幕間:クリスの焦燥
クリスは一人、木々の間を飛ぶように駆け、遭遇する魔物を片っ端から殲滅していく。
ナックルエイプやサベッジラビットといった下級の魔物を見つけては、魔法で一方的に攻撃して倒す。
表向きは、倒れたシンとステラのための安全確保。
しかし実際は、自分の中に生まれた焦燥と苛立ちの捌け口として戦いを求めたのだった。
「……こんなことをしても、何も変わらんというのに」
クリスは今、自分の戦い方に悩んでいた。
クリスの戦い方は、長年の一人旅によって一人での戦いに最適化されている。
一人で旅をしていたときなら、別にそれで良かった。
自分の身さえ守れれば何も問題はない。
けれど今はそういう訳にはいかない。共に旅をする仲間がいるのだから。
今の戦い方では仲間を守れないことを、クリスは強く実感していた。
例えばグランドイーターとの戦いでは、クリスは襲い来る無数の触手に対処するので精一杯となり、ステラのこともグランドイーターを倒すこともシンに任せきりだった。
マナが極端に少ない状況で相性が良いとは言い難い相手だったとはいえ、ほとんど何の役にも立てなかったことはクリスのプライドを大きく傷つけた。
盗賊団との戦いもそうだった。
煙幕を投げ込まれた際に、即座にステラを守るために前に出るべきだとクリスは思っていた。
それにも関わらず、クリスは横から襲い掛かる盗賊の一人を、陽動と知りながら相手にしてしまった。
一人での戦いなら、そうして突出しすぎて孤立した敵を安全に倒し、確実に敵の戦力を削ぐことは有効だ。
リスクを抑えながらリターンを得るという戦術の基本。
しかしそうしたクリスの一人での戦いの癖は、ステラを人質に取られるという、より大きなリスクを生み出してしまった。
もちろんそれはクリスだけの責任ではなく、シンにも責任があることだろう。
けれどステラに関しては、先頭を歩いていて背後の状況が分からないシンよりも、最後尾を歩いて全ての状況を把握していたクリスが対処しなければならなかったと、少なくともクリスはそう考えていた。
その後は上手く連携を取ってステラを救出しているが、実際のところクリスにはステラを救出する術があの時点ではなかった。
人質に取られたステラを傷つけずに盗賊だけを倒すことは、クリスの魔法では非常に困難だったのだ。
だからその役割はシンが担当することになった。けれど――。
「――自分の失策のツケを、シンに払わせて、これでは甘えっぱなしではないか!」
怒りに任せて放たれたクリスの魔法が魔物を撃ち抜く。
そして極め付けは、ついさっきのアサルトウルフとの戦いだった。
ナックルエイプの襲撃が重なるという不運こそあれ、そのどちらか一つでもクリスが対処できていれば、何も問題は起きなかった。
しかし結果は、その両方をシンが限界を超えるほどの無理をして対処する羽目になった。
「何が対等な関係じゃ……今のままでは、遠からず儂が足手まといになってしまう」
クリスは元々、シンを守ってやらなければと思っていた。
だから自身の存在がシンを危険に晒すのであれば、共に旅をしてはいけないと考えた。
しかしシンとの勝負に完敗し、クリスはその考えを改めさせられた。
そしてシンは対等の関係でクリスと共に旅をすることを望み、クリスもそれを良しとした。
けれど、今のままでは対等の関係さえ難しい。
少なくともクリス自身はそう考えていた。
何かを変えなければいけない。それこそが今クリスが感じている焦りと苛立ちの正体だった。
「ん、あれは」
そんな折、クリスは一体の魔物を発見する。
――キラーグリズリー。
それは危険度としてはアサルトウルフよりも上とされる魔物だった。
凶器のように長く伸びた鋭い爪が特徴的で、三メートルを超える巨大な体に見合った力と頑丈さ、見かけによらない素早さを兼ね備えている。
距離は充分にある。普段のクリスならこのまま、威力の高い魔法で安全に攻撃してリスクを負うことなく倒す相手だ。
しかしクリスはそのまま前に走ると、まるで自身の存在を知らせるかのように小さな氷の矢を放つ。
氷の矢はキラーグリズリーの厚い脂肪と硬い筋肉に阻まれ、浅く刺さるだけだった。
それに気付いたキラーグリズリーはクリスの方に振り向くと、前傾姿勢になり四足歩行で一気に距離を詰め、そのまま全速力で体当たりを仕掛ける。
クリスはそれを横に跳んで避けるが、瞬時に静止し向き直ったキラーグリズリーが丸太のような腕を振り、追撃をかける。
それを瞬時に杖で受け流そうとしたクリスだったが、衝撃を殺しきれずに弾き飛ばされた。
「くっ……!」
なんとか空中で体勢を整え両足で着地したクリスは、そのまま数メートル滑っていく。
そうして距離が離れた。魔法使いのクリスにとってはそれは千載一遇のチャンス。
しかしクリスは再度、前に出る。
魔法使いであるクリスにとって、それはいたずらにリスクを増大させるだけの明らかな愚策だった。
離れた距離からでも充分な威力を出せるのだから、本来クリスは前に出る必要がない。
そんなことはクリスだって百も承知だった。
それでもクリスは、こうするしかなかった。
一人で戦うなら、リスクは低ければ低いほど良い。
けれど仲間がいるなら――。
「――儂が後ろに下がった分だけ、仲間が危険になるのじゃ!」
何かを変えようとして、必死にもがくように、クリスはただ前に進む。
そうしてキラーグリズリーの間合いに入った瞬間、鋭い爪による斬撃がクリスを襲った。
それをクリスは、ぎりぎりのところで前に避ける。
そんな、一歩間違えれば命を落とすほどのリスクを越えて。
ついにクリスはそこにたどり着く――攻撃直後で無防備となった、キラーグリズリーの懐に。
「氷撃――『アイスブラスト』」
ゼロ距離から放たれたその魔法は、キラーグリズリーの腹部に大きな風穴を開ける。
そうしてキラーグリズリーは黒い霧になると、魔石を残して消えていった。
緊張の糸が解けたクリスは、その場に大の字になって寝転がる。
「シンはそれこそ最初から、ずっとこんな戦いばかりしてきたのじゃな……そりゃ強くなるわけじゃ」
死と隣り合わせ。常に極大のリスクを背負いながら、シンはずっと戦い続けてきた。
それは例えどれほどの力を持っていようと、生半可な精神力では不可能なことに違いなかった。
クリスはシンの強さの秘密に触れ、一歩だけ彼に近づけたような気がした。
「こんなことをしても、何も変わらぬ……所詮は自己満足でしかないのじゃがのう」
そんな風に自虐めいた独り言を呟くクリスは、しかし、どこか満足気な表情をしていた。




