13.分不相応なステージへ
本日分投稿いたします。
13.分不相応なステージへ
それから1週間は何事もなく、平穏な日々が続いた。それでも商店街の地下ステージは盛況な様子で、平日は夕方と夜の2公演、土日は昼間含めて3公演ずつステージとなったようで、どのステージも満員御礼で忙しい毎日の様子だ。チケットなどWebでの予約発売とほぼ同時に売り切れる日々が、未だに続いているらしい。
最近では遠くの県から、わざわざ訪れるファンもいるようで、商店街の駐車場は常に満車状態が続いているとミナミンが笑顔で話していた。
俺はというと……
「じゃあ次は九九だね……いんいちがいち、いんにがに……」
なんと……毎日ミナミンが帰宅後は、引き算と九九の勉強だ……引き算の方はミナミンが数字またはマイナスとイコールが書かれたカードを使って問題となる計算式を作り、答えカードを俺に示しながら教えるといったことの繰り返し……掛け算は九九を一の段から延々とミナミンが言って聞かせてくるのだ……。
こんなことで子犬が計算にも強くなるのであれば、それは素晴らしいことなのだろうが……そもそも子犬に四則演算の計算が出来たところで、社会に何の貢献が出来るというのだろうか?
簿記でも資格を取って、何処かの会社の経理にでも採用されるのだろうか?
なのに……どうして?どうしてこんなに一生懸命なのだ?
一通り九九を3回聞かされ終わる迄、日に一度の食事はお預けなのだ……勿論ミナミンだって晩御飯前に頑張っているのではあるのだが……こちとら日にたった一度だけの楽しみの食事……帰ったらすぐに与えられてゆっくりと味わって食べたい……
最近は……夜公演が終わってからの帰宅なのでお化粧も落とさずシャワーもしないで、ステージ衣装を私服に着替えたらすぐに帰ってくるため、帰宅後すぐにシャワーを浴びてから勉強……食事……の順なのだ。
別に……帰ってすぐに俺にエサを与え……その隙にシャワーでもいいと俺は思うのだが……恐らくハルルンに言い含められているのであろう……エサで釣って勉強をさせるのだと……ハルルンだって俺の賢さには気づいている様子だから……インチキなしで計算させたい腹づもりはあるだろうからな。
以前だったら帰宅時間が遅くなったら、まずは俺のペットシートを取り換えて……エサの支度をしてからミナミン自身の用事……シャワーは済ませてくるのでパックや翌日の支度に自身の食事の支度……と言った段取りだったのだが、今のメインは俺の勉強だ……おかげで夜の散歩なんてほとんどなくなった。
まあ……余りに遅い時間だと危ないからな……ミナミンは美少女だし……だから夜散歩はいいや……ミナミンが頑張って起きて……午前中の散歩が主流となっている……
「ポップ……やったよ……ついにご当地アイドルからメジャーへの一歩を踏み出すって、ハルルンが大喜びだった。なんと……お隣の県のフェスに参加が決まりました!
それも……3日間開催されるフェスで、普通なら初日の前座……まだお客さんが集まらないいっち番最初の出演だね……くらいがいいところらしいんだけど……3日間全てに出演で、しかも取りの手前か2つ前って……普通ならほぼメインゲストっていう立ち位置だって……マネージャーさんも驚いていた。」
そんなこんなで公園での撮影から3週間ほど経過した頃……依然として続く掛け算の勉強に嫌気がさしてきた頃……ミナミンは真面目だから、誰かが止めるまで絶対にやめないと認識した頃……余程うれしかったのだろう……帰って来た途端に思い切りぎゅっと抱きしめられた……。
「あっ、お母さん?うんうん元気……それでね……なんとフェスに……」
それからすぐに九九の勉強などそっちのけで、着替えもせずにミナミンは母親に電話報告をして1時間は話し込んでいた。
その間俺はぬいぐるみ代わりに抱きしめられたまま……ミナミンになされるがままにただじっとしていた。
「あっ……ごめん……ご飯……まだだったね……お母さん御免……ポップがお腹空かせているみたいだから切るね……また追加があったら連絡するね。チケットは……無理しなくてもいいからね……マネージャーさんが、家族の分まで手配できるか確認してくれるって言っていたから……じゃあね。」
俺の腹の虫が器用にないてくれたので、ミナミンはようやく気付いて電話をやめてくれた。
「あっ……お勉強……でも……今日くらいは休んでも、ハルルンも許してくれるよね?じゃあ……ご飯だよ、遅くなったしちょっと多めにしておくね。いっぱい食べて。」
ミナミンは手際よくペットシートを取り換えると、すぐにドッグフードをトレイ山盛りに入れてくれた。山盛りのドッグフードよりも、九九の勉強をしなくて済んだほうが俺にははるかにうれしい。
そのままミナミンは風呂場へ……今日も化粧落としていなかったな……平日も夕方と夜の2公演になってからはずっとそうだ……終わる時間がそれだけ遅いからな……皆でシャワーで汗を流して本日の反省会……なんてことをやっている余裕などなくなるのだろうな。
少しでも早く帰って食事や自分の時間を持ちたい……メンバー全員が同じ気持ちで、すぐにお開きとなってしまうのだろう……大変だろうけど……頑張ってね……。
「ポップ……このバスケットに入って……一緒に行くからね。」
それからまたまた3週間経過……いよいよ他県でのフェス参加……俺はお留守番というか、恐らくどこかのペットホテルにでも前日から預けられるのだろうと思っていたらなんと……移動用のペット籠に入れられ、ミナミンと一緒に迎えに来た大型バスに乗車した。
「おはようございます。」
『おっはようー』
ミナミンが挨拶すると、既に乗車していたメンバーたちから大声で返って来た。
流石に3日間……宿泊しながらステージともなると荷物も多いのだろう……大型バス貸し切りで出発だから、意気込みがこっちにも伝わってくる。
バスにはグループメンバー全員とマネージャーの他にも数人が乗車していた。恐らくは裏方の……グッズ販売やステージのセッティングなどのスタッフであろう。
「ポップも来てくれたね……あたしたちのステージがうまくいくかどうか……全てはポップにかかっているからね、よろしく頼むよ。」
ミナミンが席に着くとすぐにハルルンが寄ってきて、横のシートに置かれた俺が入った籠に向かって両手を合わせた。成程な……フェスのステージでも、俺を使ったショーを行う予定なのだろう。
他県に呼ばれたのもどうやらシュープリーマーとしての知名度が上がったというよりも、テレビ番組で取り上げられた天才犬である俺の話題が大きいのであろうな……まあ今はなんでも……有名になれる足掛かりとするつもりなのだろう……贅沢など言ってはいられないからな。
第2弾のテレビ放送もミナミンは自宅では見られなかったから、どんな内容だったのか俺は知らないが、既に放送済みであることは間違いがないし、他県からのオファーもその反響によるものだったと考えたほうがいいだろう。そう考えると……他県からはるばるステージを見にやってくる客も、もしかすると俺のショーをやらないか見に来ていたのかもしれんな……。
今回はフェスという大掛かりなステージで、歌以外のファンサービスという名目ででも、俺を使ったショーを行うよう要請が来たのであろうな……そうすればフェスの集客力も上がる可能性が高いからな。
お互いにメリットがあるという事だ。だが……またまた頭を悩ませる必要性が出来たな……まさか何処かの大学のお偉い先生など呼ばないとは思うのだが……やり過ぎて実験動物にされないかちょっと不安。
トイレ休憩なしで2時間ほどバスに揺られ、広大な空き地……いや……地面はコンクリートで白線が区画を示すように整然と引かれている……駐車スペースだな……ちょっと離れた場所に大きな施設が建っているから……恐らくここがフェスとやらの会場なのであろう……3日間連続なので天気の心配もあって屋内か……バスは他の大型バスの隣に行儀よく停車。
ミナミンが俺が車酔いしないよう気を使ってくれて、窓際の席に荷物を籠の下に敷いて視線を高くしてくれたおかげで、車窓の景色を堪能でき退屈せずにすんだ。急ブレーキに備えてか……俺が入っている篭にはバスの座席のシートベルトが籠の持ち手を通してかけて有り、恐らく安全対策で必要な行為なのであろう。
「じゃあ降りようか……これから明日のリハーサルがあるけど、まずはポップを下ろして散歩させてからだね。ポップは明日の主役だから、機嫌悪くさせられないから……。」
バスが停車した後、後席のハルルンが立ち上がって声をかけて来た。
「う……うん……いよいよだね……。」
「うん……頑張らなきゃだね……。」
2人はバスの座席上の棚から大きなバッグを下ろし、ミナミンは俺が入った籠も持って、よろよろと傾きながらバスの狭い中央通路を歩き始めた。
「はい……ポップ……疲れた?」
バスのステップを降りると、コンクリート地面の上でようやく解放された……と言ってももちろんリードは俺の両肩を通したままだが……ミナミンはそのまま無言で歩き始めた……。
「緊張するね……でもさあ……どうせあたしたちなんて積み上げてきたものなんてないし、運良くポップが話題になってくれたからテレビの取材が来て……毎日のステージは満員御礼だし、こんな他県のフェスにまで呼ばれただけだから……実力じゃないのは残念だけど……。
だけど……だからこそ……あたしたちはあたしたちがこれまで頑張って磨き上げてきたステージを、明日からたくさんのお客さんに見てもらって、満足してもらいたいって思っているんだ。とんでもなく身分不相応なステージだけど……だからこそ体当たりでぶつかっていける。
失敗して元々なんだからね……気楽に行こうよ……。」
振り返って見上げると、無言の上にさらに顔が強張って緊張感丸出しのミナミンに対し、ハルルンは笑顔で励まそうと声をかけてくれた……そう言っている自分の膝もガクガクと震えているというのに……
「う……うん……そうだよね……ダメもとで行けばいいんだもんね。
ここまで来られたのはポップのおかげだけど……ここからは私たちが自分で頑張らなくっちゃいけないんだもんね……うじうじなんてしていられないね……うん……頑張る!」
ハルルンに励まされ、超天然のミナミンは覚悟が決まったのか、リードを持つ手の震えが止まった……。ミナミンの覚悟がメンバーにも伝わって、ステージがうまくいってくれるといいな……。
「では次は……今動画やテレビで話題の天才犬の登場です。なんと……飼い主のミナミンさんは、本日ゲスト出演されるアイドルグループ、シュープリーマーのメンバーなのです。
どうせならということで、本日ペットのワンちゃんを連れてきていただきました。」
大音響がステージ地下の楽屋にまで響いてきているなか、最初はそこそこ元気だったメンバーたちも、出番が近づくにつれてだんだんと無口になってきていた。
ゲスト出演という事だからなのか、なんと……大部屋ではなくグループだけの個室の楽屋を与えられたのも、更に緊張感を高める要因になっていることだろう。俺も詳しくはないが地下アイドルどころか商店街アイドルにしか過ぎないシュープリーマーなら、普通なら大部屋楽屋の隅っこで出番待ちが順当だったはずだ。
まだそれなら……他のグループだって全員がステージ慣れしているはずはなく、出番直前に緊張している姿を見ることで自分たちも安心できたはずだが、個室楽屋ではそれも出来なかった。
しかも……フェスの目玉アイドルとして呼ばれているという立ち位置は、絶対に失敗できないという……ある意味呪いの言葉ともいえる、あえて考えてはいけない状況の重圧に押しつぶされそうになっているはず。
代わりに俺は待ち時間の間中ずっと籠から出されていたので、ミナミンの手を離れて他メンバーの所へ行って抱っこしてもらい、それぞれの緊張をほぐそうと必死に奔走していた。
司会者によるわざとらしい紹介……あたかも元々ゲスト出演が決まっていたかのような……メンバーのペットである俺はついでに呼ばれたかのような……そんな紹介の後、俺はミナミンに連れられ照明がギンギラギンに当たる明るいステージ上にいた。
「このかわいらしいワンちゃんが、今話題沸騰の天才犬ですね?どんなことが出来ますか?」
スーツ姿の男性司会者が、リードに操られて檀上に登場した俺を見下ろしながらミナミンへ問いかけてきた。
「ははっ……はいぃー……そっその……お手っ……おおおお手やお替りは勿論ですが、おおお……お回りにチンチンと……ふせっ……にお預けなど……完璧にできますっ。
そのっ……あんまり教えた記憶がなくって……ぜぜぜんぶっ……いい一回でおおお覚え……ました。」
問いかけに対し、緊張気味のミナミンはたどたどしくもようやく答える……司会者からの問いかけは、あらかじめ決められていたことのようで、控えの楽屋でミナミンは手書きのメモを見ながら何度も何度も呪文のように読み上げて覚えようとしていた、正に台本通りのセリフだ。だが……セリフの前半部分だけ?
「さっ最近では……ふふっ……フライングディスクを使った遊びや、かかっカードを使って自分の名前を示したり……ささらに……計算も……出来るようになったんだよね……ミナミン?」
すかさずハルルンがミナミンが手に持つマイクに向かって、追加コメントを……ナイス!ハルルンも膝が目で見て分かるほどガクガクと震えて……ミナミン同様緊張しまくっているのは丸わかりだが……それでも強い思いがあるのだろう……必死でこらえながら場をつくろっている様子だ。
ちなみに……常に四つん這いで視線の低い俺だからハルルンやミナミンの膝ガクに気付くのであろうが……一般客は距離がある上に彼女たちの綺麗でかわいい顔に視線が行くだろうから……案外気付かれていないかも……だな……
「おおそうですか……それはすごいですねえ。で?本日はどのような芸を見せて頂けるのでしょうか?」
「ははっはいっ……そっそのっ……伏せとお回りと……えーとえーと……」
緊張しいのミナミン……何度も繰り返して覚えたはずのセリフが……檀上では出てこない……
「伏せとお回りの他に、フライングディスク……と、本日は最近覚えたカードを使った遊びで……計算……足し算と引き算を披露するんだよね?」
すかさずハルルンがフォローに入る……ううむ……二人で一役だな……
「そうですか……では早速お願いいたします。」
「じゃあはいっ……頑張ってね。」
ハルルンがミナミンの方をポンっと叩き、ミナミンが俺の肩ひもを外す……
「じゃあまずは……お座りっ!……伏せっ!……お回りっ!」
ミナミンの指示に従い、基本動作を披露して見せる……観客席からは笑い声と盛大な拍手が送られてきた。
この程度で……温かいな……
「えーとえーと次は……」
「はいっ!」
次の出し物を調べようとミナミンがスタジャンのポケットからメモを取り出そうとした瞬間……後方で動き回っていたハルルンが薄い円盤を手渡してくれた……フライングディスクだ。
「あっ……そうそう……じゃあ……これを取ってくるんだよ……ほいっ」
ミナミンが軽く放り投げたディスクは力なく、数m先でステージ上へ落下……もちろん俺は知らん顔……観客席からはどっと大爆笑が巻き起こった……
「あれ?今日はちょっとご機嫌が悪いのかな?がっ……頑張って……ポップならできるよ……。
もう一度やるよ……いい?ほいっ!」
今度は少し強めに放ったディスクは、うまく軌道に乗って少し上昇気味にステージ上を飛んでいく……仕方がないのでダッシュしてディスクを追い……ジャンプしてキャッチ……うまく咥えることが出来た。
途端に大歓声と拍手の渦が……爆笑の後はお約束のマジ芸を見せられて、観客も満足だろうな……
「やったぁ……さっすがポップ……やればできるね……じゃあ次は……えーと……」
「今度はこっち……カードを使った遊びですよ……」
ステージ奥で何事か動き回っていたハルルン……プラスティックカードを立てかけた枠が、既にセッティング済みの様子だ。掴みは十分……ここからが本番だ……




