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アシュタヤ:伝えるべき言葉は

 翌朝、キーンとロディの他、四人の職業傭兵を連れて森へと向かった。バンザッタと違い、この街では職業斡旋所のような施設はなく、身元の分からない人間と同行するのは不安だったが、前日の内に真偽判別にかけられているらしく、全員が好意的だった。彼らのうち三人は街を出るとすぐに横になったようだ。途中で取った休憩のとき、隣の馬車を操る御者が笑いながらそう話していた。


「一緒の馬車だったら言い寄られていたかもしれませんよ」


 キーンは笑いながらアシュタヤにそう言った。ロディも違いない、と頷く。

 心に触れるまでもなく、強がりであるのは、彼らの笑みの端にあるぎこちなさが訴えていた。

 森に着いたのは昼頃だった。一刻も早く探そうと護衛二人は息巻いていたが、森の中は暗く、どこを見ても同じような景色が広がっている。戦いがあったのは前日とは言え、すぐにパルタの亡骸を見つけることができるとは限らない。それに、傭兵たちは金に困っているのが常だ。死体漁りをして思わぬ時間を食うこともあるだろう。

 カンパルツォたちもそれを承知していたのか、森の手前で食事を摂ることになった。


 柔らかなパンと肉だけの食事であったが、傭兵たちは目を輝かせて頬張った。普段固いパンを食んでいる人間たちからするとかなり上等の食事であるらしく、彼らは瞬く間に完食した。足りなかったのか、まだないのか、とウェンビアノをせっついたが、余分なものは持ってきていない。空腹感のなかったアシュタヤが自分の分も差し出すと、彼らは熱狂し、硬貨の裏表を使って誰のものになるか奪い合った。結局、手にしたのはアシュタヤと同じくらいの年齢と思われる、強気な表情をした若い男だった。マーロゥと名乗った彼は屈託のない顔で一口に突っ込み、周囲から「味わって食え」と頭を叩かれていた。


 食事を取り終えると、一行は再び街道を進み始める。

 馬小屋や森の入り口に死体が転がっていたことから予期していたが、血と臓物の臭いがクスノキの香りに混じって馬車の中まで漂ってきていた。慣れないのだろう、カンパルツォとウェンビアノは顔を顰めていた。

 最初の戦闘の跡を越え、しばらく進んだところで御者を残し、馬車を降りた。


「この周辺ですか?」とウェンビアノが周囲を見渡す。


 アシュタヤは頷き、×印が刻まれた木を指さす。


「昨日、ここを去るときに印をつけておきました。滴った血や戦いの跡を追っていけば見つかると思います」


 ロディに遺体を包む丈夫な布を持たせ、森の中へと踏みいる。一歩街道から外れると光が弱くなり、漂う死臭をいっそう濃いものにした。遠くから鳥の囀りが響いているが、雰囲気とも心情にも相応しくない音色だった。

 傭兵たちのうち、三人は我先にずんずんと進んでいった。武器などが落ちていれば拾って持ち帰るつもりだろう。ウェンビアノたちがそれを咎める様子はなかった。実利こそが傭兵の求めるものと知っているからだ。

 ただひとり、マーロゥだけはキーンやロディと同じようにそばで周囲に目を光らせている。


「お前はいいのか?」


 カンパルツォがそう訊ねると、彼は不慣れな傭兵言葉で返答した。


「俺ぁ、死体を漁んのは好かねえんですよ。そんなの小物のすることさ」


 森の中をどれほど進んだか、分からない。立ち並ぶ木々の群れは方向感覚を奪う。色のついた石を落とし、木に印を刻んでいなければ迷ってもおかしくはなかった。

 細かい位置を把握していなかったため、小一時間程度は森の中を歩き回っていた。厚着をしているせいか、カンパルツォの額に汗が滲んできた頃、森の奥で「おーい!」と呼びかける野太い声が響いた。雇った男の声だ。

 顔を見合わせて、駆け足になる。

 茂みを掻き分けて進み、小柄な傭兵の姿が見えた次の瞬間、カンパルツォが立ち止まった。傭兵が眉を上げ、死体を指さす。


「あんたらが探してる男、ってのはこいつかい?」

「おお……」一歩、カンパルツォが踏み出す。


 パルタさん、とキーンとロディの声が重なった。

 そこには確かに、パルタの亡骸があった。動物に食われることなく、息絶えた瞬間のままの彼が倒れている。胸に空いた傷からはもう血は流れていない。


「おお、パルタ……安らかな顔じゃないか……」


 よろよろとカンパルツォが前に出て、膝を突いた。かつては豪傑と呼ばれていた男の目から涙がこぼれている。キーンとロディも歯を食いしばり、泣いている。

 パルタの顔は外傷とは裏腹に穏やかな笑みを湛えていた。アシュタヤは顔を押さえ、唇を噛む。それでもぽろぽろと涙が溢れた。

 キーンとロディは洟を啜りながらパルタの亡骸を布で包む。

 そのとき、さらに奥で再び傭兵の声が響いた。


「随分、遠くまで行っているな……」とウェンビアノは目尻を親指で擦り、舌打ちをする。「キーン、ロディ、レングさんを連れてパルタを馬車まで運んでくれ。私はあちらを確認してくる」

「私も行きます」

「……アシュタヤさま」

「もしはぐれても私がいれば大丈夫でしょう?」


 ウェンビアノは嘆息し、それを許可と受け取ったアシュタヤはマーロゥを連れて三人で、足早に奥へと進んでいく。

 いちばん近く、髭面の傭兵が発見していたのはパルタに攻撃を仕掛け、逃げ去った男だった。喉が潰され、心臓が抉られている。目を逸らすと隣に子犬ほどの大きさの獣が倒れていた。


「……これは」


 眉を顰めたウェンビアノが一歩近づく。その瞬間、髭面の傭兵が鋭い声を発した。


「待ちな! ……旦那、獣の方には近寄るなよ。毒を受けてるかもしれねえ」

「……毒?」

「ああ、見ろよ、こいつ、どこも怪我してねえだろ」


 男はそばにある枝を手折り、獣の屍体を突く。小さな獣はそれだけで容易くごろんと転がった。地面に接していた部分にも傷らしい傷はない。


「弛緩系の毒だな……死体が柔らかい」

「詳しいな」

「剣とかに毒を塗るのは珍しくねえぜ。年寄りは糞を塗りたくったりもする……ああ、この剣だな、これを舐めちまったんだろう」

「剣……」


 倒れた刺客の剣――それは紛れもなく、パルタを切った剣だった。舐めてしまった獣が死ぬほどの毒、それが体内へと入っていたはずだ。


「ウェンビアノさま、パルタさんの肩の傷はこの人が……」

「……ふむ」

「で、旦那は何を見ようとしたんだ? 知り合いにでも似ていたか?」

「ああ、さっきの傷と似ている、と思ってな……アシュタヤさま、パルタに手をかけたのはニール、それは間違いありませんね」

「状況だけで言えば、ですが……遠くから魔法が放たれた様子も……ありませんでしたし」

「じゃあ、これもニールか」


 ウェンビアノは顎に手を当て、じっとその傷を見つめる。その様にマーロゥが困惑の混じった笑みを浮かべた。


「ちょっ、ちょっと待ってくれよ。魔法も使わずにこんな大穴空くわけないだろ。そんな奴がいたら化け物か何かだ。剣とかじゃこんな傷にならねえ、槍でもだ。もっと大きな何かじゃねえと」


 ニールはどのようにしてこの男を殺したのか――そう考えたとき、アシュタヤの頭に一つの予想が生まれた。

 形状変化。彼は〈腕〉を針や剣のようにするべく、練習を重ねていた。この状況下でそれを体得したのかもしれない。彼の超能力は強力だ。牢の鉄格子を剥がすのをこの目で見たことがある。その力を利用すればこの穴を開けるのも容易いだろう。


「ウェンビアノさま」

「ええ、大体状況は読めてきました。だが、解せないな……あいつは人殺しをできないはずだ。昨日からずっと疑問だったが……」

「そういえば……」


 燃える客邸の出来事が頭の中に浮かびそうになり、アシュタヤは頭を振った。

 でも、どうしてあの優しい彼がこれだけ凄惨な殺し方をしたのだろう。そして、人殺しをしたにも関わらず、どうして動けていたのだろう。彼は以前、「人殺しをすると動けなくなる」と口にしていた。頭の中にそのための何かが埋め込まれているのだ、と。

 アシュタヤには良く理解できなかったが、ニールは微笑み、魔法のようなものだと説明した。それが確かなら、彼が動けていたことそのものが辻褄が合わない。そんな嘘を吐く理由も考えられなかった。


「まあ、いい。朧気ではあるが見えてきた」ウェンビアノは立ち上がり、周囲を見渡す。「もう一人はどこだ?」

「あ、ああ、奥の方に――」

「ヒイイイィィ!」


 森の奥の方へ視線を向けたとき、その方向からけたたましい悲鳴が轟いた。もう一人の大柄な傭兵が転びそうになりながら木の影から姿を現す。見てはならないものを見てしまったかのように、汗が噴き出し、瞳孔が開いていた。

 その姿を見て、髭の男が声を上げて笑った。


「何だ、幽霊でも見たのか」

「ちっ」ろれつが回らないのか、大柄の傭兵はどもる。「違え、違えよ! フーラァタだ!」


 びくりと身体が震えた。アシュタヤは咄嗟に感知能力を発動させる。だが、範囲内にあるのはウェンビアノとマーロゥ、そして三人の傭兵のものだけだった。


「ウェンビアノさま、辺りにはいないようです」

「……おい、何があった?」


 息を切らした大柄の男は地面に膝を突き、短い呼吸を繰り返したあと、唾を飲み込んだ。それでも落ち着かなかったのか、彼は助けを求めるかのような視線を向けてきた。髭面の傭兵とマーロゥが引き起こす。


「フーラァタが、殺されてる」

「おいおい、あの化け物が死ぬはずねえだろ」

「嘘なんて吐かねえ! 俺だってわけ分かんねえよ!」

 混乱する大男にウェンビアノが詰め寄る。「本当だな?」

「だ、だから、嘘なんて言わねえって! それに、いくらあの化け物だって両腕切り飛ばされて胸に風穴空いてりゃ死んでるに決まってる!」


 ウェンビアノの細い眉がぴくり、と動いた。

 胸に、穴――まさか、とアシュタヤは細い息を吐く。

 フーラァタは傭兵や軍属であるならば知らない人間はいない有名人だ。優秀ではあるが、それよりも悪名の方が強く轟いている。仲間すらも殺し、多くの人に恨まれていた。だが、強いのも事実で、メイトリンではセイクすら遅れを取っている。

 だから、ニールは彼に敗北したのだと思っていた。偶然か、それとも何かの思惑で見逃されたのだと考えていた。

 だが――。


「ウェンビアノさま」

「確かめざるを得ませんね。アシュタヤさま、引き続き、お願いできますか?」


 小さく頷き、大柄の傭兵に案内を依頼する。彼はしばらく渋っていたが、払いを追加することを伝えると折れた。

 フーラァタの死体に辿りつくまでにもう一つ死体があった。あちこちに刺し傷があり、首を刎ねられている。目を見開いたままの首は呪いの言葉を吐きそうなほどの苦悶の表情で硬直していて、直視することができなかった。

 フーラァタの死体があったのはそこから少し進んだ場所だった。他の場所と比べると木と木の間隔がわずかに広い。戦闘が行われていた場所なのか、そばの木々にいくつも傷がつけられていた。

 ウェンビアノは慎重に近づき、確かに絶命していることを知ると検分を始めた。鋭利な刃物で切り落とされたかのような手首と腕。そして、肩と胸に空いた穴。彼はそれだけ確認すると踵を返した。


「おそらく、これもニールでしょう。傷口がよく似ている」

「そう、ですか……」喜ぶべきとも思えず、アシュタヤの声は沈む。

「しかし、良くやったものだ。たった一人でフーラァタを倒し、命もあるなど……起きたら声をかけてやらねばな」

「おい、ちょっと、あんたら何を言ってるんだ?」


 そう叫んだのはマーロゥだった。声は恐怖で上擦っている。


「なんだよ、『ニール』って! あんたら、化け物でも飼ってるのか?」

「……化け物じゃ、化け物なんかじゃありません!」


 アシュタヤは否定の言葉を振り絞ったあとで、叫んだのが自分であると気がつく。そうなったら、もう止めることはできなかった。堰を切ったかのように言葉が漏れていく。


「ニールを悪く言わないでください! あの人は優しい人なんです。こんな人殺し、なんてできる人じゃないんです……あの人は、私の、私の……」

「アシュタヤさま、落ち着いてください」


 ウェンビアノがアシュタヤの肩に手を置く。

 ニールを悪く言われるのは許せなかった。彼は自分とパルタを守るために、到底敵わない敵に立ち向かい、そして、勝った。

 それだけではない。

 今までずっと彼はアシュタヤを守ってくれていた。たった一人でこの世界に来て、危険を顧みず周りの人々を助け、戦っていた。

 自分の知らない物語を聞かせてくれた。ずっと忌むべきものだと思っていた超能力を理解し、肯定し、様々なことを教えてくれた。

 発作が起きたときは静かにそばにいて、手を握ってくれていた。彼の手は温かく、この世でもっとも優しいものだと思えた。思いの丈を逃げずにぶつけてくれた初めての人間も彼だ。


 軍を指揮し、死体を作るためだけに生きてきた人生を終え、バンザッタに移ったアシュタヤはベルメイアやカンパルツォによって人間性を取り戻した。だが、彼らの笑顔を見ていると自分が汚れた人間であることを自覚せざるを得なかった。これだけ人を殺してきた自分が人並みに恋をするなど許されるはずがないと思っていたのだ。

 だが、アシュタヤは恋に落ちた。

 心の最奥にある溶けない氷を溶かしたのは彼だ。彼に腕の中にいると心に染みついた血が洗い流されるようで、触れたことのない幸福感を覚えた。

 アシュタヤは頬に落ちる涙を拭う。しかし、涙は一向に止まる気配がなかった。パルタの死だけでも堪えていたのだ。言葉を吐き出し終えたあとに出てくるのはもう涙しかない。涙腺が壊れてしまったのではないかと思うほど、泣き続けた。

 ウェンビアノが肩を叩き、背を押す。


「……帰りましょう。長居しても何もならない」


 彼はそう言い、静かにマーロゥに目を向ける。マーロゥはびくりと身体を震わせ、罪悪感からか、顔を伏せた。


「マーロゥと言ったな……ニールは化け物ではない。私たちの、仲間だ」


     〇


 町外れの墓地にパルタを葬ったあと、客邸へと戻り、ウェンビアノはニール以外の全員を食堂へ集めた。ニールは治癒魔術師に治療を受けたきり、眠りについていて、未だ目を覚ましていないとのことだった。他の者、ヤクバやフェンも負傷をしていたが、ニールほどの深手ではなかったため、席に着いている。


「フェン」とウェンビアノが口火を切る。「まずはギルデンスのことについて教えてくれ」


 フェンは「はい」と短く返事をし、森の奥での戦いを簡潔に説明した。

 彼は仲間から離れたあと、ギルデンスを追って森の中へと入っていった。ギルデンスは水弾を放ちながら逃げ、フェンは土魔法で壁を作りながら追う形となったという。何度か追いつき、刃を交え、傷をつけたが、決定的なものにはならなかった。

 その追走は森の反対側まで続き、そこでギルデンスは姿を消した。


「姿を消した、ってどうやって?」とレクシナは顔を顰める。

「転移術士だ。森の外に待たせていたようだな」

「顔は見たか?」とウェンビアノが訊ねる。

「いえ……すみません。ただ、子どもほどしか背がなく、詠唱の声から察するに女だと」

「ガキの転移術士なんて聞いたことねえな」

「ああ、だが、相手方が抱えている、というより、ギルデンスが個人的に重用しているものだと思う」

「ほう」と唸ったのはカンパルツォだ。「なぜそう判断した?」

「魔法陣が極めて小規模なものでした。あれでは転移術士本人と合わせて二人しか移動できない。敵が抱えているならあの場にいた全員が移動できるような規模であるはずです」

「なるほど……確かに今のところは耳にしたことがないな」


 ウェンビアノが顎に手を当て、唸る。しばらく全員が沈黙し、熟考していたが、それを消し去ったのはヤクバだった。


「そんなことよりも、だ、ウェンビアノさん。見てきたんですよね」

「ああ……結論から言ってしまおう。パルタを殺めたのは十中八九、ニールだ」


 誰もが耳を塞ぎたくなる言葉に、にわかに食堂がざわつく。

 アシュタヤの懸念は二人の護衛だった。彼らはパルタを心酔し、行動をともにしていた。怒りの矛先がニールへと向かってもおかしくはない。

 だが、キーンもロディも険しい顔をしていたが、目を瞑ったまま、何も言わなかった。昨日のうちに、あるいは事前にパルタのことについて説明を受けていたのかもしれない。納得をしている気配はなかったが、怒りにまかせてこの場にいないニールに恨みを吐くような素振りもなかった。

 ウェンビアノは続ける。


「ヤクバがパルタたちから分断された後、彼らはフーラァタに襲われた。ニールはアシュタヤさまとパルタからフーラァタを引き離すために移動しながら応戦した」


 その痕跡が森に残っていた。

 剥がれた木の皮、斬撃に沿って焼かれた幹、獣が殴りつけたような傷。アシュタヤはそれを標にして彼らを追ったことを思い出す。


「森をある程度入っていったところに開けた場所があった。そこでニールはいったん追い詰められた。でなければ、頬や肩の傷が説明できない」

「あのさ、ウェンビアノくん」とレクシナが割って入った。「どういう意味? いったん、とか傷の説明ができない、とか……一方的にぼこぼこにされてたんじゃないの?」

「いや」


 ウェンビアノは短く否定し、昼に目にした事実を告げた。


「ニールはフーラァタを返り討ちにした」


 がたん、と大きな音を立てて、椅子が倒れる。腰を上げたセイクがウェンビアノを、それからアシュタヤへと目を向けた。


「……どうやってだよ」

「詳しくは分からない。だが、パルタの亡骸の傷跡とフーラァタの死体の傷はかなり酷似していた」

「死んだ、のか」


 呆然としながら口にしたヤクバの呟きが宙に浮き、溶ける。

 彼は戦いの最中、ほとんど怒り狂っているようでもあった。仲間、レクシナの言葉を借りるならば、家族であるセイクとレクシナを傷つけられ、憤慨を露わにしていたのをアシュタヤは覚えている。あのときの彼の心は触れるのも恐ろしいほどに尖っていた。


「すげえな」とセイクが感嘆する。「なあ、ヤクバ」

「ああ……、よくあれに立ち向かった」

「だが」フェンが腕組みをしたまま声を上げる。「だが、ウェンビアノさん、あいつは、その、人を殺せないんじゃなかったんですか?」

「そのはずなんだがな、それは本人に聞いてみなければどうしようもない……続けようか、私の推測を」


 ウェンビアノは「初めて人を殺した人間の反応はおおよそ三つに分かれる」と言った。

 一つは、殺人の衝撃に耐えられず、疲弊して、その場から動けなくなる反応。

 二つ目は、自分のしたことが分からず、普段通りに振る舞う反応。

 そして最後が――


「――タガが外れる、ですか」


 フェンの言葉にウェンビアノは顎を引いた。「おそらくニールは錯乱し、向かってくる敵を皆、攻撃してたのだろう。一人目の死体は過剰なほどに傷つけられていた」

 アシュタヤの脳裏に首を刎ねられたあの死体が浮かぶ。物言わぬ顔が想像の中で呪いの言葉を吐き、睨んでくる。


「二人目は暴行の後、胸を一突きにされていた。三人目がパルタだった」


 しん、と室内が静まりかえった。重い空気がまるで空から降ってきたように、肩にのし掛かり、アシュタヤは胃が引き締まるのを感じた。

 ウェンビアノの表情もわずかに歪んでいる。


「パルタは背中から心臓を刺されていた。そして、ニールの進んだ方向から察するに木が壁となってパルタの姿は見えていなかったはずだ。……おそらく、音だけで判断したのだろう、ニールは壁越しにでも攻撃できる」


 事故だった、とウェンビアノは誰に言うでもなく、ぽつりと呟いた。

 もし、とアシュタヤは考える。もし、木に隠れていなかったのなら、悲劇は起きなかったかもしれない。自分が、周囲に敵がいないことをもっと熱心に教えていれば、パルタはニールに声をかけ、正気を取り戻させていたかもしれない。

 何が正しいのか、分からなかった。ああいった地形での戦いは音を立てた方が圧倒的に不利だ。誰かを助けるときも忍び足で近づくのが定跡である。

 だが、その当たり前が一つの命を奪った。誰も望まぬ殺人の背を押したのだ。


「ただ、一つだけ、こういうのも何だが……」ウェンビアノは慎重に言葉を選び、続ける。「パルタはその直前に敵から攻撃を受けていた。毒の塗られた剣で、だ。それがなかったらニールの攻撃を避けられたかもしれないし、もしくは……それがなくても結果は同じだったのかもしれないが」


 沈黙は長く、膨張した静寂は室内を圧迫し続けた。耐えきれなくなったのか、カンパルツォが立ち上がり、静かに「もう休もう」と言い、それから「どうかニールを責めないでやってくれ」と頭を下げた。誰よりもパルタと親交が深い彼の言葉を拒否するものはおらず、また、きっと誰もが責めることなど考えもしていなかったのだろう、全員が溜息か頷きをもって同意を示して閉会となった。

 アシュタヤは居ても立ってもいられず、会議を行っていた食堂を飛び出し、ニールが寝ている部屋へと駆けた。彼が目を覚ましたとき、孤独の中にいさせてはならない。暗闇と孤独は罪悪感を深める。そして、罪悪感を深めた彼が、太陽の下で一人足りない仲間たちを見たらどうなるだろうか。

 彼が彼自身へと抱いている感情は、自分のときとは比較にならないほど暗く、冷たく、重いもののはずだ。わずかでもいい、彼の罪を取り除いてやらなければ、と思った。

 そのためなら不確定な事柄も真実にする決意があった。パルタが毒の塗られた剣で切られていたことも告げよう。彼が手を下さなくてもパルタには死という現実が待っていたのかもしれない。


 なんて、卑怯な女。

 物言えぬ死者に毒を盛り、殺す。

 きっと私はこの世でもっとも醜い。


 それでも、これ以上彼を苦しませてはならない、と思った。もう仲間は失いたくない。なにより、好きな人の心がばらばらになるのは嫌だった。

 階段を駆け上り、ニールの部屋の前へと辿りつく。ノックをしたが、返答はなく、その事実に安堵した。彼はまだ、孤独に泣かずに済んでいる。


 今度は私が彼の扉を開ける番だ。


 そっと扉を押し、アシュタヤの身を包んだのは、凍えるほどに冷たい空気だった。

 開け放たれた窓から風が流れ込み、窓枠につけられた薄い幕がはためいていた。


「ニール?」


 光の落とされた室内に声が虚しく反響する。


「ねえ、ニール、どこ」


 アシュタヤは一歩ずつ、床を踏みしめ、辺りを見回しながら進む。彼の優しい声はどこからも返ってこない。彼の姿もない。

 ベッドの上に、一つの塊が置かれていた――肩から切り落とされた右腕。手のひらに大きな穴が空いている。

 ニールの右腕だと気付いた瞬間、アシュタヤの口から悲鳴が漏れた。部屋の外から慌ただしくこちらに向かってくる足音がする。


「……ねえ、ニール、何、これ」


 アシュタヤは無造作に置かれた腕へと手を伸ばす。外気に晒されたせいで冷たくなっており、筋肉が硬直していた。静かに手を握ってくれた暖かさも柔らかさもそこにはなかった。

 扉が開け放たれ、仲間たちがなだれ込んでくる。

 彼らはベッドのそばで膝を突くアシュタヤを見て、立ち止まった。

 ウェンビアノが「捜索隊を出せ」と命令している。レクシナとベルメイアが駆け寄ってくる。彼女たちはアシュタヤが抱えている腕を見て、再び動きを止めた。

 ベッドを覆っている白い敷き布に、文字が書かれていた。

 一字一字、刻みつけられるように記されている角張った文字は紛れもなく、ニールの文字だった。

 ――彼に文字を教えたことがある。それまで使っていた文字とはかなり形が異なるらしく、自身の書いた文字とアシュタヤの文字を見比べて、苦笑していた。彼が恥ずかしそうに、それでいて幸せそうにはにかむ姿を、忘れられるわけがない。

 その文字で、ごめんなさい、と書かれていた。

 もうここにはいられない、と。


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