31、アルコール・ブギ〈護衛団6〉
日が沈む直前にバンザッタに到着した僕たちは船を乗り捨て、なんとか街中に入ることに成功した。
筏ごと運んだデギ・グーは大きな商館に持って行くと驚くほどの値がついた。なんでも収穫期直後のデギ・グーはよく太っていて美味いらしい。目標としていたメイトリンでの興遊費には届かなかったが、十分すぎる成果と言える。
ただ財布が膨らんだのと同様、蓄積された僕たちの疲労もひどく膨張していた。肩の荷が下りたのか、彼らは大きな溜息を同時に吐き、商館の扉の前で座り込んだ。
「こんなに働いたの、生まれて初めてだ」
ヤクバの呟きに二人が頷く。
「二度とごめんだな」
「あたしも疲れたー。魔力カラカラだよお」
僕も同じだ。慣れない馬の騎乗から狩り、筏作りと日の出直後から活動しっぱなしだったせいで疲れ果てている。朝食は食べたが、昼食は口にしていない。睡眠欲と食欲がせめぎ合って、身体がおかしくなっているような気がした。
どちらにせよ、早く城へと戻りたい。
「さっさと帰ろう。もうくたくただよ」
「そうだねえ……あー、でもお腹減ったなあ」とレクシナはしみじみと呟く。「ねえ、お金も入ったしさあ、どっかで食べていこうよ」
「そうだな」ヤクバは立ち上がり、座り込んでいるセイクとレクシナを引き起こす。「労働の後は美味いメシと酒だ。神もそう言っておられる」
「こんだけ働いたんだ、安酒は勘弁な」
「無駄遣いはしないでよ。フェンに返す分も使ったんじゃ笑い話にもならない」
前借りを帳消しにする金が一夜で消える、まさかそうなると本気で考えているわけではなかったが、一応、釘を刺しておいた。彼らもその大袈裟さに声を上げて笑った。
「あたしたちそんな馬鹿じゃないってば」
「それなら、いいんだけど……じゃあ、僕は城に帰るからさ、みんなも早く帰ってきなよ」
「あ? 何言ってんだよ、ニール坊」
僕の別れの言葉に不服そうにしたのはセイクだった。彼は僕の身体を捕まえ、にんまりと笑った顔を近づける。
「おめえも来るんだよ。仲間じゃねえか」
「え、ちょっ」
急に引っ張られ、足がもつれる。セイクの反対側からヤクバに手を回され、そのまま足が浮きそうになった。背中ではレクシナがはしゃぎながら僕の背を押している。
「いこいこー!」
「新たな友人に乾杯でもするか」
こうなったらもうどうしようもない。僕は何も言えず、抵抗をやめる。
……友人と言われ、嬉しかったのは、秘密だ。
〇
売らずにおいた二頭のデギ・グーのうち、一頭をウラグの斡旋所へ、もう一頭をイルマの勤める料理店に渡した。迷惑料にしては高かったけれど、取引価格の八割程度で買い取ってもらえたため、三人も了承した。金が入って気が大きくなっているのもあるだろうし、謝罪の気持ちもあったに違いない。
その後、僕たちは朝までやっているという酒場へと足を運んだ。まだ金がある頃に豪遊したことがあるのか、店主は三人を見た瞬間に満面の笑みを作って迎えた。
端に置かれた広いテーブルに座り、ヤクバが料理と酒を注文する。字を読めないと言っていたくせに酒場のメニューは読めるらしい。まさか全品注文して一つずつ確かめたのではなかろうな、と疑ったが、果たしてその通りだった。呆れを通り越して尊敬する。表音文字なのだからその調子で続けたらきっとどんな文字でも読めるようになるだろう。
程なくして運ばれてきた料理はデギ・グーを使った煮込み料理だった。芳醇な香りが一気に食卓の上に満ちる。それを吸い込むと空腹感が瞬間的に膨張した。
「食ったことないんだろう? なら一度食べておかなきゃな」
ヤクバの笑みには男気としか言えない雰囲気が満ちていて、危うく尊敬しかける。商館であれだけの値がついたのだからそれなりの値段がするのではないか、とも思ったが、ヤクバの爽快な笑みと食欲をそそる匂いの前に僕の躊躇はいとも簡単に平伏した。
遅れて運ばれてきた酒が全員の前に置かれ、そのとき、僕は「あ」と声を上げた。
これは酒だ。
「どうした?」
「僕、お酒飲めない」
僕が言い終わるのとほぼ同時に「はあ!?」と三人が叫び、立ち上がった。まるでこの世の終わりを目にしたかのような、絶望的な表情が三方向からにじり寄ってくる。その勢いに思わず身体が仰け反る。彼らの視線には本気で僕を心配するようなものがあり、心中で反論が乱雑に散らばった。その中から僕が拾い上げた言葉はほとんど建前のようなものだった。
「いや、だってさ、まだ二十一になってないし……」
「ニール、それは何かの冗談か? 年齢が何か関係あるのか?」
「今までどうやって生きてきたんだよ」
「お酒って飲まなきゃ死んじゃうんだよ?」
僕の国の法律ではそういうことになっていたのだ。州によって規定は違うし、超能力を持たない人々は隠れて飲酒しているという噂も聞いたことはあるが、超能力養成課程では厳しくチェックされていて、アルコールが検出された瞬間に口うるさい教官の説教が待っている。
平均寿命が飛躍的に伸び、食料の自動生産システムが確立して、いわゆるモラトリアムの期間が延びたことで飲酒年齢の引き上げが検討されたことこそあるものの、引き下げが謳われたことなど一度もなかった。他の国では十六歳から飲酒が可能という国もあったが、そんなもの僕とはまるで関わりがない。
この国ではどうなのだろうか。
あちらの世界にいた頃は座学でアルコールの弊害ばかりを学んでいたものだから、考えたこともなかった。ウラグに教えられた法律の中にも飲酒に関する規定はなかった気がする。あれば記憶に留まっているはずだ。
唖然として固まっている三人をおずおずと眺める。彼らは天然記念物を見るような目で僕をしばらく見つめた後、一斉にウェイターを呼んだ。
なにやら色々注文したあとで、彼らは僕に向き直り、神妙な口調で言った。
「ニール、お前に魔力がないわけがわかった。神の血を飲んでいないからだ」
「いや、ベルメイアさまも飲んだことないでしょ、きっと」
「なあ、ニール坊、よくぞここまで耐え抜いたよ」
「いや、耐えるも何も、お酒に必須栄養素はないんだからさ」
「ニールちゃん、今日はあたしたちがお金出してあげるから! 飲も?」
「いや、あのさ、普通に水でもくれればいいんだけど」
そして、色とりどりの酒が僕の目の前に置かれる。つまみとしてなのか、追加で注文した様々な料理がテーブルを埋め尽くす。ミクロな酒池肉林のできあがりだ。
三人は自分の前にあったグラスを掲げる。視線だけで促され、僕は手元にあったグラスを、その中にどんな液体が入っているかもわからずに、手に取った。
ヤクバが高らかに宣言する。「借金完済と」
セイクがその後を継ぐ。「新しい友人と!」
レクシナが締める。「お酒との出会いに!」
乾杯! と酒場中に響き渡る声で彼らはグラスを突き出した。
「かん、ぱい」
おずおずと僕もグラスを前に出す。かきん、と小気味いい音が鳴って彼らは一斉に杯を傾けた。言い様のない義務感に駆られ、それを真似る。
初めて飲んだ酒の味はなんだかよくわからず、舌の上で小人が踊るような感触と、鼻に抜けるふくよかな香りに満ちているだけだった。喉を通り、胃に落ちると、なんだか身体が熱くなった気がする。
レクシナが満面の笑みで「どう? どう? おいしいでしょお?」と身体を寄せてくるが、どう答えていいのか、わからなかった。
〇
あ、これが自制心の錠前を外す鍵だったんだな、と気がついたのはヤクバに言われるがままに一口ずつ酒を飲んでいって、八つ目のグラスに到達したときだった。飲みきっているわけではないから酒量そのものは大したことないし、途中に食事を挟みながらだったからそれなりに時間がかかっていたと思う。けれど、一度坂道を転がった酔いの鉄球は疲労感を捲き込んで速度を増し、どんどん僕の思考を口元へと近づけた。
「なんていうかさあぁ……僕も戸惑いっぱなしなんだよおぉ……こんなよくわからないところに飛ばされてさあぁ……魔法? そんなのおとぎ話じゃないかぁ……」
「あはははは、カガクとかよくわかんなーい!」
「おめえの話の方がおとぎ話だよ!」
「おい、ニールもっと酒を飲め、酒を」
手近にあったグラスを、言われるがままに傾ける。果実の甘い香りが脳天に渦巻く。意識が薄くのばされていく気がした。
「ああ……でも、こっちに来れてよかったなあ……アシュタヤもいるしさあぁ」
「なに、ニールちゃん、アシュタヤちゃん好きなの?」
レクシナが興味津々に机に身を乗り出す。
「好きだよ、そりゃあ……あんな綺麗で優しくて……」
「でも、胸はねえじゃん」と言いながらセイクがフォークで肉を突き刺す。
「レクシナなんて胸もあるし、優しくて、顔もいいし、頭もいいぞ」
「へへー、あたしすごーい」
「確かにアシュタヤは胸ないけどさ、そんなの別にさ……、っていうかレクシナは頭よくないよ。なんだよ、服売るって……見てるだけで寒いんだよ」
「あー、ひっどーい! 馬鹿にしてー!」
ぎゃはは、とセイクが品のない笑い方をした。ヤクバはせっせと酒を身体の中に押し込めている。なんだか面白くなって僕も高らかに笑った。
「それにセイクとヤクバも頭おかしいよ? なんだよ、お金ないのに飲み明かすって! 気付かないわけないでしょ!」
「ああ、てめえ、俺はこいつらとはちげえだろ!」
「一緒一緒、変わらないよ」
「ああ、これとこれをくれ」
「おいヤクバ! てめえ注文してる暇あったら言い返せよ!」
「賢者は怒らない」
「バカなハゲじゃん!」
「おい、レクシナ、俺はハゲじゃない、剃ってるだけだ、訂正しろ」
「馬鹿なことは認めてるんだね」
「ニール、お前、酒も知らないくせに俺を馬鹿にするな……おっと、女も知らなかったか?」
「それは関係ないだろ!」
「ああ、そうだそうだ、ニールちゃん、アシュタヤちゃんの話だってば」
「いいか、ニール坊、女は胸だぞ」
「セイクは胸胸うるさいな……、そんなに胸が好きなら胸の中で生きてればいいじゃんか」
「ぜひそうしてえよ」
「まあ、でもアシュタヤちゃんがおっぱいないのは事実だよねえ。それに比べあたし!」
「いいだろ、別にさ……」
「ああ、そうだな、女は尻だ」
「あたしのお尻見る?」
「いいぞ、レクシナ! 人目の着かないところで脱げ!」
ああ、今、何時だ? 随分時間が経ったような気もするし、まるで時間が経っていないような気もする。テーブルの上に酒がいっぱいあるけど、これ、いくらくらいするんだろう。あ、でも、お金はあるか。なんか、この酒、いい匂いがするな。リンゴの匂いがする。味はよくわかんないな。ああ、デギ・グー、すごいな。人造肉とは比べものにならないや。ちょっと脂が多いから酒で口の中濯がないといけないけど。ヤクバが何か言ってる。セイクが手を叩いてる。レクシナが脱ごうとしてるけど、本当に胸、大きいな。何食べてるんだろう。
意識が薄れていく。アシュタヤはどうしてるかな。
そうだ、アシュタヤ。
発作起きてないだろうか。行かなきゃいけないけど、ああ、足がもつれる。ねえヤクバ、僕、城に行かなきゃなんだけど、なんで椅子に座らせるの? なんで酒を持たせるの? あ、この酒、ちょっとおいしいかもしれない。何か僕おかしくなってるきがするわらいがとまらないれくしながさんにんくらいにみえるなんだこれおもしろいなあ。
ああ。
……眠い。
〇
酒場で夜を明かした僕を待っていたのは骨に染みるような頭痛と聞いたことのない金額の請求だった。僕が眠りに落ちたその後、セイクが娼婦を呼んで身体の柔らかいところをまさぐったとか、ヤクバが何本も酒を開けたとか、レクシナが隣の客と飲み比べを始めたとかそういう騒ぎがあったそうだ。
頭痛と残った酔いのせいで考えがまとまらなかったが、一つだけ判明している事実がある。
手元に残った金は明らかにフェンに返す前借り分の金額に届いていなかった。
あれだけあった金が消えている。慌ててぼやける頭で支払った金額と残額を足しあわせてみたが、何もおかしい点はなかった。
あ、これ、まずいな。
そう直感し、僕は三人を置いて、そそくさと店を出る。大きないびきを掻いて寝ている三人は僕が去るのに気付くこともない。迷惑そうに店主が彼らの身体を揺さぶっているのが視界の端で見えた。
とりあえずこの金は僕が預かろう。盗まれてもいけないし、後で冷静になってから事実を告げた方がいいはずだ。
覚束ない足取りで城へと戻る。一刻も早く顔を洗ってベッドに潜り込みたい。
跳ね橋の前にいる兵士に頭を下げて、城門へと近づいていく。兵士は一瞬ぎょっとして僕を見つめ、それから顔を伏せて「おはよう、朝帰りか、ニール」と言った。笑いを堪えているのがあからさまに出ている。
「ええ、まあ」
「早く顔を洗えよ」
「……? はい、そうします」
城の中に入る。訓練を始めようとしている兵士がそこかしこにいる。騒々しくて頭に響き、居館の方へと足早に向かうとベルメイアとすれ違った。
「ああ、ベルメイアさま、おはようございます……」
「おはよう、って……ニール、何その顔? 何してたのかしら」
「ええ、あの三人と一緒にいたんですが……」
「ふうん……」と彼女は訝しげに僕を睨み、一歩僕に近づく。その瞬間、彼女の顔色が急変した。「ちょっと! ニール、クサイ!」
「え……本当ですか?」
「お酒クサイし、タバコの臭いもする!」
「いえ、タバコは吸ってないですが……」と、思う。隣の客がふかしていたからおおかたその臭いが染みついているのだろう。
「だめよ、あんた。あいつらと一緒にいたら馬鹿がうつってしまうわ」
「かも、しれないですね」
ベルメイアは僕を叱責し、とてとてと去って行ってしまった。
自分の臭いというのはよく分からないものだ。タバコの臭いは感じていたが、それほど酒の臭いがするのだろうか。
僕は階段を踏みしめる。身体が重い。一段上るのも一苦労だった。
自分の部屋へと向かう前に、アシュタヤの部屋へと向かうことにする。
彼女は昨夜、大丈夫だっただろうか。悪い夢は見ていなかっただろうか。
なんだか言いようのない罪悪感が宿酔と混じり始めている。
アシュタヤの部屋にたどり着き、扉をノックした。もう起きてどこかに行ってしまったかもしれないと不安に思ったが、奥からアシュタヤの「はい」という澄んだ声が聞こえて、僕は安堵した。
声に恐怖はない。悪い夢にうなされてはいなかったようだ。
「ニールだけど、開けてもいいかな」
「ああ、ちょっと待って。今開けるね」
足音が近づき、鍵が外される音がする。扉が開き、アシュタヤの柔らかい笑みが見え――それが、一瞬にして、引き攣った。
「あの、ニールさん、なにしてらしたんですか?」
「ああ、あの三人に付き合わされてさ、何とか昨日のうちにバンザッタに戻ったんだけど、そのまま酒場に連行されて」
「どうりでお酒の臭いがひどいと思いました」
「ああ、ごめん、ベルメイアさまにも言われたんだけど、アシュタヤ大丈夫だったかな、って思って……」
「私は大丈夫でした」
アシュタヤは事務的な口調で短く言い切り、小さく頭を下げる。
「あなたが心配してくれたかもしれませんね」
「ごめんね、早く帰ってくるっていったのに」
「いえ、別に気にしていません。楽しむのはいいことですよ」
「……あのさ」
「なんでしょう」
「気のせいかな、ちょっと怒ってない?」
「そんなことありませんよ?」
「でも、だって」
怒りのにおいがする。敬語、使ってるじゃないか、と指摘しようとしたが、口には出なかった。彼女は複雑な笑みを作って自身の頬を人差し指でなぞった。
「……口紅」
「え」
「頬に口紅ついてらっしゃるので、お顔を洗った方がいいと思いますよ」
手が反射的に動く。服で頬を擦ると赤色が生地に付着した。
「では」
アシュタヤは短くそう言うと、扉を閉める。どうしようもない隔たりに僕は絶望し、寝ている間何が起こったのか考えると気が気でなく、叫ばずにはいられなかった。




