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113、Allay〈レカルタ市街戦4〉

 苛立たしげにギルデンスは右手を顔に当てる。その仕草は何事にも超然としていた彼らしくない、極めて人間的な仕草だった。


「……やはりエニツィアは一筋縄ではいかないな。あのとき、お前を生かしておいてよかったのか、悪かったのか……。だがしかし、化け物と対峙している実感がふつふつと湧いてくる」

「お前の戯れ言に付き合うつもりはない」


 ぶつかった視線を一度逸らし、自身を鼓舞して再び睨む。


「付き合うつもりはないけど……どっちにしたって、ずっと前から決めてたんだ」


 僕が、ギルデンス、お前を止める。


 開けた草原の上を強い風が吹き抜けていった。

 風の温度は春の暖かさが混じっている。もうすぐ暦が一周する。ギルデンスが画策していた戦いが始まるのは間もなくのことだろう。

 できればその前に決着をつけておきたかった。

 ディータには転移魔法を使うように頼んだが、ここでギルデンスを殺せるのならそれが最良だ。彼女の魔法はあくまで保険に過ぎない。


 その認識がギルデンスにだけは伝わっていたのか、彼は顔に当てていた手を離し、筒を握り直した。その一瞬、彼の掌に刻まれた魔法陣が垣間見える。何の魔法だ、と考えるまでもなく、異変に気付いた。

 傷がない。

 先ほどギルデンスの頬に生まれた小さな傷が後片もなく消え去っていた。


「治癒魔法陣か……似合わないな」


 幾多の戦場に赴いてなお無傷で帰ってきた、という彼の噂を思い出す。それだけ今回の戦争が苛烈なものになると予想しているのだろうか。

 彼は「似合わないか」と笑みを溢した。何の笑いかは分からなかった。


「戦場では準備を怠った者から死ぬ」

「……冗談が上手いな。お前は他人に準備をさせて死に追いやってきたくせに」

「お前はどうしてそう私を敵対視するんだ?」

「『化け物』だからじゃないか?」


 その言葉が合図となった。

 ギルデンスの身体に刻まれた魔法陣が発光する。

 およそ十メートル、槍と化した僕の〈腕〉がその距離を走る。

 ギルデンスはまるで僕の〈腕〉を視認しているかのような動きで攻撃を躱し、水弾を放った。その速度は〈腕〉が戻るよりも速い。咄嗟に横に跳び、地面を転がる。

 追撃に備えて〈腕〉を盾へと変形させると同時に眼前で爆発が起こった。

 水の爆発だ。極限まで圧力を高められた水弾が〈腕〉の盾に衝突し、四散する。飛沫のレンズを通してギルデンスが左へと移動しているのが見えた。


 立ち上がる時間すらもどかしい。

 僕は〈腕〉を身体に打ち付ける。浮き上がり、引き摺られるように宙を進む。一拍遅れて足下が鋭く抉れた。

 紙人形のように無様に移動しながら、〈腕〉を全身に巻き付ける。足を伸ばし、地面に触れた瞬間、動きを無理矢理に止めた。慣性で内臓が身体の内側にぶつかる。暴れる関節を押さえつける。

 ギルデンスの持つ筒はまだこちらへと向いていない。わずかな猶予の間に地面を蹴る。距離を詰め、攻撃が届く範囲に戻る。


 僕は〈腕〉を身体から引き剥がし、鋭く尖らせた。狙いはギルデンスの筒だ。一本でも弾き飛ばすか、破壊してしまえば攻撃力は半減する。それに、どちらにせよ水弾を発射するのはあの筒なのだ、真っ直ぐに突けば盾は必要ない。

 地面を踏みしめ、若草色の殺意を突き出す。

 予想に違わず、〈腕〉の先端に圧力が加わった。尖らせた運動エネルギーに水弾が突き刺さる。一瞬が引き延ばされる。水弾に穴が空き、ドーナツ状に広がり――

 ――暗い穴の中に〈腕〉が侵入した。

 だが、狙いを看破していたのか、ギルデンスの反応は素早かった。筒が振り払うように動かされ、角度が変わったことで〈腕〉が内壁にぶつかる。硬い感触が肩口にまで伝播した。


 関係ない――このまま貫いてやる。

 全身を強張らせ、〈腕〉に力を込める。しかし、〈腕〉の進行は堰き止められたままだ。違和感に脳が蹂躙され、〈腕〉を引く。がりっ、と何かを引っ掻くような感触が伝わる。

 その動作ともう一方の筒から水弾が発射されるのは同時のことだった。

 まずい――まずい、まずい!

 肉体は金縛りにあったかのように動かない。視界の中で草が異様なほど緩慢な速度で風に揺らいでいる。危機感が翻る。滑らかに動いているのは水弾と〈腕〉だけだ。

 そして、水弾は胸を食い破ろうと空気を裂いて進んできている。


 間に合え!

 あと数センチ、というところで水弾と胸の間に〈腕〉が滑り込んだ。〈拳〉の中で水弾は暴れていたが、すぐに運動エネルギーは消失し、だらりと血液のような粘性をもってこぼれ落ちた。

 水滴が細い草に乗った瞬間、世界に速度が戻る。

 殺気を感じ、〈腕〉を盾へと変えて大きく後退した。地面と平行に放たれた水弾は僕の動きを追う。〈腕〉を突き出して薙ぎ払ったところで、僕は小さく息を吐き、ギルデンスを、彼の持つ筒を凝視した。


 ……さっきの、あの感触はなんだ?

 触れた経験があるような、不思議な感触。

 僕の〈腕〉は「魔法」の武器ではない。切れないものも貫けないものも存在する。だが、それにしても、あの硬さは尋常ではなかった。先端が触れた瞬間の、地面のような分厚さが強く残って、消えない。

 ギルデンスはむやみに攻撃してきても意味がないと悟ったのか、僕を中心に円を描くようにして歩いている。攻撃の気配は感じなかったため、息を整え、目を凝らした。


 筒の暗い穴、銀の輪は僕に狙いをつけている。わずかな隙すら許されない緊迫感はナイフのように鋭く、綿のように僕を包み、氷のように冷たかった。

 唾を飲み込む。唾液は固体のような確かさで狭隘な食道を通り抜ける。苦しさの塊を押し出すように息を吐き出し、吸い込む。

 そのとき、銀輪が円を描いていないことに気がついた。僕の〈腕〉が擦れた上部のあたりに黒い線が入っていて、意図せず、声が漏れる。


「……黒」


 自身の声に脳細胞が呼応する。

 銀輪の上部に走っている線――〈腕〉を引いたときについた傷だ。

 外部と内部で異なる色――単一の素材でないことの証明だ。

 黒色の金属――それが何か思い当たり、僕は思わず舌打ちをする。


「……黒鉄か」

 ギルデンスの反応は鈍い。「目ざといものだ」

「随分、準備がいいな」

「この程度は準備のうちにも入らない」


 敵の強かさに感心する。

 黒鉄は政府によって流通が制限されている貴重な金属である。それを誇示するのではなく、メッキで覆い隠すなど普通はしない。おそらく彼は、エニツィアでもっとも強い素材である黒鉄ですら武器と看做していないのだ。

 黒鉄の頑強さは僕も理解している。ヤクバやセイク、レクシナの武器も黒鉄を素材としているからだ。優れた軍人にしか与えられないはず、と考え、すぐにギルデンスは今もなお軍人であることを思い出した。


「どうやら」ギルデンスは殺気を漂わせたまま、事実の確認を風に乗せる。「お前の力でも黒鉄には手を焼くと見える」

「……別に破壊する必要なんてない。お前に攻撃を当てればいいだけだ」

「できると思うか?」


 強がりであると容易に見透かされ、僕は口ごもる。

 ギルデンスとまともに戦ったのはこれが二度目だ。その少ない体験からでも彼の尋常ではない強さを把握できている。

 尽きることのない魔力、詠唱を捨て去る全身の魔法陣は言うまでもなく、身体機能も計り知れないほど高い。反応速度も動作の正確性も、あらゆる動きが規格外に過ぎる。


 何より厄介なのは、彼の「目」だった。

 もちろん、ギルデンスの身体には超能力の所有を示す目印は一切ない。だから、つまり、洞察力や直感、他者の心理を掴み共感するその才能が僕の〈腕〉に色をつけているということになる。

 あらゆる攻撃を躱し、防ぐ。

 第六感と十把一絡げに言うには憚られる超感覚――それこそが彼をエニツィア最強の座へと押し上げた要因の一つなのかも知れない。


 人として生まれた獣。

 人間とは思えないほどの攻撃力と人間にしか身につけられない防御力に、僕は再び舌打ちをした。バンザッタで初めて彼と対峙したときほどの力の差は感じない。だが、悠長に構えている時間などないのも事実だった。

 僕はちらりと、右後方にいるディータを覗き見る。発動を遅延させる詠唱を組み込んでいるのか、彼女の口は既に動いていなかった。彼女も僕の視線に気がついたのか、ほんの少し顎を引いた。


「……選べる立場じゃない、か」


 できればここで殺しておきたかったが背に腹は代えられない。決着を急いでマーロゥたちに不幸な事態が起きてしまったらこれまでの行動の意味がなくなってしまう。

 僕は息を吐き、〈腕〉で地面を叩く。振動が足下を伝わる。目標をギルデンスの殺害から、彼をディータの半径三エクタ――二メートルの空間に押しやることへと変更する。


     〇


「顔つきが変わったな」


 表情だけで人の心はどこまで読めるのだろうか。淀んだギルデンスの瞳の暗さは沼を彷彿とさせた。底に堆積しているのは他者の感情という泥だ。あらゆる手段で人々を誘導してきた彼は――行いの善悪などとは関係がなく――「気持ち」に精通している。

 ましてや僕に与えられていた選択肢は少ない。逃げるか殺すか転移魔法に巻き込むか。おそらくギルデンスには僕がどれを選ぶのか手に取るように分かったのだろう、彼の移動は広場に一つの直線を形作った。


 アシュタヤはディータの隣へと移動している。彼女たちと僕を結ぶ延長線上でギルデンスは立ち止まった。アシュタヤとディータからおよそ十メートルに僕が、そこからさらに十メートルの地点にギルデンスがいる。

 目標とする距離のおよそ十倍――。たった二十メートルの距離が果てしなく感じた。

 僕が一歩足を踏み出すとギルデンスは一歩後ろに下がる。永遠に亀に追いつけないアキレスのように、僕の〈腕〉は彼に届かない。そんな予感が焦燥感となり、腹の奥底をくすぐった。


「状況を打開する『魔法』を教えてやろう……言え、お前たちは何をしてきた?」

「教えるわけがないだろう……、ディータ!」彼女からの返事はなかったが、構わず、前を見据えたまま指示を飛ばした。「僕のところまで来てくれ」


 何らかの制約があるのか、やはりディータは声を上げなかったが、躊躇いの滲んだ速度で近づいてくる。〈腕〉の範囲内に彼女が入ると同時に捕まえ、思い切り引き寄せた。

 ギルデンスの顔色がわずかに変わる。

 ディータは大きくよろめき、僕を見つめた。その表情には不安の影が落とされていたが、気丈にも悲鳴を堪えたままだった。


「ギルデンス、拙い嘘はやめろ」


 この状況で僕の吐き出す言葉が真実になる理由などない。真実を口にする意志がない以上、『真偽判別』など行使するだけ無駄なのだ。それに類する禁術が明らかにするのも、明確な事実ではなく、その時々の感情に過ぎない。

 つまり、ギルデンスが真実を獲得する手段は一つだけ――「僕を痛めつけ、地面に這いつくばらせた上でアシュタヤに発言を促す」、そんな原始的な方法しかなく、また、それを甘受するつもりも毛頭なかった。


 僕はギルデンスに聞こえないよう、ディータへ「ごめん」と囁き、視線を戻す。「さて、こんな下卑た手段は取りたくないけど、仕方がない」


〈腕〉でディータを拘束したまま、左手で腰に提げたナイフを抜く。ロディからもらったナイフだ。胸の内で爆発する罪悪感を堪えながら、あらゆる感情を噛み殺し、僕はディータの首元に刃先を突きつけた。


「お前の計画にとって、僕たちの情報とディータはどちらが重要だ?」

「……無理をするな。手が震えてるぞ」

「僕の手が震えて困るのは僕じゃない、お前だ」


 大きな舌打ちが聞こえた。ギルデンスの顔に怒りの欠片が浮いている。世話をしてきた少女を人質にされていることへの焦りや義憤ではなく、他人に行動を制限されていることへの嫌悪が露わになっていた。


「……ニール、お前はこういったことをする人間ではないと思っていたがな」

「僕とお前は似ているんだろ? 先にバンザッタでこれをやったのはお前だ」

「そういえばそんなこともあったな……懐かしいものだ」


 斜に構えたまま、ギルデンスは黒鉄の筒の先端を降ろす。こちらの要求を飲むつもりかとも思ったが、承諾の声は発せられなかった。彼は顎に手を当て、悩むような素振りを見せる。緩慢な歩みで左へと移動を始めた。

 どうした、早く決めろ。

 そう言おうとした瞬間、服の裾を強く引かれた。胸元にいるディータの目の光には何かを訴えるような切実さがあった。


「ニール――」


 後方でアシュタヤの声が弾ける。

 ギルデンスから目を離した一瞬、彼が僕の油断を見逃すはずがなかった。反射的にアシュタヤのいる方向へと飛び退く。眼前を水の矢が通り過ぎていく。


「投げて!」


 投げる?

 その言葉に頭が真っ白になりかけた。何を、とその疑問が満ちた瞬間、再び服の裾が強く引かれた。ディータが縮こまっているのがかすかに目に入る。

 ――これ以上、考えるな。

 あらゆる疑問を放り投げ、不安定な体勢のまま〈腕〉に力を込める。ギルデンスの膝が曲がっているのを捉える。重心を把握し、跳躍する方向を予測する。

 そして、僕はギルデンスの元へとディータを投擲した。

 紐に引かれるように、彼女は宙を滑る。ギルデンスが地面を蹴るのと同時に水の壁が生まれる。衝突する寸前、ディータの叫び声は半球状の空白を生み出した。


「え」


 素っ頓狂な僕の声がだだっ広い草原に満ちる。魔力との接続が断たれた水の壁が音を立てて崩れ、そこに発生した不自然なほどの静寂に興奮で荒くなった僕の呼吸だけが響いている。


「……消え、た」


 ディータとギルデンスの姿は消失している。空間を埋めるように流れ込んでくる強い風だけが夢ではないことの証明のようにも思えた。


「ニール」


 背後から聞こえたアシュタヤの声で我に返った。彼女は「上手くいったね」と僕を労い、手を握ってくる。だが、すぐに握り返すことは出なかった。僕は彼女とディータたちがいた空間を交互に見つめる。

 そこに僕が発すべき適切な言葉は影すらもない。


「どうしたの?」

「……いや、なんていうか、外側から転移魔法を見たのは初めてだったから」

「びっくりしてるんだ?」


 答えるに答えられず、僕は曖昧な返事をする。立ち尽くしているうちに放り投げていた疑問が風に乗って僕の元に返ってくる。それを訊ねようとする前に、アシュタヤは答えた。


「ディアルタさまなら大丈夫」

「え?」

「飛んだり跳ねたりしてても、転移するとその力は消えるらしいから……高さは残るみたいけど」

「……そうなの?」

「うん」彼女の首肯には嘘は見当たらない。「ディアルタさまがそう言ってた」


 一瞬、それすらもディータの嘘かとも疑ったが、アシュタヤのことだ、〈肌〉かあるいは禁術で確認しているだろう。それ以上不安に心を燻らせるのも煩わしく、素直に信じることにした。

 僕は息を吐き、地面にへたり込む。鉛のような倦怠感に覆われているのを感じ、緊張による疲れがどっと生じているのを自覚した。


「かなり思い切り投げたから不安だったんだよ……ギルデンスも強いし……」

「……そうね。ほら、ニール」


 差し伸べられた手を掴み、僕は立ち上がる。長々と休んでいるわけにもいかないのは十分承知していた。

 マーロゥたちはどうなっているだろうか。


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