第68話 覚悟と代償
気が付くと、俺は森の中のような場所に立っていた。
おかしい、さっきまでは魔王城で魔神と戦っていたはずなのに――という疑問が頭をかすめて、ふと俺はここに来る前の光景を思い出す。
覚えていることと言えば、奴の――ニヒトの無慈悲で、圧倒的すぎるあの力。
その威力は、俺が握るアルカンシエルの刃を粉々に粉砕する程度には、絶望的なものだった。
覚えていることと言えば、ニヒトに捕まり、動けなくなった仲間たち。
何かの波動を浴びせられ、俺の目の前で倒れ伏した皆は、すでにピクリとも動かなくなっていた。
体温を保って、硬直さえしないというのに、仲間たちは誰一人として動こうとしない。何度呼びかけようと、虚空を見つめる目は、横たえられた体は、何の反応も見せてくれない。
覚えていることと言えば、それでも立ち向かった俺が見た、圧倒的なまでの黒。
言うまでもなく、ニヒトの攻撃だ。視界という視界すべてを埋め尽くさんとばかりに膨れ上がった黒は、まるで絶望という一言を端的にあらわしたようで。
覚えていることと言えば、奴の――ニヒトの見せた、嘲るような笑み。
闇よりも暗く、深いその瞳が見せたその感情は、視界を埋め尽くす黒とともに、俺がかなわない相手だということを示していて――。
「……負けた、んだな」
頭がそう、理解している。
同時に、悔しさとも悲しさとも怒りともつかない、いろんなものを綯い交ぜにした何かが込み上げてきた。ずんと重くなった体を揺らめかせて、俺はその場に座り込む。
ゆらり、と視界がにじむ。言うまでもなく、俺は泣いていた。熱いしずくが頬を伝い落ちて、地面へとしみこんでいく。
守れなかったのか、俺は。あれだけの旅をして、何を学んできたんだ。あれだけいろんな人とふれあって、守りたいと思って、結局――。
そのまま、何分うつむいていたのだろうか。ふと顔を上げると、目の前には見覚えのある緑髪の女性が立っていた。
「タクト」
俺の名を呼ぶフウ――風の大精霊ウィンは、どことなく優しげな、そして心配げな目をしている。ひょっとして、憐れんでいるのだろうか。
「……」
彼女の姿を見て、また何かが込み上げてくる。きつく唇を引き結び、ともすれば溢れ出して止まらなくなりそうなそれを抑え込んでいると、悲しげな、しかし優しい目をしたウィンが、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「ごめんなさい、タクト」
すっと目を閉じて、ウィンはそうつぶやく。
――あんたが謝ることはない。全部俺の力不足なんだ。そう言いたいのに、言えない。口を開けば、溢れそうなこれを止められなくなるから。
何も言えないまま、俺はうつむく。完膚無きにまでの敗北を喫して泣きそうになっている俺は、ひどく滑稽に見えることだろう。そう考えて、ふと自嘲的な笑みが漏れる。
これほどに重要な役目を果たせなかったんだ俺は、この後どうなるのだろうか。おさまってきた衝動の横でそう考えていると、ふと再びウィンが口を開いた。
「――また、あなたを戦わせなければならない」
「――っ!」
はじかれるようにして、顔を上げる。今、ウィンは何と言った?また戦わせる?
聞き間違えでなければ、確かにウィンはそういった。そのことを訪ねようとしたとき、ふいに彼女の横に人影が浮かび上がる。
その人影は、燃えるような赤い髪の男性と、黄色いメッシュが入った短い茶髪を持った男性だった。どちらも見間違うことはない。かつて俺を、俺たちをカダーヴェルから助けてくれた、フレイとアークの化身だ。
さらにその横に、重ねて三つの人影が浮かび上がる。そのどれもが見たことのない顔ぶれだったが、ウィンたちのことを鑑みるに、彼らも大精霊の人間体であるのは確定でいい。現にそれぞれ、青、白、黒をモチーフとした髪と衣装を身に着けていた。
そうして集結した六精霊は、そのどれもが深刻気な表情をしていた。無理もない、希望であったはずの俺が倒れてしまったんだから。
しかしそれと同時に、六精霊の表情に陰鬱な雰囲気は見られなかった。どちらかというと、これから起こることを憂いているような、そんな顔。
「……神龍の騎士、タクト・カドミヤ。これから我らが話すことは、この世界の存亡を賭けたものだ」
そう言って、六精霊たちは語り始める。
まず現在、神龍の騎士である俺を倒したニヒトは、その俺から奪った力をもって自らを進化させたという。結果、ニヒトの力はプラティユーシャに匹敵するほどに強大なものとなり、その影響でカイ・ドレクスは現在、消滅するか否かの瀬戸際にあるという。
そしてこうして話す俺たちの裏では、プラティユーシャとニヒトが死闘を繰り広げているらしい。今のところは互角だが、世界を守りながら戦っている分、じりじりとプラティユーシャが押されている。このままいけば、プラティユーシャの敗北も、カイ・ドレクスの消滅も、いずれも避けられないのだ。
「そんな非常事態に対応するためのカウンターとして用意されたのが、神龍の騎士という存在なのです」
現状を聞かされたあと、ウィンたちから唐突にそんなことを言われた。
俺がカウンターとはどういうことだろうか?こうして敗北を喫してここにいる以上、俺は役目を果たせなかったはずなのだが――という俺の言葉は、口に出す前にさえぎられる。
「確かに、あなたはニヒトに負けて、現在も死のふちに立っています。ですが、あなたにはまだ託していない力があるのです」
六精霊が言うには、今まで俺に与えられていた力というのは、あくまでもニヒトを再封印するために必要な力であり、奴と渡り合い、倒すための力ではなかったというのだ。
「いかにプラティユーシャ様が見出した神龍の騎士といえど、最初から神をも殺すような力を渡すべきではない。下手をすればその力で、プラティユーシャ様自身の身が滅ぼされてしまう恐れがあるからだ」
そう告げるフレイは、一呼吸を置いて再度口を開く。
「そしてもう一つ――こちらが本題だ。そしてそれゆえに、我らは君に問わねばならない」
六精霊たちの目が、より真剣なものとなる。
「これから我らが君に与える力は、神の力と呼べるほどに強大だ。それを受ければ、いかに力を受け入れる器を持つ神龍の騎士であろうと、無事では済まされない。……最悪、力に耐えきれずに自己崩壊を起こし、命を落とすやもしれん」
強大な力、代償は命。要約すれば、そういうことだ。
「今ならば、君の魂を元の世界へと送り返すことも不可能ではない。……勇者として祭り上げられ、半ば強制と言ってもいい形で協力を申し出たのだ。君には、自らの道を決める権利がある」
そう言って、六精霊は俺を見つめる。
「神龍の騎士。君はその命を、どう使う?」
「……なんというか、ズルいやり口ですね」
六精霊の問いかけに対して、俺は眉尻を下げて苦笑した。今の俺に、悔しさや怒りなんてものはない。
「そんなこと、決まってますよ。――俺はこの世界に……カイ・ドレクスに来て、いろんなことを知った。人と触れ合える喜びも、命を賭けて日々を生きる楽しさも。誰かを救ったり、誰かに助けられたりする嬉しさだって、俺はこの世界で学んだんだ」
そうして、ぐっとこぶしを握り締める。アルカンシエルは折れてしまったけど、俺にはまだ戦う力がある。
「それに、この世界には俺が出会った、かけがえのない人たちがいる。――何より、俺はプラティユーシャ……の前では言ってないっけ。――ともかく俺は、あいつらの前で宣言したんだ」
自然と、口元が弧を描く。様々な思い出が去来する中で、俺は小さく笑んでいた。
「俺が神龍の騎士として戦うのは、誰かの為なんかじゃない。宿命だからでもないし、この世界のためでもない。俺は、この世界が大好きな、俺のために戦うんだ」
あの日、仲間たちや無能王の前で宣言した、俺のためのわがまま。その宣言を取り消すつもりは、さらさらない。
まだ、俺には戦う力が残されているのだ。ならば、俺の中で燻っている希望の炎は、再び燃え上がることはできる。だったら――燃え尽きたとしても戦うまでだ!
胸中で息巻いていると、俺の言いたいことを察してくれたのか、六精霊は一斉に頷き、俺に向けてそっと手をかざす。
「タクト、あなたの意志は受け取りました。――その折れることなき不屈の勇気に、私たちは希望を託します」
どうか、ご無事で。
途方もない力の本流に呑まれ、意識を光に溶かしていく俺の耳に、そんな声が聞こえてきた。
***
すでに、空は虚空へと消えている。それだけではなく、魔神ニヒトが放った負の波動により、カイ・ドレクスと銘打たれたこの世界のあらゆる地が、崩壊の最中にあった。
虚空へ溶け消えゆくのは、自然豊かな風景。先ほどまで息づいていたはずの生き物。恐怖を想起したままの人々。それらすべてから発される、音なき負の断末魔を全身に浴びながらも、この世界で生き、すべてを見守ってきた神龍、ことプラティユーシャは戦っていた。
すでにその身に、神としての威光を放つ鱗のきらめきはなく、全身からはおびただしい量の血を流している。その痛みに耐え、目の前のヒトガタから放たれる負の力の数々をいなし、そうして神龍は、限界を超えてなお戦っていた。
(……成功、したようですね)
それは、最後の希望を紡ぐために他ならない。そうして役目を終えた神龍は、ゆっくりと体のバランスを崩し、轟音とともにその身を横たえた。
限界さえ超越して酷使されてきた体は、光の粒となって薄れていく。それを見ていたヒトガタ――かつての勇者であるカインの体を奪い、厄災として降臨していた魔神ニヒトは、ふいに体をくの時に折り曲げる。
「……っくく、くははは、っはははははははははははは!!――やった、ついにやったぞ!!」
直後、抑えきれぬ感情を爆発させて、ニヒトが高らかに笑い声をあげた。そして体をよじって笑うニヒトが、おもむろに制止したかと思うと両の手を水平に持ち上げる。
「――括目するがいい、愚かで矮小な命ども。お前たちが生きる世界の……最後をな」
呟くニヒトが、広げた両の手から無限の黒を生み出した。わずかな動きだけで放られたそれは、ある一定の距離まで音もなく滑ると、そこから急速に姿を変え、巨大な異空間と化して周囲を飲み込み始めた。世界を構成するモノを光の粒に帰して取り込むそれは、空を覆い尽くす虚空と同じ姿を持っている。
「さぁ、絶望しろ。貴様らがすがった希望が潰え、明日が潰え、世界が潰える――その絶望を、我に見せるがいい!」
なおも高らかに笑うニヒトの声に呼応するかのように、虚空は瞬く間にその範囲を広げていく。
遠くでは、虚空を目前にして泣き叫ぶ親子が見えた。目を向ければ、全てを諦めたように一歩も動かず、ただだまって虚空へ飲まれる男。眼下では、迫る虚空への恐怖で目じりに涙を浮かべながらも、必死に祈り続ける王女がいる。
共通するのは、溢れんばかりの絶望。そのすべてを一身に受け、魔神はただ嗤っていた。
「……っ、!?」
だが。
だが、そんな広がり続ける虚空が、突如膨張したかと思うと内側からはじけ飛んだ。まるで、莫大な力の奔流に触れたかのように、あっけなく霧散する。
「何故、だ」
そうして虚空を切り裂き、世界を元の在り様に戻したその力の奔流は、大きく渦を巻いて天空へ伸び、吹き荒れ始めた。暴れ狂う力の大嵐は、世界を覆いつくさんとその身を肥大化させていた虚空に突き刺さり、食い破り、千地に引き裂いていく。
「何故――貴様が生きている」
荒れ狂う巨大な力の嵐は、現出したその場所から吹き荒れていた。そこに敢然と屹立するのは、真一文字に口元を引き結び、燃えたぎる闘志を爛々と光る瞳に宿し、ただ愚直なまでに魔神を見据える、一つの人影。
「――――何故だ!!神龍の騎士ぃぃぃ!!!」
傷だらけになりながらも、片割れだけになってしまった水晶の剣「アルカンシエル」をしっかりと握りしめて。その足で雄大なる大地を捉えて。
神龍の騎士と呼ばれた少年が――角宮拓斗が、そこに立っていた。




