この方は、そこで帳面を閉じられました。閉じてから、玄関の外へ二歩お出になりました。
外は峠から下りる風が回っております。外套の裾が持ち上がって、裏の毛皮が見えました。
「看板だ」
「はい」
看板の板は、父の代に一度だけ描き替えました。描いたのは石橋の絵描きの先代でございます。
「梯子の段が七つある」
「はい。父が七つにいたしました」
「一等宿は八つが習いだ」
わたくしは、看板の下まで参りました。参って、いちばん上の段を見上げました。
いちばん上の段だけが太うございます。そこから先は自分の足で登れ、という意味だと父は申しておりました。
「習い、と申しますと」
「王都のあたりの宿がそうしておる。段の数で格を示す」
上から下りてくる習いは、下でどう使われているかを見ずに下りてまいります。
「西街道では、そのような習いを聞いたことがございません」
「習いは、上から下りてくる」
「うけたまわりました」
「足せ、とは言わん。巡行の方々が数えられる、と申しておるだけだ」
この方は馬車へ戻られました。戻ってから、窓を少しだけ開けられました。
開いたのは、はじめてでございます。夏から幾度も坂を上がってこられて、窓は一度も開きませんでした。
「もう一つ、伝えておく」
「はい」
名簿は、六日前に頂戴しております。あの紙に、男爵様の名はございませんでした。
「巡行の随行に、ダンジュ男爵が加わる」
わたくしは、両手を前で揃えました。
「うけたまわりました」
「道の普請の出金人だ。名簿に、あとから足された」
「三十八のうちの、お一人でございますね」
「そうだ」
出金人でいらっしゃるなら、人数の見込みは書き上がる前にご覧になれます。三十八の下に引かれた線が、それで読めました。
読めましたが、申し上げませんでした。
「では、寝床は二十二のままでございます」
窓が閉まります。
馬車が坂を下りていってから、マノンが厨から出てまいりました。
手に、量りかけの麦の袋を持ったままでございます。
量りかけの麦は、袋の口を縛らずに置きますと湿ります。この人が縛り忘れるのは、めったにございません。
「六人、断るんですか」
「はい」
巡行の主は王女様でいらっしゃいます。王様はおいでになりません。そのこともこの人は聞いておりません。
「王様のお供をですよ」
「王様の、ではございません。お供の方でございます」
「同じでしょう」
「同じではございません」
わたくしは、帳場の紙を畳みました。
「二十二に二十八を入れますと、二十八人が眠れません。眠れない方は、翌日の峠で落ちます」
落ちるというのは、道から落ちるという意味でございます。峠の南側は、肩が細うございます。
「落ちますか」
「峠は、眠らない者を通しません」
この人は、袋の口を縛って、厨へ戻っていかれました。戻りながら、こちらを見ずに申されました。
「……段は、足さないんでしょうね」
「足しません」
夕方、ジャンが厩の掃除を終えて、水を運んでおります。
二十頭になった、と伝えますと、この子は厩の奥を見て、それから囲いのほうを見ました。
「四頭、外」
「はい。囲いにつなぎます」
「……綱を、替えます」
古い綱は、雨に濡れて縮んでおります。縮んだ綱は、馬が引いたときに切れずに、代わりに馬の脚を締めます。
この子は、そういうことを誰にも教わらずに知っております。
巡行の先触れは、明日の昼に坂を上がってまいります。
その行列の中に、峠を越えさせてはいけない馬が、一頭おります。




