幕間:クリスと歪んだ従者3
どうしてこうなってしまったのか。
一体、何が間違いだったのか。
クリスはただ自分に問いかける。
そもそもクリスが昔より弱くなったのは、クリス自身が望んでそうしたことだ。
クリスに半分流れる魔族の血からくるマナは、それを感知出来ない人間さえも不安にさせる禍々しさがあった。
人間の社会に馴染もうとするなら、その強すぎる魔族のマナは邪魔になる。
だからクリスは長い年月をかけて、自らそのマナを封じたのだ。
結果として魔法に使えるマナは数分の一まで減少したが、それでいいとクリスは思った。
それでも人間として考えれば、強すぎるくらいなのだから。
魔族の国を追放され居場所を失ったクリスは、そうして人間らしくあろうとすることで、人間の社会に居場所を求めたのである。
強大すぎる力は人をクリスから遠ざけてしまう――けれど。
力を持たない今のクリスは、大切な人を守ることが出来ないでいた。
ジレンマ。
結局どうすることも出来ないクリスは、ただぽつりと呟く。
「……儂が人間の振りをして溶け込もうとすることに、そもそも無理があったのじゃろうな」
その呟きには、クリスの深い諦観が感じられた。
そして、次の瞬間――。
「氷界――『フィンブルヴェト』」
詠唱と同時に、クリスを拘束するヴェロニカの魔法の鎖は一瞬で砕け散る。
それは魔族のマナを封じて以降は使えなくなった、本来のクリスにとっての最強の魔法だった。
それが使えるということは、つまりクリスが諦めたということだ――人間の社会で、生きていくことを。
その魔法は一瞬で周囲の世界を作り変える。
その威力は凄まじく、ヴェロニカはすでに下半身を氷漬けにされ、身動きが取れない状態になっていた。
「誓え、ヴェロニカ。今後一切、儂らには干渉せぬと」
「私は、お嬢様のためなら、命など惜しくはありません」
生殺与奪を完全にクリスが握っているにも関わらず、ヴェロニカはやはり淡々とそう答える。
ここまで来ると、ヴェロニカのクリスへの執着は異常でしかない。
しかし次の瞬間、ヴェロニカは小さく笑って言う。
「ですが、今お嬢様の死の未来は回避されました。ですので、私がお嬢様に干渉する理由はなくなりました」
クリスの死の未来は回避されたと、そう確かにヴェロニカは言った。
そしてそれは封印していた魔族のマナを解放し、本来の力をクリスが取り戻したからなのだろう。
「……ヴェロニカ、おぬし最初からこうするつもりじゃったな?」
「ええ。私が何をすればお嬢様がどうするのか、私には見えますので」
「周りくどいことを」
「だって、普通に言っても聞いて頂けないでしょう? 頑固者のお嬢様は」
ヴェロニカは目的のために手段を選ばない。
クリスが生き残るために、最善を尽くす。
たとえその結果として、クリスが大きな困難に直面することになろうとも。
クリスの命さえ無事なら、それ以外を考慮しないのである。
「お嬢様、そろそろ凍結を解除してほしいのですが」
「嫌じゃ。もう少しそうして頭を冷やしておれ」
「冷えているのは主に下半身ですが」
「……その減らず口が無くなるまで、しばらくそのままじゃ」
それから数分後、ようやくクリスはヴェロニカの凍結を解除した。
「さて、それでは私の用事は済みましたので、そろそろ帰ることにします」
「全くおぬしは。何十年ぶりかの再会をした割に、何とも淡白じゃのう」
「では何かお話でもしますか?」
「……いや、特に話すこともないのう」
「あのシンという少年の話はどうですか?」
「シンか……」
「お嬢様はあの少年のことが、好きなのでしょう?」
「……好きではあるが、色恋のそれではないのう。あやつは何というか、危なっかしくて目が離せないのじゃ。一言も痛いとも辛いとも言わないまま、ある日突然死んでしまいそうとでも言えばいいのか」
「……ふふ」
「何を笑っておるのじゃ?」
「何だかその少年が、お嬢様によく似ていると思ったので」
「儂と?」
「ええ。お嬢様は、魔族たちから心無い言葉を幾度となく浴びせられても、いつだって平然としていました」
けれどそれは傷ついていないわけではなく、ただ強がっていただけなのだ。
強がっていて、ある日突然限界を迎えてしまいそうな危うさ。
それがシンとクリスには共通しているのだとヴェロニカは言う。
「お嬢様に一つだけアドバイスです。強さと弱さはコインの表裏、それは物事をどちらから見るかの違いでしかないのです」
「……? どういう意味じゃ?」
「さあ、どういう意味でしょうね」
はぐらかすようにヴェロニカは言う。こうなったらこれ以上追及しても無駄であることをクリスは知っている。
だから話を変えることにした。
「ああ、そうじゃ。国に戻るなら、これを母上の墓にそなえておいてはくれんかの?」
そういってクリスは、白く輝く花を取りだし、ヴェロニカに差しだす。
それはシンと二人でドラゴンを倒したときに手に入れた、長年クリスが探し求めていたものだ。
「これは、万能薬の材料の……」
「セフィロトの花じゃ。病床の母上に、見つけて見せると約束したのでな……百年ほど遅くなってしまったが」
そういって自嘲めいた笑みを浮かべるクリス。
「そういうことですか。確かに承りました」
そう言ったヴェロニカはクリスに頭を下げて一礼すると、そのまま一言別れの挨拶を告げて、次の瞬間には空間魔法でどこかへと転移していった。
そうして一人残されたクリスは、誰に言うでもなく、呟く。
「結局儂は、魔族にも人間にもなれないのじゃな」
何者にもなれない自分は、一体どこを目指して歩けばいいのだろう。
死の未来を回避したにも関わらず、クリスの心はそんな不安でいっぱいだった。
次回からはシンの一人称に戻ります




